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6  『決意の朝に』


 ──《少年は犯行に及ぶ以前から、日常的に猫の首をナイフで切り落とすなどし、性的快楽を得ていたとされる。その猫の首は『可哀想だったので、ちゃんと土に埋めました』と精神鑑定を行った医師に話した》──


      ●


 翌日、神崎の姿を見て俺は安堵した。

 いや安堵かどうかはわからない。

 安堵にしては心が深い森の奥のようにざわついたからだ。


「体調はどうだ?」

「おかげさまで、元気になりました」

 声にはまだ陰があった。


 周りを見ると、誰もが言葉を発したらひどい罰を受けるとでも言うように口を閉ざしていた。

 朝礼が終わってもその空気は変わらなかった。

 俺は地蔵のようになっている神崎の肩を叩いた。


「行こうぜ」


 いつもの道をいつもの速度で走る。相変わらず上りも下りも車でいっぱいで、道路は社会の血管という役割を存分に果たしていた。しかしこれだけ血が流れていたら、いつか詰まってしまうのではないだろうか。


「社長から話は聞いたよ。……本当に、お前なのか?」

「はい」


 人を殺してはいけない。

 それは誰に教えられるまでもなく俺たちの遺伝子に刷り込まれている。

 法律で決まっているからではない。


 だがそんな人間としての鉄の掟を破ってしまう者がいる。

 俺が知らないだけで、今この瞬間も誰かが誰かを殺している。


 不運な事故ではなく、明確な意志を持って。


「どうして、あんなことを?」


 誰だって人を殺したいと思うことはある。しかし普通はやらない。法律ではなく、本能が待ったと叫ぶからだ。

 その越えてはいけないラインをなぜ越えてしまったのか。

 あんな吐き気を催す事件を隣にいる人間が起こしたとはどうしても思えなかった。


「わかりません」

 アクセルを強く踏んでしまい、俺は慌ててブレーキを踏んだ。

「あのときの自分は何もかもがおかしかったんです。今ならあんなことをしてはいけないと心から思います。でもあのときは何が正しくて何が間違っているのか、全然わからなかったんです」

「……ご両親を、探してるんだってな」

「どうしても謝りたいんです」


 探偵に依頼したこともあるらしい。だが見つからず調査費用だけがかさんでいってしまうため、打ち切らざるをえなかったという。


「じゃあ営業をやりたいって言ったのは、調査費用を稼ぐためか?」

 営業は成績を上げた分だけ給料が上がる。成績一位ともなれば、一年目だろうと事務をしているだけでは決して手が届かない大金を得ることが出来る。

 神崎はうなずく。

 しかしそれだけではないようだった。


「被害者のご家族に、毎月少しでもお金をお渡ししたいからです」


 愛する娘を惨殺された、三組の家族。

 彼らに慰謝料を支払うことで償いをしたいと語った。


 もちろん世のなか金がすべてではない。いくら金を積んでも失われた命は戻らない。

 だがそれでも償いをするとしたら、やはり金に頼るしかないのだ。

 神崎は先日、初給料を送金したらしい。

「自己満足に過ぎないことはわかっています。彼らは僕からのお金なんて受け取りたくないでしょう。でも僕に出来ることは、それくらいしかないんです」

 それは互いにとって、いつ終わるとも知れない苦痛の旅になるのだろう。


 そして「子どもが出来たからです」とも語った。


 女性のお腹が膨らんでいたのは見間違いではなかったのだ。

「……おめでとう」

 新しい命がこの世に生まれようとしている。それがめでたいことでなくて何なのだろう。


「彼女さんは、事件のことは?」

 まだ籍は入れていないらしい。

「知っています。でも彼女はそれを知っても、僕のことを好きだと言ってくれたんです」

「いつ生まれるんだ?」

「秋頃です」

「じゃあ、いっぱい稼がなきゃな」

「はい」

 神崎がようやく笑みを取り戻した。

 陰を落としながらも前を向く神崎を、眩しいと感じた。


      ●


 体はまだ本調子ではないだろう。

 心の整理もついていないだろう。

 何なら今日も休んだほうがいいくらいだろう。


 だが神崎はそんな不調を思わせないほど絶好調だった。

 神崎は行く先々で契約を取っていった。


 こんなペースで契約が取れるなんて本当に稀だ。五年に一回あるかないかくらいだろう。俺は感嘆の息を吐きながらそれを見ていた。


 神崎の媚びるのでも押し付けるのでもない、いわば使命ある真剣さが人の心を打つのだろう。だからこの人の話なら聞きたいと思わせるのだろう。


 神崎はいつものように成果の半分を譲ってくれようとしたが、俺は断った。あんな話を聞いたら横取りするわけにはいかない。


 俺には、守るものなどないのだから。


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