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「先生。貴族とは領地を治めているんですよね?」
「ええ、その通りです。陛下から賜った領地を統治しているのです。そこで領民たちが暮らしています」
「領民は、税金というのを納めているのですか?」
「これはこれはよくご存じですね。そうです。領民は領主である伯爵様に税金を納め、その地に住まわせてもらっているのです」
住まわせてもらっている?変な表現だと思うが。
「じゃあ私たちは、その税金で暮らしているんですね?」
「それは一部でございますね。それぞれの家で変わってきます。事業を営む家もあれば、金融業を営む家もありますよ」
要は、商売と金貸しか。成程。
「お嬢様は、そういった貴族を纏める王妃となられるのです。この国の最高の名誉でございますよ」
――やはり、母が雇った家庭教師だ。母寄りの人間で不可だ。
講師たちに話を振ってみたが、誰も彼もが不可だ。味方になりえる人物はいなかった。だが、いろいろと糾弾する情報は集まってきている。
「セバス。教えてほしいことがあるの」
仕事に出かけている父の居ぬ間に、セバスを捉まえていた。
「なんでございましょう?お嬢様」
「この前、政略結婚って教えてくれたでしょう?どちらがどちらに申し込んだの?力関係はどちらが上なの?」
「お嬢様……」
「本当の事を教えてちょうだい。隠し事はしないで」
もう、子ども演技など必要ない。我が家の命運がかかっているのだ。動かなければ何も変わらない。変えたければ行動あるのみ。
あの時のようにしゃがんでくれているセバスの上着を握り締める。今度の私の気迫が本物だと悟ったのか、一度瞑目した後、語り始めた。
「奥様のご実家はカバネル伯爵家でありますが、家格はランドール家の方が上でございます。何故ならば、ランドール家は過去、王妃を輩出した経緯がある名門にございます」
「そう。なら、お父様がその結婚に押し切られたのね?」
「……はい。その当時、あちらが懇意にされていた侯爵家からの推薦で致し方なく」
「侯爵家。その家と母の実家は今でも繋がりが?」
「なんと申し上げましょうか……奥様は、ご実家とは疎遠になられておいでです」
成程。
「お母様は、見限られたのね。実家は、体よくお父様に押し付けたってわけか」
「お嬢様。一体、そのような言葉をどちらで……」
「本を読んでいれば、いくらでも知識は得られるわよ?」
勉強したさ。
「お母様が実家から疎遠になっている理由は見当がついてるわ。それよりも、お父様のご両親は?私とオスカーのおじい様とおばあ様はいらっしゃるの?」
そうなのだ。親戚に誰がいるのかも知らないのだ。祖父母の事など誰も教えてくれなかった。
意外なことを聞いてきたと思ったのだろう。セバスは目を瞠っている。
「――旦那様に伯爵位をお譲りになられた後、伯爵領の別邸にてお過ごしでございます、お嬢様」
「今まで一度もお会いした記憶が無いのだけれど、お二人は私たちを」
「いいえ!そのようなことはございません。お嬢様方がお会いになれないのは……」
「成程。それもお母様の所為なのでしょう?教育方針の違いで仲違いでもしてるの?」
「お嬢様……」
「そうなのね。だったら、こちらから会いに行けばいいのだわ」
「お嬢様、一体何をお考えに……」
「貴方はお父様の味方。だったら協力してちょうだい。我が伯爵家を守るために」
「オスカー!」
最近は、ノックもせずに出入りするようになった弟の部屋。まだ3歳の弟だが、非常に賢いことが判明してからは、戯れに文字を教えれば覚えてしまったので一緒に本を読んだり、鈍らになるのはいけないとかくれんぼをしたりと体を動かして一緒に遊んでいる。母が何と言おうと従う義務はない。もう、能面メイドも怖くない。
着々と準備してきたことを実行するときがやって来た。ここからが一世一代の正念場になるだろう。
「オスカー、聞いてちょうだい」
「何?姉上」
最近のオスカーは、あの日のような警戒心などみせることは無くなっていた。乳母のリタは、一緒にいる私たちを温かく見守ってくれている。
「お母様がいなくなったら、貴方は寂しい?」
「お母様?それは誰?」
ごめんよ、オスカー……実の母なのに、こんな環境おかしいよね……。
「お母様がいなくなっても、二人で協力して生きていきましょうね」
何を言っているのかと、訝しげな表情で窺っているリタであるが、口を挟むことはしてこない。
「リタ。貴女が保護者代わりに一緒に来てもらうことになってるわ。明日、伯爵領の別邸へ出掛けるから準備しておいてね」
「畏まりました、お嬢様」
「お母様に悟られないようにね」
「はい……」
伯爵領別邸へ出発当日。
母は相変わらずお茶会三昧のようで、本日も出かけているため決行は容易だった。知られれば、必ず邪魔が入っただろう。
