その⑤
サイレンの大きな音が、真紀の耳に入ってくる。夜も更けり、日付が間もなく変わろうとしていた。
街には煌々と光が灯り、人々はいつまでも明けることのない聖夜を望んでいる。
「ねえ。ブラッディ・クリスマスって知ってる?」
「え、え?」
ここは、未華子の部屋の向かいにある廃ビルの屋上である。警察の実況見分が始まり、未華子の部屋にたくさんの捜査員が入っていく。
忘れさられたようにひっそりと夜の闇に溶け込むこの場所は、クリスマスの夜景をこっそりと独り占めできる絶好のスポットと化していた。
「5年くらい前から、ここら辺りで噂になっていた都市伝説。クリスマスの日に1人ずつ人が死んでいくっていう悪い噂」
「し、知ってるよ。確かクリスマスで不幸になった人の怨念が、一人一人に復讐していくっていう話だったと思う……」
少年が真紀に聞いたこと、それは奇しくも真紀が未華子に話した悪い噂だった。色々な解釈があるただの都市伝説のはずである。
「噂が現実になったんだよ。ただそれだけ」
真紀はあっさりと言い放つ少年の様子に、思考が追い付かない。都市伝説が現実になる、とはどういうことなのだろうか。
「……この世には、空想なんて存在しない」
背後から急に声が聞こえたため、真紀は驚いて振り返る。
明かりのない廃ビルの暗闇から、こつ、こつと靴音が響いてくる。
「クリスマスが持つ、人間のイメージとは正反対の存在。幸せの陰に不幸はある、ということだ」
「……意味わかんねーんだけど。それよりどこ行ってたんだよ“アイサ”」
「悪いね。色々と手間取ったんだよ」
雲の隙間から、月が屋上を照らしていく。真紀と少年の前に現れたのは、長身でスタイル抜群の美しい女性だった。黒いロングコートを冷たい夜風に靡かせながら、さらさらと艶やかな長い髪をかき上げる。
真紀は、女性の目に視線が向く。
妖しくも美しいターコイズブルーの瞳。それは冬の夜空に溶け込み、一等星のような煌めきを放っていた。
「あ、あなたたちは一体……」
「自己紹介が遅れたかな。我々は“警察庁警備局特殊事案対策課特命係”。つまるところ、どこにでもいるしがない公務員さ」
少年にアイサと呼ばれた女性は、真紀に向かってウインクをかますと、ロングコートのポケットから警察手帳を出して、見せてきた。
「け、警察? 本当だったんだ。この子もですか?」
真紀は不思議そうに少年を見つめる。
少年は不満を表明するかのように真紀をじろりと見つめ返す。
「彼は銀滝白。14歳だが、立派な警官だよ。中身は子どもだがね」
「子どもとか言うな!」
よっぽど子ども扱いされるのが嫌なのだろう。アイサはむきになる白を見て、いたずらっ気のある笑みを浮かべる。
真紀はなぜこんな子どもが警察官なのか、理解できずに口をぽかんと開けていた。
「なぜ、14歳で警察官になれるのかと、そう思っているかい? それは、我々が普通の警察官とは全く違った事案を扱っているからなんだ」
アイサは真紀の様子を一瞥すると、ゆっくりと屋上の手すりに肘をつき、手のひらに顔を乗せて街を眺める。
「我々は今の社会の常識や法律、科学では証明しようのない存在――――――我々が“傀異”と呼んでいる存在について、超法規的な措置を以って取り締まることを目的とした秘密警察なんだ。だから一般の事件については取り扱わないし、我々の存在も基本的に秘匿されている」
真紀は、ますます実感が湧かないといった様子で、2人を交互に見遣る。
だが、考えてみると先ほどの少年の不思議な力といい、この女性の不思議なオーラといい、どこか納得のいく説明だとも思う。
「そして、我々は今回、5年ほど前から続くブラッディ・クリスマス殺人事件という奇妙な連続殺人事件について追っていたというわけだ。
――――――5年前の12月24日、1人の女性の遺体が都内で見つかった。井上麻衣、当時18歳。彼女は数週間前から行方不明になっていたが、クリスマスの当日、雑木林の中から血液と皮膚片だけが見つかった。
警察は猟奇的な殺人者の犯行として捜査を行ったが、全く手がかりはなく、捜査は難航。事件は解決しないまま1年が経つ。
12月24日、次に消えたのは三輪正樹、当時19歳。彼は井上麻衣の元恋人だったらしい。彼も同じくクリスマスの日に今度は公衆トイレの中で死体となって見つかった。死体と言っても状況は血液と皮膚片だけ。警察は2人の関係性から、怨恨の線で捜査して、一人の容疑者を割り出した。だが、その容疑者は証拠が一切なく、アリバイもあったため、再び捜査は難航した」
淡々と事実を語っていくアイサの薄気味悪い笑みは、何かの確信を得ているようだと真紀は思った。
そして思わず、大きな声を出す。
「ちょっと待ってください! それは……」
