一日目―夕
申し訳ありません。
遅くなりました。
2.一日目―夕
そんなこんなで時間は過ぎ去り放課後になった。さてこの後はどうしたもんかと考えていたが、観察目標である織田さんは、
「よ―し、終わった、終わった。沙樹ちゃん。私は部活があるからもう行っちゃうね。そうだ、明日よければ沙樹ちゃんを私の部活に案内してあげるね。じゃあまた明日ねー。」
と言ってさっさと教室を出て行ってしまった。僕は後を追うか少し迷ったのだが、帰宅部の女子たちが一緒に帰ろうと誘って来たのでとりあえず帰ることにした。
帰り道、いろんな話(内容的にはあそこのクレープ屋はすごくおいしいとか、この前のアイドル歌手の新曲はどうだったとかそういった他愛の無い話だ)で盛り上がっている女子たちの中で僕は織田さんについて少し聞いて見ることにした。
「日向さんってどんな人なんですか?」
僕がそう聞くと、意見はそれぞれあったが、内容としてどれも好印象のものだった。
「いい子だよ。人当たりもいいし。」
「何ていうか元気一杯突っ走るタイプっていう感じかな。」
「落ち込んだところとかあんまりみたことないしね―。」
「部活もすごい頑張ってるらしいし、何か青春してるみたいな。」
「それだとうち等が青春してないみたいじゃない。」
等とみんな笑って話していた。この様子だとやはり織田さんの人柄は僕の印象とそう変わりないものらしい。すると、一人の女子が僕に声を掛けてきた。
「北条さん。もしかして日向ちゃんのこと気になるの?まさかそっち系とか?」
少し考えて、気づいた。百合ってことか!そんな誤解をされては困る。
「いやいやいやいや。そういうことではなくて単に一番近くにいて話しかけてきたから気になったというか何というか。」
「あはっ。冗談冗談。北条さんは何ていうかかわいい系の女の子だよねー。構いたくなっちゃ
うタイプっていうか。」
僕は顔が熱くなっていた。こんなに女子と急接近して話しているだけでも慣れてないのに、ちょくちょく構われたんじゃ僕の気が持たない。何かこう女の子の良い匂いとかもただよってくるし、いくら僕の身体が女とはいえ今いる僕の状況はなんとうかハーレムってやつなんじゃないか。と、とりあえず落ち着こう。えっと僕は女の子だ。アイ アム ガール。僕は何もやましいことは考えていません。煩悩退散。煩悩退散。僕が自分の煩悩と戦っているうちに一人の女の子が分かれ道で止まり
「じゃあ、あたしはこっちだからまた明日ね―。」
と言って去っていった。他の人と同じく僕もさようならと挨拶をしていると、他の女子から僕に質問が来た。
「そういえば、北条さんの家ってどこなの?この近く?」
―しまった。僕は自分の家のことなど全然頭に入ってなかったのだ。確かに夜叉音さんはこの世界で認識されるようになったとは言っていたがこの世界における僕の家はどうなっているの
だろう。ちゃんとその辺も確保されているのか?学校から帰る前に聞いておくべきだった。
「あ―。えーっとですね・・・」
と言葉を濁しつつ、頭の中で即座に夜叉音さんに呼びかける。
―夜叉音さん!夜叉音さん!夜叉音さん!―
夜叉音さんは僕の状況など知ったことではないらしい。
―な―に?沙樹ちゃん。そんなに呼ばなくても夜叉音さんはここにいますよーってあたしがどこにいるかは分かんないか。そりゃ失敬。あはは。じゃあ、あたしのどこにいるか当てっこでもする?―
―夜叉音さん。そんな冗談言ってる場合じゃないんです!早急に教えて欲しいんです。僕がここに住んでいるって嘘がバレそうなんですよ。―
―ここに住んでるのは嘘じゃないわよ。だってそういう風にこの世界に認識されてるわけだし。え―っと住所はね―。あっそもそも沙樹ちゃんはここがどこかも知らないのか。じゃあいいや。一緒に帰ろう。あたしは分かるからさ。―
―えっいやでも僕今帰り道の途中で家の場所を聞かれてまして・・・―
―じゃあ、忘れ物したってことで学校に戻ってきなよ。あたしまだ手続きとかで仕事しててまだ学校にいるからさ。―
―分かりました。急いで戻ります。―
と素早く(と言ってもこの間二十秒)脳内会話を終わらせ、実世界会話に話を戻す。
「あっ忘れ物しちゃったみたいです。すいません。一旦学校に戻りますね。先に帰っちゃってください。」
相手があっそうなの?みたいな反応をした瞬間、頭を下げて急いで学校へと帰る。我ながら見事な大根役者だったが、大丈夫だろうか。変な子に見られてなければいいが。バタバタと走って戻り校門から校舎を確認する。夜叉音さんの姿はない。とりあえず、夜叉音さんに声を送る。
―夜叉音さん。戻ってきました。―
―おう。おかえり―。沙樹ちゃん。でもあたしまだ仕事終わってないのよ。―
―そうですか。では僕は教室ででも時間を潰していればいいですか?―
まぁ夜叉音さんは教師になっているんだし、それなりに仕事があるのだろう。僕はその間はとりあえず普通を装って時間を潰すことにしようと思っていたのだが、
