再びの夜会
年が明けて数日後、王宮では新しい年が来たことを祝う、盛大な夜会が開かれた。
祝賀夜会は全国の貴族達が呼ばれており、大変盛大だった。
元帥と馬車で王宮に到着すると、私は人々の視線を浴びていることにすぐに気がついた。
子爵家の一連の不祥事だけでなく、冷酷無慈悲の無敗の公爵が女を連れてきたことも、皆の注目を集めたのだろう。
国王は人を猫に変身させる呪術があることを決して公表したがらず、シフォンのことは機密扱いとなってはいたが、実際には恐らく我が家の使用人達から話が既に世間に漏れ伝わってしまっていた。
私に対する好奇の目は、致し方ない。
「人が多くて、緊張します……」
大広間に踏み入れると、場違いな空間に迷い込んだような疎外感に、一瞬で襲われる。緊張からドレスのスカートの生地を握りしめた私の手を、元帥が優しく握る。
「国王陛下には君と私が結婚することを、既にお話ししてある。こうして皆にも伝えることができて、好都合だ」
前回私が出た五日間の夜会とは比べものにならないくらい人が多く、少し気を抜くと誰かとぶつかってしまう。
片手にワイングラスを持っているので、危なっかしい。
「気をつけないと、ワインをこぼしてしまいそうです」
「そうだな。以前、ここで激アツの紅茶をかけられたな」
「あの時は…」
赤面しつつ改めて謝罪をしようとして、はたと言葉が止まる。
隣に立つ元帥の赤いジャケットの襟元に、小さな銀色のブローチを発見したのだ。それは透明な石が表面に煌めく、小さな馬の形をしていた。
「元帥、もしかしてあの時もこのブローチをつけていましたか?」
「していたよ」
あの時は気づいていなかった。もし気づいていたら、私はどうしていただろう?
通らなかった過去の別の道を妄想しかける私に、元帥が手を伸ばす。
「さぁ、マリー。約束のダンスを」
手を取り身を寄せ合うと、周囲の視線は全く気にならなくなった。
人々は背景と化し、管弦楽団の奏でる音楽は、私達二人だけのためのものに聴こえる。
元帥と触れ合う手や腕から温もりが伝わり、まるで雲の上を歩くように心地よい。
見つめ合う目が、磁力で引き寄せられるように離せない。
「私、人間に戻れて本当に良かったです。猫の姿だと、こんな風に踊れませんから」
思わず呟くと、元帥は笑ってくれた。そして秘密を話すように、少し抑えた声で言った。
「正直な気持ちを言うと、シフォンに会えなくなって、かなり寂しい。あのふわふわのシフォンをもう一度抱っこしたいものだ」
「元帥……」
あのシフォンにはもう、二度と会えないのだ。
元帥は少し寂しげだった。あんなに可愛がってもらったことを思うと、私まで寂しくなってしまう。
「シフォンは……ここにいます」
気休めにしかならないと思いつつも、事実を言ってみる。
すると元帥は、不意に思いついたように言った。
「そうだな。君があの猫なことには、変わりない。……この喪失感を、どうしてくれる?」
私の目をひたと捉えながら、元帥が私をぐっと引き寄せる。あまりの近さに、つい目を逸らしてしまう。
すると元帥は少し愉快そうに口角を上げた。
「困った顔をする君は、更に可愛いな。庇護欲をとてつもなく掻き立てられる」
そう言うなり、元帥は繋いだ手の指を動かし、より深く絡めてきた。
接近ぶりに平静ではいられなくて、心臓が激しく暴れる。
困って大広間をさまよう目が、ふと数人の女性達にたどり着く。彼女達は明らかに私と元帥を見ながら、抑えきれない興奮に顔を紅潮させてひそひそと何やら囁き合っている。
恥ずかし過ぎる。
「ひ、人に見られています……」
「噂になったりはやし立てられても、私たちが困ることは、何もない」
「そ、そうかもしれないですけど」
夜会では色んな相手と踊るものだ。
曲が変わるたび、周囲の人々は相手を変えているようだったが、私と元帥はずっと二人で踊っている。元帥が放してくれないのだ。
たぶん私の身の上に興味を持った好奇心いっぱい、といった様子の男性が何人かダンスの合間に話しかけてくれたのだが、そのたび元帥が鋭い目つきで彼らを牽制するので、皆逃げていってしまった。
結果的に、余計に注目を集めてしまっている気がしてならない。
気にするなと言われても、人目が気になってしまう。
それに、異性と踊ることに慣れていない私は、ダンスが不得手だ。
ステップを踏むたびに、しょっちゅう私の頭が元帥の口元にぶつかってしまう。
(あ、ほら。まただわ……。これで何回目かしら)
ごめんなさい、と詫びようと視線を上げ、はたと気がつく。
今度は元帥の唇がはっきりと、私の頭上に押し当てられた。えも言われぬくすぐったさが、背中を駆け上る。
(ええと……、まさか、これはわざとやっているの?)
