第二話 「移転の記憶」
「おねぇ…………ちゃん。なに、してるの」
遠いようで、近い記憶。
俺がまだ、日本という国にいた時の記憶。
「何って、お魚、さばいているの」
と、姉は言う。
「金ちゃん。食べるの?」
「たべる」
姉は、うちで飼っている金魚を手でつかみ、まな板に載せ、フォークを突き刺した。
思えばこの頃から、姉の異常行動は目立っていた。
「愛! なにしているの!」
と、母親が叫ぶ。
「お魚さばいている」
姉の瞳はうつろだった。
姉は、それからも異常行動を繰り返した。
町で猫の死体を拾って、父親の酒の中に、入れる。
自分の血で、壁に不気味な紋章を刻む。
自分の指を、包丁で落とそうとする。
日に日に過激さを増した姉の行動を心配し、両親は、姉を病院へ連れていくが、そんな日に限って、姉は正常さを取り戻し、どこにも異常はないと、家に帰された。
俺は、日に日にやつれていく両親の姿を見るのが、嫌だった。
そのうち、俺は、夕食の時間になると、動悸と息切れがするようになってしまった。
4歳の頃の俺は、そんな自分の体の不調を訴えることができずに、苦しい毎日を過ごしていた。
ある日、母親が、いわゆる霊能者と呼ばれる人物を連れてきた。
その日の出来事は、鮮明に覚えている。
明らかに異常な出来事だったし、俺が地球で過ごした最後の記憶だったから。
夕飯の時間に、玄関からチャイムが鳴ったのだ。その時の両親の、はしゃいだ様子を俺は今でも覚えている。
「ソキだ! ソキ様がお越しになられた!」
「ああ、ソキ様。ソキ様。やっとおいでになられた」
俺は、そのソキ様というのが、名の知れた霊媒師なのかなぁ。というような事を考えていたが、玄関の扉が開かれて、彼の姿を見た時、俺は恐怖におののいた。
そいつは、人間ではなかった。背丈は、2メートルはあっただろう。全身が濃い青紫色で、緑色の浮き出た血管と、魚のような鱗に覆われていた。
本来、目がある位置には、ぽっかりと空いた黒い穴、というか、眼球なのだろう。
漆黒の、ギョロッとした目は、どこを見ているのか分からなかった。
俺は恐怖のあまり固まった。
「さあ、愛さんの様子を見せてもらおう」
と、ソキは言う。
「こちらです!」
両親は、あまりの興奮ぶりに、沸騰したヤカンの火も止めずに、姉のところに案内した。
リビングで、ご飯を食べていた姉の前に、ソキは座った。
真っ黒い眼球で、姉を眺めている。
ヤカンの音が、耳障りだと思って、俺は火を止めに行こうとした時だった。
「……ハ……ハル、ヒト」
奴が、俺の名前を口にした。
聞き間違えかと思ったが、
「ハルヒトぉおおお」
確かにソキは、俺の方を睨みつけて、恐ろしい声を発した。
俺は恐怖のあまり動けなくなり、泣きたい気持ちになったが、息ができなく、涙も出なかった。
「問題は、弟のほうだな」
俺が、何かしたのだろうか。
何か重大な問題を起こしてしまったのだろうか。
それよりも、なぜこんな恐ろしい化け物が、日本にいるのだろう。
なぜ、我が家にいるのだろう。
俺はそんなことばかり考えていた。
「ハルヒトが、どうかいたしましたか?」
父親が言う。
「選ばれたのは、彼の方だ。こちらのミスだ。時期に姉の行動も収まるだろう」
ソキは、姉の胸に手をかざした。すると、姉の心臓の部分が赤く光りだした。
その光の玉は、空中に飛び出して、部屋を眩しいほど赤く照らした。
ヤカンの音が、鳴りやまない。
「本来は、これは弟にあるべき使命なのだ。何が起きても受け入れる準備はあるか?」
ソキは、そんなことを言っていた。俺にはいまいち理解ができなかったが、この事態に耐え切れず、俺は吐き気を覚えたのだった。
その時、姉の胸から飛び出してきた赤く光る球が、俺の胸に吸収されるのを、確かに感じた。
「あっ。熱い!」
俺は、胸に火の玉を落とされたかのような感覚になって、叫んだ。
「いやぁーーーーーーーあああああああああああっ!!!!」
母親の凄まじい声が聞こえた。
その声とともに、部屋中の壁が、血に染まるのを俺は見た。
恐怖が限界に達したが、すぐにその血が、俺の首から出ているのに気が付いた。
家が、回転を始めた。
いや、違う。
首をはねられた。
どうして?
何かの手品か?
なんで、
まだ子供なのに。
どうして、こんなコロサれるようなことになったんだろう。
日本で、こんなことってあり得るの?
「受け入れろ!! わめくな。これが運命だったのだから」
ソキのおどろおどろしい声が、いつまでも俺の中に反響していいた。