―沙樹ちゃん。どうせ時間を潰すなら仕事続けてくれない?―
仕事?あれっそういえば僕の仕事って。
―織田日向の観察。忘れてないわよね?―
そうだった。観察。僕の大事な仕事だ。織田さんは部活に行くと言っていた。まだ校舎に残っているのだろう。
でも、肝心な部活の内容までは聞いてなかった。織田さんは何部なのだろう?夜叉音さんは何か知っているだろうか。
―織田さんは部活中らしいです。夜叉音さん何の部活かとか知ってます?―
―知ってるよ。ってか沙樹ちゃんも部活のことくらい聞いておいて欲しかったところだけど。そういうとこ重要だよ。―
注意されてしまった。確かに何の部活に入ってるかは聞くべきだった。明日案内すると言ってすぐに部活に行ってしまったのでそうしようと軽い感じで考えていた。
しかし、もしかしたら部活でいじめにあっているそういう場合だって考えられるのだ。織田さんの死の原因は部活にあるのかもしれない。だったら尚更その内容を聞き出すべきだった。
―すいません。僕の気が回ってなくて。―
―別にいいよ。まぁ初日だし、そういう小さいミスも出てもしょうがないね。それで、福本日向の部活だったね。とりあえず、校門から校舎に向かって右にある第二体育館に行ってみるといい。そこで織田日向は部活をしている。―
―そうですか。ちなみに何部なんですか?―
―それは。まぁ行ってみれば分かるよ。とりあえず沙樹ちゃんはそこに行って織田日向の観察の仕事を続けようね。―
そう言われたのでは移動を開始する。第二体育館か。ということは何か運動系の部活をやっているのだろう。運動部ってことは結構きつい環境なのかもしれない。先輩や顧問の先生に酷くしごかれて精神的に疲弊とかそういうこともあるか。ならばそれを確かめなければ。僕は急いで第二体育館へと向かう。体育館のドアを開けて僕が目にしたのは―。
「ワン、ツー、スリー、フォー・・・。」
「はーい。ここで決めポーズ。」
「もう一回行くよー。ファイブ、シックス、セブン、はい。」
ポップなテーマ曲で音を染められたその空間で少女達は踊っていた。少女達が手にしているアレは。そうポンポンだったか。第二体育館。その場所で行われていたのは華麗な衣装をまとい
大胆かつ規則的に踊る、いやダンスをすると言った方がしっくりくる少女達がやっている。
それはチアダンスだった。間近で見たのはもちろん初めてだったので、びっくりしたし何よりその活気さにも驚いた。みんな笑顔で一糸乱れぬ動きをするそれには感動さえ覚える。僕がその迫力に気圧されてボーっ体育館のドアの前で眺めているとこちらに声を掛ける人影があった。
「あっ沙樹ちゃんだー。おーい。」
とこちらに向かってくる。それは、正に僕の目的の人だった。織田さんだ。彼女は僕の目の前まで来ると
「私達の部活、気になって見に来てくれたの?嬉しいなー。何ならもうちょっと見学していきなよー。すっごい楽しい部活だし、沙樹ちゃんかわいいから衣装もきっと似合うと思うよ。」
とこっちの話も聞かずに勝手に話を進める。
「先生―。この子見学させてもいいですよねー?」
と先生思わしき人へ駆けていく。全く僕の意見を聞いていない。まぁ目的は大体合ってるので何も言わないが・・・
すると先生からの許可が下りたらしく、織田さんは僕に向かって元気に叫ぶ。
「沙樹ちゃーん。見学オッケーだってー。その辺に座って見ててねー。」
そんなに大々的に見学することを宣言されても困るのだが、なんか他の人の視線も僕に集まってるし。まぁ、見学できるし仕方ないか。僕は適当に近くの壁際に座ってその様子を見学する。様子を伺うと僕の思っていた辛い環境とは違うようだった。
確かに、彼女達は一生懸命に練習している。だが、そこには笑顔があり、活気があり、自分達が楽しんでいるという空間、それが目に見えるほどに感じられた。彼女達はきっとこの部活に入ったことを後悔していないのだろう。青春をしている。今、彼女達はチアダンスに自分の青春を向けているのだ。
しばらく見学していると夜叉音さんから連絡が来た。
―沙樹ちゃ―ん。仕事終わったから一緒に帰ろっか。校門前で待っててくれる?―
―分かりました。今向かいます。
と声を返し、顧問の先生に帰ることを告げる。その様子を見た織田さんはこちらに駆けてきて僕に声を掛ける。
「どう?沙樹ちゃん。私達の部活。やってみる気になった?」
確かに楽しそうな部活ではある。僕が女として生まれ、これを見ていたならやってみたいとも思っていたかもしれない。
いや、違うか。そういうことではない。僕は今命狩人として観察を行っているのだ。その為にこの部活に入ることは必要なことであるかどうかだ。今のところ問題はなさそうだが、この先、何かあってもおかしくは無い。
だが、僕にチアダンスなんてできるのか。そんなの一生のうちでやったことなんて一回も無い。まぁやっていたという可能性も無くは無いが生憎と僕の記憶はない。さてどうするべきか?
