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元帥のプロポーズ

 

 積まれていた大仕事があらかた片付き、子爵家の改修が終わるころには、季節はすっかり冬になっていた。

 庭園の木々に薄っすらと雪が積もる、十二の月。

 多忙のために時々しか会えなくなっていた元帥と、やっとゆっくり会えるゆとりができたため、私は元帥をお茶に招待した。

 元帥と私は、子爵邸の客間で二人で紅茶を飲んだ。

 窓の外で時折吹く冬の風は冷たさを孕んでいて、庭園の木々を揺らしては、色褪せた枯れかけた葉をむしり取っていく。外の景色は寒々しかったが、暖炉のおかげで客間は暖かい。

 窓から差し込む雲ひとつない日差しも柔らかな熱を帯びており、心地よかった。

 この日元帥は、ディラミン家にメルク公爵領の工房で焼いた磁器食器を贈り物として持ってきてくれた。

 花瓶やポット、それにケーキ皿などだ。

 元帥は大したことはない、といった軽い調子で言った。


「全て君のためにデザインした。マリー・アリーラ・ディラミン専用のシリーズだ」


 木箱いっぱいに詰められた焼き物を前に、感激で胸がいっぱいになる。


「元帥、これはどんな宝石よりも嬉しいです!」


 元帥は大げさだと笑ったが、私には感慨もひとしおだ。


(シフォンだった時に、王女様が貰う約束をして、とても羨ましかったのに。私も作ってもらえるなんて!)


 客間のテーブルには既に子爵家の侍女たちが用意してくれた茶菓子が並べられていたが、私はどうしても贈られた工房の製品を使ってみたくて、カップだけはすぐに洗ってもらい、我が家のポットから紅茶を注いだ。

 席に着くと、まじまじとカップを眺める。これは元帥が、私のためだけに焼いてくれたカップなのだ……。

 紅茶で満たされた温かいカップを両手で包みながら、元帥を見つめる。


「素敵な贈り物を、ありがとうございます」


 カップ作りは手間ひまがかかる。

 成形して、釉薬(ゆうやく)を塗ってから焼いて、その上に絵を描いてからまた焼く。それぞれ高度な技術が必要であって、勿論この工程全てを元帥がやったのではないだろうけれど、それでもとてつもなく嬉しい。

 世界でひとつの、私のカップだ。

 カップは白地で、外側にたくさんの果物が描かれていた。くるりと回して、色とりどりの絵を興味深く観察してしまう。

 顔を上げて目が合うと、元帥は人差し指の爪で手元のカップを弾いた。キン、とすずしげな音がする。


「磁器は弾くと、金属のような音がする。これは開発までにかかった職人たちの努力の賜物なんだ」

「陶器はもっと、重たい音がするものですよね」

「陶器と磁器では、材料が違うからな。とはいえ、これもまだ試作品だから、改良点がたくさんあるんだ」

「完璧に見えます! 外側は賑やかなのに、内側は底に蝶が描かれているだけで、品がありますね」

「……速いな、もう飲み干したのか」


 紅茶がなくなり底が綺麗に見えている私の手の中のカップをちらりと見てから、元帥は屈託なく笑った。彼は手元のカップの縁を指先でなぞりながら、説明をしてくれた。


「ティーカップは中に模様がない方がいいんだ。そのほうが紅茶の水色(すいしょく)が楽しめる」

「そうですね。紅茶の色を楽しむのも、大事ですもの――でも紅茶館のカップは、どこも外側も無地のものばかりで、少しつまらないんです。模様がある方が、華やかで特別な気分になって盛り上がるのに」


