反撃のマリー⑤
エメラインはドレス姿ではなく、水晶騎士団の制服に身を包んでいた。マントをなびかせて歩き、長い髪は後ろで一つに括られていて、男装の麗人といった雰囲気だ。
エメラインはアルフォンソの近くまで歩いてくると、言った。
「エミリア・ヴィオラ・ディラミン宛のガルネロからの郵便物を差し押さえたわ」
「いかがでしたか?」
「ガルネロの祖父から送られてきたのは、呪術書だったわ。とても古くて考古学的な価値がありそうだけれど、同時に実に邪悪な禁書よ」
「いやぁ、やめて! この簒奪者が! わたくしの本を、帝国を返しなさい!!」
エミリアは叫ぶなり、エメラインに掴み掛かろうとした。敏捷に動いたアルフォンソが、エミリアの両腕を押さえ込んでそれを阻む。
「エミリア、あなた呪術に思考回路もやられているんだわ」
「うるさいわね、お姉様こそ印章を盗み出すなんて! 泥棒猫みたいな真似をしなければ、こんなことにはならなかったのに!」
「忘れたのエミリア? 泥棒はあなたのほうでしょ?」
私がそう言うと、エミリアはハッと声を失った。
マクシムの存在をやっと思い出したかのように、その青い瞳が彼に移る。
マクシムは呆然とエミリアを見ていた。
何が起きているのか、まるで理解できていない様子だ。
私はマクシムに話しかけた。彼ときちんと話すのは、物凄く久しぶりに感じられる。
「殿下。エミリアはエーデルリヒト王国の始祖に滅ぼされた、古の帝国の皇帝の子孫なのです。ガルネロの義母の実家は、細々と呪術を伝承してきたのです」
「そっ、エッ…」
マクシムは小刻みにくちびるを震わせ、意思を問うようにエミリアを見た。だがエミリアは敗北を悟ったのか、微かに眉根を寄せて目を軽く閉じ、もはやマクシムの方を見ようとはしない。アルフォンソに手首を捕らえられたまま、項垂れている。
「え、みりあ……?」
狼狽するマクシムに、王女が話しかける。
「呪術は麻薬と同じよ。最後は利用されて滅びるの。――愚かな弟よ。お前は身を滅ぼす選択をしたのよ」
マクシム、お前は今後二度と「王子」と名乗ることはできなくなる。王女の宣告に、マクシムはその場に座り込み、ややあってからノロノロとなぜか私を見上げた。
「たっ、助けてくれ。マリー。私が間違っていた。――やり直そう。私のことが好きだっただろう?」
ええ。
好きだった。
無言で立ち尽くし何も言わない私の反応を勝手に好意的に受け止めたのか、マクシムは勢いづいたように捲し立てた。
「私もマリーのことが、好きだった。いや、愛していたんだよ! ほら、嬉しいだろ? そうだ、君と結婚をしてあげるよ! そうだ、それが良い。やり直そうじゃないか。だから、」
「マクシム殿下が、私を愛していた?」
堪えきれずに問いかけてしまう。
だって、シフォンとして紅茶館の前で会った時に、マクシムは元帥に同じことを尋ねられて、答えに窮していたじゃないの。
私はあの時、しっかりそれを見ていたのに。
「殿下、お見苦しい真似はおやめ下さい」
マクシムの視界からわたしを庇うように、元帥が私の前に立った。
だがマクシムは青筋を立てて、醜い形相で怒鳴った。
「公爵は傷心のマリーに輿入れを強要している! しかも武力で結婚を迫っているではないか。マリーは私を愛しているのですよ!」
「マクシム殿下。何を仰いますか。――あなたは、本当に救い難い間抜けです」
私が思わず呟くと、マクシムはポカンと口を開いた。目を白黒させて私を見上げている。
「殿下。あの恋は終わりました。――いま私は、元帥を愛しているんです」
すると私の前に立っていた元帥が振り返り、私の手を握った。その大きさと暖かさに心が満たされていく。
やがてエメラインが動いた。
エメラインはアルフォンソに拘束されているエミリアの正面に立つと、宣言した。
「エミリア・ヴィオラ・ディラミン。貴女を禁書の密輸及び二度の呪術行使容疑で、逮捕します」
崩れ落ちたエミリアをアルフォンソが支え、そのまま馬車の中へと引きずっていく。
父は両手で顔を覆い、嗚咽を漏らし始めたが私は目を逸らさなかった。妹が牢獄へと連れていかれる光景を見ることは、この幕引きを描いた私の義務のような気がしたから。
