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北の景色より 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 つぶらやくんは、北枕に対して、どんな印象を持っているだろうか?

 世間でも意見は分かれるらしい。

 お釈迦さまが入滅された時、北に向けて頭を置いたことから、死を意味するものとして縁起が悪いと取る考え方。

 一方だと、北の方が、気温が低いということで、「頭寒足熱」の理にかなっているとし、養生に適しているとして、推奨する考え方。

 要は、その人の信じるようにやるのがいいのだろうけど、社会で忌むものと成されているうちは、おおっぴらにできないのがつらいところだね。

 僕が今回話したいのは、「北」という方角を巡る体験さ。

 君の創作ネタのひとつになれたら嬉しいのだけど。


 僕の祖父は生前、よく散歩に出かけた。

 まだ、今のように持ち歩ける携帯電話がほとんどない時期。外出したら、公衆電話か店の電話を貸してもらうなりしないと、連絡が取れなかった。いつもより帰る時間が遅くなったりすると、それだけでひやひやものさ。

 その散歩に、僕もしばしば連れていかれる。

 当時の僕は、まだ幼稚園児。祖父の散歩は5キロにも10キロにも及ぶことがあり、途中でクタクタになると、祖父は僕を負ぶって散歩を続けた。

 今、考えてみると、祖父は自分の健康のためならず、僕自身の体力を鍛える意味を兼ねて、行っていたのだろうね。

 

 だが、そんな疲れる散歩にも、僕には楽しみがあった。

 祖父が歩いた先に住むのは、国の指定した大きな公園。そこの一角に、子供用の小さい遊園地があるんだ。豆汽車や豆自動車、子供用にミニチュアになったコーヒーカップのアトラクションなど、ひとけた年齢の子供たちを対象とした遊具が盛りだくさんだったんだ。

 いずれの乗り物も一回で数十円と、非常にリーズナブル。まだ大型遊園地の存在を知らない僕にとっては、十分なパラダイスだった。

 祖父はアトラクションを楽しんでいる僕を、近くのベンチに腰掛けながら見守っているのが大半だけど、必ず一緒に乗るものがあった。

 

 観覧車だ。

 他のアトラクションを見下ろせる、少し高い場所に作られていて、着くまでに石でできた手すりつきの階段を、十段ほど上がる必要があったよ。

 左右からは木々の枝が、アーチのように湾曲しながらせり出していてね。夏場の青々とした葉っぱたちが茂っていく時に通ると、まるで大きな腕に抱かれにいくような錯覚さえ覚えた。

 

 その観覧車も子供用に小さく設定されたもので、僕くらいの幼稚園児でも、せいぜいひとつに4人。大人だったら2人乗るのがせいいっぱいといったところだった。

 観覧車そのものの直径も短く、さほど高い位置まで行かないんだが、立地に助けられていることもあって、市内を一望するには十分なレベル。

 カゴ内部の窓上部の壁面には、その方角を向いた時に見える、景色のイラストが張り付けられていた。初めて訪れた人でも、方角と目立つ山や川、建物の名前を現実の風景と照らし合わせながら、楽しむことができるような配慮だ。

 この遊園地に来るたび、必ず祖父は僕を連れて、この観覧車に乗る。そしててっぺんに差し掛かると、僕に北を向くようにお願いし、尋ねてくるんだ。

 

「あの景色に、おかしいところは何もないか?」と。


 観覧車から北は、はるか向こうに海をたたえ、そこから伸びている長い川が、視界の中央をゆるく曲がりながら横切ることをのぞけば、高層ビルやデパートなどの人工物が並ぶエリア。

 時々、工事のシートが掛けられていることがあるけど、それを告げても「ならば大丈夫だ」と、安堵した口調で祖父は答える。

 祖父の問いかけに何の意味があるのか。それが分かるのは、葉っぱがすっかり散ってしまう冬場になってからのことだった。


 その日曜日も、祖父に連れられて僕は遊園地を訪れていた。

 いつも通りアトラクションを楽しんだ後、締めに観覧車へ乗る。すでに慣れ親しんだ既定路線。

 けれども祖父に言われるがまま、いつものように北の景色を眺めた時、普段は見ないものが映り込んだんだ。

 それはアドバルーンのようだった。いくつか見える大型デパートのひとつ。ここからでは、小指の先ほどにしか見えない、川沿いをずっとたどった先にある、海にほど近い場所。そのてっぺんに大きな風船がくっついている。

 その色はめでたさをたたえる紅白ではなく、内出血した皮膚のような紫がかったものだった。遠すぎて、色が判別できないだけかもしれないけど。

 

 もっとよく見ようと、おでこに手を当てて目を細める僕に、「何が見える?」と問いかけてくる祖父。

 ありのままを話したけど、あのあたりの建物の名前も分からなきゃ、説明能力も不十分だった僕。せいぜい紫色の点らしきものが目に入った、という程度の情報は伝わったはず。

 祖父は少し考えた後、「幼稚園の帰りが遅くない日は、できるだけここに来よう。母さんにも話をつけておく」と、僕に告げてきた。


 それから実際に、遊園地へ向かう頻度は上がる。スムーズに家へ帰れた時には、その足で観覧車に乗りに行ったこともある。かなり重要な案件なのは、これまで歩き詰めだった祖父が、途中までバスを使って移動したからだ。