少し考えて、言葉を返す。
「家に帰ってからもう一回考えてみます。」
無難な返事だと思う。どう?入っちゃう?入っちゃう?的な感じで見ていた彼女には少し気の毒だがここでの即答は避けた方がいいと僕は感じた。それでも彼女は、
「いいよー。私はいつでも沙樹ちゃんのこと大歓迎だから。むしろ沙樹ちゃんじゃないとダメくらい。なんてね。あっでも沙樹ちゃんに似合いそうってのはホントだよ。きっと沙樹ちゃんならいいチアダンサーになれるよ。」
と笑顔を見せてくれた。
「ありがとうございます。それじゃあ失礼します。織田さんのダンスしてる姿すごく元気で僕は好きですよ。」
見ていてそう思った。その感想は嘘偽り無いものである。彼女は本当に元気でそして楽しそうにダンスをしていた。その感想を伝えて帰ろうとした。その時
「ありがとうー。沙樹ちゃん。私嬉しいー。」
抱きしめられた。
いやいやいや。いきなり抱きつかれて驚くどころか全身が固まってしまった。油断してた。そうだ。僕は今、女の子なのだ。だからって喜びの表現でほぼ初対面の人に抱きつくか普通。どれだけ、無邪気で無防備なんだ。いやその胸とかいろいろな所が当たってるんですが。女の子特有のやわらかい感触が僕を包む。どうすればいいんだ。これは。
いやってかどうしようもないか。不可抗力。不可抗力だ。
ボクハオンナノコナニモワルイコトシテナイ。ヤマシイコトナンテヒトツモナイ。
はっ!言葉が片言になってしまっている。落ち着け。落ち着くんだ。僕。思い出すんだ。あの魔法の言葉を。アイ アム ガール。僕がそんな心の格闘をしているとは知らずに織田さんは僕を元気一杯に抱きしめた後、その身を離し、僕にまた笑顔を見せ
「それじゃあ沙樹ちゃん。また明日。学校でね。」
そう言って立ち去っていく。そんな彼女を僕はただ見つめるしかなかった。
いや、正確には力が抜けてしまって立っているのがやっとだったと言う表現のほうが正しい。
僕が生前どんな人間だったのかは分からないが、僕はきっと。今のよう状況になったら僕はきっと恋に落ちていただろう。それくらいの衝撃だった。
それだけ僕には彼女が、この織田日向という女性が魅力的だと思えてしまったのである。
校門に向かうと、夜叉音さんが立っていた。僕が急いでそちらに向かって駆けていくと夜叉音さんは僕に声を掛ける。
「よー。沙樹ちゃん。どうだった?部活の見学は。連絡した後からちょっと時間経ってるけど何かあったの?」
まさか、抱きしめられて放心してて動けませんでした。なんて言えるわけも無く、
「いや、特には。ちょっと見学を止めるって言うタイミングを逃してしまって。」
と嘘を言った。
「何だよー。沙樹ちゃん人見知り?命狩人としてやっていくならもっと人と楽に接しないと大変だぞぅ。」
夜叉音さんは僕をからかうように言う。そう言われても、あれは無理だろう。あのハグは。あれは反則だ。あんなことされては人見知りも何も無い。だがそんなことは言えない。
「すいません。気をつけます。」
「よろしい。夜叉音さんは寛大だから二度、三度と言わずに何回でも許しちゃうよ。まぁその人に治す気があるのならだけど、ね。」
と流し目で僕を見る。治す。というか慣れるのかあれは。まぁまだ後三日あるのだ。またそんなことが起きないとも限らない。注意はしておこう。
「まっ、お説教はこの辺にして。帰ろうか。あたし達の家に。」
「はい。」
こうして僕と夜叉音さんは学校を後にした。命狩人の仕事―命を刈る人間の観察。その一日目が終わる。観察。それがどんな意味を持つのか、僕はまだ知らない。
でも、きっとこれは意味のあることなんだろう。四日後に死んでしまう彼女にとって。
そして四日後に彼女を殺す僕にとって。
3.一日目―夜
僕と夜叉音さんはしばらく歩き、その目的地に到着する。学校からそう遠くない場所。高層マンションがあった。夜叉音さんはそこで足を止める。
「ここがあたしと沙樹ちゃんがこれから四日間住む家だ。今回はなかなかいい所だよ。運が悪いと狭っちいアパートとか最悪野宿になることもあるくらいだから。」
そんなこともあるのか。これから先、命狩人として仕事するなら野宿だけは避けたいものだ。四日間も外で寝泊りするなんて冬だったら凍えて死んでしまう。
あっ、でもどうなんだろう。昼間に夜叉音さんがトラックに撥ねられた時でも怪我は無かった。そもそも命狩人には死なない。だとしても夜叉音さんはあの時に痛がってたし、寒さは感じるのかもしれない。死なないというだけでそれはそれで地獄だろう。
「さっ行くよさ。沙樹ちゃん。」
僕がそんなことを考えているうちにそう言って夜叉音さんはさっさと中へ入っていってしまう。追いかけないとこのままでは今日これからが野宿になってしまう。僕は急いで夜叉音さんの後に続く。
「えーっと。13―4だから十三階か。エレベーターで行こう。」
夜叉音さんと僕はエレベーターに乗る。二人でエレベーターに揺られる中で
「僕と夜叉音さんの部屋って近いんですか?」
そう質問する。僕の命狩人としてのサポーター、そして試験官の役割もかねて夜叉音さんは来ているわけだし。隣同士だったりするのだろうか。僕の観察の成果もこの後で僕の部屋に来ていろいろ聞かれるのかもしれない。少しの時間とはいえ、女性と二人っきりの部屋で過ごすと考えると少し緊張してしまうな。
だが、夜叉音さんの解答は僕のその考えを遥かにに上回る解答だった。
「えっ?一緒の部屋だけど。」
「なっ―」
なんてこった!?そのあまりにありえなさ過ぎる展開に驚きすぎて言葉を発することが出来なかった。僕が夜叉音さんと?二人で同じ部屋で共に過ごす?四日間も?
いやいやいやいや。なしだろ。それは。仮に僕の身体が今、女だとしてってハードル高すぎないか。命狩人の試験やる人って皆こんな環境で過ごしてるのか?
