二日目―夜
4.二日目―夜
僕は、マンションへと入り昨日と同じように自分の部屋を目指す。13―4だったな。僕はエレベーターに乗って十三階を押して目的の階に着くのを待つ。待っている間にさっきの織田さんとの会話を思い出し、自然と笑顔になる。この姿になってから楽しいと認識して過ごしたのはあれが初めてだった。僕にも楽しいと思えていたことに嬉しさを覚える。
そんなことを考えながら目的の階で降り、自分の部屋に入る。真っ暗な部屋の電気を付けリビングまで行きソファに横たわる。うーん。確かに今日一日楽しくはあったが、やっぱり運動は疲れるなぁ。このまま寝てしまいたいくらいだ。僕はうとうとしながら考える。このまま寝てたら後から帰ってきた夜叉音さんに怒られるだろうなぁ。それにたぶん制服もしわになっちゃうだろうしなぁ。仕方ない。もう少し頑張るか。
僕はふぅと息とひとつ吐き身体を起こす。そして、寝室に向かい制服を脱いで適当な部屋着を探して着る。さて、夜叉音さんが帰ってくるまでどうしようかな。ぼくが料理を作れるなら料理を作って夜叉音さんをもてなしたい所なんだけど生憎と僕は料理の経験が無い。
まぁあったとしても今はその記憶が無い。つまり単純に料理ができないということだ。じゃあどうしよう。リビングのソファに座ってテレビをつけてみる。ニュース番組がやっていた。政治がどうとかこうとか言ってるようだ。ふむ、いまの日本の政治と言われてもなぁ。僕には特に関係の無いことだし。そう思ってチャンネルを変えていって何かやってないか探してみる。とりあえず、生き物特集みたいなのをやってた番組を見ることにした。これなら今の僕でも理解できる。テレビをボーっと見ながらやっぱり何かできることはないかなぁと考えていると一つできることを思いついた。
お風呂掃除だ。そういえば昨日は夜叉音さんがやってくれたんだ。お風呂掃除ぐらいならば僕でもできる。それにもし、掃除し終わってお風呂を入れてしまっても夜叉音さんが帰ってこなければ先に入ってしまえばいい。
というのも今日は無いとは思うのだが、昨日お風呂を覗かれたトラウマを今になって思い出したのだ。まぁ夜叉音さんもからかってただけみたいだし、同じことがもう一回あるとは思えないが、なるべくならリスクを減らすためにも僕が一人のうちにお風呂に入ってしまいたい。
そうとなれば早速行動だ。僕はお風呂場に行ってお風呂を掃除する。掃除はまぁ普通にできた。掃除はできるってことだ。うーん、僕の記憶喪失ってどんな状況なのだろう。名前や自分の顔は思い出せないのに、食事の仕方や着替え(女性の着替えの仕方は除く)等の日常生活に必要なことは覚えている。こういうのを何ていうんだったかな?確か記憶喪失にも種類があったような・・・思い出せない。後で夜叉音さんに聞いてみるか。多分彼女なら僕の今の状況も知っている可能性が高い。
お風呂にお湯を張りながらテレビを見て時間を潰す。テレビの中ではいろいろな仕草で動き回る動物たちの動画に笑いながらコメントするタレントたちの画が流れている。僕はその画面をボーっと眺めながら今日起きたことを頭の中で思い出して反芻する。
今日もいろんなことがあった。全体朝礼で夜叉音さんの超絶ぶっ飛んだ自己紹介を聞き、織田さんの友達と初めてお昼ご飯を食べて、授業が終わったと思ったら織田さんに部活に誘われそのまま入部して人生初めてのチアダンス。そして最後に織田さんと一緒に帰った。命狩人になる前の記憶が無い僕としてはどれも新鮮な体験で僕は戸惑うばかりだった。
流れる時間はとても早くてその中で僕にできたことは多いとは言えない。それでも僕は命狩人の仕事をできていたのだろうか。織田日向の観察をできていたのだろうか。このテレビに映っている人達もちゃんと仕事として演者として自分の成すべきことを成している。勿論それ以外の僕の周りにいた教師の人や生徒ですら自分のやることを理解してやっているのだろう。教師は生徒に物事を教え、生徒はその知識を学ぶ。更に交友関係を持ち、自分の見識を増やして大人になり、自分の仕事をする。
それは普通のことで、言うまでもないくらい当たり前のことなんだろうけれど、命狩人になってしまった僕としてはその常識は常識ではない。僕の仕事は知識を学び自分の仕事を見つけることではないし、そもそもやるべきことは既に決まっている。
僕はもう普通の人間ではない。命狩人だ。人を殺す人。僕にはその仕事がまだ完全に理解できていないけれどなってしまった以上。いや、なると決めたなら僕はその仕事をしっかりとしなければならない。それすらできないのなら僕は生きている意味すらなくなってしまう。僕には記憶がない。やりたいことも何になりたいのかも分からない。
そんな僕でも何かのために誰かのために何かをしたいということは何となく思う。そう思うのだけれど、僕は自分がうまくできている自信が持てない。それは僕が僕自身を知らないからなのだろうけれど、一人で考えているとどうしても不安になってくる。
僕は誰かのために何かのために使命を果たせているのだろうか?僕が存在する意味はちゃんとあるのだろうか?僕はここにいていいのだろうか?
