その③
クリスマス・イブ。奇しくもその日は、ホワイトクリスマスとなった。
「綺麗だな」
「うん!」
2人は1日中デートを楽しんだ。ショッピングをしたり、ゲームセンターに行ったり、その内容は何気ない日常のデートと変わらない。しかし、この日だけは2人にとって特別な意味を持つ。クリスマスとはそういうものなのだと、未華子は実感する。
――――――楽しい。
今まで彼としたデートの中で一番楽しかった。
雪が舞うベンチに少しだけ座った2人。
離れたくない、いつまでも一緒にいたい。未華子は彼の腕に寄りかかって、心の底からそう思った。
1日の終わり、2人は未華子の家でケーキを食べることにした。普段行かないようなデパ地下の高級なケーキ屋で、4種類のショートケーキを買った。それを机の上に広げ、2人はお互いに用意したプレゼントを披露する。
「俺からは、こんなもんだけど……お前に似合うと思って」
照れ笑いを浮かべた彼が選んだプレゼントは、ふわふわのハンカチだった。
未華子が好きな猫が刺繍された小さなハンカチ。きっと、色々と選んだ末に買ったのだろう。少し不器用な彼らしいセンスだと未華子の目じりが熱くなる。
「嬉しい……大切にするね」
未華子はハンカチを受け取ると、ぎゅっと胸元で握りしめた。
「私からは、これなんだけど……」
未華子は大きく息を吸い込んで、真っ赤な靴下を彼に手渡した。
「靴、下?」
彼は目を丸くして数回瞬きをした。
「その、友人が外国の文化で大切な人に靴下を送る習慣があるって教えてくれて……子どもってバカにしてるわけじゃないんだよ? 中身はちゃんとしているんだから!」
未華子は顔を赤らめて恥ずかしそうに靴下を手渡す。
彼はそんな未華子を見て、微笑ましそうに靴下を受け取った。
「ありがとう。嬉しいよ」
考えに考えて、相手のために選んだプレゼントに、不正解などない。
彼は未華子の贈り物に、感謝と愛を抱いて、嬉しそうに靴下の中を覗き込む。
「あれ?」
しかし彼は、不思議そうな顔をする。そのことが、未華子の心臓を大きく跳ねさせる。
「えっ……」
なぜ、と疑問が浮かぶよりも先に、未華子は彼の持っていた靴下の中を覗き込む。未華子の視界に映ったのは、赤色だった。未華子が入れたプレゼントの数々が忽然と姿を消している。目を疑う未華子をあざ笑うかのように、鮮やかな赤が未華子の意識を埋め尽くす。
「メリークリスマス」
靴下の中から確かに聞こえた。男でも、女でもない悦びに満ちた声。いや、声と表現するのは正しくはない。心の中に直接響くような、不快な記号。
「あっ」
鮮やかに広がっていた深紅の世界が、突如動く。
未華子は、靴下の中に広がっているのが、生々しい口の中だということに気が付く。
しかし、もう遅い。
――――――靴下の口が、大きく歪み、広がっていく。
そこからゾゾっと伸びてきたのは、血にまみれた青白い腕だった。
細くて、筋張った人間の手のようなものが、未華子の首に向かって伸び――――――
「きゃあ!!」
その瞬間、恐怖で我を忘れた未華子は、靴下を力いっぱい投げ捨てた。
未華子はすぐに、この行動を後悔することとなる。
「ど、どうしたの!?」
投げ捨てられた赤い靴下は、偶然にも床のフローリングを滑って、彼の足元へと落ちてしまった。彼は、心配そうな声を上げて靴下を拾い上げる。
だめ――――――そう言おうとした時、もうすでに靴下から伸びた手が、彼の首にまとわりついていた。
ぐしゃり。
それはあまりにもあっけないものだった。
未華子の目の前で、彼の首が拉げた。そして彼の頭は、心配そうに未華子を見つめた顔のまま1回転し、床へと転がり落ちる。
首から花火のように噴出した真っ赤な鮮血が、床を染めていく。
「え……え……?」
未華子の思考は完全に停止した。全身の力がゆっくりと抜け、未華子は床に尻もちをつく。フローリングの冷たい感触が、未華子の背筋まで伝わる。