 僕は最初の数回こそ、バス移動の新鮮さもあって楽しかったけど、じょじょに怖さを覚え始める。件の北の景色が見えてくると、「どのあたりに見える?」と、祖父がせっぱつまった様子で尋ね出すんだ。僕は必死に指で刺したり、丸で囲ったりして、場所をアピールする。

 何も祖父の態度ばかりじゃない。あの時ははるかかなたに見える点に過ぎなかった青紫の塊が、日を改めて眺める度に、じわじわと範囲を広げつつ、こちらへ迫ってきているんだ。

 ちょうど、窓の上から色付きのビニールテープを、少しずつ貼っていくような感じだ。近くの景色は何ともないのに、ある程度遠くまで行くとふっつり、紫一色に覆われてしまう。

 夜がもたらすような暗さじゃない。川や建物の輪郭さえも、まるで破かれた絵のように途切れてしまうんだ。

 

 僕はありのままを、祖父に伝える。しばらく考えた後、祖父は「ここの観覧車に、もっと乗りたいか?」と尋ねてきた。

 僕個人でいえば、正直、嫌だったよ。けれど、幼稚園の友達にも何人かここの観覧車を気に入っている子がいるのは知っていた。

 僕がそれを踏まえて、「個人的には嫌だけど、みんなは乗りたいと思うよ」と答えると、「優しいな」と祖父は破顔したよ。

 その日。家に帰ると、僕は祖父の部屋へ招かれ、何枚も写真を見せられた。

 あの観覧車の北側から見える景色を撮ったものだ。少しずつ向きを変えて撮影されたそれらの中から、祖父は、僕が最初に紫色の塊が見えたところを特定するように依頼してくる。

 何度も見比べて、指示されるがままに赤いボールペンで、写真の建物に丸をつける僕。祖父はその写真を手に、本棚にあるいくつものアルバムを広げる。

 色あせたものから、つい最近の日付が入ったものまで、様々に見比べていたけれど、やがて大きくうなずいた。そして僕に告げる。


「次の休みに、ちょっと遠くまで出かけるぞ」



 祖父が狙いをつけた大型デパートに、僕は連れられるままにやってきていた。

 初めて入る建物に、僕は緊張してしまうけど、祖父は構わずに中へ入るとエレベーターのボタンを押す。

 下の階行き。B1Fは食品フロアになっているけど、いざ箱の中へ乗り込むと祖父はB3階の地下駐車場行きのボタンに手をかける。もちろん僕たちは車でここには来ていない。

 

 どこか雨上がりを思わせる、臭いと冷たさが漂う地下。何本もの柱で区切られたスペースには乗用車が三台ずつ止められるように、車線がひかれている。

 祖父はあたりを見回し、柱に方角を示すアルファベットが書いてあるのを確認。北を示す「N」の方向へ歩き始め、僕もそれについていく。

「N」が途切れた壁際。そこは車止めがない、職員用の出入り口前だった。

 祖父は「誰かが来たら、声をかけてくれ」と言い置くと、ドアに向かって、あの歌にもあるような「腕の動きだけのいとまき」をし始めたんだ。

 思わず笑っちゃったよ。だって幼稚園で、先生と一緒にお遊戯の時間に歌いながら、よくやる動作なんだもん。歌こそ歌わないけど、僕にだってできる。

 だからつい、真似してやり始めたんだけど、すぐに悲鳴をあげちゃった。


 ぐるぐると二回転ほどすると、僕の着ていたベージュのセーターの袖が、あっという間に紫色に変わってしまったんだ。

 ほこりが張り付いたのとは別物。液体の入った桶に自分から手を突っこんだかのようだった。


「もし、真似しようとしているならやめとけ。お前にはまだ早い」


 祖父はこちらを見やることなく、回し続ける。その両腕はすでに、影と化してしまったかのような暗さ。あの観覧車から見た、ふっつりと消えてしまった景色と同じ色に染まってしまっている。


 数十分ほどが経っただろうか。祖父は息を切らしながら手を止める。上着を一枚脱いだけど、その下も変わらぬ暗さに染まっている。

「帰るぞ」と僕を促しながら、祖父は話してくれた。

 僕が見たあの景色。それは観覧車に迫っている寿命が、見えるようになったものだという。あれに追いつかれてしまった時、観覧車は致命的な故障を起こし、動かなくなってしまうだろうと。

 だから、ここで無理やり巻き取った。きっと観覧車から見える風景は元に戻っているだろう、と祖父は告げる。

 実際、そのままの足で遊園地の観覧車から北の方角を眺めてみると、あのちぎられた景色がすっかり戻ってきていた。


「これで、しばらくは大丈夫だろう。少なくともお前の友達が、ここへ来なくなる間はな。だが、この紫は、いずれまた湧き出す。寿命からは逃げようと試みても、それは一時しのぎ。逃げきれはしないのだから」


 祖父はその日から、僕を誘って散歩に出ることはなくなり、数年後に息を引き取った。

 そして僕たちが小学校を卒業する直前、例の観覧車は採算が取れなくなったことを理由に、稼働しなくなる。今となっては、影も形も残っていないんだ。

 


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― 新着の感想 ―
[一言] これは私の勝手に想像ですが……。 果して、本当に観覧車だけの寿命だったのだろうか。そのためだけにあんなに熱心に通いつめたのだろうか、そんなことを考てしまいました。もちろん、孫やその友達の楽し…
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