マリーと妹
私は、猫である。
名前は、シフォンだ。
この国最強の軍人、メルク公爵に今は飼われている。
鏡や窓に映った自分の姿を見ると、びっくりしてしまう。
私はとんでもなく不細工な猫――ブサ猫なのだ。
今日も朝から、窓に映った自分を見て唖然とした。
ボールのように丸い顔についているのはペチャンコの鼻と、吊り上がったほっそい目。目は細すぎて、はたから見ると開いているのか閉じているのかよく分からない。
口は何かにいつも不満でもあるのかと聞きたくなるほど、見事な「への字型」をしている。
白猫なのだが所々に黒い斑模様が入っており、その黒の入り方が絶妙に酷かった。
体は牛のような黒色の入り方で、顔はインクでも溢したかのように鼻の少し上が黒い。
ふわふわの毛のおかげで体もボールのようで、そこから伸びる四本の足は、ギャグのように短い。
これぞまさに、動物界の奇跡。
屋敷の人達は、私を陰で「世紀のブサ猫シフォンちゃん」と呼ぶ。
……でも、私の本当の名前はマリーなのだ。
私の真の姿がディラミン子爵家の令嬢だとは、誰も知らない。
人がカエルやカラス、野獣など、別の生き物に姿を変えられてしまうのは、本の中だけの空想上の出来事だと思っていた。
けれど私ーーマリー・アリーラ・ディラミンはこうして実際に、ブサ猫に変身させられてしまった。
窓の向こうの美しい緑の庭園を、箒で掃いて歩く侍女たちを見つめながら、「ブヒャ〜」と鳴く。(私は鳴き声も不細工だ。)
こんなことになった原因は、たった一つ。
私の妹が、とびきり天使な仮面を被った悪魔だったからだ。
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子爵邸の前庭には、うっすらと雪が積もっていた。
息を吐けば白く空中に散り、時折吹く冷たい風に鼻先がキンと痛む。
それでも私ーー五歳のマリー・アリーラ・ディラミンは抑えきれない興奮に胸高鳴らせ、屋敷の前で両手に花束を抱え、馬車を待った。
私の後ろには侍女達が勢揃いし、やや緊張した硬い面持ちで一列に並んでいた。
手を繋いで隣に立つ叔母を、首を傾けて見上げる。
「叔母さま、お父様の馬車はもうすぐ着くわよね?」
叔母はふくよかな顔を私に向け、にっこりと優しく微笑んでくれた。暖かな、陽の光を思わせるその笑顔に安心する。
「そうね。貴女の新しいお母様と妹ちゃんは、どんな人たちかしらね」
「私ね、とっっっても仲良くするの!」
私はこのエーデルリヒト王国の子爵家の長女として生まれたが、五歳まで実に寂しい少女時代を過ごしていた。
子爵であり外交官でもある父は、私が生まれる前から外国と我が国を飛び回って仕事していた。
私が生まれた時も、父は国にいなかった。
父は私が一歳の時に、ガルネロ王国に大使として単身赴任することになった。ガルネロは大陸の最北に位置し、一年のほとんどが雪に閉ざされる国で、政情も不安定だった。そのため私はエーデルリヒトに残り、誕生時に亡くした母に代わって、伯爵夫人である叔母の手でほとんど育てられた。
その間、父はガルネロで現地の貴族女性と再婚し、私の新しい「母」との間に、女の子が誕生していた。
そんな父もやっとガルネロでの任期が終わり、エーデルリヒトに帰還するのだ。
「ようやくお父様と暮らせる」と帰国の日を、無邪気にも指折り数えていた。
屋敷の門が開き、焦茶色の大きな馬車が姿を現すと、私は馬車止めの前に駆け出した。
「お父様、おかえりなさい!」
雪を蹴散らし、停車した馬車の扉の正面に陣取る。妹と新しい母を迎える緊張で、心臓がばくばくと鳴り、大きく息を吸いつつ抱え直した花束からは芳しい花の香りが柔らかく立ち昇る。
一生懸命笑顔を浮かべながら、両手で花束を差し出す私の前で、馬車の扉が開く。
馬車の中から出てきたのは、女神のように美しい華奢な女性と、天使のように愛らしい小さな女の子だった。
女性はサファイヤのように煌めく瞳を私に向け、微笑んでくれた。
「あなたがマリー? 今日から、よろしくね」
「は、はい! お義母様」
体の線が細く儚げな義母の美貌に目が眩みそうになりながら、花束を渡す。
義母が花束を受け取ると、馬車を降りた父が両手で小さな女の子を抱き上げ、私の正面に立った。
「マリー、大きくなったな! ほら、エミリア。お前のお姉様だよ」
父の腕の中の妹の顔がこちらを向き、鮮やかな赤い外套を着た肩先から、サラリと髪が流れる。
私は妹と目が合うや否や、驚きにあっと叫んだ。
(なんて可愛い子なんだろう! お人形さんみたい。――この子が半分血の繋がった妹だなんて、信じられない……)
妹は素晴らしく可愛らしい容姿をしていた。髪は黄金を紡いだような煌めく金髪で、肌は透き通りそうに白く、滑らかな絹のようだった。瞳の色はくすみ一つない宝石の青色で、唇は口紅をささなくても薄紅色に艶めく愛らしい桜色だった。