私、オスカー、リタが馬車に乗り込むと、セバスが見送ってくれる。馬車は、祖父が寄越してくれたものだ。セバスが訪問の連絡を取れば、快く手配してくれた。
ランドール伯爵領は、王都から南東に位置し、別邸までは馬車で二日の行程だ。途中の街で伯爵家が懇意にしている宿で一泊し、いよいよ伯爵領へと入っていた。
馬車の中で、私は鞄を一撫でする。この中には。
「まあ、ローズマリー、オスカー、いらっしゃい」
「よく来たの、二人とも」
父の面影を感じさせる祖父と、私と同じ髪色を持つ優しげな祖母が出迎えてくれた。私の髪色は、祖母譲りの隔世遺伝だったようだ。
「おじい様、おばあ様、お世話になります」
「お世話になります」
「あらあら。礼儀正しい子たちだこと」
「さあ、入りなさい。美味しいおやつを用意しておるぞ」
「はい」
オスカーの手を引いて、祖父母が暮らす別邸にお邪魔した。初めて顔を合わせる孫たちに、祖父母は始終にこやかだった。
和やかな夕食の後、湯あみを済ませたオスカーは、夢の世界へと旅立っていた。私もいつもなら就寝時間なのだが、今日はそうも言っていられない。祖父母に会いに来た本当の目的を果たさなければならないのだ。
「それで?わしらに話とは一体何じゃ?」
「単刀直入に言います。お母様を、我が伯爵家から追い出して欲しいのです」
5歳の孫娘が正面切って母を追い出すと言ったものだから、二人は絶句してしまっていた。
「おじい様たちを責める気などありません。本邸と疎遠になっていた理由は知っています。こちらの状態がどんなことになっているのかご存じないのは当たり前ですから」
「ローズ。一体どうしたんじゃ……」
ありのまま我が家の惨状を説明し始めた。勿論、王宮での出来事もだ。私の話を聞くにつれ、祖父母の表情は険しいものとなっている。
「おじい様、おばあ様、こちらを見てください」
糾弾の証拠とすべく邸から持ち出してきたもの。
それは。
「お母様がこの五年間で浪費してきた数々の請求書です。このままこんな使い方をしていれば、我が伯爵家の資産は傾く一方。そもそも、代々積み上げてきた資産をこんなことのために使っていいはずがないですよね?領民の血税を、道楽のために湯水のように使うなんて言語道断です」
祖父母の人柄はセバスから聞いていた。母のような道楽を好まない性格だと聞いた時は歓喜した。それなら味方になってもらえるはずだと。
子どもが一人で騒いだところで何も変わらないだろう。なら、まずは味方を見つければいい。情報収集と証拠固めをし、強力な後ろ盾を取り込む。
請求書という紛れもない証拠を見ている祖父は、舌打ちでもしそうな勢いである。
「それにしてもローズ……よくこんな書類がわかったわね」
「セバスに教えてもらったんです」
「そうなのね……」
「おばあ様、オスカーは天才なんですよ。まだ3歳なのに、積み木でお城みたいなものを作ったんですから。それに、もう字も読めるんですよ」
「まあ、そうなの」
「頼もしい跡継ぎですよね、おばあ様」
「ええ、そうね」
「ローズ、状況はよく分かった。よくここまで頑張ったな」
「……はい、おじい様」
「今日はもう遅いから、お前も寝なさい。これはわしが預かっておくから」
「はい。おじい様、おばあ様。おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」「おやすみなさい、ローズ」
――きっと、これで我が家は変わり始めるはずだ。
一仕事終えた私は旅の疲労も相まって、泥のように眠っていた。
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『あなた……まさか、こんなことになっていようとは……』
『ああ。カルロスも最早手がつけられんのだろう。我が子までも蔑ろにするような毒婦だ。やはり、あれを嫁に迎えたのは間違いであった……』
『でも、孫たちはしっかりと育ってくれたようですわね』
『ああ。奇跡だな。あの毒婦に染まらなかったことは僥倖だ』
『ええ。そうですわね』
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翌日、本邸のセバスから手紙が届いていた。
突然いなくなった子どもたちに気付いた母が、行き先を知って何故だと喚き散らしていたらしい。やはり、知られていれば邪魔されたに違いない。
父の方はといえば、淡々と受け入れていたそうだ。父の事だ。きっと思惑に気付いているかもしれないと思う。伊達に貴族社会を渡っていないだろうから。
実はあの日、王宮で衝撃の事実を知り体調が崩れた後、馭者さんの報告を受けた父が馬車まで私の様子を見に来てくれたのだ。その時、私は包み隠さず話していた。それを聞いた父は、オスカーにしたように静かに頭を撫でてくれたのだ。
祖父母は、王都へ向かう準備に取り掛かっていた。今は内政も手が空く時期らしく、一緒に本邸へ向かうことになったのだ。
遂に、伯爵家の改革が始まろうとしていた。