王都での予期せぬ出会い②
王都に着くと、元帥は私を抱いて目抜き通りを歩いた。
通りを歩くと、すれ違う人全員が一様に瞠目して私たちを見てきた。
元帥は元帥で目立つし、私は私で目を引くのだろう。
諸国蹂躙軍人と顔面凶悪猫という、究極の取り合わせに、多くの通行人が私たちを二度見してくる。
特に元帥に対する反応はあからさまで、小さな子を連れた母親などは、元帥に気付くなり顔を真っ青にして子を背後に隠し、元帥を避けようと道の端に大仰に飛び退いていた。
(酷いわ。元帥を怖がり過ぎよ)
そう反感を覚えつつも、思い返せばかつての自分の反応も、似たり寄ったりではなかったか。
私は紅茶館で元帥と遭遇すると、いつも遠い席を選んで彼と目を合わせないようにしていた。
悪いことをしてしまった。
今は怖いなんて思っていないし、元帥を慰めたくて、元帥の腕に顔をすりすりと寄せて甘えた声で鳴いてみる。
「ブヒョ、ナー」
ああ、なんとかならないのかな、この鳴き声……。
「どうした、シフォン。お前は人懐こくて、本当に可愛いな」
私の心配をよそに、元帥は普段と変わりない様子で自信あふれる眼差しで私を見下ろし、右手を少し動かして背中を軽く撫でてくれた。
どうやら取り越し苦労だったようだ。
さすが天下の元帥は注目を浴びることに慣れているのか、意に介す様子は全くない。彼にとってはこの扱いが、最早お馴染みの光景なのだろう。
通常運転、といった様子で堂々と歩いている。
サイモンは元帥の三歩後ろを歩きながら、声をかけてきた。
「あの赤い屋根の紅茶館、お館様のお気に入りの紅茶館の一つですよね!」
サイモンの指し示す小さな指の先には、私にもお馴染みで見覚えのある紅茶館があった。
何度か元帥と鉢合わせしたことのある紅茶館だ。
(でもあの紅茶館、ここのところいまいちストレートティーの味がパッとしないのよね。あそこのスコーンが好きなのに、残念……)
元帥は紅茶館を一瞥すると、苦笑した。
「どうかな。最近はそうでもない。紅茶の味が落ちてきてね。スコーンは一級品なんだがな」
「ブニャッ(激しく同感)!!」
鳴き声に反応した元帥が、私を見下ろして小さく笑う。
「お前も行きたいか? 残念だが、どこの紅茶館も動物はお断りだろうな」
本当に残念そうな口調だ。
あの怖そうな元帥が、こんな風に優しく微笑む人だなんて、ちっとも思わなかった。なんて素敵な笑顔なの……。
元帥は時計屋に向かって歩いていた。
「懐中時計を注文してあるんだ。出来上がっているはずだから、受け取ってくる」
だが店に入る前に、ショーウィンドウの前に来るとサイモンがピタリと立ち止まった。
いかにももの欲しそうに、中を凝視している。
置き時計や腕時計、掛け時計などがこちらに向けてたくさん並べられている中、元帥は懐中時計の前に立つと、サイモンに尋ねた。
「お前が買うとしたら、どれがいいと思う?」
「僕は、これが好きです。だって、一番大きいですから!」
サイモンがほとんど考える間を感じさせずに、即答する。
元帥が「お前らしいな」と笑う。
私は二人のやりとりを聞きながら、ショーウィンドウの中の懐中時計を見つめた。
青いビロードの上で展示された二十個ほどの懐中時計は、どれも凝ったデザインで時計の針に至るまで、繊細な透かし彫りがされている。
素敵だなと見つめていると、元帥は私をサイモンに手渡した。
「一人で中に入るから、シフォンと先に馬車に戻っててくれ」
「はい、お館様!」
サイモンの少し頼りない細っこい腕に抱っこされながら、馬車まで揺られる。
私はかなり重たいのか、徐々にサイモンの腕がプルプルと震えてくるので、落とされないか心配になる。
「シフォン様、ちょっと歩いてもらえる? 君、結構…じゃなくてちょっぴり重くて」
申し訳なさそうな顔のサイモンに地面に下ろされたその時。
雑踏を飛び越えて、私の耳が聞き覚えのある声を捉えた。
さっと耳が後方に動き、顔の横に飛び出るヒゲが一瞬ピンと張る。私の猫の耳は、マリーの耳よりもずっと遠くのものを正確に聞き分けられていた。
「ここにも、いなかったわ。マリー、どこに行ったの?」
風に混じって聞こえるそれは、胸が潰れそうなほど悲痛な声だった。
(叔母様!! あれは叔母様の声だ!)
