第3話
ゼーリア・モア男爵令嬢は美しく、可憐な外見の持ち主だ。その上誰に教わった訳でもないのに男心を掴むのが上手かった。その一方で女性達からの評判は悪く、「私の婚約者に色目を使った」、「節操がない」、「貴族としての常識がない女」と言われていた。しかし、男性側がゼーリアを庇い、女性達が悔しい思いをするという展開で終わり、ゼーリア本人は気にする事はなかった。
そんなある日、ゼーリアはメデリア公爵家の娘、ダリアの夫となったセーモと出会ったのだったーー。
◇◆◇
「ダリア様ぁ!! もうこれ以上セーモ様への嫌がらせはやめて下さい!!」
自室に居たダリアの元に、ゼーリアが涙目で訴えてきた。ゼーリアが何のアポもなしにダリアの自室に入り込もうとしていた所を、ダリア専属の執事が止めていたのだが、ダリアが許可して2人きりで話を始めたところだった。
「嫌がらせ…? モア令嬢、これは離婚しない為の契約ですよ。正式な手続きもしておりますし、何の問題もないのです。それから、前回も言いましたが私の事はメデリア公爵夫人、とお呼びください。」
ダリアは冷静に言い返した。怒りも侮蔑もなく、真顔だった。
「セーモ様はとても苦しんでおられます! セーモ様はただ…私を愛してしまっただけなのです。私もセーモ様を愛してしまっただけ、仕方ないことなのです。ダリア様にとって、セーモ様は愛する旦那様でしょう!? セーモ様は充分に罰を受けております、もう許すべきではありませんか!!」
ダリアの言葉を無視するかのように、悲痛な表情で訴えるゼーリア。ダリアは溜息を吐いた。
「モア令嬢、セーモが薬剤の実験体を辞めると言う事は、私とセーモが離婚するという事です。それはセーモが判断する事であり、貴女が勝手に決める事ではありませんわ。」
「ひ、酷いです! 離婚する必要なんてないではありませんか!! 今まで通りの生活を送る事に何の問題があるのですか?!」
「…それはつまり、私に全ての業務を押し付けて、セーモは何もせずにモア令嬢と仲良く過ごせば良いという事かしら?」
「ダリア様がセーモ様の妻である事は変わりません。私は例え愛人であっても、セーモ様と一緒に居られるのならば構いません。愛する人の為ならば、我慢する事だって大切でしょう、ダリア様?」
ゼーリアは健気な雰囲気を出しながら、まるでダリアに言い聞かせるように身勝手な主張をする。しかし、ダリアはゼーリアの言葉にピクリッと反応すると口元をニヤリッ、と吊り上げて笑みを浮かべた。ゼーリアはそんなダリアの様子に、少しだけ警戒したように表情を強張らせた。
「“愛する人の為ならば、我慢する事だって大切”ね…ではモア令嬢、何故貴女は実験体になる事を了承しないのですか?」
ダリアの言葉に、ゼーリアは焦りを見せる。
「っ、そ、そんなの無理に決まってるではありませんか!」
「あら、やっぱりセーモから話を聞いていたのですね。」
ゼーリアの様子に、ダリアは確信したように失笑した。昨日、セーモが今のゼーリアのように実験体を辞めさせて欲しいと訴えてきた時、ダリアは提案したのだ。「セーモが業務の引き継ぎを終えるまでの間、代わりにゼーリアが実験体になっても良い」と。セーモは呆然としていたが、ダリアは業務の処理をするから邪魔だとセーモを追い出した。その日の夜は何時も通りにセーモが薬剤の実験体として薬を投与された。即効性の回復力がある栄養剤だったが、副作用には凄まじい脱力感と目眩が起こり、セーモは自力で動く事が出来ない様子であった。その後、セーモがゼーリアに実験体を変わって欲しいと頼んだのだろう。
「モア令嬢、セーモを愛しているのならば代わって差し上げたらどうなのですか? 私は貴女がその条件を了承する為に、今ここに来たのだと思っておりましたのよ?」
ダリアは嘲笑うかのようにゼーリアに言う。本心ではゼーリアが了承する筈がないと思っているかのように…。