ああ、そうか。初めに校長先生に挨拶した時に僕らは従姉妹って言ってた。しかも夜叉音さんは僕の保護者だったか。だとすると現状は何もおかしくないことなんだよなぁ。だったらここは普通に。あえて普通に流すところなのかもしれない。
いやっ、でもそれでいいのか?北条沙樹。お前はこの状況で身を任せて女性と過ごして後になってすごく後ろめたい気持ちになるんじゃないのか?疑問を呈した方がいいのかもしれない。これでいいのか?僕は頭の中で思考をぐるぐると巡らせていた。
「何?沙樹ちゃん?もしかして緊張してるのー?」
気付くと夜叉音さんがニヤニヤしながら僕の顔を見ていた。僕はしどろもどろになる。
「いやぁあのぉそのですね。やっぱり教師と生徒が同じ部屋というのはですね・・・」
僕はボソボソと言い訳のようなことをする。
「いや―別にそれはこの世界の認識だしー。そこはおかしくないけどねー。」
夜叉音さんはまだニヤニヤしている。
「あたしはてっきり沙樹ちゃんが男女が同じ部屋で過ごすことに対して緊張してた様に感じたんだけど。へー。そこは問題ないと思ったんだー。」
ばれてるし。ていうかその上で弄ばれてる。うぅ、そんなに僕の思考は読みやすいのか・・・
夜叉音さんはニヤニヤした顔から普通の笑顔に戻した。
「大丈夫だよ。沙樹ちゃん。沙樹ちゃんが変なこと考えてもその時はあたしが吹っ飛ばしてあげるから。」
吹っ飛ばす。何それ?物理的に。怖っ。
「それに今は沙樹ちゃんの身体だって女の子なんだし、世間的に見てもおかしくは無いでしょ。」
「まぁ確かに見た目的には女同士なんですけど。」
「そーそー。まぁ深く考えても意味ないって。気楽にいこーよ。気楽にさっ。」
う―ん。そうなのか。僕の考えすぎなのか。もう考えすぎてわけが分からなくなってきた。夜叉音さんが楽観的すぎるのか僕が疑心暗鬼になっているのか。えぇい、もうどうにでもなれだ。ままよ!
そんなことを考えてるうちにエレベーターが目的の階に到達したようだ。ピンっと機械音がなり自動的に扉が開く。夜叉音さんはエレベーターを降りて僕を誘う。
「さっ行くよ。我らが拠点へ。まっ四日間だけの仮宿だけどね。」
僕は誘われるままにエレベーターを降りて夜叉音さんの後に続く。
ここから四日間、僕と夜叉音さんの教師と生徒(もとい従姉妹)又は命狩人試験官と命狩人候補生という奇妙な関係の共同生活が始まるのだった。僕と夜叉音さんは部屋に入る。ここが、僕らの家。四日間の間だけど、それでもここが僕らの休息の場であることには変わりない。
「やっぱハイヒールはきついや、さっさと脱いじゃおっと。」
と言って夜叉音さんはハイヒールを脱いでズカズカと部屋の中に入っていく。僕も靴を脱ぎその後から部屋に入っていく。リビングに出るとなかなか広い部屋であることがわかった。十畳以上はある。テレビやソファ、冷蔵庫等も完備されている。夜叉音さんは部屋の中央で
「いやー広い広い、やっぱり身体を休めるならこういう空間じゃないと。」
と背伸びしていた。かと思うと今度は窓のほうへ行き
「おー。なかなか良い景色じゃない。沙樹ちゃんも見る?下の街がミニチュアみたいに見えるよ。」
と僕を促す。
でも、それよりも僕は気になることがあった。ここで四日間を過ごす。その中でも特に重要
な場所。それは―。
僕は部屋の位置を見て確認する。間取り的にここは2LDKのマンションのようだ。だったら二部屋のうちどちらかに僕の確認したい部屋がある。まず一つ目を確認する。そこは居間だった。はずれか。ということはもうひとつが僕の目的の場所だ。僕はゆっくりとドアを開け中の様子を確認する。そして、安堵した。僕の確認したかったそれとは寝室のことだ。特に気になるのは寝具、正確にはベッドの数だが。それは二つあった。しかも、少し離れて置かれている。よかった。同じ部屋で過ごす上にベッドまで同じベッドだったら僕の気の休まる場所はなくなってしまう。最悪僕がソファで寝ることも提案するようだった。僕がホッとして肩を降ろしているといつの間にか夜叉音さんが僕の隣に来ていた。夜叉音さんは僕の方を見ながらまたニヤついた顔で言う。
「あー。沙樹ちゃん。ダブルベッドの方がよかった?お姉さんと一緒に寝たいって気持ちは分かるけど。沙樹ちゃんもなかなかのスケベさんだね。いや、健全な男子としては当然なことか。あたしの魅惑のボディの虜になっちゃうってことね。まぁそれも仕方ないね。でも今回はダブルベッドだから沙樹ちゃん悪いけど我慢してね。」
ウインクしてきた。夜叉音さんが今話した内容は僕の考えていたこととはほとんど違う感想なのだが、ここまで言われてしまうと、言い返すのも疲れる。なんか言い訳みたいになってしまいそうだし。黙っておこう。幸いにも夜叉音さんは話題を切り替えてくれた。
「そんなことよりご飯だ、ご飯。命狩人だから食べなくても基本的には平気なんだけど、やっぱりご飯を食べた方はおいしいし、人間らしさってのもここでは必要だからね。」
夜叉音さんは冷蔵庫の方へ行く。そういえば、たしかに命狩人になってから十二時間以上経っているのに全然お腹は減っていなかった。命狩人はご飯を食べなくても生きていけるのか。夜叉音さんは冷蔵庫の中を見ながら
「うん。ある程度の食材は揃ってるね。」
と言って僕の方を見る。
「沙樹ちゃん。料理の経験は?」
料理の経験か。正直分からない。人間だったときの記憶もないし、できるんだろうか?夜叉音さんは予想してたらしく
「まぁそうだよね。沙樹ちゃん。記憶無いんだもんね。まぁいいや。じゃあここはあたしの腕の見せ所ってわけだ。」
夜叉音さんは腕をまくる。夜叉音さんは料理ができるのだろうか。
「任せて。あたしは二百年もこういう生活で生きてるからね。そりゃあ料理の腕も上がりまくりよ。和洋中なんでもござれよ。」
自信満々だ。
「何か食べたいものはある?リクエストあれば答えるけど。」
僕は特に思いつかなかったので
「夜叉音さんにお任せします。」
と答えた。あっでも、お任せって一番難しいのかな?どうしよう・・・
「オッケー。じゃあ、夜叉音さん頑張っちゃうぞ―。」
夜叉音さんはそんな僕の不安も気にせず食材を持ってキッチンへと向かう。
「あぁ、沙樹ちゃんは適当に寛いでていいから。ソファに座ってテレビでも見ててよ。」
「いやっでもお手伝いとかした方が・・・」
「いいから、いいから。」
とソファに座らされ、夜叉音さんはキッチンへと戻る。夜叉音さんはそこから手際よく調理を進める。僕の方はとりあえずやることもないのでテレビを付けて適当に眺めていた。キッチンで調理している夜叉音さんが僕に声を掛けてくる。
「沙樹ちゃんは好き嫌いとかはあるの?」
「いやっ、たぶんですけど、特には。」
正直記憶が無いから分からないのだが、何も思いつかないのでそう解答した。どうなんだろう?何か嫌いなものとかあったのかな。
「好き嫌いないってことはいいことだね。いい子に育ってたのね。」
しみじみと感想を述べていた。親目線か。いやっいい子だったのかは僕にもわからないのだが。
「まぁ命狩人のあたしたちに身体の成長、健康それに餓え死ぬことだってない、だから正直栄養補給は必要ないのだけれど。」
確かに。僕らはその通りで食事を必要としていない。それなのになぜ、夜叉音さんはご飯を食べようなどと言ったのだろう?
