反撃のマリー②
さっと眺め回すも、以前と変わりない妹の部屋だ。
でも、ここのどこかにあの邪悪な指輪があるはずだ。古の皇帝の失われた指輪が。
私は手始めに、キャビネットに置かれたジュエリーボックスの捜索からとりかかった。
両腕で抱えるほど大きいジュエリーボックスは、蓋の真ん中にある掛け金を上げて開けられるようになっていた。蓋を開けると、蝶番が軋む音がする。
中は布張りで仕切りが細かく付けられていて、ネックレスや指輪が種類ごとに納められていた。
指の輪部分を差し込んで立てて収納するスペースには大小さまざまな指輪が仕舞われていたが、慎重に見ても私が探している邪悪な指輪はない。
蓋を閉めて次の捜索に移ろうと顔を上げると、アルフォンソは水晶の剣を手に持ち、部屋の真ん中に置かれた椅子やベッド等を剣でそっと撫で始めていた。
水晶騎士団の持つ水晶は、ただの水晶ではない。
その透明な剣は、呪術の痕跡すらを嗅ぎ取ることができるのだ。アルフォンソは剣を探知機のように部屋の中のあちこちに向けていた。
窓際の小さなデスクや、ベッドの枕の下も探してみるが、指輪は見つからない。
この部屋は使用人たちが掃除をしにくる。エミリアは見つからないように、どこか彼女達の目に触れない所に隠しているはずだ。
ベッドの上には光沢ある布でできた小さなクッションが数個、置かれていた。一つずつ丹念に手で押して、異物が縫い込められていないかを確認していく。
(ないわ。早くしないと、誰かに見つかってしまうかもしれない)
焦りながらクッションをもとの位置に戻す。
気づけばアルフォンソはさっきからずっと本棚の前にいた。剣を抱えたまま、本棚を訝しげに見上げて動かない。
「どうかしましたか?」
「この辺りで剣が鳴るんだ。ーーおかしいな。本が並んでるだけなんだが」
ベッドから立ち上がり、仁王立ちになっているアルフォンソの隣に駆けつける。天井の高さまである本棚には、さまざまな本がぎっしりと詰まっている。
「そうだわ。エミリアは使用人には本棚の本を絶対にいじらせなかったんです。彼女たちは字が読めないから、並びを滅茶苦茶にしてしまうからと言って」
「怪しいな。上の方が剣の反応が強い。上段から攻めるぞ」
アルフォンソは剣を鞘にしまうと、本棚に足をかけ、よじ登り始めた。踏み台を準備する時間がないとはいえ、その大胆さに驚いてしまう。
右手を伸ばして一番上段に手をかけたアルフォンソは、下にいる私めがけて本を次々に落とし始めたので、急いで両腕でそれを受け止める。
五冊目の本を受け取り、その硬い表紙をめくった時。すぐに異常に気がついた。厚さのわりに軽かったのだ。
急いで開いてみると、ページの真ん中部分が1ページ目から最終ページまで、円形に切り抜かれている。そうしてできた窪みには、小さな木箱が収められていた。明らかに人に見つからない為の隠匿の細工である。
(これだ……。こんな場所にあるんだもの。絶対にこの中に、指輪がある!)
