第5話
セーモ・キュリテはキュリテ伯爵家の次男として生まれた。セーモの両親は子に対する愛情などなく、自分達の事と、伯爵家の存続と繁栄する事にしか関心がなかった。次男であるセーモを産んだのは、長男に万が一の事があった場合の保険の為だとセーモは思っている。
そしてその長男は、伯爵家を引き継ぐに申し分ない資質と才能を持っていた。セーモは平凡であり、どんなに努力しても才能がある兄には及ばなかった。
「本当にお前は役に立たないな。」
幼かったセーモは長男への嫉妬と、両親に認められたいという思いから彼なりに努力したが報われず、次第に両親と兄を恨むようになっていった。月日が流れ、キュリテ伯爵家にとって自分はどうでもいい存在なのだと理解した。
(くそっ、クソぉっ…なんでなんだよ!!)
その事実はセーモにとって耐え難いものだった。もし、兄よりも優れた才能があればキュリテ伯爵家の後継者になれる可能性もあった。そうなればセーモは必要とされる存在になっただろう。しかし次男であり、凡人のセーモに望みはなかった。セーモが唯一兄よりも勝っていたのは外見と、外見を活かした社交性だけだった。
そんなある日、メデリア公爵家の令嬢との縁談の話がセーモの耳に届いたのだった―――。
◇◆◇
「旦那様、気が付かれましたか?」
「っ、ここは……痛っ!」
執事の声に目を覚ましたセーモは首を起こそうとすると、側頭部に痛みを感じた。痛む場所にそっと手を添えると、ふわりとした感触があった、ガーゼと包帯だ。辺りを見渡すと、ここはセーモ自身の部屋であった。
(俺は、一体……っそうだ!! ゼーリアっ!)
ゼーリアに助けを求めるも拒絶されたのだった。セーモは痛む頭を押さえながら、ベッドから立ち上がろうとする。
「旦那様、どうされたのですか?」
セーモは執事を睨みつけた。
「わざわざお前に言う事ではない! 急いで出かけなくてはならないだけだ!!」
「何故、急いでいるのですか?」
執事からではなく、少し遠くから知っている声が聞こえてきた。セーモはビクッとして動きを止めると、部屋の扉へ視線を移した。そこにはダリアが、無表情で立っていた。
「目が覚めたのですね、セーモ。」
「申し訳御座いません、今報告しようと思っていたのですが…。」
「構いませんよ。」
執事と話をすると、ダリアはセーモに近づいてきた。何を言われるのかと思い、セーモは身構えてしまう。
「貴方が気絶している間に医者に診て貰いました。頭部に傷があるだけで、何の問題もないとの事でしたので動いて頂いても構いませんよ。」
「そ…そうか。」
ダリアの言葉に、セーモは緊張を解いた。頭の怪我は帽子を被れば目立たないだろうと考えながら、ゼーリアに会いに行かなければと考える。
「ですが、出かけるのならば1時間以内に戻ってきて下さいね。被験体としての時間が来ますので。」
「な、なんだって!?」
セーモは青ざめてしまう。起きたばかりで、今が何時なのかを把握していなかった。
「ま、待て! 私は今怪我をしているのだぞ!! こんな状態でそんな事は出来ないではないか!?」
「何を言っておられるのです? 先ほども話した通り、頭の怪我以外は何の問題もありませんよ。それに、怪我をしているならばそれに対応する薬での実験が出来るではありませんか、抗生物質や傷薬の。まぁ勿論、効果も副作用も分かりませんが。」
「ふ、巫山戯るなぁ!!!」
部屋中にセーモの怒鳴り声が響き渡るが、ダリアは怯む事なくため息をついた。
「全く以て巫山戯けてなどおりませんよ。ところで、急いで出掛けようとする理由は何なのですか?」
「っ、そ、それは…ゼ、ゼーリアに会いにいく為だ!!」
「…モア令嬢に、ですか。数時間前に公爵家を慌ただしく飛び出して行ったそうですが、喧嘩でもしたのですか?」
「っ、そ、それは…。」
ゼーリアが飛び出して行ったのは、セーモを突き飛ばして逃げたからだ。
(…あぁ、そうだ、別れを告げられたんだったな。)
セーモはゼーリアに、別れを告げられた事を思い出した。ゼーリアはもう、公爵家に…セーモに会いに来る事はないのだろう。