その内、お風呂が沸いたので僕はお風呂に入ることにした。今日は夜叉音さんもいないので何も気にすることなくゆっくりお風呂に入ることができそうだ。洗面所で服を脱ぎ、シャワーで身体を洗って(結構慣れた)湯船に浸かると疲労が解けていく気がした。
そういえば夜叉音さんが言うには命狩人は食べなくても寝なくても生きていけると言っていたけれど、この体は疲労しているのだろうか。今日僕は部活をやって疲れたと感じたけど疲れたという感覚が感じただけで実際は身体機能としては疲労していないのかな?
ということは僕のこの疲れが取れていくと言う感覚も実はそう思っているだけで実際にはそんなに影響が無いことなのかもしれない。夜叉音さんは人間としての感覚を忘れないためにご飯を食べると言っていた。あながち僕のこの推論も間違っていないのかもしれない。
まぁそれでもいいか。感覚だけでも疲れが取れるというならそれも悪くは無い。それにしても何故日本人はこんなにも湯船に浸かると言うことが好きなのだろうか。このままお湯に溶けて体がトロトロになってしまいそうだ。この感覚がいいのかなぁ。リラックスできているという事なんだろうなぁ。何か考えるのもだるくなってきたなぁ。このまま眠ってしまおうかなぁ。そんな感じでウトウトしていた。
ウトウトしてたから気づかなかったのだ。ここは僕だけの家ではなかったのに。その音を聞いていれば、その気配を感じていれば避けられたのに。有り得る可能性を見落としていた。いや、思考自体鈍っていたので、考えることすらしてなかった。
さてここまでくれば気付いている人もいることだろう。皆が望むか望まぬかは別として、僕だけははっきり言える。絶対に望まなかったまさかのパートⅡである。
お風呂場の扉が開き
「沙樹ちゃ―ん。あっここにいたー。」
と夜叉音さんが元気に入ってきたのだ。
・・・僕は止まっていた思考回路を急速に巡らせて現状を把握し、そして
「きゃぁぁぁーーーーーーーーーー‼‼‼。」
と昨日のデジャブのように声を張り上げて叫ぶ。僕はまたもや女性がお風呂場を除かれる感覚を知ることとなるのだった。いやだから、そんな感覚知りたくないんだって・・・
夜叉音さんは料理を作っている。ふんふんふ~ん♪と鼻歌聞こえてくるし、機嫌はいいらしい。僕はというと部屋着に着替えてリビングのソファに座りテレビを見ている。さっきまでやっていた動物番組は終わったらしく特に見たいものもないのでニュース番組を見ていた。
何故特に見たくも無いテレビを見ているかというと一応これが僕なりの夜叉音さんへの反抗のつもりだ。向こうが口を利くまではこちらから話すつもりは無い。何で昨日の今日で二回もお風呂場を覗かれなければならないのだ。何かの罰ゲームだ?
そして当の夜叉音さんにも反省の色が全く見られないのも問題である。昨日はゴメンゴメンなんて軽く謝っていたけど今日はそれすらない。逆に注意されたくらいである。
「お風呂で寝たら溺れちゃうでしょ。あっまぁ溺れても死なないから大丈夫だけど。まぁ溺れるっていやじゃない。だから湯船でウトウトするなんて危ないでしょ。」
とのことらしい。
「いやいや、僕がウトウトしてたかどうかなんて分からないじゃないですか。」
と返したら
「だってあたしが帰ってきたのに気付かないっておかしいじゃん。我ながら結構声を張って沙樹ちゃんの名前呼んだのにおかえりの一言がないんだもん。心配しちゃうでしょ。」
だそうだ。でも、だからってお風呂を覗くことは無いじゃない。せめて開ける前に声掛けてくれれば入ってますで済んだのに・・・
はぁ。僕の裸もう何回夜叉音さんに見られたんだったかな。もう忘れた。僕の裸ってそんなに安いのかなぁ。いっそ全裸で過ごして仕返ししてやろうかとも思うが、そんなことをしたら
僕の羞恥心が持たないので所詮こんなことでしか仕返しできない臆病者の僕である。
そしてたぶんこんなことをした所で夜叉音さんに僕の気持ちが伝わるわけないことも何となくこの二日間夜叉音さんと過ごしてきたから分かる。分かっているし、僕が怒っていても何も変わらないのも分かっている。
でもそれでも僕の気持ちも汲んで欲しいものだと思ってしまう。いろいろありすぎてただでさえ疲れてしまうのに余計な心労を増やさないで欲しい。夜叉音さんの行動は僕のメンタルに重くそれこそレバーブローのように深く刺さるのだ。僕がボクサーだったら僕はもうTKO状態である。こんな状態であと二日持つのだろうか。
―あと二日。その言葉で僕の思考は急速に切り替わる。あと二日で僕のこのめまぐるしく忙しい生活は終わる?いやそんなことじゃない。確かに新鮮で楽しいところもあったし終わってしまうのが惜しいと感じることもあるがそれよりも重要なことがある。
あと二日で彼女の、織田日向の人生は終わってしまうというのだろうか。
勿論現世に来て一番初めに聞いた仕事の内容だし、昨日の夜にも聞いた話だ。織田日向はあと二日後に死んでしまうと言う話、そしてそれを最期の文字通り命の終わりまで観察することが僕の仕事だと。
でも今の僕は思ってしまう。何故織田さんが何故あんなに楽しそうに生き生きとして人生を送っている彼女が死ななければならないのか?
