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暗雲

※この物語はフィクションです。実在の人物や団体、事件などとは関係ありません。

 

 次の日。

 昼前に訪ねてきた先輩は心なしか元気がなかった。


「具合でも悪いんですか」と尋ねる自分に「ただの寝不足だ」と先輩は答えた。

 それほど重大そうでもなかったので、この時は特に気にしなかった。


 今日も新生活に向けて買い出しをしたり、隠していたいかがわしい本を先輩に見つかったりと、何事も無い楽しい1日を過ごした。


 先輩の帰り際、部屋の前で買い物帰りらしい大家さんと出会った。


「ひっ……!」


 挨拶をしようとした時、大家さんは真っ青になって手提げ袋を取り落とした。

 ただならぬ様子に驚いた俺は、大家さんが自分ではなく先輩を見ていることに気付いた。


「あの、何か?」


 先輩も不審そうな顔をしている。

 一体何がどうしたというのだろう。


「………こっちに来なさい!」


「うわっ」


 大家さんにいきなり腕を掴まれた。

 壮年の女性とは思えない力で俺を引っ張っていく。

 先輩も状況を飲み込めないまま連行される俺の後に着いてきてくれた。

 どうやら目的地はアパートの二階のようだった。

 ずんずんと廊下の突き当たりまで進んだ大家さんは一番奧の部屋、205号室の扉を叩いた。


「ちょっと! 寺田サ―――」


「帰れ!!」


 大家さんの呼び掛けを遮るようにドスの効いた野太い男の声が部屋の中から響いた。

 一瞬ひるんだ大家さんだったが、負けじと大きな声ですぐに再度呼び掛けた。


「寺田サン! ちょっとこの子らの面倒見なさいよ!」


「だから帰れと言っている! いつもいつも面倒を押し付けやがって、迷惑だ!」


 怒鳴る大家さんに負けじと怒鳴り返す住人。

 俺と先輩は状況についていけず呆然と立ち尽くしていた。


「アナタがそう言うなら今この場で滞納した家賃耳をそろえて払ってもらうよ! 払えないなら出てってもらうからね」


「なっ―――卑怯だぞ!」


 扉の向こうから狼狽する住人の声が聞こえる。

 暫く大人しくなったと思ったら内側から扉が乱暴に開かれた。

 出てきたのは体格の良い丸坊主の男だ。

 部屋着なのか、作務衣を着込み文学生のような丸眼鏡をかけた様子は乱暴な口調に反しお寺のお坊さんのようだった。

 205号室の住人……寺田さんだったか。

 は、俺と先輩の顔を見て「うっ」と小さく唸った。


「な、なんだこいつ……」


「え? 何でしょうか」


 先輩が大人を相手にする時の優等生口調になっている。

 俺が見る限り先輩に異常は無いし、自分も特に何もないと思う。

 寺田さんは何やら悩むような仕草をした後。


「……確かに。こりゃあほうって置いたら死ぬな」


「死ぬ?」


「よしアンタ、金あるか?」


「……その質問にはどうしても答えなければいけませんか?」


 先輩が警戒している。当たり前だ。

 すると大家さんが自分に耳打ちしてきた。


「あなた、この子と友達なんでしょ。今はわからないかもしれないけど、寺田サンの言う通りにしたほうがいいわよ」


 大家さんはヤンキー漫画でしか聞いたことないような脅し文句を言ってきた。

 あるいは、脅しではなく善意の助言だろうか?