私はといえば、髪は一番人気のない赤色をしているし、顔はそばかすだらけだ。しかも五歳にして、ゆるっとしたポッチャリ体型だ。
「エミリア、とっても可愛いわね。お姉ちゃまと、仲良くしましょうね」
妹を怯えさせないようにそう呼びかけると、彼女は父にしがみついた。
こうして私の家族は、ようやく一緒に暮らし始めた。
義母は大変美しかったが、体の弱い女性だった。
それなりに私にも気を遣ってくれ、ガルネロについて色々な話をしてくれたり、読書好きの私の好みに合いそうな本を探しては、たくさん買ってきてくれた。
だが四人での平和な生活は、長くは続かなかった。次第に父と義母の夫婦仲が、悪化していったのだ。
父は出張が多く、家で過ごす時間が短かった。加えて義母はエーデルリヒトでの暮らしがあまり肌に合わず、ガルネロを恋しがるようになっていた。
そしてある日突然、義母が失踪した。
義母の実家はガルネロの裕福な貴族だったため、父は義母が実家に帰ってしまったのでは、と思って急いでガルネロを訪ねたが義母はそこにおらず、手を尽くして方々を探しても見つからなかった。
父は「妻に逃げられた子爵」として、一躍有名になった。
一番気の毒なのは、妹のエミリアだった。
突然母を失い、エミリアは毎日泣き暮らした。まだ十二歳だったのだから、無理もない。仕事であまり家にいない父の代わりに屋敷にやってきたのは、父方の祖母だった。
それまで田舎の別邸にいた祖母は、久しぶりに私と再会すると、こう言った。
「まぁ。しばらく見ないうちに、太っちょになって。みっともない子だね」
清々しいほど正直な感想に、誰一人フォローができない。
そして祖母はエミリアを見るなり、目を見開いた。
「こっちの孫は、まるで天使じゃないの」
祖母はいかに妹を慰めるかに腐心した。祖母にとって妹は自慢の孫で、妹に心から同情していたのだ。
無理もない。
愛らしい顔を悲しみに引き攣らせ、大きな青い瞳からポロポロと澄んだ涙を流すその姿に、誰もが心からの憐憫の情を覚えた。
エミリアは母が戻るよう毎日一生懸命、神様に祈りを捧げた。そのいじらしい姿に、誰もが彼女を支えてあげなければ、と使命感を掻き立てられた。
エミリアは寂しさを紛らわすためにインコを飼い始め、母の名前を覚えさせると、その賢い鳥を傍から離さなかった。
皆が母を失った妹のその姿に、涙を誘われたものだ。
義母がいなくなったことでできた我が家の傷も、時と共に癒えていった。
やがて妹も元気を取り戻し、快活な性格の彼女は少女からどんどん魅力的な女性へと成長していった。まるで綺麗な原石が徐々に磨かれていき、ついには神々しいばかりに眩く輝くダイヤモンドになるかのように。
明るい性格の妹は、私とは全てにおいて正反対だった。
社交的で外出好きな妹と違い、私の一番の趣味は読書で、私はどちらかといえば一人で静かにしていることを好んだ。
だから私は妹のように、使用人の為にサプライズパーティを開いて、屋敷の皆を盛り上げて楽しむようなことはできなかったし、思いつきもしなかった。
妹は人心を掴むことに長けていた。
屋敷の中で私より妹に人気が集中してしまうのは、当然の流れだったのかもしれない。
父が留守がちだったことも災いし、気づけば屋敷は、妹を中心に動いていた。
私は常に妹の引き立て役のような姉でしかなかったが、どこの家でも一番下の子が可愛がられるものだ。妹が優先になり、彼女ばかりが愛されるのは、仕方がない――そう思って長年屋敷の中で影のように控えめに我慢してきた私にも、唯一の癒しと言える存在がいた。
婚約者のマクシムだ。
マクシムはこのエーデルリヒト王国国王の第七王子だった。ディラミン子爵家には父の後を継げる男子がいない。
我が国の爵位相続法では、当主に男子がいない場合は女子に爵位を継がせることが可能だ。
男子は長男から順に継承権を持つが、女子の場合はその限りではなく、一般的には結婚相手の家格に左右されることが多い。
そのため、私がマクシムと結婚をして、女子爵として我が家を継承する予定になっていた。
私と同い年でありながら、マクシムはお話がとても上手で、豊富な引き出しでいつも私を楽しませてくれた。
あまり異性と交流がなかった私は、私のために手を差し出してくれたり、扉を開けてくれるマクシムの紳士然とした行動に、出会いからあっという間に彼に心を奪われてしまった。
艶のある美しい黒髪を持つ、私の婚約者。
私の殿下。
彼は冴えない私には、勿体ないほど顔立ちも整っていて、素敵な男性だった。
マクシムが婚約者であることは、私にとって唯一の誇り。――人生捨てたもんじゃない。