しかしアイサは、淡々と続ける。
「では3人目、それは誰だったのか。事件は2年後に起きることになる。続きはそうだな、君が語ってくれないだろうか? 井上真紀さん」
――――――真紀の胸が閊える。
白とアイサは、まるで真実を見透かしたかのように鋭い視線を真紀に送った。
「な、何を言っているのかよくわからないんですけど……」
「今日亡くなった西京未華子さんは君の親友だったそうだね。救えなくて非常に残念だ。君とはいつも大学やプライベートで一緒にいて、仲が良かったのになぜ殺したんだい?」
真紀の思考は停止する。
――――――意味がわからない。
――――――この女性は何を言っているんだ。
真紀は怒りで頭が割れそうになった。
「いい加減にしてよ!! あれは、事故よ!! その、気味の悪い靴下から変な腕が出てきて……あなたも見たでしょ? あの腕が未華子の命を奪ったのよ!!」
真紀は白に向かって声を荒げる。しかし白は何も言わない。真紀は少年の赤紫の瞳が、全く揺らぐことなく自分を見つめてきていることに、言葉を失う。
「ああそうだ。傀異が西京未華子の命を奪った、それは事実だ。この靴下は、『血塗れの靴下』という傀異。この靴下は持ち主の人間に、1つクリスマスのプレゼントを与える代わりに、1つ靴下の願いを叶えなければならないという面白い傀異だ」
真紀の呼吸はどんどん荒くなっていく。目の前の女性は、まるでこの世の摂理を語るかのようにはっきりと真紀に言葉を紡いでいる。それが真紀の心を抉る。
「まだ認めないなら、私が語ろう。去年のクリスマスの日、君は西京未華子にこの靴下を “買わせた”んだ。方法は単純、君は路地裏のセレクトショップに彼女を誘導し、言葉巧みに靴下を買わせた。ただそれだけ。その前に、君は何度かセレクトショップに足を運び、西京未華子と彼女の恋人を殺すように靴下に願いを懸けておいた。違うかい?」
真紀は怒りを通り越して呆れたような表情を浮かべる。そのようなこと、できるはずがないと言いたいように。
「ちょっと待って! それなら、靴下の願いっていうのは……」
「願いというのは名ばかりで、“血塗れの靴下”は基本的に、プレゼントを与えた相手を殺すことが願いなんだよ。願いを叶えて、喜んでいる人間を弄んで殺す。そんな悪趣味な傀異だ。君はそれを知らなかったようだね。いや、自分は死んでもいいと考えていた可能性はあるが。どちらにせよ結果として、君を救うことはできたのだが」
真紀は、目線を下に逸らした。明らかに狼狽える様子を見て、アイサは口元を妖しげに緩ませる。
「……そこまで言うなら、証拠はあるの? もちろん、あるのよね?」
真紀は、低い声で小さくそう言った。
証拠、という言葉にもアイサの表情は曇らない。
「証拠か。確かに難しいね。法的に言えば、これは “未必の故意”だ。だが、状況証拠だけでも十分なんだよ。だって君は――――――」
アイサは一層不気味な笑みを強める。腕を組み、感情的になっている真紀を諫めるようにはっきりと告げる。そしてそのひと言が、真紀にとどめを刺した。
「だって君は――――――人間ではなく、“傀異”なんだから」
真紀の中で、今まで堪えていたものがはじけ飛んだ。
そんなはずはないと必死に自分を騙し、偽った事実。
生まれて初めてそのことを、他人に指摘された。
その衝撃は計り知れないものだった。
「わかっていたんじゃないのかい? 君は、井上麻衣という人物が、想像上で生み出した存在。妹が欲しいと強く願い、その結果偶然生み出された見えない存在だったんだ。そのことが原因で、2人を殺したのかな?」
違う。全力で否定したかった。だが、声が出ない。喉を空気が通っていかない。
その隙にアイサは畳みかけてくる。
「君の存在が見えていたのは、殺された君の姉と、西京未華子だけだった。なぜ未華子が君を視認できたのかは分からないが、おそらく俗にいう“霊感”というやつに近いのだろう」
「な、んで……」
真紀が消えそうな声を必死で出した瞬間、今まで沈黙していた白が動いた。
「証拠はある。これ」
白は、パーカーのポケットから、クシャっと曲がった紙を取り出す。
それは、戸籍謄本だった。
そこに書かれていたのは、井上家全員の名前。父と母と姉の麻衣、その3人の名前しか記載されていない。
「井上麻衣に、妹はいない」
叩きつけられた真実は、真紀が今まで決して認めたくなかった事実だった。
認めるということは、自身の存在を否定するということ。
――――――わかっていた。わかっていたのに。
真紀は、廃ビルの床に膝をついた。
絶望する真紀の脳裏に、走馬灯のような過去の情景が浮かんでくる。
白、と書いて、しらずと読みます。
ややこしい名前ですが、結構気に入っています(笑)