「夜叉音さん。なぜ、夜叉音さんはご飯を作っているのですか?」
ルンルン気分で料理を作っているところに水を差すようで悪い気もしたが、食べなくていいのならそもそも料理を作るという工程も時間と労力の無駄なのでは?
なぜ、夜叉音さんはそんな非効率的なことをするのだろう?夜叉音さんは料理を作りながら僕に語りかける。
「さっき言ったよね。人間らしさも必要だって。」
確かに夜叉音さんは僕にそう言った。
だけど、今このマンションの部屋内にいるのは僕と夜叉音さんの二人のみなのである。普通の人間はいない。人間らしくない行動をしても誰も咎める人がいないのだ。
「それに―。」
と夜叉音さんは続ける。
「あたしはさ。あたしが人間であったことを忘れないようにしてるの。これは命狩人のル―ル
ってわけじゃなくてあたしの決めたこと。人間だからご飯も食べる。人間だから睡眠もとる。それはあたしが命狩人になっても変えてない。」
はっきりと言い切った。たぶんそれが夜叉音さんのポリシーというやつなのだろう。命狩人として生きるということは僕が考えている以上に難しいことなのかもしれない。何十年も何百年も生きる。その中で確固たる自分を持ち続けるということは一体どれだけの気概と覚悟が必要なのだろうか。僕が黙って聞いていると、夜叉音さんが気を掛けてくれた。
「あっいいよ。沙樹ちゃんは別にあたしの真似をしなくても。あたしはそうやってるってだけで。別に命狩人の全員がそうやっているわけじゃないし。」
「そうですね。分かりました。でも、僕なりに何かないかとちょっと考えてみます。」
僕の命狩人としてのポリシー。たぶんそれはこの先僕が命狩人として生きていくためには必要なことなんだと思う。たぶんそうしないと僕が僕であるという認識が曖昧になってしまいそうだから。
でも、今すぐに何か思いつきそうでもない。とりあえず僕は再び目の前のテレビに視線を戻す。テレビでは最近の芸能ニュースが流れていた。そうだ。ある程度この世界の見聞にも通じておかないと。今日は適当にやり過ごして何とかなったが、明日また学校に行くのだ。その時にある程度会話に入れるようにしておかなくては。僕がそうやって知識を広めるためにテレビに見入っているといつの間にか時間が経っていたのか夜叉音さんから呼び出しがかかった。
「沙樹ちゃーん。料理できたからテーブルに運んでくれる?」
「分かりました。今行きます。」
と言ってキッチンにいる夜叉音さんの下へ駆け寄る。僕はその料理を見てびっくりした。確かに夜叉音さんは和洋中なんでもござれとは言ったがホントにその全てが並んでいた。牛丼、麻婆豆腐、ホワイトシチューどれもおいしそうだ。匂いだけでも分かる。夜叉音さんは料理がうまいのだろう。夜叉音さんは少し照れながら言う。
「いやーちょっと作りすぎちゃったね。沙樹ちゃんの好みも分からなかったし、いろいろ作って見たんだ。あぁ、多かったり口に合わなかったりしたら残してもいいよ。あたしが食べるから。」
料理をテーブルに並べをテーブルを挟んで二人で座る。
「じゃあ食べようか。いただきまーす。」
「いただきます。」
僕もそれに倣って料理を食べ始める。美味しかった。料理店で食べるそれに近い気がする。こんな料理を作れるなんて夜叉音さんは一体何者なんだ?人間のときは料理人だったとか。
「どう?おいしい?」
夜叉音さんが聞いてくるので僕は正直に答える。
「おいしいです。すごく。夜叉音さんは料理とか習ってたんですか?」
「いや、独学だよ。強いて言うなら夜叉音流だね。まぁあたしの手にかかれば料理なんてお茶の子さいさいなのさ。」
と夜叉音さんは自慢げだ。
でも、そのくらいこの料理はおいしいし、独学で学んだんだとしたらなおさらすごい。この人は天才なんじゃないか。料理を食べていると夜叉音さんが僕に話しかけてきた。
「それで?どうだったの?今日の観察は。」
夜叉音さんのほうを見ると夜叉音さんは箸を止めて僕の方をじっと見ていた。仕事としての質問か。こんなに急に来るとは思わなかった。どう答えよう。
「えーとですね。」
僕ががちがちになっていたのが分かったのか夜叉音さんは顔を丸くし、
「あーそういう試験官的な意味じゃなくてね。あたしの単純な興味として、沙樹ちゃんが今日一日見て聞いて感じた感想を教えて欲しいなと思ったの。」
そういうことか。なら思ったことを話してみよう。
「織田さんは元気で人当たりもよく周りの評判も悪くない人でした。」
うんうんと夜叉音さんは頷きながら聞いている。
「部活も楽しそうに取り組んでいて、特にそこに問題があるようには見えませんでした。」
「なるほどね・・・でっ、沙樹ちゃんはどう思ってるの?」
どういうことだろうか?僕は夜叉音さんの質問の意味が分からないので、とりあえず僕の思った通りに返してみる。
「織田さんはいい人なんだと思います。今日一日で僕はそう感じました。」
少し間をおいて
「そう。」
夜叉音さんはそう返した後、一呼吸置いてもう一度口を開く。
「それで、沙樹ちゃんは彼女が四日後に死ぬと思った?」
夜叉音さんは真っ直ぐに僕を見る。
「それは・・・」
僕は言い澱んでしまった。思えなかったのだ。どうしても。あんなにいい人が。あんなに元気な人が。あんなに生きている人が四日後には死ぬなんて。
「沙樹ちゃん、これだけは忘れないで欲しいの。」