その意味を考えてしまう。もし世界の中で誰か一人が死ななければいけないのだとしたらそれは彼女でなくてもいいのではないか?彼女は死ぬべき人ではないのではないか?
これは僕が二日間通して彼女を見て僕だから感じた感想であり、周りの皆が皆そう思うのではないとは思う。
でも僕は思ってしまう。彼女には死んで欲しくない。彼女が死んだら彼女の周りの人も悲しむだろうし、何より僕も悲しい。何故、彼女なのだろう?誰がそう決めたのだろう?そして何故僕が彼女の最期を看取ることになるのだろう?
「い。」
「ーい。」
「おーい。」
声に気が付いて前を見ると夜叉音さんが僕の顔の前で手を振りながら呼びかけていた。夜叉音さんの方を見る。
「おっ。やっと反応してくれた。何?怒ってるの?沙樹ちゃん?今日またお風呂覗いちゃったからって無視は酷いなぁ。む。まぁ覗いたあたしも悪いか。ごめんね。じゃあこれであいこってことでいいかな?」
「えっいや。あっはい。」
突然声を掛けられた気がしてそのまま曖昧な言葉で返してしまう。そうか。思考に浸りすぎて周りが見えなくなっていたようだ。夜叉音さんは僕が怒っていて彼女の言葉を無視したと思ったようだ。(まぁそこまでは怒っていなかったのだが)それで和解が成立したと思ったらしく
「よし、じゃあ仲直りってことで一緒にご飯食べよ。もうテーブルに並べてあるからさぁ沙樹ちゃんも座った、座った。」
と僕を席へと促す。僕が促されるままに席に座るとそこには
白米。それと他に焼き魚、肉じゃが、豚汁が並んでいた。夜叉音さんの方を見ると
「今日は和にしてみましたー。」
とのこと。
「じゃあ冷めないうちに食べようか。いただきまーす。」
と彼女はご飯に手をつけ始める。おいしそうな匂い、おいしそうに食べる夜叉音さんを見ても僕に食欲は出なかった。さっきまで考えていたことがまだ頭の中でグルグルと渦を巻いている。
僕の存在理由。そして織田さんの死亡の理由、その意味。僕がそれを看取る役に選ばれた運命。その全てに僕は明確な答えが出せないでいた。
何故?何故?何故?
その言葉が僕の頭の中で木霊する。僕は確かに選んだ。命狩人になることを。
だけど、何故僕だったのだろう?何故その相手が織田さんだったのだろう?命狩人が僕でなければ、もしくは死ぬ、いや殺す相手が織田さんでなければこんなことにはなっていなかったのかもしれない。こんなに迷っていたり悩んでいたりしなかったのかもしれない。こんな運命はあんまりだ。
大団円などにはなり得ない。
普通に終わらせることすら許さない。
悲劇になることが定まっている物語だ。自分で選んだとしてもあまりにも酷すぎる。こんな物語の役者になりたいと思う者がいるのだろうか。いるのだとしたらその人こそこの物語の役者としてふさわしい人物ではないのだろうか。僕ではなく他の誰かが。そして織田さんでなく他の誰かが。
「沙樹ちゃん。」
その言葉に顔を上げる。気付いたら僕は俯いていたらしい。夜叉音さんは夕食を食べるのを止めて僕を見ていた。
「和食嫌いだった?」
「いや」
そういうわけではと言おうとした所で夜叉音さんの言葉に遮られる。
「まぁ、分かってるよ。沙樹ちゃん、今何か悩んでるんでしょー?」
図星だった。
「そりゃあ分かるよ。さっきも何か考えてるみたいだったし。」
そうか。そういえば食事前も僕は考え込んで夜叉音さんの声に気付かなかったのだった。
「言ってごらん。沙樹ちゃんが悩んでいるのだったらその悩みを解決するのはあたしの役目だ。何でも言って。」
何でもか。そう言われても僕はあまり口を開く気に慣れなかった。だって僕の今の疑問は僕の仕事に対する、役割に対する否定だ。それを口にすることは僕の存在を否定することになってしまうかもしれない。夜叉音さんも気を悪くするかもしれない。それを思うと僕の口は重くなってしまう。言葉にするのが憚られてしまう。そんな僕の様子を察したのか夜叉音さんは更に言葉を重ねる。
「何でもいいよ。特に沙樹ちゃんは人間だった時の記憶も無いんだ。不安になるのも分かる。不安の内容は何?日常生活のこと?それとも命狩人としてのこと?」
僕はまだ言葉を返せなかった。
「じゃあ、はいかいいえでいいから答えてくれないかな。」
夜叉音さんは声を優しくして更に質問する。
「日常生活で何か問題があった?女の子として生活して何か嫌な事があったの?」
「・・・いいえ。」
僕はここでやっと夜叉音さんの投げかけに応じることができた。
「じゃあ命狩人のことかな?何か疑問に思うことがあった?あたしの説明不足な部分があるなら補足するよ。どう?」
「・・・」
言えなかった。僕の無言の返答を「はい」と夜叉音さんは理解をしてくれたようで
「そう。命狩人のことでの悩みなのね。」
とつぶやくように言葉を発する。
「悩みは分かった。でも内容を教えてくれないとあたしは沙樹ちゃんの力にはなれないの。言いづらかったとしても言って欲しい。でないと何も進まないよ。沙樹ちゃんはまだ始まったばかり生まれたばかりだ。分からないことだってうまくいかないことだってきっとある。あたしだってそれはあったよ。でも、それを乗り越えて受け止めていかなきゃ先には進めない。」
そこまで言って一旦間をおき
「だから沙樹ちゃん。お願い。悩みを聞かせてくれないかな?」
もう一回僕にお願いしてきた。僕は悩んで、考えて、そして一言聞いた。
「何で、僕なんですか?」
僕が言葉を発した後に夜叉音さんは一度眼を瞑り改めて僕を見て言う。
