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私の部屋から、たった数メートルしかない扉の前に立った。ずっと寄り付かなかったから、今では能面メイドの目も光っていないので容易に訪れることができた。
弟の部屋の扉をノックすると、記憶にある乳母さんの声が聞こえてきた。乳母さんと会話するのもいつぶりだろうか?
ドアノブを捻って扉を開けると、そこには成長した弟がベッドの上にいた。
漸く会えた弟の瞳は――琥珀色をしていた。
そんなことで感慨に耽っていると、衝撃の言葉が弟からかけられたのだ。
「誰?」
だ、誰とは何事ぞ!?
ふらりとよろけながらも入室すると、またもや悲しげな表情の乳母さんが視界に飛び込んできた。
いやいやいや!ここで負けてなるものか!
「オスカー。私は貴方の姉のローズマリーよ」
「姉上?」
「そうよ。貴方は覚えてないかもしれないけど、こんなに小さかった時から私は貴方を知っているのよ?」
「……」
「姉弟ってわかる?」
オスカーは、こくりと頷いた。おお、それがわかるなら話は早い。オスカーの傍に歩み寄って、ベッドの端に腰かけてみた。
「オスカー、いつも何して遊んでいるの?」
「積み木」
指をさしている方を見てみれば――――ほげ!?なんだあれ!『城』じゃん!!
3歳の子が、あんなもの作れるのか!
「オスカー!貴方天才!?天才なの!?」
目を剥いて、思わず肩を鷲掴みにして弟の顔を覗き込んでいた。
「い、痛いよ……姉上っ……」
「お、おお、ごめんよオスカー」
今度はぐしゃぐしゃと頭を撫でていると、迷惑そうに見つめてくる。だが、それどころではない。乳母さんに呼びかけようとして、名前を知らないことに再び気が付いた。
「あの。そういえば、お名前を聞いてなかったわよね?」
乳母さんは、穏やかな笑顔で答えてくれる。
「リタと申します、お嬢様」
「リタ。この積み木、お父様は見たことあるの?」
「……いいえ……」
まじかよ……両親揃ってなにやってんだよ!大事な跡継ぎなんだよ!!
ええいままよと立ち上がり、私はオスカーの部屋を飛び出した。向かう先は、父の書斎。ノックもせずに扉を開け放った。一緒にいたセバスも驚いていたが、そんなことは二の次だ。
「お父様!早く来てください!」
むんずと父の上着の裾を握って思いっきり引っ張った。何事かと目を丸くしながら、父は書斎の椅子から立ち上がる。その勢いのまま、父を書斎から引き摺りだした。セバスも後からついてくる。
二階へと上がり、向かった先がオスカーの部屋だったので、父たちは困惑の表情だ。
だが、ここで諦めてなるものか!
オスカーの部屋の扉を無断で開け放ち、渾身の力で父を部屋へと押し込んでやった。大人の体だからそう簡単に動くとは思わなかったが、父の意思で仕方なく部屋へと踏み入れてくれたようだ。オスカーもリタも驚いている。
まさか、オスカーは父の顔も知らないのではなかろうか……?
「お父様!これを見てください!オスカーが作ったんですって!」
そんな状況など知ったことかと、空気を読まずに叫んでやった。いいのだ。ここは子ども演技で押し切るのだ!
やはり、そちらに視線を向けた父も、目を見開いて驚いている。セバスも然り。
「お父様、凄いよね!オスカーって天才でしょう?お父様!」
すんごい頼もしい跡継ぎではないか!
「そうでございますね、お嬢様」
答えない父の代わりに、セバスがにこやかに答えてくれる。もしかしたら、父は愛情表現が下手なのかもしれない。ここは父親が息子を褒めてやるところだろうと、またも渾身の力で父の体を押しやった。よろけながらもオスカーへと近づいていく。
こうして褒めてやれと、オスカーの頭を撫でていると、父の手が伸びてきたのだ。
そして、その手はオスカーの頭を撫でていく。
当のオスカーは、きょとんとしているが、父の顔が――――。
「……お嬢様……いかがなさいましたか?」
気が付けば、ぼろぼろと涙が頬を伝っていた……。
初めて見たのだ――――父の優しい笑顔を。
自分の中で張りつめていたものが決壊してしまい、涙が溢れて止まらないのだ。
やっと……やっと家族らしい光景を見た気がした。
記憶が甦ってからこの三年間、ずっと違和感でしかなかった家族。一言も言葉を交わしたことが無い父。弟と自由に会えない奇妙な環境。反りが合わない母。夫婦らしい会話が一つもない両親。
「……えへへ……なんで泣いてるのか、わかんない……」
私は、知らないふりをしたのだ。




