第4話
「っ…!?」
ダリアの言葉に、ゼーリアは固まる。ダリアはそんなゼーリアに構う事なく話し続ける。
「想い方や考え方は人それぞれ違うと思います。しかし、モア令嬢が本当にセーモを愛しているのならば、愛人でも構わないと思う事は可怪しいのです。」
「そ、それは…セーモ様が公爵の立場を失ってしまうのは困ると思ったからです。わ、私はセーモ様の為に、我慢すると決めたのです!」
「…確かに話し合いの場でも、先程もそう仰ってましたね。愛しているから我慢する、と。では、先程私がセーモを愛していないと話した時、何故否定されたのですか? 貴女にとっては都合が良い事ではありませんか、強がりの嘘であろうと、なかろうと。」
「……それは、その…。」
ゼーリアはダリアから目線を逸らして口籠る。ダリアはゼーリアの反応を予想していたかのように続けた。
「モア令嬢、貴女が意識していたのはセーモではなく、この私ですわよね?」
ダリアの言葉に、ゼーリアはビクッと反応し、逸していた目線をダリアに戻した。
「な、何を仰っているのですか!? ダリ…メデリア公爵夫人。」
「ダリア様」、と呼びそうになるとダリアから睨まれ、ゼーリアは慌てて呼び直した。
「私が二人の浮気現場を目撃した場所が、セーモの自室の近くの廊下だった事が可怪しいのですよ。セーモは用事が無ければ基本的に自室に居ました。セーモに用事がある時に最初に行く場所なのですよ。そして、その日は私に外出予定はなく、公爵家に居りました。だというのに、そんな場所でキスして抱き合うなんてありえませんわ……私に見せつけたかったのですよね? そうでなければ余程の考えなしか、救いようのない馬鹿としか言いようがありませんわ。」
六日前、セーモの自室に向かおうとしていたダリアは、廊下でセーモとゼーリアがキスして抱き合っている所を目撃し、セーモが浮気をしている事が発覚した。そもそも、公爵家の中で二人が会う事自体が危ないというのに、誰が通るかも分からない廊下に居たのだ。
「まるで、見せつけたかったかのような振る舞いですわよね?」
「そ、それは、その、セ、セーモ様がっ…。」
ゼーリアははっきりと言葉にはしないものの、セーモのせいだと伝えてきた。
「私に浮気をしている事がばれてしまうのは、セーモにとっては何の得にもなりません。知っての通り、公爵家の娘は私で、セーモは伯爵家出身の入り婿です。離婚すればセーモが追い出されて終わりです。最初の話し合いの場でも、離婚はしないと言い張りながらも彼は焦っている様子でした。つまり、セーモにとって公爵家から離れる事なく、モア令嬢と一緒にいる最善策は“私に浮気している事を気付かれない”事だったのです。ですので、モア令嬢が意図したとしか考えられません。」
しかしダリアは、セーモのせいだというゼーリアの言葉を否定し、ゼーリアの意図だと主張する。
「い、言い掛かりはおやめ下さい! わ、私に何の得があるというのですか!?」
ゼーリアは必死に否定する。ゼーリアにとっても、得をする事なんて何もないのだと。
「貴女は、自分よりも身分が上の女が、自分に逆らえずに悔しがる惨めな姿を見たかったのですよね? つまり、優越感に浸りたかったのですよ、貴女は私に対して。」
しかし、ダリアはあっさりと答えてしまう。
「モア令嬢、貴女の噂は結構有名なのですよ。貴女より身分が上の令嬢や夫人達がモア令嬢に対して嫌な想いをしたり、無礼な行動に腹を立てても、婚約者や夫達からモア令嬢に危害を加えるなら許さないと釘を刺されたそうですよ。」
「そ、そんなの私は知りません! 私はそんなつもりなんて…私に対して良くない感情を抱いている方が流した噂に違いありません!!」
「火のない所に煙は立たない、という言葉をご存知ですか? 態とではないと言うには噂の数も多いですし、被害にあったという令嬢や夫人の名前も挙がっているのですよ。それに、面識はあるのですよね? 男性達と…。」
「し、知りません、私は何も知りません!! 勝手な事を仰らないで下さいダ…メデリア公爵夫人!!」
ゼーリアは怒りからか顔を赤らめて、表情を歪ませる。しかし、ダリアはゼーリアの主張を聞き流す。
「公爵夫人である私が、身分が下の男爵令嬢である貴女に嫉妬し憎悪するも、愛するセーモと離婚したくない。だからセーモ…いえ、貴女の思い通りになるしかない私を嘲笑い、優越感に浸りたかったのです。今まで貴女が陥れてきた令嬢や夫人達と同じように、ね。」
「っ、ち、違います、私は、そんな…そんな事…っ!」