「前にも話をしたね。あたしが沙樹ちゃんに命狩人になって欲しいと思ったからだよ。」
僕は夜叉音さんの言葉に反論する。
「でも、僕は悩んで落ち込んで仕事もうまくできてるか分からないしもっと僕以外にうまく決断できる人がいたとはずです。僕みたいに優柔不断じゃなくて物事をしっかり見極めることのできる人がいると思うんです。なのに―。」
その先の言葉は夜叉音さんによって遮られる。
「違う。沙樹ちゃんは勘違いしてる。命狩人になる人を別に物事の見極めが早い人とか悩まない人とかそういう基準であたしは判断してない。あたしはそういう人だから命狩人にふさわしいとは思わない。」
「だったら・・・だったら夜叉音さんは何で判断してるんですか。何が基準で僕が命狩人になった方がいいと思ったんですか。僕のどこが命狩人に向いてると思ったんですか?」
僕は夜叉音さんに聞いた。不安からかその口調はどこか責めるような感じになってしまった。
でも、分からなかったのだ。夜叉音さんが求める命狩人に対する理想像とは一体何なのか。夜叉音さんは静かに口を開く。
「沙樹ちゃん。あたしはね悩むことはいいことだと思う。悩んで考えてきっちり答えを出すことは大事だと思う。悩まない人なんていない。考えない人なんていない。ただそのスピードが他の人より早いか遅いかの違いだけでみんなそこは一緒だよ。あたしだって悩むし落ち込むし考える。でもね。悩んで考えた後にちゃんと自分と向き合える人が命狩人に向いている人だとあたしは思う。そう判断する。だから―。」
僕を見つめて夜叉音さんは言う。
「だから、沙樹ちゃんを選んだ。自分としっかり向き合える人だと思ったから自分の悩みや苦しみと眼を逸らさずにちゃんと考えることができると思ったから。」
僕は黙ってその言葉を聞く。
「あたしの選択は間違ってなかったって今でもあたしは言えるよ。だって沙樹ちゃんはこんなにも悩んで迷って自分と向き合ってくれてる。それが分かるもの。」
自分と向き合う。僕の今の悩みは迷いはそういうことなのだろうか。だったらそれはとても苦しいことだ。自分と向き合うのはとても苦しい。
夜叉音さんは続ける。
「きっと沙樹ちゃんは今苦しいのよね。でもそれができる人ってそう多くはいないのよ。自分から眼を逸らして何も考えずにする方が楽だもの。人は楽な道を選びたがる。誰だってそう。でも、それでもそれを選ばない人もいる。自分が苦しくたってズルをしない。自分が正しいと思うまで考えるのを止めない。ちゃんと自分と向き合って答えを出す。沙樹ちゃんはそれができる。あたしはそう思ったからあなたに命狩人になって欲しいと思った。」
夜叉音さんはそこまでを言い切って、首を少し傾げ僕を見る。
「どう?納得できるかな?今の言葉は嘘偽りないあたしの本音。もしそれで沙樹ちゃんが納得できないのならそれも仕方ない。それでもあたしは沙樹ちゃんに命狩人でいて欲しいと願うけどね。」
僕は下を向いてよく考える。夜叉音さんに言われた言葉。その意味を。自分と向き合う・・・か。確かに悩んだり落ち込んだりしている僕の今の状態は自分と向き合ってるからこそなのかもしれない。
でも、疑問がある。僕には僕が人間だった時の記憶がない。夜叉音さんは僕が自分と向き合えるから命狩人に選んだと言った。ならば、人間だった時の僕もこうやって落ち込んで悩んでその度に自分と向き合って考えるそんな人間だったのだろうか。
「夜叉音さん。」
僕は夜叉音さんを向いて疑問をぶつけた。
「僕は、今の僕は人間だった時と同じように自分と向き合えてるんでしょうか?僕は人間だったころと変わっていませんか?」
夜叉音さんは顔に笑みを湛えて僕の疑問に答える。
「変わってないよ。沙樹ちゃんは何も変わってない。記憶はなくても沙樹ちゃんはやっぱり沙樹ちゃんなんだよ。人間の頃を見てきたから、あたしには分かる。大丈夫。沙樹ちゃんはそのままでいい。あたしはそのままの沙樹ちゃんが好きなんだ。」
夜叉音さんの口から咄嗟に出た「好き」という言葉に思わず赤面してしまった。
だが、夜叉音さんが言うには僕は人間の頃から変わってないらしい。僕は人間だったときにも同じようにしていたんだ。
それが夜叉音さんの望む命狩人の条件というのなら、僕はー
「・・・分かりました。命狩人としてもう少し頑張ってみます。落ち込んで悩んでばかりの僕だけどそれでもきっと自分が納得行く答えを見つけて自分が命狩人でよかったとそう思えるように努力をしてみます。」
僕は命狩人としてもう少し頑張って見ようと決めた。夜叉音さんが選んだというそのことに恥じることがないように僕なりに精一杯努力をしてみよう。それしか僕にできることはないのだから。僕は僕にできることをやろう。
でも、まだもう一つ疑問が残っている。織田さんのことについてだ。これについても納得いく答えが出ないと僕はまだ自分が正しいことをしているという自信が持てない。ならば夜叉音さんに聞いておかなくては。
「もう一つ質問してもいいですか?」
「いいよ。この際だから全部吐き出しておきな。その方がきっと沙樹ちゃんも楽になれるはずだ。自分だけで考えても解決しないことはあるからね。きっと何かしらの助けになるはずだよ。あたしを頼ってよ。」
そう言われて僕は思い切って疑問を述べる。
「僕が命狩人であることはまだちゃんと実感というか納得はできてないんですけど、とりあえず理解はできました。だけど、まだ納得できないことがあるんです。」
