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2  『ALONES』


 それを欲しがる人間はあまりいない。俺も欲しいとは思わない。だから売りにいってもまず買ってくれない。どころか話すら聞いてもらえない。玄関先で塩をぶつけられたこともある。


 綺麗な水をご家庭で、というのがブームだった頃はそこそこ売れていたが、今はみんな他のものに夢中なので、俺がいくら頑張ろうが売れないものは売れない。そろそろ抜本的な方向転換をしなければ会社が傾いてしまいそうだが、それは俺のような下っ端が考えることではない。


 やりがいはない。

 ノルマは厳しいし、達成出来ないとひどく怒られる。


 だが殺されるわけではないし給料が減るわけでもないので、それも仕事のうちだと思っている。

 むしろ怒られて金が貰えるならいくらでも怒られたい。


 そんな我が社にも新人はやってくる。

 世に数ある会社からわざわざうちを選ぶ物好きが毎年何人かいる。

 そしてそのほとんどが一年もたずに辞めていく。


 俺も何度辞めようと思ったかわからないが、結局辞めずにぶら下がっている。転職してまでやりたいことなどないからだ。

 俺は適当に働いてそこそこの金が貰えればいい。

 頑張りたい奴だけ頑張ればいい。

 俺は頑張ることから降りたのだ。


 さて、今日はどこで時間を潰そうかな、と朝礼中に考えていると、一人の男が前に出てきた。

 男はラフに髪を立たせ、しわ一つないスーツをまとっていた。


「初めまして。本日からお世話になります、神崎聖也と申します。まだ未熟者ですが、これから誠心誠意頑張って参りますので、どうか皆さん、よろしくお願い致します」


 男が頭を下げた。部長が「みんな、よくしてやってくれ」と言うと拍手が生まれた。俺はあくびをこらえていたので、うなずきだけした。


 朝礼が終わると、外回りに行く準備をしたり、メールを打つためにキーボードを叩いたりと周りが動き始める。コーヒーを淹れに行く者もいる。そのゆるやかな流れに乗っていると、部長の声がした。

「あそこにいるのが樋口。神崎くんは彼の下についてもらう。先輩の仕事を見て、一日でも早く戦力になってほしい」


 男が俺のもとへやってきた。

「樋口先輩。神崎です。これからよろしくお願いします」

「あ、ああ。こちらこそ」

 太陽のような笑顔に体をそらしてしまった。


 高い身長にスーツの上からでもわかる均整の取れた体。肌には張りとつやがある。顔も良く、ファッション雑誌の表紙を飾っていても違和感はないだろう。


「樋口、彼のことをよろしくな」

 部長もやってきて、俺の肩を握った。肩の肉が小さな悲鳴を上げた。


「じゃあ、神崎くん、外回りに、行こうか」

「はい!」


 俺は車の鍵を指でいじりながら、口のなかに生まれた苦々しさを味わった。

 空は相変わらず水色だった。最後に雨が降ったのがいつだったか思い出せないくらい晴れの日が続いていた。


      ●


「まあ、何も難しいことはしないよ。手あたり次第に家や会社を訪ねて、うちのウォーターサーバーを使ってくださいってお願いするだけだ。小学生でも出来る」


 むしろ小学生のほうが簡単かもしれない。小学生ならほとんど警戒されないからだ。大人の男というだけで扉すら開けてもらえないことも多い。

 助手席の神崎が小さく笑った。

 冗談だと思われたのかもしれない。


「神崎くんはどうしてこの会社に?」

「何かを売る仕事がしたかったんです。商品を売ることは自分を売ることだと思うんです。僕は自分がどれだけ売れるのか知りたいんです」

「立派だね」

「樋口先輩はどうしてこの会社に?」


 適当に書類を出して適当に面接を受けていったら、なぜか内定が出てしまったからだ。すぐ辞めるだろうと思っていたのだが、まさか五年も続くとは思わなかった。俺は車線変更をした。国道は多くの車が行き交っていた。


「それより、先輩ってつけなくていいよ。何か恥ずかしい」

「では樋口さんで」


 神崎の笑顔がいちいち眩しい。スポーツドリンクのCMでも見ているようだ。気づけば車内がほのかな柑橘系の香りで満たされていた。神崎の整髪剤のものだろう。

 赤信号が見えたので、俺はブレーキを踏んだ。


「神崎くんは、ウォーターサーバーの水って飲んだことある?」

「あります。病院などで」

「どう思った?」

「美味しいと思いました」

「その水と、水道水との違いって、どこにあると思う?」

「体に悪いものが入っているかどうか、だと思います。水道水は薬品で消毒されていますから」

「じゃあ、水道水だけを飲んでいたら、病気になるのかな?」

「……いえ、そうですね。仰る通りです」

「病気になんてなるわけがない。この国の水道水は世界で最高レベルの品質なんだから」


 普段当たり前のように飲んでいる水は、実は神の雫にも等しいのだ。


「違いなんてないんだ」

「ないんですか?」

「もちろん厳密には同じじゃない。でも結局はただの水だ。そう、ただの水なんだよ、俺たちが売ってるのは」

 神崎がゆっくりとうなずいた。

「味も同じだ。区別がつく人間なんてほとんどいない。俺もわからない」


 信号が変わり、前から少しずつ車が動いていく。

 世のなかのものは必要なものと必要のないものの二つに分けられる。前者は黙っていても売れるが、後者は黙っていたら売れない。だから営業がいるのだ。営業がいなければ売れないものは、すべて必要のないものなのだ。


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