第三話 「ルイド魔法学校」
それが、俺が日本で経験した最後の記憶だった。
ソキ……奴が何者なのかもわからなかったが、俺が暗い意識の底から目覚めると、そこは森の中だった。
「お母さん、お母さん」
と俺は母親を探し回ったが見つからず、結局、エンキ師に拾われることになる。
身寄りのない俺を引き取り、今日まで育ててくれたが、彼は、俺に魔法を教えてくれることは一切なかった。自分で模索し、手に入れろ、ということなのだろう。
彼の書斎には、魔導書がたくさんあった。
淡い、オレンジ色の光に照らされた部屋は、静かで、時折、外からカエルの鳴き声が聞こえてきたのだ。
この世界にも、日本と同じように、動物がいるのか。と思った。
だが、まだ幼かった俺は、異世界へトリップした。という事実を、さほど疑問視してはいなかった。
俺が六歳になって、ルイド魔法学校へ通い始めてから、異世界トリップというのが、世界でも前例の少ない珍しい経験だと知った。
前の世界で、文字の読み書きを完全に覚える前にこの世界へやってきて、日常会話にさほど問題もなく、魔術もある程度使える俺は、「転生者」と呼ばれることになる。
大人になって、ふとこの場所に現れ、言葉も通じない。となるとこれは「移転者」と呼ばれて、牢獄にぶち込まれることになる。
その意味では、俺は幸運だったのかもしれない。
俺は、魔法学校では、友達も作れたし、会話も、問題なかった。
日本語が、たまに思い出せなくなるが、この世界で生きていくのには、何にも問題がなかった。
ルイド魔法学校というのは、俺が通っている学校で、六歳から十八歳までを対象とする学校である。
校門には結界が張られていて、関係者しか入ることができない。
一クラスはおおよそ30人くらいで、一人の先生が、大勢の生徒に向かって講義をする、という形である。
季節は春で、今日も、俺はつまらない詠唱の方法を学んでいたのだ。
俺が、学校で学ぶ詠唱魔法というのは、もうだいたい俺は知っていることで、そのどれもがエンキ師の書斎で見つけた魔導書に書かれてあった基本の中の基本だ。
先生たちは、なぜ、こんなにも簡単な魔法を、わざわざ詠唱させることにこだわるのか、と疑問だったが、エンキ師の話で、ある程度納得した。
しばらくは、単なる優等生のふりをしてやるか。
真面目な生徒を演じることも、必要だろう。
そのうち、独学で、無詠唱を極めればいい。
学校の厄介ごとに、巻き込まれるのはごめんだったが、どこの世界にも悪い奴らはいるもので、弱いやつがいれば、イジメたくなるのは、人間のサガなのだろう。
俺は、最近、校内で起こるイジメを頻繁に見かけるようになった。
特に、両親が獣人だと、種族間差別のような感じで、見下される。
俺はもっぱら人間だったから、イジメられるということはなかったが、仮に、何かされても今まで読み漁ってきた魔導書があるから、その知識で返り討ちにすることは可能だろう。
けれども、各属性ごとの基礎的な詠唱魔法しか身に着けていない大勢のクラスメイトは、自分がいつイジメのターゲットになるのかと怯えているのが伺い知れた。
今、ターゲットになっているのは、エリだ。彼女は、母親が獣人だから、その遺伝子を引き継ぎ、獣耳だ。そのことが原因で、いじめっ子たちから、いろいろと嫌がらせ行為を受けている。
だが、先生たちは、見てみないふりをするのだ。
生徒の私情に関わってはいけない。というルールがどうやらあるようで、イジメをむしろ良しとする傾向にあるようだった。
以前、イジメの事実を担任に報告したことがあったが、逆に叱られた。
「生徒どうしの関係に、部外者が口を挟むんじゃない!」
といった具合である。
昔から、違和感を感じていたが、教員が生徒間のイジメを黙認するのは、やはりエンキ師が言ったように、市民を弱体化させる計画であるかのように感じるのだ。
俺は、この世界に転生してから、ほぼ毎日のように書斎にこもり、本を読んでいた。
そうして、この世界に関するある程度の知識と、経験値を積んできたから、おおよそ想像がつく。
疑念は、確信へと変わった。
この国は支配されている。それも、強力な力を有する為政者によって、がんじがらめにされている。
「いやぁああ。やめてぇ!!」
エリが叫ぶ。
彼女は、イジメっ子たちの手によって、髪を掴まれていた。
俺は、へぇ。学校が容認するからって、暴力までふるうのか。けっこう酷いんだなぁ。と思った。
まあ、休み時間は短いから、授業が始まったら、肉体的なイジメは収まる。
けれども今度は、魔法を使ったイジメに発展するのだ。
授業中、魔法の練習と称して、合法的にエリを攻撃する。
寄ってたかって、殴り放題。まあ、火属性の魔法を練習する授業だったのだから、弱い奴は強い奴に淘汰されるのは当然だろう。
俺は無詠唱を使えるから、そのことを悪用して、イジメっ子たちの頂点に立ってみようか。
それも悪くはないかもしれない。
放課後になっても、エリは、まだイジメられている。
淡く夕日が差し込んできた教室の中で、3、4人の男女が、彼女を水攻めにしている。
彼女は苦しそうだった。
逃げても、逃げても、まとわりつく、魔法を帯びた水が、彼女の顔にかかるたびに、エリは咳込んだ。