僕は少し溜めて息と共に言葉を吐き出す。
「どうして―。」
言葉がうまく出ずもう一回繰り返す。
「どうして、織田さんなんですか?何故彼女が死ななければならないんですか?僕は彼女に新で欲しくないです。きっと周りの人も悲しむと思います。僕が人を殺す存在、命狩人だということはまだ納得できますが、彼女が死ぬことは僕は納得できません。何故僕が彼女を看取る。いや、彼女を殺さなくてはならないのか。それが僕には分かりません。彼女はまだこの先、未来を生きるべきだと思います。織田さんはここで死んだ方がいい人じゃないと思います。」
一気にここまで言い切った。僕としてはこっちの方が重要な疑問だった。僕のことなど、所詮は僕が落としどころを見つければきっとそれで話が解決できるのだろう。
だが、この疑問は違う。一度なってしまったらそれを行ってしまえばもう取り返しはつかなくなる。後に残るのは多分僕の後悔と反省だけだ。そう、それしか残らない織田さんの人生は彼女の未来はそこで終わってしまう。何も残らなくなってしまう。だからこそ彼女にはそうなって欲しくなかった。僕の疑問に夜叉音さんは腕を組んで
「そっかー、そうだよね。沙樹ちゃんがそう思うのも当然か。増してや一人目の相手があんな人間じゃそう感じるのも当然だよね。うーん。」
そう言って少し考え込んでいた。何だろうか?何か難しい理由があるのだろうか。それともそれについては何も言えないとか。それだと僕はこの疑問に答えを出すことができなくなる。そう考えながら夜叉音さんの言葉を待っていると夜叉音さんは腕を組むのを止めて僕の方に手のひらを見せながら言う。
「沙樹ちゃん、先に言っておくね。たぶん、今からあたしの言うことはたぶん沙樹ちゃんの望む答えじゃないかもしれない。でも、最後まで聞いて欲しい。それが事実だし沙樹ちゃんが納得できなくてもその答えを変えることはあたしにはできない。沙樹ちゃんにもできないし、たぶん誰にもできない。それを踏まえたうえで聞いてね。」
その後に僕に同意を求めるように
「それでもいい?」
と僕に聞く。僕としては例えそう言われたとしても聞くしかない。というかそれでも聞きたい。
「分かりました。お願いします。」
僕は答えを望んだ。
「おっけー。じゃあ話すとしようか。まず始めに沙樹ちゃんの言い分は何故織田日向が死ななければならないのかだね。沙樹ちゃんがそう言いたくなる気持ちも分かる。織田日向はちょっと抜けてるところもあるけど、品行方正で周りの人も明るくするそして自分のやりたいことも持っている。まぁ沙樹ちゃんから見ればいい人というか、とてつもなく眩しく見える善人って人間なんだろうね。だからこそ思ってしまうわけだ。何故こんな善人が死ななければならないのかってね。世の中にはもっと死ぬべきというか死んでもいい人間がいるんじゃないか。そう思うわけだ。」
そうだ。夜叉音さんの言うことは僕の聞いた疑問そのものである。確かに死んでもいい人間なんてのは存在しないのかもしれない。
でも織田さんと比べたらと考えると思ってしまう。そういう人間がいてもおかしくないのでは、と。夜叉音さんは話を続ける。
「でも、実際世の中はそうはならない。もし、沙樹ちゃんの考えが現実に起こるとしたら世の中には善人しか残ってないはずだ。そもそも死ぬべき人間というのがいなくなってしまう。そもそも人間の生き死にっていうのはその人の生き方にはあんまり関係がない。物事はもっと単純なんだ。死ぬべきだとか死ぬべきじゃないとかそういうことじゃなくて、その人間が死ぬって決まったから死ぬだけ。それだけなんだ。」
ここで僕は思わず口に出して反論してしまいそうになる。死ぬと決まったから死ぬだって?そんなこと誰が決めるんだ?神様が決めるとでも?気まぐれで適当な人間を決めて死なせる。そんなことがあっていいのか。それはあんまりだ。そんな気まぐれで織田さんが選ばれて死ぬなら彼女は何て酷い運命なのだろう。救われない。そんなことあっていいはずがない。
僕の表情を察したのか、夜叉音さんは、手を前に出して僕を制止するようにする。
「おっと、違うよ。沙樹ちゃん。何を考えたのは大体分かる。誰がそんなことを決められるんだ?そんなふざけたことをする奴は誰だってことでしょ。残念だけどそれに対して明確な答えをあたしはできないね。だけど、あたしなりの解答はできる。そんなことをする奴はいない。少なくてもそんなことをする奴は神じゃないさ。」
なら、決める者がいないのなら何が彼女が死ぬということを決めたのだろうか。
「そうだね。神ではないとしてだ。じゃあ何が彼女の運命を定めたのかって言う話になると思うんだけどそうなってくると難しいね。いや答えがないというわけではないんだけど、正直これで沙樹ちゃんが納得してくれるかどうかっていうと難しい。でも受け入れて貰うしかない。これは事実であり、変えることはできないのだから。織田日向。彼女が死ぬと定めたのは何か。それは―。」
それは―。僕は息を呑んでその解答を聞く。
「それは世界だ。それしか答えようがないかな。こう言っちゃうと何だけど、そもそも人間は生まれたいと望んで生まれてくるのかっていうことから始まるんだけど、それは否だ。人間はたまたま生まれて、そして自分が生まれた意味を自分で考える。そこに何故なんてものは存在しないんだ。それこそ何故自分が生まれたのかなんて考えるのは考えても答えは出ない。だってたまたま生まれただけなんだから。その逆で死ぬこともまた同じ、死ぬこと自体に意味はない。死ななければならない人間もいないし、死ななくていい人間もいない。たまたま死ぬだけ。それが誰かなんて誰にも決める権利はない。だから、強いて言うのなら世界なんだ。この世界がそういう仕組みで成り立っているというだけ。」
