反撃のマリー③
直近三話を昨夜改稿しております。※流れに変更はありません。
食堂に入ると、父はテーブルに広げた新聞を読みながら、パンの薄切りを食べている所だった。侍女達を大勢引き連れて私が食堂に入って行くと、父は何気なく新聞から目を上げ、そして手の中からパンを落とした。パンは皿の上ではなくテーブルクロスに落ちたが、父は私と視線を交わしたまま、微動だにしなかった。
「まさか…マリー?」
「お父様、何も言わずにいなくなって、ごめんなさい。やっと戻れたの」
「お前、いったい今までどこに!? どれほど心配したか!」
父はガタンと音を立てて椅子から立ち上がり、いかにも不審そうな目でアルフォンソを睨んだ後、あっと声を上げて目を瞬いた。
「あ、あなたは王立騎士の……、メルク公の弟君ではないかっ! なんだって、どうしてマリーとここに!?」
「聞いて、お父様。今まで実は、正体を隠してメルク公爵のお世話になっていたの。違う名前で色々な人の助けを借りているうちに、お義母様の居場所も分かってしまったの」
「お義母様の? それはどういうことだ?」
父はわたしの発言内容がまるで理解できない様子で、口を何度もパクパクと開け閉めしていた。
そんな様子を無視し、父の後ろに控えていた初老の執事に尋ねる。
「エミリアが昔、飼っていたインコを埋めた場所を、まだ覚えている?」
「勿論でございます」
「そこに大至急、行ってきて骨をほり返してきてちょうだい」
執事はちょっとだけ小首をかしげた。
「なぜかお聞かせくださいますか?」
「そこにお義母様はいるからよ」
「何を言ってるんだ、マリー! お前は一体…」
父と私はテーブルを挟んで向かい合った。
「信じられないかもしれないけど、エミリアは呪術が使えるの。この間まで私はエミリアに、猫にされていたの」
「マリー、バカなことを言うのはやめなさい。知っているだろう、呪術は冗談では済まされない」
「ええ。冗談ではないの」
アルフォンソは私の後ろにいて、今まで無言を貫いていたが、ここで彼はスラリと腰の剣を抜いた。長い水晶でできたその見慣れない剣に、食堂にいる者達全員の視線が引き寄せられる。
絶妙のタイミングでアルフォンソは言った。
「俺は、異端審問官だ」
「お義母様は、エミリアに呪術でインコにされたのよ」
話の内容が突飛すぎてまるで頭の中で消化しきれていない様子の父の前に、剣を振り上げたままアルフォンソが颯爽と進み出た。
皆の前に、エミリアの指輪を構える。
「証拠はここにある。これは、我々水晶騎士団が八百年に渡って探し続けた、古の邪悪な皇帝の印章である」
迷いない発言に、私まで驚いてしまう。その指輪が印章だという確信はまだ抱いていないはずなのに、大した度胸だ。彼も一か八かの大博打に出たらしい。
アルフォンソはテーブル上の父の茶菓子を肘で素早く避けて場所を作ると、端に指輪を置いた。皆が見守る中、彼は剣を両手で握り、高く振り上げた。
そうして素早く指輪の上に振り下ろし、目にまとまらぬ速さで指輪を打つと、短い金属音を響かせて指輪はテーブルの上に飛び、回転しながら床に落ちた。
絨毯の上に落ちた時、指輪は二つに分かれていた。
台座と、ブラックダイヤモンドの二つに。
上に載る石が、取れたのだ。
私は息を呑んで屈み、台座を手に取った。
同じく覗き込んだアルフォンソが、私の手ごと震える手で握りしめる。
台座の表面は平らになっており、そこには交差する二本の杖と鷹の模様が刻印されていた。
古い記憶を手繰り寄せる。この図柄は、邪悪な帝国と水晶騎士を描いた絵本の挿絵で見たことがある。
「これは――古の皇帝の紋章……!」
「ああ。まさに。八百年ぶりの印章だ」
そっと手を引き抜き、印章をアルフォンソに手渡す。
これを精査するのは、彼ら騎士団の仕事だ。
私は困惑顔で立ちつくす父を見上げた。
「この指輪はエミリアの部屋にあったのよ。隠すように、本棚にしまわれていたの」
「ばかな…」
すかさず執事が動いた。彼はさっと一礼をすると、廊下に早歩きで出て行った。
インコの墓に向かったのだろう。
私は父に視線を戻し、長い話を始めた。
義母と父の間に芽生えた愛の正体と、今まで私が姿を消していた理由を、私は父に話して聞かせた。
全てを聞かされた父は、ほとんど放心状態だった。
理解できたのか不安になり、語りかける。
「信じられない? お父様、お義母様も呪術者だったのよ」
「信じられるはずがない。ーーいや、もちろんお前のことも信じたいが、ーーどちらも信じたい」
その時、執事が駆け戻ってきた。
彼にしては珍しく、走ってきたのか肩が上下している。彼は扉の枠にしがみつくように手をかけたまま、言った。
「大変です。インコの墓から、人骨がっ!!」
侍女達がヒィィ、と悲鳴をあげる。
父は蒼白になりながら、執事を問うた。
「間違い無いのか!?」
「はい。間違いありません。あのインコは私が五年前にエミリア様と埋めましたから」
ばかな、と呟きながら父は顔を両手で覆った。
後ずさって椅子に足がつまずき、そのまま椅子にドスンと腰掛ける。
その直後、ドカーン!! と鼓膜を破裂させるような爆音が響き渡り、数秒後に屋敷全体が揺れた。
「なんだ、地震かっ!?」