「貴方の頭の傷、モア令嬢の仕業なのですか?」
「ダリア…もう終わりだ。貴女の思い通りになったな。」
ダリアの質問に答える事なく、話しだしたセーモを、不審がるようにダリアは見つめた。
「ふっ、思い出したよ、私はゼーリアと別れた…貴女のせいでね。貴女を愛さずに、ゼーリアを愛した私が許せなかったのだな。だから被験体になれ等と言って、私とゼーリアが不仲になるように計画したのだろう。」
セーモは急に笑い出した。
「ふ、ふふっ…あはははっ!! 私の愛する人を奪って満足したか? だが、だがしかし、私の元からゼーリアがいなくなった以上、もう私に被験体になる義理などない!! もう契約は無効だっ!!!」
契約の内容は、“セーモとゼーリアの愛人関係を認める代わりに、薬の被験体となる”事であった。セーモとゼーリアが別れた事で、もう被験体にならなくて済む。セーモは嬉しそうに、勝ち誇ったようにダリアに言い放つ。しかし、
「…何を言っておりますの? 被験体にならないのならば、離婚するだけですよ。」
ダリアの言葉に、セーモは笑顔を貼り付けたまま固まる。
「…な、何を言っているんだ?」
「セーモ、貴方とモア令嬢の愛人関係がなくなっただなんて、どうやって証明するのですか? 貴方達が被験体になりたくなくて、嘘をついてるだけなのではないですか?」
セーモが全く想像していなかったダリアからの反応に、頭が真っ白になった。
「はっ…? いや、そんなものは、ゼーリアを呼んで本人からも別れた事を聞けばいいだろう!?」
「ですから、その発言が嘘の可能性もありますよね? そんなものでは信用できませんわ。」
ただでさえ顔色が悪かったセーモだが、さらに顔色が悪くなっていく。
「な、なんだと!? …………そ、それならば使用人にゼーリアを監視させろ! 私と一切接触が無い事が分かれば、証明になるだろう!?」
セーモがやけになって発した提案に、ダリアは少し考え込んだ。
「…なるほど。確かにそれで数日、いえ数ヶ月お二人に関わりがなければ信憑性はありますね。ですが、それでも確実ではありませんし、私が確信が持てるまではお二人を愛人関係だと認識し、被験体は続けて貰いますわ。」
「ぁ…ぁぁああっ!!!!」
セーモが突然、痛む頭を気にする素振りすら見せずに両手で頭を掻きむしりながら発狂した。傷口を押さえていた包帯とガーゼが取れてしまい、ジワジワと血が滲み出てきてしまう。セーモはダリアを憎しみを込めて睨みつける、視線だけで人を殺せてしまいそうな勢いだった。
「いい加減にしろぉ!! 屁理屈ばかり並び立てるなぁ!! 幾ら何でも、こんな仕打ちはないではないか!! なぜ、なぜ私ばかりこんな目に遭わなくてはならないのだぁ!!! ダリアァァ…お前のせいだぁ!!!!」
「………セーモ。」
セーモの異様さに、傍らに佇む執事はたじろいでしまう。しかし、ダリアは冷静なまま、何時もと変わらぬ様子でセーモに話しかける。
「私は貴方を愛した事など一度もありません。貴方が別の誰かを愛したところで、嫉妬などしませんよ。」
「っ、な、ならばなぜ私を選んだのだぁ!! キュリテ伯爵家より身分が上の薬剤に関わる貴族は存在するではないか! だが、貴女はキュリテ伯爵に……私に縁談を持ち込んだではないか!!」
どう足掻いても兄には勝てない、両親から認められない人生の中で突然セーモに告げられたメデリア公爵家の令嬢、ダリアとの縁談。公爵家の一員になれば、伯爵家よりも上の地位を手に入れられる……そう思い、可愛げも愛想もないダリアとの結婚をセーモは受け入れた。
そして、セーモとの婚約を望んだのはダリア本人なのだと後に知ったのだった。
「は、ははっ、どうせ強がりだろう? 貴女は私に惚れたから、それ以外にないではないかっ!!」
「…確かに、私が貴方と結婚したいと望みました。ですが、愛情からではなく、政略的なものでしかありませんよ。」
ダリアは一度目を伏せると、改めて憤るセーモを静かに見つめた。
「私は貴方の容姿と、社交性に価値があると思っていました。」