そんな、だったらどうすることもできないじゃないか。世界がそういう仕組みになっているのだとしたらこの世界にいる僕たちにはそれを変えることなんて出来ない・・・
「残念なことだけど、これは命狩人になったあたし達でも変えることはできない。あたし達もこの世界の一部であり、そこで生きている存在だから。今回織田日向が死ぬことになったのは誰のせいでもない。あたし達は命狩人として死ぬべき人間を世界から教えられその人間を殺す。それを選ぶことはできない。その観察の中でどれだけその人を殺したくないと感じてしまっても殺さなければならない。例え自分が殺さなくても他の命狩人がその仕事を代行するだけさ。死ぬ側の運命は変わらない。死んでしまう人間が誰かは変えられない。変えられるとすればそれを誰が命狩人として殺すか。」
それだけだよと夜叉音さんは言った。
―っ。何も言葉に出来なかった。世界を相手になんて出来るわけがない。そもそも相手になるはずがないのだ。だって相手はそれこそ僕や夜叉音さん更には織田さんのいるこの場所この空間そのものだ。そして人間の生き死には世界の理だと彼女は言った。そんな彼女の言葉に対して僕はもう何一つ反論できる材料を持っていなかった。僕はどうすればいいのだろう?
いや、どうにもできないのは分かっている。僕が命狩人で織田さんが死ぬ人間。それを世界が決めたのだとすれば僕らが出来ることなど多くない。一つしかない。僕が彼女を殺す。変更なんてできない。まるで結末の決まっている物語のようだ。僕や織田さんはさしずめその中に出てくる登場人物といったところだろう。終わりは既に固定されている。どうしようもない世界という因果で。だったら、役者の僕たちに果たして何が出来るのだろう。
もう終わりは決まっているのに。変えることはできないのに。それでも、何か―。
夜叉音さんの言葉の後、僕はずっと考え込んでしまい無言になっていた。そんな僕を見て夜叉音さんは言葉を掛ける。
「残酷な事実だと思う。沙樹ちゃんが受け止めきれないのも無理はない。でも、これが現実なの。お願いだから眼を背けないで。それに。」
それに?夜叉音さんは続ける。
「沙樹ちゃんは織田日向をすばらしい人間だと思ったんでしょ。だったら沙樹ちゃんが命狩人として彼女を最期まで看取った方がいいと思う。他の命狩人じゃなくてね。」
彼女は声を少し大きくして少し前のめりになる。
「だって、沙樹ちゃんはこんなにも自分の殺す相手と向き合ってる。その最期を他の命狩人の誰かに任せてもいいの?せめてその最期くらい自分で見届けてあげたいと思わないの?」
夜叉音さんの言葉が僕の心に刺さる。確かに僕は役者だ。
でも、役者であることすら止めてしまったら?確かに僕がいなくなれば登場人物として誰かが代役として出てくるのだろう。そして、物語は滞りなく終わりを迎える。だけど、僕はその終わりを見ることが出来なくなる。
・・・それでいいのだろうか。自分の役目から目を背けて。他人任せにする。
駄目だと思う。違うか。駄目じゃないんだ。僕はそれが嫌だと思うんだ。この二日間彼女を見てきて、それで彼女の死が決まっていたとして、僕が彼女の最期のときにいないのは嫌なんだ。彼女が死んでしまうことは決まっている。どうしようもなく、だ。だったらせめて最期の時まで彼女を見続けたい。彼女と共に生きて最期を看取りたい。それが僕に出来る唯一のことだというなら僕はその権利を他の誰かに渡したくない。渡しちゃいけない。
「夜叉音さん。」
僕は静かに口を開く。彼女は僕を見る。僕の言葉を待っている。
「僕、命狩人として織田さんと最期までいます。そして彼女の死を看取って、僕が命狩人として彼女を殺します。」
僕の言葉を聞いて夜叉音さんは
「大丈夫?納得できるの?後悔しない?」
と聞いてくる。分かってる。でも
「ちゃんと納得できてないし、後悔はするかもしれません。今の僕の決断を後の僕が非難することになるかもしれません。でも、それでも、今の僕はそれ以上に織田さんと一緒にいたい。彼女の最期を知りたい。それを他の誰かに任せるなんてできない。」
そうだ。僕は今の感情を彼女との時間をなかったことにはしたくない。彼女が死んでしまうのならその最期のときにいるのは他の誰かでなく自分でありたい。
自分で悩んで考えて分からなくて、夜叉音さんに聞いて、真実を知らされてまた悩んで考えた。まだ僕の出したこの答えがこの物語のベストエンドなのかは僕には分からない。
だけど、僕は自分にできることはやっておきたい。
やれない後悔ならやれる後悔を選びたい。
だから、僕は選ぶ。僕は織田さんの命を刈る命狩人になる。他の誰にもこの権利は奪わせない。彼女をどんどん知っていくことで彼女と仲良くなることで今の心の葛藤や苦しみも付いてくるというのならそれも含めて僕が全部背負い込む。
「わかった。沙樹ちゃんがそう選ぶのならあたしは止めない。あたしはそうあって欲しいと思ってたから。でも、沙樹ちゃん気負いすぎてはいけないよ。あたし達は悪いことをしているわけじゃない。仕事をしているんだ。だから必要以上に自分を傷つけたり貶めたりしないこと。これは命狩人の先輩としての助言だ。」