そうと気づいた瞬間、私はぴょんと駆け出していた。サイモンが呼び止める声も無視して、私は必死に声のもとに爆走した。
通行人の足元を転がる鞠のように走り、角を曲がり、グングンと道を進む。その先に見慣れた膨よかな女性の姿を捉えると、私は慌てて道端のゴミ箱の陰に隠れた。
叔母はちょうど建物から出てきたばかりのようで、彼女の後ろでカランとベルの音が鳴りながら扉が閉まった。そこは紅茶館で、店内の客たちは優雅にカップを傾けている。
扉が閉まるや否や、再び開いて中から一人の男が水色のマントを翻しながら飛び出てきた。
(ああ、まさか。ーーここであなたと会ってしまうなんて。マクシム)
叔母に続いて店内から出てきたのは、私の元婚約者のマクシムだった。
マクシムは叔母の隣に立つと、言った。
「マリーが立ち寄りそうな所はあらかた探しました。それこそ王都中を。それなのに、どこにもいませんね」
「私がもう少し、あの子の話を聞いてあげていれば!!」
「本当に申し訳ありません。全て、私のせいです」
「ええ、本当に。殿下と、エミリアのせいですよ!」
マクシムは悲壮な顔をしていた。いつも綺麗に整えられている黒髪は、彼の困惑を表すかのように珍しく少し乱れている。
突然いなくなってしまった私の心配をしてくれているのか、と期待を込めて耳をそばだてる。
「どうかエミリアを悪く言わないでください。全て私の責任です」
ずん、と胸に重りが乗ったような痛みを覚え、目の前が暗くなる。どうして、エミリアを庇うのだろう。
それにあの子は、皆が思っているような天使なんかじゃない。
エミリアは実の姉を手にかけたのだ。正確に言えば呪術にかけ、猫に変えてその存在を間接的に殺そうとした。
マクシムは綺麗な青い瞳を苦悩にかげらせ、続けた。
「私がエミリアを愛してしまったのが、悪いのです」
「そんな話は、聞きたくありません! とにかく、マリーを返してちょうだいな。あの子があなた達に、一体何をしたと言うのーーあの子は五歳の時から、北のガルネロから帰国した自分の家族の一員になろうと一生懸命頑張ったんです。でも、その結果がこれだなんて!」
一度俯き、少しの間黙っているとマクシムは何かを決心したように口を開いた。
「伯爵夫人 ……、申し訳ありません。私はエミリアの太陽のような明るさに、惹かれてしまったのです。マリーとエミリアはあまりに違いすぎて、」
「マリーとエミリアを、比べないでください!」
うろたえて声を荒げる叔母と同じく、私も動揺のあまり、心臓がバクバクと激しく鼓動を打つ。エミリアへの気持ちが本物なのだ、などという告白は今さらこんな所で、マクシムから聞きたくない。
だがマクシムは言うなら今しかない、とでも思っているのか、尚も続けた。
「けれどロッソ夫人も気づかれていたでしょう? エミリアの美しさを、マリーが劣等感の塊のような目で見ていることに」
マクシムの言葉は、刃のように私の心を裂いた。あまりの痛みに、呼吸さえ忘れる。
他人から見れば、妹と私の姿はそんな風に映っていたのだろうか。
叔母は硬く目を閉じて、耳を押さえて頭を振った。
「もう、やめて。戯言は聞きたくありません。殿下が人を見る目のない、残念な方だということは、よく分かりましたから」
また目を開けた時、叔母の目は涙でいっぱいだった。
(叔母様、そんなにも悲しまないで)
私はここにいると、叔母に伝えたくて仕方がない。でも、私が猫になったなんて知ったら、ショックで倒れてしまうかも知れない。こんな姿は見せたくないし、私も見られたくない。
「あの子が頼れるところは、全部探したのに。今、どこで何を? 何かあったら、どうしたら ……」
「ディラミン子爵も使用人たちに捜索させています。水面下で王立騎士団も動いてくれているそうです。ーーマリーは私の婚約者の姉ですから。きっとまもなく朗報が入ります」
「マリー、私がついていてあげれば良かった。ショックで家を出てしまうなんて。やっぱりあの時、遠慮せず伯爵家であの子を引き取れば良かったわ。ガルネロから来た、あの魔女じみた妖しい再婚相手にマリーを任せたのが間違いだったのね」
なんと、叔母は本能的に義母の本質を見抜いていたようだ。
「その後も能無し子爵と、美貌だけが取り柄の愛情のないあの子の祖母に任せたりしなければよかった。マリーが見つかったら、今度こそあの子を伯爵家の養女にするわ」
「……ロッソ伯爵も賛成を?」
「もちろんよ。あの人はマリーが五歳まで、自分の娘も同然に可愛がってたんだから」
(叔母様、本当に!?)
叔母の深い愛情が伝わり、じんと胸が熱くなる。
子爵邸ではなく、伯爵邸に戻れるなら、どんなにいいか。
叔母は大きな声で呼びかけた。
「ーー私の子ウサギちゃん! どこに行ったの!」
子ウサギちゃんーーそれは、私が幼い頃に叔母が私につけた愛称だった。幼少期のほとんどを過ごしたロッソ伯爵邸で叔母はリボンだらけの服を着せた私を追いかけながら、しょっちゅうそう呼びかけて、抱きしめてくれた。
もう隠れてはいられなかった。
心の中で泣きながら、たまらず叔母の前に駆け出す。