気がついてしまうと恥ずかしさにその場を逃げ出してしまいたい衝動に駆られる。
元帥はダンスの動きに合わせて、私に何度もキスをしていた。慣れない私はただの衝突事故だと思っていたけれど、周囲の人々からはそれがキスか否かなど、一目瞭然だったろう。
この状況は恥ずかしすぎる。
苦情を申し立てようと、キッと睨みあげると元帥は私が口を開く前に言った。
「今君に、キスをしても良いだろうか?」
「さ、さっきから、何度もしているのでは…」
「額では物足りない」
つまり、それは……。
私は元帥が言わんとすることを察し、無意識に唇を噛んでしまう。
「で、ですがダンスしてるのに、変です。真面目に踊らなくては」
すると元帥はぐるりと目を回して戯けた。
「夜会は舞踏の競技会ではないぞ」
「それはそうでしょうけど」
「君がもう、マクシム殿下の婚約者ではない、と皆に見せつけてやりたい」
元帥はそう囁くと、腰に回した腕に力を入れ、私をより強く引き寄せた。
一層接近した元帥の瞳は妖しく銀色の光を放っていて、頭の中が痺れてきてしまう。
「マリー。君はもう、私のものだ」
「そうなんですけど……。まだ心の準備が出来ていなくて…」
少しの間無言になってから、元帥は囁くように尋ねてきた。
「聞いてもいいか……? ――マクシム殿下とは、キスしたのか?」
思わぬ質問に驚き、見上げると少し不安げな銀色の双眸とぶつかる。
(こっ、これはもしかして。いわゆる焼き餅というやつかしら……!?)
初めて経験する焼き餅は、意外にも心地良かった。
少し強気な私が心の中で首をもたげ、思わせぶりな間を置いてしまう。
「マリー? 教えてくれ」
「どうしてお知りになりたいんですか?」
元帥の気持ちをもっと聞きたくて、つい尋ね返してしまう。
すると元帥は首を曲げ、私を覗き込みながら答えた。
「マリー。……こう見えても私はいま、嫉妬と不安で押し潰されそうなんだ」
本当だろうか。
元帥はその綺麗な顔を、湧いてしまう負の感情に耐えるように歪めた。
「君は今まで他の男に――婚約者に何度抱き締められたのか、何回唇を奪われたのか。考えるだけで嫉妬があふれて、怨嗟の渦に呑まれそうになる」
ここまで真っ直ぐに思いをぶつけられるとは思っておらず、束の間返す言葉が飛んでしまった。
驚きのせいではなくて、喜び過ぎているせいだ。
元帥は本当に辛そうだった。
これ以上やきもきさせるのはやめよう。
私は正直に話すことを決意すると、元帥に微笑んだ。
「恥ずかしながら、白状します。――マクシム殿下と婚約していた時も、手を軽く繋いだことがある程度で、実はキスなんて一度もしたことはなかったんです」
元帥は一瞬目を見開くと、大真面目な顔で簡潔に呟いた。
「最高だ」
何が最高なのか分からないけど、私にとっては元帥こそが最高だった。
次話が、最終回になります。