夜叉音さんはそう言って手を伸ばし僕の頭を撫でる。それは僕が初めて自分の顔を見て戸惑ってた時のように優しい感触だった。
「さて、まずはやれることをやっていこうか。とりあえず、あたしとしては目の前の料理を沙樹ちゃんに食べてもらえたら嬉しいんだけど、どうかな?」
夜叉音さん言う。にっこり微笑みながら。
「そうですね。それは妙案だと僕も思います。」
僕は言っていなかった頂ますの言葉を呟き、ご飯を食べる。美味しい。夜叉音さんも僕の様子を見て再び自分の箸を動かす。
夜叉音さんが僕の先輩で本当に良かったと思う。それでなければ僕はここで挫けていたかもしれない。夜叉音さんはやはりとても優しい人だ。そう、とても。
ご飯を食べて食器を片付けた後、僕はリビングでくつろぎ夜叉音さんはベランダで煙草を吸っていた。リビングにいる僕に外にいる夜叉音さんは声を掛けてきた。
「沙樹ちゃん?起きてる?」
「起きてますよ。何ですか?」
僕が夜叉音さんの方を見ると夜叉音さんは僕を見ていた。
「沙樹ちゃんが覚悟を決めてくれたから言うんだけど、一つネタバレをしておこうかと思ってさ。」
ネタバレ?何のことだろう?
「何のことです?」
まさかここにきて驚愕の新展開とかそういうのあるんだろうか。僕は驚きの連続で今更何を言われても驚く気はあまりないのだけれど。ネタバレと言われると気になる。一体なんだ?
「まぁそんなに大したことじゃないんだけどさ。今となってはね。」
「?」
「沙樹ちゃん。あたしがチアダンス部のコーチになったの?何でだと思う?」
何で?
そういえば何故だろう。来た時は僕がチアダンス部に入るって言うのを聞いて面白半分で部活を覗きに来たのかと思ったが、それは単純すぎるか。じゃあ、違う理由。
例えばチアダンス部なんて多分入ったことないであろう僕に対するフォローってことだろうか?それならば筋も通る。
「僕のフォローをするために来てくれたってことですか?」
夜叉音さんは煙草を一吸いしてから答える。
「うーん。当たらずとも遠からずってとこかな。五十五点。」
五十五点か。夜叉音さんは点数をつけるのが好きなのかな。点数つけられたのはこれで何回目だろう。夜叉音さんは僕の疑問には気がつく様でもなく話を続ける。
「この場合、一番最低の解答は沙樹ちゃんをからかうために部活に入ってきた。とか言うパターンね。そんな解答だったら三十点以下だ。赤点だね。」
夜叉音さんは鼻で笑いながら言う。よかった。実はその解答が一番初めに出ていたのだが、発言を抑えて正解だ。まぁ普通に考えればそんなことまでして遊んでいる余裕があるのが命狩人の仕事だとは思わない。でも、僕のフォローをするって言う解答も満点じゃなかった。ということはもっと別の仕事があったのか。
「沙樹ちゃんの気付いてないこととしてまず一つ目。沙樹ちゃんは今日織田日向に誘われなかったとしてもチアダンス部に入ってました。」
「何故ですか?」
思わず聞き返す。
「だってあたしが入部させるから。それじゃないと沙樹ちゃんが織田日向の観察をしっかりできないじゃない。」
そう言われれば確かに。織田さんにあんなコミュニケーションがあったことも知らなかったし織田さんの思いも知ることはできなかった。
「あたしは初日の日からチアダンス部に入れるように顧問の先生とは連絡を取ってたのよ。仕事で遅くなるって言ってたじゃない?あれはチアダンス部のコーチになるためにいろいろとやり取りしてたのよ。顧問の先生や他の先生とね。だから、その時点であたしと沙樹ちゃんをチアダンス部に入れさせることをあたしは既に決めていたってわけ。」
なるほど。そういうことだったのか。そこまでは僕も頭が回ってなかった。
「ふむ、じゃあそこまでのことをふまえて僕がうまく仕事が出来るように根回ししてたっていうのが満点の解答ですか?」
僕は足りない四十五点分の点数がそこに含まれていると思ったのだが、夜叉音さんは首を横に振った。
「残念。その答えもハズレだ。そもそもフォローするって解答自体が少しずれてる。さっき話したこと覚えてるかな?命狩人が人を殺すのを拒否した場合は?」
そういえば言っていたな。
「他の命狩人がその業務を代行する。」
その言葉を思い出して僕は答えを口にする。
「そう。その上で沙樹ちゃんは今の沙樹ちゃんはまだ命狩人の候補生だ。ということは業務を遂行できない可能性が他の命狩人よりも?」
夜叉音さんは僕に授業をするかのようにその仕組みを説明しながら質問をする。僕は質問に答えるために少し考える。たしかに、現役で仕事をしている人達とまだ一つも仕事をしてない僕のような人では仕事の達成率も変わる。それは勿論悪い方に、だ。
「・・・低いと思います。」
僕は解答した。
「正解だ。ということは保険をかけておく必要があるということさ。初めに言ったことなんだけどあたしが試験官で沙樹ちゃんと共にきたのは、業務内容を教えたり対象になる人間に対するアプローチへのフォローというのもあるんだけど、実はその裏にもう一つの理由がある。沙樹ちゃんが命狩人であることを辞めたときのための対処だ。その時に代わりになる命狩人がすぐ近くにいないと業務も滞るってことだよ。その為の保険。そのためのあたしってことさ。」
なるほどと思った。
でも、それを僕に言ってしまっていいのだろうか?それはあくまで裏の理由であってそれを僕に知らせるということは僕が容易に仕事を辞めやすくなる要因へも繋がるのでは?