 俺が測りかねていると大家さんは廊下に立つ先輩を露骨に避けるように帰って行った。


 状況は全く飲み込めない、飲み込めないが。

 この状況が先輩にとってなんらかのピンチであるのなら俺が守らなければならないだろう。

 後輩として、男として。


「お――」


「失礼ですが、あなたは誰ですか? 私に何の用なんですか」


 俺が口を挟もうとする前に、先輩が毅然とした態度で言い返した。

 もう既に優等生モードを解除して戦闘モードになっている。

 こうなった先輩は、怖い。


「そう警戒するな。ちゃんと説明してやるから。つっても俺は説明が苦手なんだがな……」


 そう言うと坊さんみたいなマッチョな男、寺田さんは語りだした。


「俺は……そうだな、破戒僧ってのが一番近いか。昔は除霊みたいなことをしていた。で、だ。俺がアンタを助けてやるかわりに俺の滞納してる家賃を払え」


 寺田さんは本当に説明が苦手らしく、話がまったく要領を得ない。


 恐らく、これは噂に聞く霊感詐欺なのではなかろうか?

 あの人当たりの良い大家さんまでグルというのはショックだが、これも都会の洗礼なのかもしれない。


「なるほど、折角ですがお断りします」


 そんなことを考えていると先輩がキッパリと断りの言葉を告げた。


「まぁ、そうだよなぁ。普通こんな怪しい話に金出せんよなぁ。初対面だもんなぁ」


 寺田さんは面倒くさそうに坊主頭をボリボリと掻いた。


「だがよ、信じてもらうしかねぇ。俺だって生活がかかってんだ。アンタは助けるし、金ももらうぞ」


「それは恫喝ですか? 警察を呼びますよ」


 言い争う二人の間に俺は恐る恐る先輩を守るように割り込む。

 割り込むだけで口を挟む度胸は無い自分が悲しい。


「言っておくけどな、アンタそのままほうっておくと明日か明後日には死ぬぞ」


「ですから、自分の身は自分で守ります。話はそれだけですか? では失礼します」


 そう言うと先輩は足早に立ち去っていった。

 慌てて自分もそれを追おうとした。すると。


「おい、そこの坊主。その娘に何かあったらすぐ来い。準備はしておく」


 背中からそんな寺田さんの声が聞こえた。


 アパートの階段を降りると先輩が自分の部屋の前に腕組みをして立っていた。


「先輩?」


「サイダー。今夜、お前んちに泊まっていいか?」


「ふへっ」といったような間抜けな声を出してしまった。


「何してんだ、早く入れよ」


 動転する自分を置いて先輩は鍵を閉め忘れていた俺の部屋に入っていった。




 たっぷり5分ほど呆けていた後部屋に入ると、なんと先輩はシャワーを浴びているらしかった。


「うわ、うわわ」


 どうしたらいいのかわからない俺は部屋の真ん中でシャワー室に背を向けるように正座した。

 20分後、シャワー室から出てきた先輩は怪訝そうに俺を覗き込んできた。


「何してる。ここはサイダーの家だぞ、もっと寛げよ」


 ちらりと振り返ると先輩は俺の寝間着に着替えていた。

 ラフなTシャツ姿……わずかに汗ばんだ首筋がエロティックだ。


「ん? あぁ、借りてるぞ。構わないよな」


 勿論先輩に寝間着を貸すことには抵抗はありませんが違う意味では抵抗があるというか……。

 引っ越して間も無い俺の部屋に風呂上がりの先輩の香りが広がる。

 俺愛用のボディソープの香りのはずなのに思わず呼吸が浅く速くなる。


 そんな俺の様子にまったく頓着せず、先輩はベッドの脇に腰掛けた。

 俺よりも寛いだ先輩はテレビのリモコンを操作しながら「何か飯作ってくれよサイダー」と言ってきた。

 自分は「ハイ」と裏がえった声で返事をしてふらふらと台所に向かった。




 先輩と大しておいしくもない男の手料理を食べたり、テレビを見たりしているといつの間にか夜も更けてきた。


 そわそわと落ち着き無く動く俺。とにかく落ち着かなくては。

 なんでもいいから会話をしなければと口を開いた。


「そ、そう言えば先輩。今夜は拾ってきたペットに餌はやらなくて良いんですか?」


