第7話
身体が動かない…何もする気が起こらない。ベッドで仰向けになったまま、何の気力も湧くことがなく、ぼんやりとしていた。しかし、目を閉じたくはない。目を閉じれば…ダリアの悪意に満ちた笑顔が浮かんできてしまう。
ダリアと話すまで、セーモの心の中はダリアへの憎しみと怒りで満たされていた。ゼーリアと築ける筈だった幸せを奪い、被検体としてセーモの身体を痛めつける悪女。慈悲の欠片もない冷血な女だとセーモは思っていた。けれど、セーモを愛してくれなくとも、人としての価値を見出してくれていた。家族からは必要とされなかった。ゼーリアは…今にして思えば、本当に自分を愛していてくれていたのだろうかと、セーモは疑問に思った。
セーモは視界が涙で滲みながら、後悔が押し寄せてくるのを感じた。セーモの人生は不幸だ、家族にも周りの人間にも恵まれない。ただ、誰かを愛し、愛されて過ごしたかった。何も悪い事なんてしていない、そう思いたいのに、ダリアと上手くいかなかったのは、セーモも悪かったのだと思ってしまう。ダリアは無表情が多く、愛想がない女だ。そしていつも冷静で、冷たい女だと思っていた。けれど、そうではなかった。認めた相手には手を差し伸べる優しさがあった。そして、ゾッとするほどおぞましい悪意ある笑み。場を凍り付かせ、相手を即座に黙らせるほどの怒り。冷たいという表現が生易しいほどの、冷徹で残酷な面があった。ダリアがそんな人だと知っていれば、ゼーリアを愛人として認めて欲しいだなんて言わなかったのに…。
「うぅ…ぅああああっ、がはぁ!?」
思わず泣き出してしまったセーモは、突如訪れた喉の激痛にむせ返ってしまった。何が起きたかも分からずに、首に手を当てて息を整えようとした。何度か呼吸を繰り返す内に、痛みは徐々に引いてきた、しかし…
「ぁ…がぅ…うい…!??」
…声が出なくなっていた。言葉を発しようとしても、しわがれた雑音しか口から出てこない。これはまさか…薬の副作用なのか…? 呆然とするセーモは、ふと首に添えていた手を見た。痩せこけて、皮膚もガサガサで、老人の手のように見えた。心臓の音が頭の中で響き渡るほどの恐怖心に襲われながら、ベッドから上半身を起こし、座った状態となったセーモの前に、鏡に映った自分の顔が映った。
「っ、がぁ!? は、ぁぁ…おぁ!!?」
声は出ないのに、叫んでしまう。セーモの視界には、…鏡に映った、醜くただれこんでいるセーモの顔が入ってきた。その顔はもはや、化け物だった。兄よりも優れていた容姿を…ダリアが褒めてくれた華やかさの要素を、失ってしまっていた。そんな姿を見たくなくて、手当たり次第に身近にある物を鏡に向けてがむしゃらに投げつけた。
た、頼む、誰か助けてくれっ!! ダリア、俺が全部悪かったから、もう赦してくれぇ!!
セーモが顔を伏せ、目を閉じて心の中で叫び続けると……見たくなかった、悪意に満ちたダリアの笑顔が浮かんできた…。
◇◆◇
「…どうやら、精神が壊れてしまったようね。」
セーモと話し合った翌日、セーモはダリアや使用人に話しかけられても、身体を揺すっても何の反応もしなくなった。度重なる薬の投与によって、限界がきたのだろう。ゼーリアに見捨てられた事も影響があるかもしれないけれど。
まぁ、文句も言わずに薬の投与が出来るのならば何でも良い。ダリアにとってセーモはもう、便利な被検体でしかないのだから。
…でも、精神が壊れる前に、セーモは何を思ったのかと少しだけ考えた。何も変わらないまま、ダリアやキュリテ伯爵達を恨んでいたのだろうか。それとも、セーモ自身に問題があった事に気が付いたのだろうか。ダリアに公爵家の業務を押し付け、ゼーリアと愛し合いたいと言った事を後悔しただろうか…と。
セーモの気持ちなんて、ダリアには分からない。知ったところで、もうどうにもならないし、するつもりもない。でも、一つだけ言える事があった。
初めに、ダリアがゼーリアを愛人として認める為に、公爵家の業務をしろと言った。セーモは業務を嫌がって拒否したが、どうしても嫌だったのならば、
「あの時、離婚すれば良かったのよ…。」
そうなれば、ゼーリアは結局セーモを見捨てただろう。伯爵家もセーモを迎え入れなかったかもしれないし、戻れても居場所なんてなかったかもしれない。でも、何かしらの形でやり直すチャンスは残っていた筈だ。身分を捨てて、平民として生きる事もセーモなら出来たかもしれない。少なくとも、今の状況よりはマシだっただろうに…。
「まぁ、自業自得よね。」
ダリアそう呟くと、口元を歪めて微笑んだ。
◆◇◆
「それじゃあ、後のことはよろしくね。」
私の主人、ダリア様はそう言うと部屋を出て行かれた。私がダリア様の使用人として働き始めて何年になるだろうか。ここ最近…セーモ様が被検体となってから、ダリア様は変わってしまった。いや、もしかしたら元からの性格で、今回の件で表に出ただけなのかもしれない。
ダリア様の、メデリア公爵家の使用人を辞めたいだなんて欠片も思わない。しかし、セーモ様が苦しむ姿を嬉しそうに観察し、容赦なく、淡々と薬の投与を続ける姿に、恐怖を感じてしまった。ダリア様の残酷な部分なんて、見たくなかった。ダリア様をそうさせたのは、全てセーモ様と、モア令嬢のせいだ。本当に、迷惑な人達…。
こんな風に思ってしまうのは、使用人として失格なのかもしれない。けれど、思わずにはいられなかった。ダリア様、貴女様はセーモ様に機会など与えずに、不倫が発覚したあの時に、
「あの時、離婚すれば良かったのに…」
これにて完結とさせていただきます。連載を始めて、なかなか更新出来ませんでした。待ってくださっていた方々、すみませんでした。
最後まで見ていただいて、本当にありがとうございました!