急いで本棚から飛び降りたアルフォンソに見守られながら、木箱を開ける。
蓋が開いた直後、中から小さな人形がバネの力で立ち上がり、回転を始めた。白いレースのチュチュを穿き、頭上に持ち上げた両腕で輪を作る、バレリーナだ。
そして同時に、愛らしい音の粒が静かな部屋に広がった。
オルゴールの音色だ。
蓋に押さえられていたバレリーナが回り、オルゴールのネジが動き出したのだろう。人差し指でバレリーナのチュチュにそっと触れる。
バレリーナの足元には、起毛した布張りの、被せ蓋の載る収納があった。リボンでできたつまみを引き上げ、中を覗く。
「――これです。これを、探していたんです」
そこに収められていたのは、まさに私があの日に見せつけられた指輪だった。
アルフォンソが近くに駆け寄り、一緒に覗き込む。彼は喉を鳴らすと、慎重に指輪を手に取り自分の目のすぐそばまで掲げた。
「この黒い石を外せば、下に印章があるのかもしれない」
窓際に寄り、日光を当てて黒い石を透かしてみようと歩きかけた時、不意に部屋の扉が開いた。全身が縮み上がるほど驚いて振り返ると、入り口にいるのは妹の侍女のミラだった。
指輪を手に私とアルフォンソが硬直していると、ミラが叫ぶ。
「お前たち、何者!? そこで何してるの?」
どうやらベールのせいで私が誰か気づいていないらしい。
ミラの茶色い目が私の持つ指輪に至り、咄嗟に私がそれを手の中に隠すと、ミラの目がハッと見開かれる。
「それは何? 何か盗ったの?」
ミラは物凄い勢いで私たちのところまで走ってくると、指輪に飛びかかってきた。
「返しなさい!」
ミラの爪が私の手の甲を引っ掻き痛みに息を呑むが、それよりアルフォンソの動きの方が速かった。彼は私から素早く指輪をとりあげ、腕を伸ばして上に掲げた。身長差から、ミラは指輪に全く届かず、アルフォンソの腕に掴みかかるが、彼も曲がりなりに騎士として鍛えているのか、腕はびくともしない。
「誰か! 泥棒よ!!」
ミラはあらん限りの声で叫ぶなり、胸元から細い笛を取り出し、強く吹いた。鼓膜をつんざくような笛の音がして、思わず両耳を押さえてしまう。
これは使用人たちが持たされる、屋敷の護衛達に知らせる警笛だった。
間もなく大勢が押しかけてしまう。まだこの指輪が印章かどうか、分からないのに。
アルフォンソを見上げると、彼は指輪を掲げたまま、どうするかは私に任せるいった風情で、両眉を跳ね上げて首を傾げた。
(仕方がないわね……)
アルフォンソの服を引っ張り続けるミラに向かって、私は話しかけた。
「静かにして、ミラ。――私は、マリーよ」
帽子ごとベールを脱ぐ。
その一瞬で、ミラの硬い表情が脱力した間抜けなものに変わる。少しだけ眉根を寄せて眉間に皺を作り、私の顔を凝視する。
「マリー…様?」
「ええ。帰ってきたの。久しぶりね」
「嘘! だってマリー様はもっとぽちゃぽちゃなさってるわ! あなたはメガネもかけていないじゃない!」
何それ。私を見分ける方法って、そこ?
思わず苦笑してしまう。猫になっていた時は物がよく見えて、メガネが必要なかった。不思議なことに、マリーの姿に戻ってもそれは同じで、怪我の功名か視力が良くなっていた。この点だけは、エミリアに感謝したい。
「お陰様で苦労して、この通りよ」
バタバタと忙しく駆けつける足音が廊下から近づいてくると、部屋にたくさんの使用人たちが入ってきた。
剣を構えた護衛たちに、下女や侍女たち。皆警戒心あらわに私とアルフォンソを見たが、まもなく事態を今ひとつ理解できない、といった様子で狼狽しながら私を食い入るように見つめた。
「お前達、何をしーー、えっ!? まさか、マリー様!?」
「マリー様!? ご無事だったんですね! 随分とお痩せに…」
「一体いつお戻りに……」
見慣れた侍女達と、いつも顔だけは合わせる屋敷の護衛達。
妹の部屋で盗みを働いている女だと思われようとも、本来の目的を忘れたくはない。
安堵と同じくらいの好奇と下世話な想像が駆け巡っていそうな彼らの前に、私は重たい一歩を踏み出した。ディラミン家の長女として、堂々と振る舞わなければ。
「お父様に会いに行くわ。三階のいつもの食堂にいらっしゃる?」
たまたま私と目が合った下女は、激しく瞬きをしながらコクコクと何度も頷いた。
もっとも返事は待たなかった。
私は前を見据えて大股で歩き出すと、開いたままの扉から廊下へと出た。その少し後を、アルフォンソが歩いてくる。