夜叉音さんは僕を見据えたまま言葉を続ける。
「織田日向を観察した沙樹ちゃんの行動。それに間違いは無い。けれども、忘れないで欲しい。
その観察という行動は、あくまで死ぬ前の人間だからという前提で行われているということを。」
「死ぬ前の人間・・・」
「そう、あたしたちは命狩人。命を刈るためにここに来てる。だから観察というその行為も命狩人として必要なことだからやってる。それはしっかりと覚えていて欲しい。」
僕は少し考えて言葉を返す。
「僕気になっていて質問しなかったんですが、そもそも観察という行為は必要なのでしょうか?死ぬ前の人間と言うのなら一時間前いや最悪一日前にでも現世に来て対象を探して命を刈る。それだけでもいい気がするのですが。」
夜叉音さんは僕の言葉に頷く。
「確かに沙樹ちゃんの言い分も分かる。でも―。」
夜叉音さんはそこで僕の意見への反論をする。
「それじゃあ、だめなのよ。死んでしまう人間その人をあたし達命狩人が観察しないと。そうしないと死んだ後に一切誰にも記憶が残らない人が出てしまうし、そもそも人間の記憶なんて薄れてなくなってしまうものだ。だったら、せめて命狩人として生きているあたし達がその人間を観察し、その人となりを記録する。それが、その人間の生きた証になる。その為に、観察という行為は必要なんだ。」
記憶が無くなる、か。確かに人間の記憶は曖昧なものだし、死んだ人のことを永遠に記憶するなんてことは無理だろう。であれば命狩人には適任というわけだ。病気や寿命も無い彼らなら観察した記録も永遠に残ることになるのかもしれない。
「まぁ、真面目な話はこの辺にしとこうか。ご飯冷めちゃうし、食事に戻ろう。」
と言って夜叉音さんは食事に戻る。僕もそれを聞いて同じように食事をし、一旦その話は終わった。その後は、仕事の話というより僕の今日の体験談みたいな感じで話は進んだ。僕が女の子になっていろいろ困ったことや大変だったこと、そんな話をして夜叉音さんがそれを聞いて笑う。そんな感じだ。食事が終わった後、夜叉音さんは
「ごちそうさま。あー食器は流しに置いといて。あたしが洗っておくから。」
と言ったが、そこは僕がやりますと言って押し切った。食事を作って貰ってその上その後の食器洗いまでやらせてしまっては申し訳なさ過ぎて居心地が悪くなってしまう。食器洗いぐらいはやらせて欲しい。で、僕が食器を洗っているときに夜叉音さんが
「じゃあお風呂沸かしちゃうわ。沙樹ちゃん先に入りなよ。」
と言ってきたので、夜叉音さんが先でいいですよと言おうとしたのだが女性が入った後のお風呂というのも入り辛い。何ていうか悪いことをしている気になりそうだったので
「分かりました。ありがとうございます。」
と返しておいた。一応男だが今は女の子の体だし、僕の後でも夜叉音さんはあんまり悪い気はしないんじゃないか。そんな思いで返答したのだが、果たして伝わるだろうか。
食器洗い後は夜叉音さんと二人でソファに座りテレビを見ていた。内容はバラエティ番組だったが、僕の記憶がないためか。テレビに出ている有名人を思い出せないのであんまりピンと来ない。だが、隣にいる夜叉音さんは大笑いしていたので、夜叉音さんに聞いてみた。
「このテレビに出ている人達、結構有名な人なんですか?」
笑っていた夜叉音さんはこっちを見て答える。
「いや、知らん。」
知らんて。それなのに夜叉音さんはこんなに笑っている。僕が不思議そうに見ていると
「沙樹ちゃん。こーゆうのはね。フィーリングが大事なの。フィーリング。ただ面白い。それでいいじゃない。この人達がどこの誰でどんな人だってかまわないの。そういうのって命狩人としても大事な技能なのよ。」
「フィーリングですか。」
「そう。言ったでしょ。あたし達には寿命が無い。だから何年だって生きようと思えば生きれる。そんな長い人生の中で小さいこと考えてもしょうがないのよ。楽しいことは楽しい。辛いことは辛い。だから面白いときは笑えばいいし、悲しいときは泣けばいい。そんな単純なことの繰り返しがあたし達の根幹として必要なのさ。」
単純なこと、か。確かに終わりの無い長い寿命の中で一つ一つのことをいちいち気にしていたら疲れてしまう。だったら自分に素直になって、その時に出た思いをそのまま答えにすればいい。そういうことか。
「何か、少し分かった気がします。」
そう考えると少し気持ちが楽になった。夜叉音さんはそんな僕を見て
「よし、それでこそあたしが見込んだ男だ。」
とニンマリ笑う。まぁ今の僕は女なのだが、それは置いとこう。
「あっ今は女の子だったね。」
うぅ。置いておいたのに・・・
「あははっ。気にしない気にしない。さっき言ったでしょ。フィーリングだよ。だったら今の沙樹ちゃんは女の子のフィーリングをしなきゃ、ね。」
夜叉音さんは華麗にウインクをしながら微笑むのだった。女の子のフィーリングか。そんなものどうやるんだか。まぁなるようにしかならないのだろう。考えてもしょうがない。事実僕は今女の子になってしまっているのだから。
しばらく時間が経って、そろそろ寝る時間になってきた。夜叉音さんにもうそろそろ遅いので寝ることを告げると
「沙樹ちゃんお風呂入ってないじゃない。ダメだよ。女の子なんだし。身だしなみは大切
でしょ。」
