予兆
※この物語はフィクションです。実在の人物や団体、事件などとは関係ありません。
あれから2年。
2011年3月8日。
○大に合格した俺は憧れのその人………才木先輩の住む街に引っ越してきた。
二年振りに会った先輩は別人かと見紛うほど変わっていた。
短く切りそろえられた黒髪は淡く脱色した長髪になり、耳には複数のピアス。
男性的で野暮ったいトップスに対して、タイトなダメージジーンズからは艶っぽく素肌が覗く。
生徒会用として規則正しくブレザーに身を包んだ記憶の中の先輩とはかけ離れていた。
「才木先輩……ですよね?」
「なんだ、ちゃんと覚えているのか。いきなり黙るもんだから忘れられたかと思ったぞ」
姿は一変したが、男性的な口調で笑いながら話すその様子は変わっていなかった。
外見の変化について聞くと「高校生には高校生の分、大学生には大学生の分があるのだ」とわかるようなわからないようなことを教えてくれた。
きっと生徒会長として猫を被る必要がなくなったということなんだろう。
今は一人暮らしらしいし、両親の束縛からも解き放たれてこうなったのだろう。
変わっていない先輩にほっとしながらも、憧れの先輩と二年ぶりの再会に胸が高鳴るのを抑えられない。
むしろ昔の先輩とのギャップにより一層参ってしまった。
それでも格好悪いところは見せられないと精一杯の虚勢を張る。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、先輩は二年の時間などなかったかのように自然体だ。
それから先輩は来月から通う大学のキャンパスを案内してくれたうえ、引っ越したばかりの部屋の整理を申し出てくれた。
「先輩にそんな雑務をさせるわけには」とか「先輩のマンションとは比べ物にならない安アパートですよ」などと言って断ってみたものの、先輩は生徒会長時代から一度決めたことは曲げない人だった。
仕方なく――――内心は嬉しさ半分、恥ずかしさ半分だ。
俺は先輩を引っ越したばかりの安アパートへと招いた。
「しかしまさかお前が現役合格とはな」
「どうも。先輩のお陰ですよ」
日が傾き、大まかな整理が終わったところで先輩は何気なく切り出した。
照れくさくてそっぽを向きながら答える自分に先輩は面白がって近付いてきた。
「ふ〜ん? ま、なんにせよお前は頑張った。これは先輩として何かご褒美をやらねばならんな」
「先輩?」
「なんでも好きなことをしてやるぞ」
「えっ!?」
ガバッと振り返る自分。
『なんでも』という言葉に思わず生唾を飲み込む。
そんな自分の邪な考えを知ってか知らずか先輩は不敵な笑みを浮かべて自分の返事を待っていた。
「じ、じゃあ…………」
「ん。あぁ、いかん」
いきり立つ自分を受け流すように先輩はするりと玄関に向かった。
「せ、先輩?」
「実は昨日動物を拾ってな。悪いが餌をやらねばならんので今日のところは帰る」
がっくりとうなだれる自分に先輩はそう説明した。
なんという肩透かし……あるいは全て見透かしたうえでからかわれたのだろうか?
この先輩なら大いにありえることだ。
しかしそこでふと俺は先輩の言葉が気になった。
『猫』や『犬』ではなく『動物』を拾った?
「動物って。何を拾ったんですか先輩?」
「よくわからん。多分、狸か何かだ。何でも喰うから適当に飼ってる」
先輩の住むマンションは果たしてペット可な物件だっただろうか。
先輩の性格からいってあまりそのあたり考えてはいなそうである。
「はぁ。とにかく今日はありがとうございました」
「なに。また明日来る。そんな捨て猫みたいな寂しそうな顔をするな」
ひらひらと手を振って先輩は帰って行った。
俺は栗色の挑発をなびかせながら立ち去る先輩の後ろ姿を名残惜しくも見送った。
はっきりと落胆しながらも、先輩の「また明日来る」という言葉を思い出して奮起した。
せめて明日先輩が来てくれるまでに部屋を綺麗にしようと立ち上がったところで、俺は大家さんにまだご挨拶していないことを思い出した。
俺が越してきたアパートの家賃は先輩の住むマンションの5分の1くらいだった。
すなわち、ボロい。
大家さんは101号室に住んでいるらしく、年季の入った扉を叩くと中から人の良さそうな中年女性が顔を出した。
「あの、203号室に越してきた三ツ矢ですけど」
「あら~。アナタが? 今時大家に挨拶に来るなんて偉いわねぇ!」
自分の素性を知ると大家さんは嬉しそうに笑いかけてきた。
大家さんは親しみやすくておしゃべりの好きな人のようだ。
あまり外向的ではない自分は恐縮してしまい、挨拶もそこそこに立ち去ろうとすると。
「あら? アナタ、最近どこか変な所行かなかった?」
そんなおかしな質問を投げかけられた。
「変な所?」
「ほら、心霊スポットとか。自殺の名所とか」
これまで受験勉強一筋だった自分にはまるで身に覚えのない話だ。
幽霊など見えないし、信じない自分は面白半分で聞いてみた。
「ひょっとして何か憑いちゃってます?」
「ううん。そうじゃないんだけど……なんだかアナタから変な臭いがするのよ」
臭い? 自分は思わず自分の臭いを嗅いでみた。
確かに今日は1日荷物の整理をしていたので多少汗と埃の臭いがした。
「そうじゃなくて、なんていうの? 動物臭い? そんな臭いがするわ」
ますますわからない。
「アタシもあんまりわかるほうじゃないからね。もし困ることがあるようだったら205号室の寺田サンに相談してみなさいよ」
「はぁ、これは。どうも……?」
要領を得ない話だったので返事もそこそこに俺は大家さんの部屋を後にした。
後から思えば――――この時にもっとまともに取り合っていれば、あんなことにはならなかったのかもしれない。