「そ、そんな酷い話を了承出来る筈がありませんわ!!」
「あら、では何処までが、愛する人の為に我慢できるのか教えていただけるかしら?」
「そ、それはっ…………い、幾ら何でもあんまりではありませんか!!」
言葉に詰まっていたゼーリアだったが、何とか口を開く。
「私を、貴女とセーモにとって都合の良い存在にしようとした事は酷くないのですか? モア令嬢が私の立場であったならば、我慢出来たと言うのですか?」
ダリアはゼーリアを睨みつける。ゼーリアは少し怯えた様子を見せるも何かしら言い返そうとする。
「わ、私は「まぁ、モア令嬢は寛大な心の持ち主であり、我慢出来るという事に致しましょうか。」っ!?」
しかし、ダリアがやれやれ、といった様子でゼーリアの言葉を遮り、ゼーリアは驚いてしまう。
「ですが、それは“愛する人の為に”、ですわよね? では愛していない人の為に我慢なんか出来ませんわよね?」
「…えっ、どういう意味ですか?」
「…私はセーモを愛した事なんて無いのですよ、ただの一度もね?」
ダリアは、目を丸くして立ち竦むゼーリアを見ながら話を続ける。
「別に珍しい事でもないでしょう、政略的な結婚なんてそんなものです。地位や権力といった何らかのメリットがあるから結婚するのです。まぁ、愛のない結婚が始まりでも、次第に愛が芽生える事もあると聞きますけどね…少なくとも、私とセーモの間には愛は芽生えませんでした。」
怒りも、悲しみも感じさせずに淡々と話すダリア。
「そ、そんなに強がる事などないではありませんか!? “愛した事なんてない”だなんて、それならば何故セーモ様にこんなにも酷い仕打ちをするのですか? セーモ様の事を愛していないのであれば、こんな仕打ちをする必要なんてないではないですか! そもそも、セーモ様のお仕事をダリア様が処理していたのは、セーモ様を愛しているからですよね? も、もうダリア様ったら、セーモ様が私を愛した事が許せないから、そんな嘘を仰っているのでしょう?!」
ダリアの言葉に、ゼーリアは必死な様子で言い返した。ダリアがセーモを実験体にしたのは嫉妬したからだ、ゼーリアとの仲を引き裂いて苦しめたいと思ってしまうほど愛しているからだ。まるで、ダリアがセーモの事を愛していて欲しいと言うかのように…。
「モア令嬢、貴女は本当に、セーモとお似合いですわね。人の話を聞かずに、自分にとって都合の良い解釈をし、身勝手な自分の主張を貫き通そうとする図々しさが。」
「っ、な、なんですって?」
ダリアは失笑しながら、あからさまにゼーリアを馬鹿にするような言葉を吐いた。ゼーリアは、ダリアが自分に酷い言葉をかけるとは思っていなかったのか驚きと、怒りで顔を歪ませる。
「どうせ何を言っても無駄でしょうし、好きに妄想してください。ですが…。」
ダリアはスッ…と笑みを消して、ゼーリアを冷徹に睨みつけた。
「何度も言わせないで下さいね? 貴女は男爵令嬢、私は公爵夫人……親しくも、愛情の欠片もない相手から「ダリア様」と名前を呼ばれたくはありませんわ。常識を身に付けて下さい。
身分を弁えろ、男爵家の令嬢風情がっ…!」
「ひぃっ!?」
ダリアの声の大きさは変わらなかったが、最後は普段ダリアが使わない荒れた言葉と、鋭い眼光を走らせて睨みつけ、ドスの利いた声でゼーリアを断罪するかのように浴びせた。ゼーリアはそんなダリアに怯え、小さな悲鳴を上げて一歩後ずさった。
「…愛がないのならば、我慢出来なくても仕方がない。そう思いますよね?」
「…………っ。」
ゼーリアはダリアからの質問に答えず、ただダリアを青白い顔で見つめ続ける。
「貴女だって、本当はセーモの事を愛してなんていませんよね? だから実験体になる事が、我慢出来ないのではないのですか?」
そんなゼーリアを気遣う事もなく、ダリアは質問をした――。