「今まで子爵家、伯爵家、さらに侯爵家に手を出していたみたいですね。しかし最上位の公爵家となれば、どんなに外見が素晴らしくても常識も教養もない貴女に靡く事がなかったのか、余りにも身分が違い過ぎてお遊びにもならなかったのか、相手にされなかったのでしょうね。だから入り婿という立場のセーモに取り入って、公爵家の娘の私を陥れようとしたのですね…本当に、身の程を弁えろ。」
「っ…。」
ダリアの最後の言葉は、ダリアの呼び方を指摘された時と同じ様な冷たさと鋭さが込められており、ゼーリアは何も反論する事が出来ず、真っ青な顔で立ち尽くした。
「…残念でしたね、モア令嬢。私は確かにセーモに怒りを感じております。しかし愛してなどおりませんから、彼がどうなろうと罪悪感もありませんし、未練なんかありませんよ…当然、我慢なんかしません。」
「っ〜〜〜〜。」
ゼーリアは唇を噛み締め俯き、両手を握り拳にして小刻みに震えた。恐怖からか、怒りからか、それとも悔しさからなのかは分からなかった。
「あぁ、話が脱線してしまいましたが、モア令嬢。」
そんなゼーリアの様子を気にする事もなく、ダリアは話を続ける。
「セーモの代わりに実験体になるというのであれば、契約書はセーモに渡してありますのでセーモに言ってください。貴女の親であるモア男爵のサインも必要となりますので、本日から代わるのであれば急いだ方が宜しいかと思いますわ。」
そう言うとダリアはゼーリアに背を向けて、書類に目を通し始めた。ダリアはもうゼーリアの存在を無視しており、伝えることは伝えたといった様子であった。そんなダリアをゼーリアは、悔しそうに睨みつけると何も言わずに出て行った――。
◇◆◇
「セ、セーモ様ぁ〜〜!!」
「ゼーリア?」
ゼーリアはセーモの自室に入ると、涙目と縋るような声でセーモに抱きついた。セーモはベッドに腰掛けて、何をするでもなく考え込んでいた様子だった。
「メデリア…ダリア様が酷いのです!! 私に、意地悪ばかり言うのですぅ!! 私に、身の程を弁えろと身分の事で虐めてきたのですぅ…!!」
ゼーリアはセーモを上目遣いで見つめる。何時もならば、今までの男達ならば、相手の女性に怒り、ゼーリアを慰めてくれる。そして、ゼーリアを悲しませた相手を懲らしめると誓ってくれるはずだ…。
「ゼーリア………ところで、今夜から実験体を代わって貰えるだろうか?」
しかし、セーモはゼーリアに慰めの言葉をかける事もなく、ただゼーリアを抱きしめ返しただけで、続いた言葉は薬剤の実験体の話だった。
「セ、セーモ様?」
「ダリアに会いに行ったのは、その話をする為だったのだろう?」
ゼーリアは昨日の夜、セーモが実験体としての務めを終えて、ベッドで横になっていた時にダリアの提案を話したのだ。「セーモが引き継ぎ業務をしている間、ゼーリアが代わりに実験体になっても良い」と。そして、セーモはゼーリアに代わって欲しいと頼んだのだった。
「…そ、そんなの無理ですわ!! 昨日も言った筈です、私には耐えられませんわ!!」
ゼーリアはセーモの身体を押して離れようとした、しかしセーモはゼーリアの肩から手を離さない。
「た、頼むよゼーリア! 業務は必ず二週間で覚える。その後私達は愛し合えるんだっ! 公爵の地位を手放す事無く、誰にも邪魔されずにね!」
「そ、そんなの一日でも耐えられません!! わ、私を愛しているならば、耐え切って下さいセーモ様!!」
セーモはやつれた顔で、縋るようにゼーリアに頼み込むがゼーリアは拒否する。
「す、すまないと思っている。しかし、実験体の後は疲労感も残るし、精神的にもきつくて…そんな状態で引き継ぎ業務なんて出来ないんだっ!!」
セーモの身体は外傷こそ残ったことはなく、医師の診断でも健康状態に問題はなかった。しかし、セーモが精神的に耐えきれていない状態だった。
「セ、セーモ様は本当は私の事なんて愛していなかったのですね! だから、そんな酷い事を私に頼めるのですよ!!」
ゼーリアは怒る。セーモは実験体として薬を投与された初日から、ゼーリアと愛し合わなくなった。ゼーリアを褒めても何処か上の空で、ゼーリアが何をしても以前とは全く違った。
「な、何を言うんだ!! 私は本当に君を愛している…く、薬のせいでそんな余裕がないだけだ!!」
「薬のせい? そんなのは言い訳です! 酷い…酷いですわセーモ様!! …………もういいです、おしまいです。」
ゼーリアはそう言うと、渾身の力でセーモを押し退ける。セーモは実験体としての疲労感と、ゼーリアの態度に驚いてしまい、抵抗出来ず、ベッドから落ちて床に頭を打って仰向けで倒れてしまい、そのまま気絶してしまった。
足音と、扉が開き閉まる音が聞こえ、部屋の中には床に倒れているセーモだけが残った…。