しりの穴に茫栗(マンゴスチン)
得体の知れない好奇心が、私の脳を支配していた。
前向きな好奇心は役に立つこともあるが、後ろ向きな好奇心は時として人生に汚点を残す。数学に対する好奇心は、私を、京都の大学の数学科に進学させた。これが前向きな好奇心であったかどうかは、未だに疑問である。
田舎を離れて京都で下宿を始めてから二ヶ月が経った。
大学での新しい生活にも慣れてきた頃だ。小さい時から憧れていた京都は、実にいい街だった。都会と田舎の両方の特徴を併せ持ち、学術都市として伝統ある気風を備えている。
寺町通りを下ったところに、八百屋がある。
かの青年が檸檬を買った八百屋だ。私は京都に引っ越してきてから、この店を贔屓にしている。初夏の暑さを感じる日曜日、私はその八百屋を訪れた。何か買いたいものがあったわけではない。毎日の日課だ。
店主に「やあ」と挨拶をし、「今日のお勧めは?」と聞く。これこそが、私の毎日の日課だ。
二ヶ月ばかり、毎日のように店を訪れると、店主も顔を覚えてくれる。今では私は、この店の立派なお得意様である。
「今日は茫栗が入っているよ」
と店主は言った。
店主の目線の先には、直径六センチほどの卵型の果物が置いてある。茶色とも黒とも形容できる独特の色合いをした茫栗が、丸籠の上に山を作っていた。
私は、ポケットに入っていた五百円硬貨を店主に渡す。
「これで」という私の言葉に「じゃあ二つ、入れておくよ」と茫栗を二つ、小さな紙袋に入れてくれた。私は紙袋を右手で受け取る。手に少し余る紙袋の上を、握った。
私は今、とある命題に直面している。
その命題とは、『全ての果物は、しりの穴に入る』である。この命題の証明は困難だ。これを証明するには、全ての種類の果物をしりの穴に入れて確かめる必要がある。
または、これの『対偶』である『しりの穴に入らない果物はない』の証明でも良い。
これはどこか格言のようであるが、命題の内容は同じだ。いずれにせよ、これが成り立つことを証明するには、全ての果物をしりの穴に入れて確かめる必要がある。
昨日、この八百屋で買った茘枝は、すでに証明済みだ。
つまり、命題『茘枝はしりの穴に入る』は『真』であった。
そして今日、茫栗を手にした私の興味は、命題『茫栗はしりの穴に入る』に移っている。
河原町通りに書店がある。
かの青年が檸檬を置いた書店だ。この書店にも、私は頻繁に通っている。数学と文学が趣味の私にとって、書店は聖地である。しかし私は、この書店の前を通り過ぎた。
今日の私の好奇心の居場所は、書店では無い。
四条通りにファッションホテルがある。
この近辺を徘徊するアベック達が利用するファッションホテルだ。そこに私は、一人で足を踏み入れた。薄暗くも淡いピンクの光を灯す入り口で、一番安い部屋のボタンを押す。
ファッションホテルの部屋の中は、どことなくエロティックな雰囲気だ。
白を基調としたテーブルの奥に、真っ白なシーツでメイキングされたベッドがある。私の興味を引いたのは、ベッドの横の大きな鏡だ。
鏡の前に立っているのは一人の女性だ。
異性に一度も撫でられたことのない艶やかな髪の毛。控えめな胸で膨らむ地味な灰色のティーシャツ。そして、デニムのスカートに黒いサンダルを履いた、女性だ。
部屋の中には私一人だ。裸になることに何も問題は無い。私は、衣服を次々に脱いでゆき、それを白いテーブルの上に山積みしてゆく。そして、山の頂に、派手なピンクのブラジャーとショーツを乗せた。
私は鏡の前にもう一度立つ。
若さだけで保っている綺麗な白い肌が、少し赤みを帯びている。初夏の日差しで焼けたのだろう。鏡の前の自分と対峙し、私は奇妙な興奮を感じた。テーブルの上の紙袋を手に取り、中から茫栗を一つ取り出す。
果物は皮を剥く。
口に入れる時には皮を剥くのである。しりの穴に入れる時でも同じだ。
赤黒色をした一センチ程の厚い皮を剥くと、中には白い大蒜のような塊が入っていた。この白い塊こそが茫栗の実である。指で力を加えると、ポロリと簡単に取れた。
さて私は、得体の知れない一欠片の茫栗の実をしりの穴に挿れた。
思っていたよりも簡単に、一欠片の茫栗は私のしりの穴に吸い込まれていった。命題『茫栗はしりの穴に入る』は証明された。
私の目的は果たされた。
ホテルからの帰り道、私は書店の目の前を通った。
ことを終え、冷静さを取り戻した私は、書店に入る。いつも向かう文芸書と理系書籍の階ではなく、漫画が売ってある四階に向かった。
私は、紙袋から茫栗を一つ取り出し、平積みの漫画の上に置いた。
茫栗を爆弾に例えて、爆発する書店を愉快に想像したい訳ではない。そもそも、『漫画の上の茫栗』に深い意味など無い。意味があるとすれば、かの青年への『挑戦状』であろう。
その時私は、こちらを向く防犯カメラと目が合った。
私は、紙袋の中から一欠片の茫栗の実を取り出し、口に含んだ。
『果物の女王』の強い甘味と爽やかな酸味が口の中に広がる。口の端から少し垂れた茫栗の汁を親指でぬぐう。そして、舌で親指の腹を舐め、挑戦的な目で防犯カメラを見遣った。
「私は彼とは違うの、私は逃げないわよ」
私は女王のように気高く、微笑んだ。
お読みいただきありがとうございます。
『ファッションホテルで茫栗』(https://ncode.syosetu.com/n3180gi/)もよろしくお願いいたします。
果物ではなく、麺類をしりの穴に挿れた話もございます。よろしければご覧ください。『昔、しりの穴ありけり』(https://ncode.syosetu.com/n1821gh/)