「…………構わん。朝に夜の分の餌もやってきた」


 それは先輩にしては歯切れの悪い言葉だった。

 普段の俺であればそんな先輩の異常にも気付けたかもしれないが、今の俺は「先輩は最初から今夜泊まるつもりだった……!?」などと見当外れなことを考えて興奮していた。


 矢も盾もたまらず鼻息荒く俺は腰を浮かしかけた。


「せんぱ………うん?」


 アパートの外から何か音が聞こえた気がした。

 すると先輩はリモコンを手に取りテレビの音量を上げた。


「あの、先輩? あまり音を大きくすると苦情が来てしまいます。先輩のマンションと違って壁が薄いですから」


「…………」


 先輩は無言でテレビを見ている。

 自分も諦めてテレビを見ていると、また音が聞こえた。

 テレビの音量が大きくなっているのにその音はよりはっきりと聞こえた。


「何か、聞こえませんか? 先輩」


 耳を澄ましてみる。

 その音はテレビからではなく、部屋の外から聞こえているようだった。

 空気が抜けるような、からっ風が吹き荒ぶような音だ。


 はて、外はそんなに強い風が吹いているのかとカーテンの閉まった窓に向かおうとした俺の裾を先輩が掴んだ。


「何処に行く」


「いえ、ちょっと外の様子を」


 そう言っても先輩は俺の裾を離さなかった。

 不思議に思った俺に先輩は観念した様子で語りかけてきた。


「実はな、昨日の晩も同じようなことがあったんだ」


「同じようなこと?」


「この声だ」


『音』ではなく『声』と先輩は言った。

 つまり先輩はこの音の正体を知っているのか。


「昨日の晩。動物を拾ってきたと言ったろう。これはその動物の鳴き声だ」


「え? じゃあその先輩が拾ってきたペットが先輩の部屋から逃げ出してここまで来たってことですか?」


 先輩のマンションと俺のアパートの間には結構な距離がある。

 それも鍵をかけたマンションから脱走したうえで追いかけてくるなんて、感動動物ドラマじゃないんだから。

 まさかたかだか一晩外泊しただけでご主人を迎えに来るほど忠誠心の高いペットなのか?

 しかし、ほんの数日前まで野良だった動物が人間を追いかけてくるなんて。

 それは果たして忠誠心なのだろうか? それとも……。


「違う……。さっき夜の分の餌も用意してきたといったが、あれは嘘だ」


 先輩はこちらを見ず、ずっと無表情でテレビに視線を向けている。


「『あれ』は、昨日の夜遅くに。私が遠くに()()()()()んだ」


「え……」


 捨てた、という言葉に自分は眉をひそめた。

 あの先輩が自分で飼うと決めたことをたった一晩で覆すとは考えにくかった。

 俺の知っている先輩はそんな無責任な人ではなかったはずだ。


「何か、あったんですか」


「あぁ。……端的に言うとな、『あれ』は狸じゃなかったんだ」


「狸じゃない? じゃあ一体……」


「わからんよ。『あれ』のことを考えるとひどく頭がボーッとする」


「どういうことですか?」


「だからわからないんだよ。わからな過ぎて怖くなって、遠くに捨てた。捨てたはずだ……」


 部屋の外からは相変わらず「ヒュー、ヒュー」という音が聞こえる。

 自分はこの音の正体が無性に気になった。


「ちょっと見てみましょうか」


「やめろ。いいから……今夜はもう寝よう」


 先輩は俺のベッドに潜り込んでしまった。

 声が聞こえないようにか、頭から布団を被っている。

 まさかとは思うが、あの先輩が怖がっているのだろうか。


「………」


 少し考えて俺は床で寝ることにした。

 そんな雰囲気ではないということもあるが、純粋に自分に勇気がなかったのだ。


 点けっぱなしのテレビから、面白くもないバラエティ番組の笑い声が響く。

 そんな笑い声に混じって「ヒュー、ヒュー」という声が聞こえ続けた。


 どことなく、不吉な響きだった。


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