仕事に対する責任感が薄れる気がする。自分がやらなくても誰かがやってくれると分かってしまえばやりたくない人は本当にやめてしまうだろう。僕がその旨を夜叉音さんに問うと
「たしかに、そうだね。本当はこのことは仕事をやり終えるまで伏せておくのがベストなんだろうけどさ。沙樹ちゃんはここまでちゃんと考えて答えを出してくれたし、今更このことを聞いても答えを変えたりはしないと思ったから。あとは、なんていうかご褒美的な?沙樹ちゃんがここまで早くこの仕事の根幹に気付いてくれたから、あたしからも何かしてあげられないかなぁって思ったわけ。それでこのネタバラシ。まぁあたしもあんまり隠し事は好きじゃないし、悪意がないとはいえそれを沙樹ちゃんに隠したままでいるのがちょっと嫌だったっていうのもあるんだけどね。」
そこまで言って夜叉音さんは頭を掻きながら苦笑いを浮かべる。
「ごめん。ちょっとあたしもうまく言葉をまとめられなかったね。まぁ単純に考えてくれていいよ。優秀な生徒に対して先生がご褒美をあげましたって程度の認識で構わない。ただ、それだけ。」
そういい終わって煙草も吸い終わり夜叉音さんは部屋の中に入ってくる。
「さっもう今日もそろそろ終わりだ。最後の仕事をしよう。」
「分かりました。」
そう僕らは会話して寝室へ向かう。今日の最後の仕事だ。
僕は昨日と同じように机に向かう。命狩人の一日の最後の仕事、観察日誌への記録だ。僕は昨日と同じように自分の中にある日誌を呼び出す。日誌が僕の目の前にあるイメージをする。
すると昨日と同じように日誌が出てくる色も水色、昨日と変わらない。表紙を捲ると、昨日書いた文章が残っていた。僕はその先の文章を書くためにペンのイメージをする。これも日誌と同じように昨日と同じ物が出てくる。そのペンで文章を追記する。
・織田日向には小さい頃からの幼馴染で中の良い友人の影沼幸奈がいる。
・チアリーディング部への入部は高校一年生から。
・チアリーディング部にも仲の良い友人が二人おり、名前は朝日千紘と小暮夏美。
今回、事実として書くのはその三文だ。続いて僕の思ったこと彼女の印象について綴る。
・織田日向は自分のしたいことを実行できる人間である。
・周りの人達を明るくできてその上で自分が楽しめる人間。
・彼女は自分が楽しいが故に周りの人達にも楽しくあって欲しいと願う。周りの人の幸福も願うことの出来る純粋な心の持ち主。
僕はそこまで書いてペンを置き、日誌を閉じてしまうイメージをする。すると、目の前にあった日誌とペンは何もなかったかのように僕の目の前から姿を消す。
「終わりました。」
僕はベッドに腰掛けていた夜叉音さんに仕事の終了を告げる。彼女は
「そっか。じゃあ寝よっか。」
と僕に軽く提案した。
「そうですね。」
僕は同意して自分のベッドに入り横になる。
「じゃあ、電気消すねー。」
夜叉音さんが部屋の電気を消して部屋は真っ暗になり後は寝るだけとなる。
「沙樹ちゃん。」
「何ですか?」
夜叉音さんの声に僕は視線を向けずに答える。
「命狩人の仕事も残り二日だ。明日は三日目。今日もいろいろあって疲れたと思うけど、あと二日頑張ればこの仕事は終わる。」
「・・・頑張ります。」
「あと、困ったらいつでもあたしに頼っていいから相談してね。」
「はい。」
「じゃあ、しっかり休息をとること。おやすみ。」
「おやすみなさい。」
僕は眼を閉じる。あと二日か。もう折り返しだ。終わりは近づいている。ちょっと大変だができるだけ悔いは残さないようにしよう。僕に出来ることを精一杯やろう。
そんなことを考えながら僕は眠りにつく。僕の命狩人としての二日目が終わる。