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 世間は軍部が外国に戦争を仕掛けるのではないかという噂で持ちきりで、皆、何やら落ち着かぬ不穏な空気をひしひしと感じていた。


 明確には言い表せない、じんわりとした息苦しさのようなものが、街中に覆い被さっているのである。


 文学青年、中山優哉(なかやまゆうや)同好(どうこう)()の集まりで知り合った吉村沙織(よしむらさおり)と、大通りにある洒落(しゃれ)たカフェで昼間、待ち合わせた。


 沙織が相談したいことがあるというのだ。


 沙織は美しい娘であったから、容姿としては悪くないのだが生来(せいらい)の人付き合いの下手さで、まともに女性と話した経験のない優哉は、内心で舞い上がってしまった。


 まさかとは思いつつ、万が一のロマンスを期待してしまう。


 店の一角で沙織と向き合って座る間も、角眼鏡を何度も触り、頬を赤らめていた。


 沙織は清楚なワンピース姿で、上品かつ(うれ)いのある顔を不安げに曇らせている。


「中山さん」


 少々、化粧の濃い女給(じょきゅう)が2人の前にコーヒーを置き、尻を振り振り店の奥へと戻るのを待ってから、沙織が口を開いた。


「は、はい!」


 優哉は緊張のあまり、場違いな大声で返事した。


「早速、ご相談なのですが…まずは少し、わたしのお話を聞いてくださいませ」


 そう言って沙織は自らについて、かいつまんで説明を始めた。


 実は優哉は文学仲間から、彼女の素性をある程度は聞き知っていたのだが、黙って沙織の話を聞いた。


 沙織は資産家の長女として産まれた。


 何不自由ない生活を送っていたが、5年前に不慮(ふりょ)の事故で両親が同時に亡くなった。


 すでに祖父母も亡く、当時まだ高校生だった沙織は2歳下の弟、和彦と2人で途方に暮れたが、(さいわ)いにも父親の腹心であった男が事業の実務を引き継ぎ、執政(しっせい)としての役割を引き受けてくれた。


 現在、成人した沙織を社長に据え、今もその男が会社経営を仕切っているという。


 男の話をする時の沙織のキラキラとした瞳の輝きに、優哉は早くも自分の(わず)かな期待が粉々に砕け散ったと悟った。


 短い恋だった。


「それで…弟の和彦が…最近、心配なのです」


「弟さんが?」


 もはや何の希望も無くなった優哉は、この美しい娘の悩みだけは何とか解決してやろうという方針に気持ちを切り替え、真剣に話を聞き始めた。


「はい。実は2ヶ月ほど前…」


 沙織の話のあらましは、こうだった。


 弟の和彦は美大に通う学生だが、ある日、どこから持ってきたのか1枚の絵画を部屋に飾りだした。


 それは1人の美しい少女の画で、ひどく気に入った様子の和彦は、わざわざ姉を自室に招き入れて披露するほどであった。


 しかし、弟がその画の良さを必死に熱弁すればするほど、沙織はおかしな胸騒ぎがした。


 確かに綺麗な画だとは思うが、十六、七に見える赤い服を着た少女の笑顔が、何と言うべきか。


 身体のずっと奥底に秘めた艶かしさのようなもの。


 そう、端的に言えば男を惹き付ける生々しい魅力を隠しているような気がして、どうしても好きになれなかった。


 自分でも、弟の恋人が気に入らない小姑(こじゅうと)でもあるまいしと呆れたが、こればかりはどうしようもない。


 相性が悪いとしか言いようがなかった。


 その画のせいもあって、沙織はしばらく和彦の部屋には行かなくなった。


 そうしているうちに、日に日に和彦の様子がおかしくなってきた。


 食事の時に話しかけても(うわ)の空で、早々に料理を平らげると、すぐに部屋に戻ってしまう。


 とにかく何か理由を付けては、自室に長時間、閉じ(こも)るのだ。


 こうなると沙織も、画が嫌いなどとは言っていられない。


 ノックしても返事がないため、沙織は和彦の部屋のドアを開けた。


 そこにはソファーに座り、何をするでもなく、ただただ魅入られたように壁の画を見つめる和彦が居た。


 その呆けぶりに沙織は恐怖を覚えた。


 これは異常事態であると確信した。


 医者に連れて行こうとしたが、和彦はそれを子供のように(こば)んだ。


 何も手を打てぬまま、不安な日々を過ごしていると、今度は説明の付かない不可思議な事件が起きた。












 



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