と言われた。そうだった。お風呂に入ってなかった。食器洗ってた時に言われたことをすっかり忘れていた。でも、そういえば―。
「着替えってあるんですか?」
そう着替えだ。着替えもそうだし、バスタオルとかも無いと。そういえば、そもそも着替えってどうやるんだ。僕は女の子の下着なんて着たことないぞ・・・無いって答えを期待してたのだが、夜叉音さんの答えは
「当然。あるに決まってるでしょ。この部屋にはちゃんと全て揃ってるよ。」
とのことだった。とほほ。やっぱり入るしかないか。しぶしぶお風呂場に向かう。脱衣所に入り洗面所の鏡を見て再度確認させられる。自分が女の子であることを。くっ。何だこの試練は。自分の身体なのに羞恥心が半端無い。とりあえずあまり鏡を見ないようにして服を脱ごう。セーラー服は何とか。パンツもまぁいける。でもブラは。これどーやったらいいんだ・・・
確か後ろのホックを外せばなんとかなるはずだ。しょうがないからここで鏡を見る。背中だけ背中だけだから。よし、ここだ。えぃ。何とかなった。脱衣をするのにここまで格闘する女子も世の中広しとはいえ、ほんの数人いるかいないかなのではないだろうか。あ―疲れる。
よし、次だ。お風呂場に入り鏡に向かって座る。あ―、あんまり自分の身体を見たくない。見たくないけど見ないと洗えない。女の子ってどうやって身体洗うんだ?どこから?どこまで?考えながら鏡見てたらまだお風呂に入ってないのに少しのぼせたみたいになってしまった。いかん、いかん。まぁいい。とりあえず、腕だ。腕から洗おう。そう考えてとりあえず腕にタオルをかけたその時―
お風呂場の扉が開き
「沙樹ちゃ―ん。女同士だから一緒に入ろうぜ―。」
と夜叉音さんが元気に入ってきたのだ。
「きゃぁぁぁーーーーーーーーーー‼‼‼。」
僕はこの時初めて女性がお風呂場を覗かれる感覚を知った。いや、そんな感覚知りたくなかったけど。
全ては悪い冗談だった。そう冗談だったのだ。夜叉音さんは端から、僕と一緒に風呂に入ろうというつもりはなかった。実際、夜叉音さんは風呂場に入ってきたとき服を脱いでなかったし、夜叉音さんの話では
「いやー、沙樹ちゃんの反応が面白そうでさ。つい。」
とのことらしい。とりあえず、その場は何とか収まりお風呂にも無事に入れて何とか着替えも
終えた。その後こうしてリビングにいるのだが、僕がムスッとしてるのに当の夜叉音さんはベランダで煙草を吸いながら、
「いやー、ごめん、ごめん。でも沙樹ちゃん。さっきのはいい感じで女の子だったよ。百点あげちゃう。」
などとへらへらしながら話す。それでも僕がムスッとした態度を変えないで夜叉音さんを睨んでいると夜叉音さんは何を思ったのか
「そうか。確かに沙樹ちゃんの裸を見たのは悪かったね。そうかそうか。そこはきっちりイーブンにしないとだめか。じゃあ・・・」
と言ってスーツのボタンを外し、ワイシャツの第二ボタンまで外したところで僕の方を見ながら、
「沙樹ちゃんも見る?あたしの裸?」
と悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。
「いや、いいです。それは全然大丈夫です。むしろすみませんでした。」
なんてこと言うんだ。全然僕が考えていることと全く違う方向からの解答だったので、僕が怒っていたはずだったのに僕の方が謝る形になってしまった。恐るべしだ。鬼塚夜叉音・・・さん。やっぱりこの人にはどうやったって敵いそうも無い。
さて、もうやることもなくなったのでとりあえず寝ることにしよう。寝室に向かうと、夜叉音さんがベランダから声を掛ける。
「あー寝るんだったらちょっと待ってて。最後にやることあるから。」
やること?なんだろうか。また悪い冗談じゃなければいいが・・・
僕が寝室で待っていると煙草を吸い終わった夜叉音さんが部屋に入ってくる。
「じゃあやろうか。」
「じゃあ?」
いきなり言われた。返す言葉が見つからず思わずそのまま聞き返してしまった。
「何をですか?」
僕には見当がつかない。いきなりやると言われても何をすればいいんだ?とりあえず、今は十分な睡眠をとること以外に僕にできることはなさそうな気がしたが、夜叉音さんは当然とばかりに僕に言い放った。
「何言ってんの。命狩人の仕事忘れちゃダメでしょ。」
仕事?あれ?観察は終わったのでは?まさか今から織田さんの家まで行ってそこを覗いて来いとか言うんじゃないだろうな。いや、この人ならありえるぞ。そんな不法侵入みたいなこと僕はしたくないのだけど。そんな僕の気持ちを知ってか知らずか夜叉音さんは
「仕事のこと、まさか忘れたわけじゃないよね?」
と僕を試すように言う。やっぱり行くのか。今からか。でも上司命令だし、これが命狩人の仕事だと言うのなら仕方ないのだろう。僕が覚悟を決めて言った。
「分かりました。観察ですよね?織田さんの家はどこですか?教えて頂ければ僕今から行って来ますので。」
すると、夜叉音さんは一瞬きょとんとした顔をして、その後に大笑いした。
「あははははっ。沙樹ちゃん。何?これから観察に行こうと思ったの?それは無いでしょ。いやっそこまでする必要ないって。あははっ。あ―面白い。」
夜叉音さんが涙目になりながらそう笑うので僕は顔を真っ赤にして黙ってしまう。だってそれしか思いつかなかったのだ。しょうがないじゃないか。他に何かあっただろうか?