 紅茶館で客に使われるのは、たいていは白いカップだ。何か模様があればもっと楽しいし、客同士のお喋りに話題を提供してくれるのではないか。

 そう考えていると、元帥が言った。


「花柄や動植物の絵が入ったカップは、男性客に敬遠されがちでね」

「あら、それなら幾何学模様はどうでしょう?」


 元帥が腰から下げる剣が視界に入り、別の模様を思いつく。


「カップの縁に、金箔を貼るのもいいかもしれません……!」

「君は次々に色んなことを思いつくな。ぜひ参考にしよう」


 元帥が(まなじり)を下げ、小さく笑ってくれる。その穏やかな表情に、見入ってしまう。

 実はこんな風によく笑う人だなんて、ちっとも知らなかった。

 彼の嬉しい意外な一面を発見して、気取らない姿を間近で見られると、その一つ一つの発見のたびに心の中をくすぐられるような、焦れったい喜びを感じる。


「――私もメルク公爵の磁器工房を、応援したいんです。何か、少しでもお力になれたらなって……」

「マリー。君は私の期待を遥かに超える言葉をいつも私にくれる。――ありがとう」


 ポイ捨てマリーの分際で、大胆なことをいってしまっただろうか。急に照れ臭くなってじっとしていられず、ポットに手を伸ばし、お代わりを自分のカップに注ぐ。

 カップを傾けて、まだ熱い紅茶の香りを楽しみながら、少しずつ飲む。

 ドキドキしていた胸の中が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。執事が厳選した茶葉はストレートティーでも、花のような香りがして、とても美味しい。