じわりと流れてきた彼の血液が、未華子の膝を赤く染める。まだほんのりと生暖かい温度を肌で感じ取った時、ようやく未華子は彼が死んだのだと認識する。
ズズズッ。
靴下から伸びた手が、彼の胴を靴下の中に引きずり込んでいる。
べちゃべちゃと音を立てて、彼の体を“食べている”光景を、未華子は見せつけられる。恐怖で声も出ず、ただどうしてこうなったのかわからずに、涙で顔が壊れていく。
「めりー、くりすます」
急に部屋の電気が消える。
パン、と大きな発砲音が鳴って、未華子の頭に紙のテープがふわりと乗る。飾りつけなどしていないはずなのに、部屋中が真っ赤な電飾に彩られ、不気味に明滅し始める。どこからともなく、不気味な壊れかけのオルゴールの音が聞こえ、未華子の鼓膜を震わせる。
――――――その曲が、半音下がった『きよしこの夜』だと気づいた未華子の精神は一瞬で壊れた。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……」
* * * * *
「……かこ……未華子ってば!!」
「きゃあっ!!!」
未華子は、伸びてきた真紀の手を払いのける。その力はかなり強かったらしく、真紀はそっと手を押さえた。
「どうしたの?」
ここは、未華子の部屋だった。小さな机の上に、ケーキやチキンが置かれている。
日めくりタイプのカレンダーは、今日が12月24日、つまりクリスマス・イブ当日だということを示している。
静かな部屋の、時計の針の音だけがやけに大きい。
未華子は泳いでいた目の視点を定め、真紀を見つめた。
吐き出す空気も、吸い込む空気も、空間に存在していないように、未華子の肺は酸素を欲した。
未華子の息は荒い。
「大丈夫?」
「ご、ごめん……ちょっと、ね」
未華子は必死に笑顔を繕った。
――――――悟られるわけにはいかない。
未華子は意地でも精神を落ち着かせようと手で胸を押さえ、深呼吸する。
「本当に大丈夫なの?」
「う、うん。ごめんね、疲れてるのかなぁ。ケーキ、食べよ?」
未華子は自分の選んだイチゴのショートケーキを一口食べる。
味などしなかった。味を感じる余裕などなかった。
それほどまでに、未華子は追い詰められていた。
「ねえ。本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫だよ……」
ケーキを口元に持っていくために、紙皿を持ち上げた瞬間、思わず下に落としてしまう。
ケーキの乗っていた白い紙皿はぐちゃっ、とつぶれてクリームが床に付着する。
「いやっ……」
潰れたケーキが、あの日をまた思い出させた。
ブラッディ・クリスマス。
――――――それは血にまみれた悪魔の儀式。あの赤い靴下は、幸せの破壊を祝う。
本当のブラッディ・クリスマスは都市伝説などではない。“実在”するのだ。
「もう耐えられない!! お願い真紀!! 逃げて!!」
「えっ? 何言って……」
「説明している時間はないの!! お願いだから、逃げて。そうしないとあの靴下が……」
未華子の背筋に、悪寒が走った。
そこに、いる。
あの靴下が、いる。
赤い靴下は、じっと身を潜め、贄を待っていた。
「メり―――――――――――――くリスまスススすすすっすううすっすううっすううすうすうっすううすうすすすうす」
壊れた電子音のようなノイズが、未華子の部屋に響き渡る。
ずっと “ソレ”は、未華子の後ろにいたのだ。
未華子が1年間体感した幸せを奪うために、クリスマス・イブのその日まで、ずっと。
「あ……」
ゾゾッ、と這い出た青白い腕は、未華子の背中を捉える。
そうして未華子は、潰れた。
「うぎぇ」
靴下から、もう1本の大きな腕が出現し、未華子を真横に圧縮し、押しつぶした。
そしてそのまま青白い腕は、ケタケタと笑い声のようなノイズを響かせながら、未華子の体を雑巾のように絞り上げる。
「未華、子」
真紀は、目を見開いて、友人がぐちゃぐちゃになる光景を目に焼き付けていた。