夜叉音さんはしばらく笑っていたのだが、笑い疲れたのか息を整えて僕へ向く。
「あー。面白かった。沙樹ちゃん。仕事っていうのはそれじゃないよ。まぁちゃんと言ってなかったあたしも悪いか。」
僕が疑問な顔をしていると
「覚えてない?現世に来たときに話したよね。命狩人は四日間の間自分が命を刈る人間を観察して、その記録を日誌として遺す。」
あ―。そういえばそんなこと言ってた気がする。今日のこととはいえ、結構いろいろあって僕も頭がいっぱいだったからすっかり忘れてた。ということはこれから僕がする仕事とは?
夜叉音さんは口を開く。
「今日の分の観察内容を日誌に記録する。それが今日の最後の仕事だよ。」
具体的なやり方は夜叉音さんが教えてくれた。まず、自分の中にある日誌を呼び出す。これは最初に自分の服をイメージしたときと同じような感じで呼び出すことができた。
僕の日誌はやはり僕の髪の毛や瞳の色と同様に淡い水色のそれだった。日誌と呼ばれるその記録帳はノートというより日記に近い。革のカバーのような物で表と裏の表紙を覆っていた。夜叉音さんが指示を出す。
「さっ、机の上に置いてページを捲って。」
言われたとおりにページを捲る。すると、初めは何も無かった白紙のページに文字が浮き上がってきた。その文字はタイトルと思われるところに一文字だけ
『織田日向』
と書かれていた。僕がびっくりして見ていると夜叉音さんが再び指示を出す。
「そこに沙樹ちゃんが今日観察した内容を書くの。ペンは日誌と同じようにイメージすれば出てくるからそれで。」
言われてペンのイメージをする。出てきた。どうやらこれも水色のようだ。そのペンで僕は今日観察した内容を日誌に記す。
・織田日向。
・高校二年生。
・両親と妹と同居する地元に住む女性。
・部活はチアリーディング部に所属。
・周りの評判は特に悪い物はなく関係も良好な模様。
ふと、そこでペンを止める。僕は思ったことを夜叉音さんに質問する。
「これ、僕の主観での感想も書いた方がいいんですか?」
「あぁ、それも書いた方がいい。その方がより鮮明にその人の記録が残るだろうからね。」
そう言われて僕は再びペンを動かす。
・非常に活発で元気な女性。
・誰とでも仲良くできそうな雰囲気を感じた。
・太陽のように明るいイメージ。
その三文を追加した。僕の織田さんに対するイメージだ。本当は恋に落ちそうだった。なんてのもあったのだが、さすがにそれは書かないでおこう。僕が書くのを止めると、
「沙樹ちゃんの観察日誌はこれで終わり?」
と夜叉音さんが僕に問う。これじゃあ足りないのかな。もう少し具体的な情報とか感情とかを記すべきなのかと思って怖じ怖じと聞いてみた。
「これじゃあダメですか?」
「ダメなことなんて無いよ。これは沙樹ちゃんが紡ぐ沙樹ちゃんの観察の証なんだ。正解も不正解も決めるのは沙樹ちゃん自身。あたしが口出すことはないさ。」
そう言われてもう一回自分の日誌を見る。これが正解か不正解かは僕にも分からないけど、でも僕の感じた今日の織田さんの観察内容はこれでいいはずだ。この内容でいいことを夜叉音さんに告げると夜叉音さんは
「じゃあ日誌とペンを仕舞おうか。さっきとは逆のイメ―ジね。」
と言う。僕がそのとおりにイメージすると日誌とペンは初めから無かったかのようにその
場から姿を消した。夜叉音さんはそれを確認して、
「じゃあ、今日の仕事は終わり。お疲れ様。ゆっくり寝てまた明日元気に仕事を続けよう。」
と言って部屋を出て行く。
「あたしはこれからお風呂に入るからね―。覗いたらダメよん。」
との声が聞こえてきたが覗きには行くまい。そもそも命狩人としての初体験、驚きの連続
で疲れてしまって今日はもう休みたい。
僕はベッドに入り眼を瞑って眠りに入る。長かった一日目が終わった。とういうか命狩人として目覚めてから初めて睡眠をとるのか。確かに疲れて当然か。明日はどうなるのだろう。うまくやれるだろうか。そんなことを考えながら疲れていたのか僕は深い眠りに落ちる。僕の命狩人としての一日目が終わる。