 カップのなかで輝く黄金色が、目にも楽しい。

 顔を上げると、元帥は感慨深げに私をじっと見ていた。

 落ち着きかけていた気持ちが、また急に暴れ始めていく。


「君はこの家に戻るのが筋だと分かってはいるんだが、やはり少し後悔している。あの時、忍び込ませなければ、今も私の屋敷で私のそばに置いておけたはずなのに」

「元帥……」


 大真面目にそんなことを言うものだから、胸が凄くドキドキしてしまう。


「今後は、もっと君と頻繁に会いたい」

「子爵家の問題はあらかた片付いたから、これからはたくさん会えます」

「屋敷もすっかり元通りになったな。すまない、私が穴だらけにし過ぎたな……」


 少しバツが悪そうに改修が終わったばかりの屋敷を見上げる元帥が、可愛く見える。

 あの大砲は驚かされたけど、効果は絶大だった。

 元帥は気を取り直そうとしたのか咳払いをしてから、椅子の上で姿勢を整えると、慎重な口調で切り出した。


「マリー、君は夜会が苦手だと聞いているが…」

「ええ。夜会には、あまり出たことはないんです」

「近々、新年の祝賀夜会が王宮で開かれるんだ。――どうだろう、一緒に祝賀夜会に参加しないか?」


 銀の瞳は私の返事を期待してキラキラ輝く一方で、断られる可能性も考えているのか少し遠慮がちだ。

 いつか見た王宮の大広間の光景が、瞼の裏に蘇る。夜会は苦手だけれど、あの日実現出来なかった元帥との出会いを、やり直せる。そう思うと、とてもわくわくするではないか。

 夜会を楽しみだと思わせてくれるのは、また元帥なのだ。私にとって、どれほど元帥が貴重な人なのか、彼自身に伝えたい。


「――元帥。ありがとうございます。元帥が誘って下さるなら、勿論行きます」


 元帥は滲むように笑った。


「あの日は踊れなかったが、次こそは大広間で踊ろう」

「なんだか私たち、すごく遠回りをしましたね」

「そうだな。だが、私達には必要な遠回りだったのかもしれないな」


 元帥は感慨深げにそう言うと、手を伸ばしてテーブルの上でわたしの手の甲にそっと触れた。

 指先が優しく触れているだけなのに、あっという間に全身が上気する。

 そんな私の動揺をよそに、元帥が悪戯っぽく笑う。


「こうして、君と向かい合ってゆっくりお茶をしてみたかった。紅茶館ではいつも離れた席にいたのが、信じられないな。――君は、私を避けていただろう?」

「そ、そんなことは……! たしかに離れていたけれど……!」

「変な噂がある私が、怖かったんだろう?」

「うっ……。で、でも初めて見かけた時のことも、ちゃんと覚えています! 結構チラチラ見ていたんですよ」


 弁解がましくまくし立てると、元帥は苦笑した。だがすぐに優しい微笑に変わる。


「私もだ。――紅茶館で初めて君を見かけた時、一人で来ているのに満面の笑みで紅茶を飲む君を見て、目が離せなくなったんだ」


 その光景を思わず想像してしまう。


「それって、ちょっと気持ち悪くありませんでした……?」

「そんなことはない。いかにも楽しげに目を躍らせながら、メニューを見つめる君は、できれば何杯でも奢ってやりたいくらい、可愛かった」


 私は紅茶館で元帥に見られていたなんて、全く気がついていなかった。


「私も、元帥とこうしてお茶をしているなんて、夢でも見ているようです」

「夢は叶えるものだな」


 見つめられるのが恥ずかしくなって、手を引っ込めようとすると、その前に元帥が素早く私の手を取った。

 温かな手に包まれて、私の顔まで一気に熱を持つ。元帥は向かいの席から、私の視線をしっかりと捉えた。


「私のもう一つの夢は、まだまだ発展途上にある。これからは私の隣にいつもいて、一緒にその夢を追ってはくれないか?」

「元帥……」


 元帥は立ち上がるとテーブルを大回りして、私の隣にやってくると片膝を突いた。なんだろうと慌てて上半身を捻り、彼を見下ろす。

 膝を突いたままの元帥が、ジャケットの内側から何やら小箱を取り出して、私に差し出した。

 目の前でパカっと開けられると、中には金色の鎖が付いた懐中時計が入っていた。

 金色のそれは、つるりとしたシンプルな外観ながら、中の文字盤部分にうっとりするほど綺麗な花の模様が彫られていた。


「これって…」

「王都の時計屋に作らせたんだ。無事、渡すことができてよかった」


 その時計屋は、きっと私がシフォンだった時に、元帥に連れられてサイモンと三人で行った時計屋だろう。

 私はショーウィンドウ越しに、懐中時計を見つめていた。

 当時を思い出して、感極まりそうになる。


「あの時の……。頂いていいんでしょうか?」

「君と同じ時を共有したい」


 その台詞に胸が熱くなり、涙が溢れそうになる。

 これは、元帥なりのプロポーズなのだろう。

 彼からこんな素敵な求婚をしてもらえる日が来るなんて、思いもしなかった。


「両家の結婚同意書もとうに交換済みなんだ。話を前に進めよう」

「でも……、でも。私なんかで本当に宜しいんですか?」

「私には、君しかいない。他の男達が君の魅力に気づいていないのなら、それは大変めでたいことだが」

「だけどディラミン家は、呪術者を出してしまいました。父はまた悪名を轟かせてしまったし。いわくつきの家の私では、元帥の不名誉になってしまいます」

「そんな風に考えたことはない。君は純然たる被害者だ。それに私は名誉と結婚するわけではない」


 涙が頰を転がり落ちる。慌てて手の甲で拭ってから、念の為もう一度聞く。


「私なんかで、本当に後悔なさいませんか?」

「君こそ、私なんかでいいのか? ――こんな、愛人が三人もいて拷問道具の収集が趣味だなどと、黒い噂のある私で」


 ついクスリと笑ってしまう。


「それ、ちょっと違うんです。愛人は三人ではなくて、四人だともっぱらの噂でした」


 元帥は一瞬両眉を上げた後、苦々しく笑う。


「余計酷いな……。愛人なんて今後も決して作らないと誓うよ」

「分かっています」

「結婚同意書を交換したのに、順序が逆になってしまっていたな。――マリー。結婚しよう」


 私は、はにかみつつもゆっくりと頷いた。


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ブサ猫に変えられた気弱令嬢ですが、最恐の軍人公爵に拾われて気絶寸前です
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