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新たな縁談?

「お前にはこんなに不名誉な思いをさせてしまって、すまない」


 父は苦渋の決断、といった様子で私に謝罪し、深々と頭を下げた。

 その背後から我が家のいつも無表情の初老の執事が、紅茶を配膳する。

 子爵邸の居間で、下げた父の頭がごつんとローテーブルにぶつかり、置かれていたティーカップが揺れて紅茶にさざなみが立つ。

 父の隣に座る祖母は、憂鬱そうなその白い顔で、父を軽く睨んだ。


「親が子に頭を下げるものではありません」

「だが…」

「マリーの努力も足りなかったのですよ。この子は、叔母のロッソ夫人に預けたらブクブクと太って。伯爵夫人だからと信用したのが間違いだったわ」


「母上!」と父が抗議の声を上げてくれたが、私は自分の二の腕や腹回りへの祖母のキツい視線が恥ずかしくて、ソファの上でもぞもぞと身を縮めた。

 祖母によれば、私の不名誉は身から出た錆らしかった。


 不名誉な思いをしたのは私だけではなかった。

 今回の騒動で、再びディラミン子爵家の家庭内騒動が脚光を浴び、人々は「かつて妻に逃げられた子爵の娘が婚約者に逃げられた」と父の醜聞も蒸し返していた。

 執事が淹れてくれた紅茶から立ち昇る湯気を、ぼんやりと見つめる。カップに手を伸ばす気には全くならず、ただ無気力に口を開く。


「いいの。お父様。どうせマクシム殿下は私には分不相応なお相手だったの。それに私が我慢すれば、丸く収まるんですものね……」


 惨めすぎて、涙はもう出ない。

 執事はいつもの鋭さで父娘の取り込み中だと察したのか、無言で一礼すると居間を出て行った。

 マクシムと結婚すれば、エミリアが子爵家を継ぐことになる。男性にとって私と結婚する唯一のうまみは、ディラミン家を手に入れられることだったのに、それが(つい)えた。

 最早私には、何の魅力もない。


「もう私と婚約してくれる人なんて、いないかもしれない……」


 父は渋い顔を上げると、拳を握った。


「何を言う。お父様がお前にもちゃんと新しい夫候補を見つけてきてやるとも」

「お父様。私、もう結婚なんてしたくない……」


 これ以上誰かに捨てられるのが、怖い。それが本音だった。

 だが祖母は神経質そうな顔を不機嫌に歪めた。


「結婚こそが女の義務であり、幸せです。男のように稼ぐわけでもなく、いつまでも屋敷にいたいなど、世の中を甘く見過ぎですよ」


 家督をつがず、結婚もしない貴族の娘は、修道院に入るのが一般的だ。

 たいして信心深くない私には、現実的ではない選択肢に思えるけれど、かと言ってこの屋敷にずっといるわけにもいかないのだ。

 祖母は私が反論をしないのをいいことに、追い討ちをかけた。


「それにエミリアが結婚したら、このままではお互いに気まずいでしょう?」


 マクシムと妹が結婚したら、この屋敷で家庭を築くのだ。二人の新婚生活なんて、見たくもない。結婚してここを出て行かなくては、余計に惨めになるだけだ。


「でも……こんなみっともない噂が広まった私と結婚したがる人なんて、もういないんじゃないかしら」


 すると父はパッと顔色を明るくし、身を乗り出して私に言った。


「心配いらない。実は、お前と釣り合いそうな貴族の独身男性に心当たりがあってね。ちょうど今、結婚相手を血眼になって探している超優良空き物件を知っているんだ」


 待て待て。

 超優良物件が、血眼になってお相手を探すだろうか。


「お、お父様、焦らないで。急ぐといいことがないわ」


 父は外交官だったが、手腕が不確かであることに定評があった。現にガルネロとエーデルリヒトの国家間の関係は、近年悪化していた。

 祖母も急に心配になったのか、口元に近づけて今しも飲もうとしていた紅茶のカップを下げ、父に尋ねる。


「早く片付けたいからといって、急ぎ過ぎて相手がおかしな男では、困るわ。これ以上外聞が悪くなっては、ディラミン家の名が(すた)るわ」

「大丈夫です、母上。マリーにはこれ以上、恥はかかせない。お父様に任せなさい」 


 ものすごく不安だ。

 相手が貴族なら誰でもいいわけではない。いくらなんでも、異常にたくさんの結婚歴がある人や、高齢者は嫌だ。

 ここはいくら「捨てられ令嬢」でも、主張すべきところは言っておかなくては。

 膝の上に置いていた手を、ぎゅっと握り、勇気を出してわがままを言ってみる。


「私、贅沢は言えないけど。それでも一応、お相手に譲れない条件があるの」

「なんだ、どんな点だ? 言って見せなさい」

「年齢差はせめて二十歳以内でないと、うまくやっていける自信がないわ。あと、私がいうのもなんだけど、あまりに絶望的な容姿の男性もちょっと…」


 父はニッと笑った。


「それを聞いて安心したよ。お父様の心あたりは、とびきり美形の物件なんだよ」


 ますます怪しい。

 美形の超優良物件は、通常すぐに住人で埋まってしまうと思うのだが。

 困惑しきりの私をよそに、父は任せなさい、と自分の胸をドンと叩いた。





 落ち込む私を心配してくれたのは、父だけではなかった。

 母亡き後しばしば私を伯爵邸に滞在させ、母親がわりに私を見守ってくれていた、叔母のロッソ伯爵夫人も、婚約者にポイ捨てされた私の置かれた状況に心を痛めてくれた。


 最近の私が、いつにも増して陰気になっていくのを見かねた叔母は、私をたびたび伯爵邸でのアフタヌーンティに誘ってくれた。私が大の紅茶好きであることを、叔母はよく知っていた。