王立騎士団の馬車に乗せられる瞬間、エミリアは乱雑に押し込まれたので彼女の靴が片方、足から落ちて地面に転がった。
馬車の扉はすぐに閉められてしまい、エミリアはそれを拾うことができなかった。
二頭の馬に御者が鞭を下ろし、馬車が動き出してもその靴を拾うものは誰もいなかった。
騎乗した騎士たちを引き連れ、エミリアを運ぶ馬車が子爵邸の敷地から出て行っても、靴はそこに転がったままだった。
馬車が門を出ていき、その姿が全く見えなくなると私は父の近くに歩いて行った。父は前庭の芝の上に座り込み、呆然として立てない様子だった。
そんな座り込む父に、声をかける。
「お父様、中に入りましょう。エミリアのことは、あとは異端審問官に任せるしかないわ」
本当はすぐに屋敷の被害状況を確認したり、インコの墓に眠る義母を適切に処置しなければならなかったが、今の父に望めそうもない。
しばらくはこの家を支えていくので忙しくなってしまいそうだ。
元帥は私をしばらく待っていたが、この状況で父を置いていくわけにはいかない。彼もそれを察してくれたらしく、また連れてきた兵士たちの撤収をせねばならず、やがて子爵邸を離れていった。
父は顔をあげると私を弱々しく見上げた。
「ーーなんだったんだ。これまでは」
「お父様。私たち、いいえこの屋敷の人たちは皆、エミリアという呪術師に体よく操られていたのよ」
父は静かな面立ちで私を無言で見上げた後、言った。
「マリー、お前……メガネは?」
「視力が良くなったの。無くしたわけじゃないわ。なくていいのよ」
「メガネが必要だったのは、私の方だったんだな。お父様には何も見えていなかったようだ」
私は父の隣にしゃがみ込み、その背中をさすった。それは思ったよりも小さく、細い背中だった。
「お父様。何度でも、やり直しましょう。家族だもの」
私と父はしばらくの間、そうして前庭の芝の上に座り込み、エミリアの残していった片方の靴を眺めていた。
そうして靴を拾うことなく、屋敷の中に戻っていった。
その靴を拾ったのは、夕方帰宅した祖母だった。
祖母は穴だらけの屋敷を見てすっかり気が動転し、足元への注意がおろそかになった結果、放置されていた妹の靴に躓き、すっ転んだのだ。
ことの顛末を聞かされ、祖母が気絶したのはその少し後のことだった。
そこからは怒涛の日々だった。
子爵邸は後始末をしなければいけない問題が山積みで、大忙しだった。
元帥に対するゴロー島提督の打診は、まもなく撤回された。
子爵家と公爵家が結婚同意書を交わし、結婚間近になったことも大きな理由の一つだが、それだけではない。
エーデルリヒト王国の建国以来、探し続けた古の帝国の印章発見の功績が認められたのだ。
叔母は私の無事を聞きつけるなり、子爵家に乗り込んできて、分厚い書類を父に叩きつけた。それは私をロッソ伯爵家の養女にする手続きに必要な書類だった。
叔母は私がエミリアによって猫にされていた事実を知り、父に激しく抗議をした。涙と興奮で理路整然とした説明は全くできなかったが、その怒りは父に伝わったらしい。
父は叔母に平身低頭謝罪し、「私にじゃない、マリーに謝りなさい」と余計に怒られていた。
もし元帥に拾ってもらえなければ、私も義母と同じ結末を迎えていたかもしれないのだ、と改めて気付かされ、元帥には本当に感謝しかない。
結局私はロッソ家の養女にはならなかった。
代わりに、五歳の頃のように叔母に思いっきり抱きついた。
こうして私は子爵家に留まることになった。
エミリアは収監され、おそらく二度と子爵家に戻ることはない。父がエミリアに会いに行くことはなかったが、私たちは人づてに彼女に差し入れを送っている。
どんなことになろうと、家族としての義務だと思うし、彼女に残された最後のよすがまで断ち切るのは、誰のためにもならないからだ。
一連の処罰は父にも波及し、父は外交官を免職になった。所有していた土地もかなり没収されたため、今後は残る領地経営の効率化に父は専念しないとならないだろう。将来受け継ぐ私も、これ以上切り売りされたくないので、父には頑張ってもらうほかない。