異端審問官①
王女がやってくる予定の昼過ぎになると、アルフォンソはバスケットを肘からぶら下げたまま、屋敷の前庭に出た。
組んだ籐の隙間にぺちゃんこの顔を押し付けて、外の様子を窺うと、玄関前に勢揃いする屋敷の者たちの姿が見えた。王女を出迎えるのだろう。
王女は白く華麗な馬車から降りると、屋敷の入り口で待っている元帥の元に颯爽とした足取りでやってきた。
久しぶりに見る王女・エメラインの姿を、隙間から息を呑んで観察する。
エメラインは灰色の瞳に、鳶色の髪をしていた。切れ長で意思の強そうな眼差しをしていて、姿勢良くかつ優雅に歩くその姿に、同性ながらかっこいいなと素直に感じてしまう。着ているドレスもシンプルなデザインで、だからこそ仕立ての良さが際立っている。
元帥は彼女を迎えると、応接間に入っていった。
応接間につながる扉は二つあったが、どちらの扉も閉められてしまったので、二人の様子は窺えない。
中で二人がどんな会話を繰り広げているのかが猛烈に気になってしまう。
それはアルフォンソも同じなのか、彼は扉が閉まると間もなく、バスケットを下げたまま、扉に張り付いた。
「何をされてるんです、アルフォンソ様!」
応接間の二人に聞こえないように、サイモンがアルフォンソの行儀の悪い行いを、非難する。
アルフォンソは小さく舌打ちをすると、シッシッと手振りでサイモンを追い払った。
「サイモン、お前にゃ十年早い。大人には色々と難しい事が、あるんだよ。あっち行ってな」
サイモンが唇を尖らせつつも渋々遠ざかると、アルフォンソは再び耳をぴったりと扉に押し当てた。
幸い今の私は猫なのだ。
応接間の扉に向かって耳をピンと立て、中の様子を探る。
飛び込んできたのは、喜びに溢れた王女の声だった。
「まあ、ラインハルト。本当なの?」
思わず口元に笑みが溢れる。猫の耳というのは聴覚が人間のそれよりも格段に優れている。
ピッタリと閉まった扉越しでも、中の二人の会話は明瞭に聞き取れる。
どうやら王女は元帥をラインハルトと呼んでいるらしい。そんな風に呼べるのは、ものすごい特権のように思える。次に聞こえたのは元帥の声だ。
「ああ。君は銀製のポットやミルク入れが使いにくいと、常々言っていたから。客用のカップに至るまで、ティーセットを全てうちの工房で作って、贈りたい。全てに薔薇の絵を入れるつもりだ」
「私の一番好きな花が薔薇だと、よく覚えてくれていたわね。嬉しいわ」
(いいなぁ。私も、カップ欲しい……)
こんな姿なのだから羨んでも仕方がないのに、元帥に専用のデザインで彼の工房で特別に作った磁器を贈ってもらう王女が、羨ましい。二人はとても親しそうだし。
こういう時は、今や人間ですらない自分の姿が恨めしい。
その後は、工房についてのやりとりがしばらく続いた。
やや疲れてきて、耳に全神経を集中させるのをやめようとした矢先。公爵の口調がそれまでとは急に変わった。
「ところで君は、王立騎士団の長だ」
「ええ、そうだけれど。それが何か?」
王女の返事は少し硬い。あまり今その話題はしたくない、と態度に滲ませているようだ。
「先日、王立騎士団がディラミン子爵邸を訪ねたと耳にした」
突然私の家の名前が飛び出たので、びくんと耳が無意識に動いた。
たしかにマクシムもそんなことを言っていたけれど。
「よく知っているわね。子爵家の行方不明のご令嬢を探すためよ。子爵家が噂のまとにならないよう、秘密裏に動いたのだけれど」
「私も捜索の手伝いをする過程で、教えてもらったんだ」
「あなたはマリーに求婚していたのだものね。――子爵令嬢は、弟の第七王子の元婚約者でもあるもの。騎士団で力になれるなら、ならなくちゃ」
王女がそう言うと、しばらく沈黙が続いた。
カツ、カツと元帥が室内をゆっくりと歩き回る足音が聞こえる。何か考え事をしている時の、彼の癖だ。
ややあってから、元帥の声がまたした。
「王立騎士団の出動は、ディラミン子爵から要請があったのか?」
なぜそれをわざわざ聞くのだろう。マクシムが要請したのか、気になっているのか。
耳を澄まして答えを待つが、王女は何も言わない。
「答えたくないなら、いいんだが。――子爵家では、六年前に夫人も行方不明になっているのを、知っているか?」
「あなたとしたことが、珍しい。貴族のスキャンダルになんて、興味がなかったのに」
「マリーのことが気になって、少し調べたんだ。そして、六年前も王立騎士団が動いていたことが分かった」
それは初耳だった。
一介の子爵夫人のために王立騎士団が動くのは、少し奇妙に思える。王立騎士団は王都の治安維持と王宮の警護を任務にしている。
息を呑んで全身を耳にしていると、王女の小さなため息が聞こえた。
「そうね。私は六年前は騎士団長ではなかったから、詳しくないのだけれど、おそらく理由は彼女がガルネロ出身だったからだと思うわ」
「ガルネロが何か?」
元帥の質問に王女はすぐには答えなかった。彼女は伝えるべきかを迷っているのだろう。だが少しの間の後で、彼女は決心したように語りだした。
「王立騎士団の精鋭が、水晶騎士団を兼ねるのは知っているでしょう。水晶騎士団は異端審問官を兼ねるの」
「ああ、それは知っている」
ざわざわと耳の中がざわつく。
異端審問官は、呪術者を取り締まる存在だ。この王女は、何を知っている?
私は聞き漏らすまい、と再度耳をしっかり立てた。
「呪術師の子孫たちは、我が国エーデルリヒトの開闢後はその多くが北の大地に逃れて、その地に移住したと伝えられているの。ガルネロには呪術を受け継ぐ者がいるに違いないと、長年異端審問官達の間では言われ続けてきたわ。だから、ガルネロに繋がるところでおかしな事件が起きれば、騎士団は調べるの」
時間が止まったかと思うほどの、完全なる静けさが室内を支配する。
私は今王女が語った内容を、何度か脳内で反芻させた。
そうだ、エミリアはあの時、自分のことを「古の皇帝の末裔」だと言っていた。
「では、水晶騎士団は連続した子爵家の失踪事件の裏に、呪術が関係していると?」
「わからないから、調べているの。六年も前のこととマリーの事件を、繋げていいかも確信はないわ」
王女が抑えた声でそう言った直後、扉をノックする大きな音が続いた。
顔を上げると、どうやらノックをしたのは、アルフォンソらしい。
(なに? 何のつもり?)
アルフォンソの行動が読めずハッと身構えた瞬間、目の前のドアが大きく開かれた。
ドアを内側に開き、ノブを掴んだまま、元帥が無表情でアルフォンソを見ている。