 読書に続く私の二番目の趣味は、紅茶を飲むことだった。

 美味しい紅茶を飲みながら甘いお菓子をつまめば、嫌なことも面倒なことも、ひと時、忘れられるから。

 私が一番好きな時間は、お気に入りの紅茶館に行って、ちびちびと紅茶を飲みながら本のページをめくることだった。

 けれど癒しの象徴だった紅茶は、いつしか悲しみの味に変わっていた。




「マリー。貴女の好物ばかり揃えたの。たくさん食べて。ーーほら、この梨のケーキとっても美味しいのよ。嫌なことは、食べて忘れるに限るわ」


 叔母は食べることが一番の趣味で、とにかく一日中何かつまんでいた。年齢は四十代後半だったが、クルクルと変わる表情も生き生きとしていて私は大好きな叔母だったが、彼女と並ぶと私が奇跡的に痩せているように見えるほど、叔母は貫禄のある体型をしていた。


「マクシム殿下の件は、事故にあったと思って忘れましょう」


 叔母がケーキ台から私の皿によそってくれたケーキにフォークを刺しながら、答える。


「そうしたいんだけど。どうしたらいいのかも分からないの……」

「貴女は悪くないんだから、顔をあげなさい。自分に自信を持たなきゃ」


 自信。

 それはどうしたら持てるのだろう。

 私だって、こんなに情けない自分が好きなわけじゃない。


「子爵から話を聞いたわ。貴女に良い話があるそうじゃないの。もしかしたら、マクシム殿下より貴女に合う方かもしれないわ」

「そうね、叔母様。メソメソしているのは、だめよね。ーーだって、世の中の男性っていうのは、きっともっと明るい女性が好きなのよね」


 叔母は私のケーキの隣にキュウリのサンドイッチも載せながら、言った。


「ねぇマリー。人生、クヨクヨしたもん負けなのよ。幸福の妖精は、笑顔の人が好きだと言うでしょ。貴女はもっと、楽しいことをたくさん経験して、パァッと元気を出さなくては!」


 叔母は地味過ぎる私の外観や内面、そして何よりも自信の無さを心配した。


「貴女は屋敷に引きこもってばかりで、夜会にもほとんどいかないらしいけれど、年頃なんだもの、それではいけないわ。環境は人を変えるのよ。どうかしら、王宮で開かれる今年の秋の大夜会に、貴女を連れて行ってあげる!」

「国王陛下がいらっしゃる、王宮の夜会に…?」


 私の初めての夜会ーーデビュタントは一年前の、十八歳の時だった。

 謁見の間で同じくデビュタントに参加する同じ年頃の令嬢たちと国王陛下の前に進み出て、平伏するように膝を折り、社交の世界に飛び込んだ。

 王宮の大広間で婚約者のマクシムと踊り、本当に素晴らしい思い出になった。

 けれど内向的な私にとって、夜会は楽しいものではなかった。だからほとんどその後の夜会には行っていなかった。マクシムに誘われれば行ったかもしれないが。


 貴族の間では子女たちを王宮に頻繁に出入りさせ、最先端の行儀作法を身に付けさせるのが流行っていた。王宮に出入りすると、別人のように洗練された女性になるらしいのだ。

 我が国では秋の始まりである、「聖ディシスの週」、つまり十月の第一週に連日王宮で王侯貴族を招いた大夜会が開かれる。

 五日に渡って国王の膝下に集い踊るその夜会は、出身の違う王侯貴族たちの出会いの場でもあり、若い子女たちが同じ階層の人々に顔見せをする場でもあった。


「華やかな王宮に慣れれば、私も少しは変われて、誰かに振り向いてもらえるような女性になれるかしら?」

「ええ、もちろんよ! 新しいあなたの一面を見せて、第七王子などよりよほど素敵な殿方を、夢中にさせてやりなさい」


 エミリアが私を責めたことにも、一理あったのかもしれない。私は今まで、彼の隣に立つ資格を誰かに奪われたりはしない『婚約者』という立場に安心し切っていたのだ。

 見下ろすティーカップの琥珀色の紅茶の水面に、ぼんやりとあの光景が浮かぶ。庭園でマクシムと妹が、互いを見つめあっている姿だ。

 あの時、誰も二人の視界には入らないみたいだった。


(このままじゃ、ダメだわ。私が変わらないと、この先も私は誰にも振り向いてもらえないかもしれない!)


 湯気で湿って鼻筋からずり落ちたメガネを、人差し指で押し上げる。

 私はティーカップから顔をあげ、クッキーをぼりぼりと噛んでいる叔母を見た。彼女は私の決心に気がついたのか、大きく首を縦に振った。


「そうよ。一歩踏み出す時なのよ、マリー。私は王宮で女官をしていたこともあるの。安心してちょうだい。案内は私に任せて」

「叔母様。心強いわ。ーー私でも魅力的なレディに変身できるかしら?」

「できるわ! 私がついているわ。たった一人の姪のためだもの! ドレスも私が準備して、とびきりのレディにしてあげるわね。私は息子しかいなかったから、腕の振るい甲斐があって楽しみだわ!!」

「ありがとう、叔母様」


 私は王宮の夜会に参加し、今までの自分という殻を打ち破り、この袋小路を打破しようと固く決心した。



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ブサ猫に変えられた気弱令嬢ですが、最恐の軍人公爵に拾われて気絶寸前です
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