父は立ち上がって頭を庇うように両腕を巻きつけ、侍女達は叫びながら食堂を右往左往する。
ふと窓の外を見下ろすと、前庭にうっすらと煙が立ち昇っている。漂う煙の源を辿ると、そこには仁王立ちになる元帥と、彼の隣にズラリと並べられた大砲が見えた。煙はその大砲のうちの一つから、漂っていた。撃ち放った名残のように。
「な、なにアレ……?」
呆然と立ち尽くしていると、隣に立ち同じく窓の外を見下ろすアルフォンソが答える。
「大砲だろ。1時間経ったからな。穏便にコトを済ませる期限が、過ぎたんだ。近くに控えていたのは、水晶騎士団だけじゃなくてね。――それにしても、本当に撃つとは思っていなかったな」
「た、大砲だと!? この屋敷を破壊する気か?」
父が椅子から弾かれたように立ち上がり、窓にかじりつく。アルフォンソは飄々と言った。
「我が家にあるコレクションの中では、小さい方ですよ。外壁に大きめの穴が空いた程度でしょうから、大丈夫です」
「それのどこが大丈夫なんだ!!」
どうやらメルク邸には拷問道具は無くても大砲のコレクションはあったらしい。いつか夜会で妄想した光景が、現実になっていることが、信じ難い。
元帥が片手を振り下ろし、大砲の横に立つ兵士に何やら命じた。兵士が頷き、大砲の胴体から伸びる短い綱に、火をつけ始める。
「や、や、やめろ、よしてくれ」
父の震える懇願をよそに、大砲は再び火を噴いた。
ズガーン、と清々しほどの爆音を立て、屋敷が揺れる。パラパラ、と何やら細かなクズが外壁を伝い落ちる音が続き、庭園の木々に止まっていた鳥達が鳴き喚きながら四方八方へ飛び立つ騒がしい音が響く。
(やっぱり只者じゃなかったわ、あの元帥)
私まで恐怖で震えそうになるが、裏返りそうになる声をどうにか滑らかに発声しながら、私は父に話しかけた。
「お父様。エミリアを今すぐ勘当して、ディラミン家の家系図から抜いて」
「な、にを」
「さもないと、子爵家全体が巻き添えを食うわ。あの子は、異端者なのよ」
すぐ隣に立つ私を見上げる父の顔は、今や大理石のように白かった。父を挟むように、反対側に歩いてくるとアルフォンソが畳み掛けた。
「まもなく水晶騎士団が駆けつけます。エミリア嬢は異端審問にかけられます」
私は父の肩に手を乗せた。
「私を子爵家の後継として指名して。私がディラミン子爵位を継ぎます」
叔母の屋敷に引き取ってもらう話も、魅力的だった。伯爵家は居心地が良かったから。
けれど私はもう、逃げたくない。
フラフラと彷徨うように視線を上げた父に、畳み掛ける。
「これ以上、誰からも私から何も奪わせたりしないわ」
「だが、本当にエミリアは…」
その時、三度目の大砲が屋敷に撃ち込まれた。
父はたまらず、両耳を押さえてその場に屈んだ。
「や、やめてくれ〜。あの恐ろしい軍人を、止めてくれないか、マリー」
「ええ。止めるわ。でもその前に、ご決断を」
四発目の砲弾が、屋敷を襲う。
数人の下女達が恐怖のあまり失神し、バタンと床に崩れる。いつも冷静な執事が、珍しく額に汗を流しながら、私に言う。
「お嬢様、これは武力を用いた脅迫ですか?」
「いいえ。脅してるんじゃないわ。でも、ーーお父様に、非は全くなかったと?」
二人はゆっくりと顔を見合わせ、力なく私に視線を戻すと黙り込んだ。
父は決してエミリアにだけ愛情を注いだわけではない。けれど、明確にその頻度と濃さには差があった。
父はより多くの時間、私に無関心だった。
私は五歳まで父と離れ離れだったのだから、無理もない。それに比べてエミリアは誕生時からずっと、父の手元にいたのだ。
でも、父としてそれを態度に出してはいけなかったのではないか。
私はあの五歳の日、前庭で叔母と家族を迎えた時のことを思い出した。
「お父様はエーデルリヒトに戻ってこられたあの日、エミリアを抱っこしていたわ。私もあの日、本当はお父様に抱っこをして欲しかったの」
「マリー……」
当時の気持ちを言葉にすると、不覚にも泣きそうになる。それをグッと堪え、意識を他にやろうと窓に視線を戻す。元帥の後ろにはいつのまにか水晶騎士団達が勢揃いしていた。
元帥は背後の騎士達を一度振り返り、右腕で屋敷を指すと大声で命じた。
「突入!!」
その声を聞いて父が憐れっぽい声を漏らす。
「突入って言ったか!? 突入って、なんだ!?」
父はへっぴり腰で窓の桟にしがみつき、もはや自分が目にしているものがなんなのか訳がわからなくなったのか、わなわなと震えていた。
突然屋敷が揺れ、何発目か分からない砲弾を浴びた。
(何発撃つつもりなのかしら……)
流石に怯えながらも、なおも私は父に立ちはだかった。
「お父様、ご決断を。この印章はエミリアの所有していたものだと、ご証言を」
「分かった、分かったからアレを止めてくれ!」
窓を開けて私が顔を出すと、元帥は素早く私を見つけた。
無事を知らせるために両手で手を振ると、元帥は大きく頷いてくれた。そのまま大砲横に控える兵士たちに向かってさっと腕をあげ、点火の停止を合図する。
元帥は大砲から離れると、大股で屋敷に向かって歩き出した。
居間には地獄のような静けさが垂れ込めていた。
大砲が撃たれるのが本当に終わったのか確信が持てず、かといって腰が抜けて体に力が入らないせいで、避難する気力もない。