無色透明
きいろのえのぐ
あかいろのえのぐ
えどりのえのぐ
あおいろのえのぐ
画用紙に並べられる色たちをソファに寝転がって、ぼんやりと眺める。
「何の絵?」
「お兄さんの頭の中にある絵」
たったそれだけ言って、お兄さんはまた色を描き連ねた。
働いているようで働いていない、エコモードの頭でそれを見る。
画用紙とこすれる筆の音、色を流す水の音。
「彼女ちゃんはこれ、何に見える?」
「何に見える……かぁ」
エコモードにしていた頭を通常に切り替えるために、起き上がり、色に侵略された画用紙をまた見た。
ただの斑模様にも見えるし、流れ星にも見える。
緑色をハッパとして見ると、色とりどりの実が生っている木にも見えた。
一回、目との距離を離して、全体的に見ると、カラフルな目がたくさんある化け物にも見える。
「ふふ、いっぱい出てくるね」
「うーん、というかそもそも……」
私にはお兄さんの頭の中の絵がこの世のものとして見えないみたい。
「あー……。でも、一応、この世にはあるかなぁ。いや、この世というのかな」
意味深にお兄さんは微笑んで、また絵を描き始めた。
僕もさっきみたいにまたソファに寝転がる。
何気なく、水の入ったバケツを見ていた。
筆を水で洗って、新たな色をつける。
水で洗って、色をつける。
洗って、つける。
洗って、つける。
洗って、つける。
数えきれないほどの色を洗い流したバケツの中の水は黒く濁ってしまった。
それを見て、思ったことをお兄さんに言う。
「お兄さん、なんできれいな色を混ぜていくと、黒くなってしまうの」
お兄さんはわざわざ描く手を止めて、オイラの目の前にあぐらをかいて座る。
「減法混色とか論理的な話をしてほしいわけじゃないもんね」
「うん」
私はそのまま寝返りを打って、天井を見た。
「きれいな色を重ねれば、重ねるほど、汚くなるのはおかしいよ」
「……彼女ちゃんは黒を汚いと感じる?」
横目でお兄さんを見る。
お兄さんは僕が黒を汚いと思っていることを不思議に思っているようだった。
「別に黒を汚いとは思わないよ。でも、何故か色を混ぜて作る黒は汚く感じる」
「色を混ぜて作る黒は汚く感じる……か」
何を言っているのだろうと言われても仕方がないと思う。自分でも何を言っているのかよく分からない。
どうしてオイラは色を混ぜて作る色を汚いと感じるのだろうか。
「彼女ちゃんはお兄さんを色で表すと何色だと思う?」
「お兄さんを色で表すと……?」
「うん」
頭の中に様々な色がよぎる。
だけど、口から出たのは全然違う色だった。
「無色。お兄さんの色は無色」
お兄さんの金色の瞳の奥は何色でもない。何色に染まることのない。そんな色だと思った。
「ふふ、彼女ちゃんらしい答えだね」
お兄さんは満足そうに頷いて、話を続ける。
「お兄さんが無色なら、彼女ちゃんは透明だと思うんだけど、どう?」
「透明?」
「うん」
お兄さんは立ち上がり、黒く濁った水を綺麗な透明な水に変えてきた。
なんでわざわざ変えてきたんだろう。時間がかかるのに。
「感情を色とするよ」
お兄さんが話し出す。
私はそれを真剣に聞くことにした。
「彼女ちゃんが本を見て、とても楽しい気持ちになりました。楽しい気持ちは何色?」
「黄色」
お兄さんはそれを聞くと、黄色の絵の具を透明な水の中に入れる。
「楽しい気持ちが消える前に、本を読み進めて、悲しい気持ちになりました。悲しい気持ちは何色?」
「青色」
お兄さんは今度、青色の絵の具を水の中に入れた。
「次に、本を知らない人に奪われて、怒りが湧いてきました。怒りは何色?」
「赤色」
赤色の絵の具を水の中に入れる。
「彼女ちゃんは色々な感情を持ったまま家に帰ることにしました。今の彼女ちゃんはどんな気持ち?」
お兄さんはそう言って、バケツの中の水をかき混ぜた。
自分がどんな気持ちになる……か。
本当にそんなことがあった自分になってみる。
そして、その時の自分の感情を考えてみた。
「ぐちゃぐちゃでどす黒い気持ち……あ」
「こんな感じの色?」
お兄さんが見せてきた、絵の具を混ぜた水は黒く濁っていた。
「……」
「感情をたくさん抱えると彼女ちゃんが言っていたようにどす黒い気持ちになるでしょ? それと一緒で色もたくさんの色を混ぜると黒色になっちゃうんじゃないかな」
お兄さんの金色の瞳を見る。
「そっか……。僕、ぐちゃぐちゃでどす黒い気持ちを汚いと感じるから、それと一緒で色を混ぜて作った黒を汚いと感じちゃうんだね」
「そうだと思う。もっとちゃんとした理論にかなった話はあると思うけど……」
「このままでいい。このままがちょうどいい。正しさよりもオイラに寄り添ってくれる話がいい」
正しさよりも自分の心に寄り添ってくれるものの方が心地いい。
そんな風に思うのは変だろうか。
「ねえ、お兄さん。結局お兄さんは何を描いていたの?」
「……さあ、何だったんだろうね」
お兄さんはこちらを見ずに言い、自分が描いた絵に先ほどの水をかけた。