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 相も変わらずオスカーと顔を合わせる機会もないまま、それから一年が過ぎ、5歳になる年を迎えた。ちなみに、私の誕生日は12月だ。


 そして、この年になって初めて――そう、初めて父と会話を交わしたのだ……。


 一度も寄り付かなかった執事さんが、私の部屋を訪れて来たことが始まりだった。

「お嬢様、旦那様がお呼びでございます。書斎へおいでいただけますか?」

「ええ。わかったわ」

 素直に頷き、ベッドの上で読んでいた本を閉じ、執事さんに歩み寄った。半開きにしていた扉を執事さんが開けようとした時。

「ところで、貴方のお名前は?一度も聞いたことが無かったでしょう?」

 少し驚いたように、一瞬見開かれた瞳を見逃さなかった。

「これは大変失礼いたしました。私はセバスティアン・ビンセントと申します、お嬢様」

 セ、セバスティアン!?

 自分から聞いていてなんだが、いかにもな名前に驚いたのは許してほしい……。

「貴方は、お父様の執事なのでしょう?」

「はい。そうでございます」

「だったら、教えてほしいことがあるの」

「畏まりました。旦那様のご用が済みましたらご用命をお伺いいたします」

「わかったわ」


 セバス(長いので、これからはそう呼ぶことにする)の後をついて行くと、父の書斎に案内された。

「旦那様、お嬢様をお連れいたしました」

「ああ、入れ」

 ――自分の父親と話すのに、なんだこの遣り取りはと思わなくもない。これが貴族というものの常識なら受け入れるしかないが。


 父の書斎に入室し、初めてまともに対峙していた。

 父の顔をこんなに真っ直ぐ見たのが、今日が初めてとは……。

「ローズ、お前に話がある」

 ほほう、これが間近で聞く父の声か。名前も初めて呼んだよね?5歳になるまで父親の声をまともに聞いたことが無いって、地球ではワーカーホリックな父親か、ネグレクトだよね?

 うんともすんとも言わない私を訝しんだ父は、眉間に少し皺が寄ってしまっていた。

「お父様のお声を、初めて聞きました」

 子どもだから世の常識など知りませ~んを装っての演技に取り掛かった。私が吐き出した言葉に、大人二人が息を詰めようと知ったことではない。ただ知りたいだけだ。今まで娘に言葉一つかけなかった理由を。

「お父様はいつも忙しそうですけど、お体は大丈夫ですか?」

「――――問題ない」

 おや?質問には答えてくれるようだ。

「そうですか。よかったです」

 子どもなりのにっこりとした笑顔を浮かべてそう言えば、父は珍しいものを見たかのような目で見返して来たのだ。父の傍らで、セバスも同じような顔をしている。

 そんなに驚くとこか?

「……何か、おかしなことを言いましたか?」

 今度はしゅんとした顔で聞き返すと、こちらが驚く反応を返してきた。あからさまに動揺しているのだ。急に机の書類を握ったかと思うと、思い直したように机に置き、今度はペンを取って何かを書こうとしたようだが、はっと我に返ったようにペンを元の場所に戻したのだ。父のそんな様子がセバスも珍しいのか、憚りもせずに吃驚眼で父を見ている。

 5歳の娘の質問が、そんなに動揺を誘うことなのか?意味が分からない……。


「お父様、お話って何ですか?」

 埒が明かないと判断してこちらから話を振れば、父は我に返ったようだ。一つ咳払いをした後、用件を話し始めた。

「お前も5歳になるからな」

 おおう。ちゃんと娘の歳を覚えてくれていたようだ。

「はい」

「王宮で、王子殿下と顔合わせがある。淑女教育の講師から礼儀作法は問題ないと聞いているから心配はしていないが、くれぐれも粗相のないようにな」

 うげぇ。なんかめんどくさそうな話になってきた……。

「はい。お父様」

「顔合わせは明日だ。王宮に着ていく服はあちらが作っていただろう。きちんと身支度してもらえ」

 あちらって、もしかしてお母様の事か?そうだろうな……。

「はい、わかりました。お父様、その顔合わせは私一人ですか?」

「いいや。他にもお前と同じ歳の子が二人いる。その伯爵家の子息たちと一緒にだ」

 王子殿下は、今年で御年8歳になられるらしい。王族の事は講師からいの一番に教えられたことだ。

「話は以上だ」

「はい、お父様」


 折角だから聞きたいことが他にも沢山あるが、さっきみたいな反応をされては会話にもならない。セバスにも聞きたいことがあるので、おとなしく書斎を退室することにした。セバスもちゃんと覚えてくれていて、一緒に退室してくれたのである。


 通路で聞くことでもないので、セバスの服の裾を握って近くの応接間に引っ張り込んでいた。

「お嬢様?」

 これにはセバスも動揺しているようだが、そんなことに構っていられない。溜め込んできた質問をぶつける機会を得たのだ。この機を逃してなるものか!

「セバス、あ、セバスって呼んでも?」

「え、ええ、構いませんが……」

「セバス。聞きたいことがあるって言ったでしょう?」

「はい、お嬢様」

「変なこと聞くかもしれないけど、正直に答えてちょうだい」

「畏まりました」

 セバスは目線を合わせるようにその場にしゃがんでくれたのだ。優しさを持つ執事さんのようだ。私は逃がさん!とばかりにセバスの上着を握り、視線を合わせた。

「お父様のお名前は何ていうの?」

 案の定、セバスは絶句してしまっていた。やっぱり、今まで感じてきた違和感はおかしなことなのかもしれない。探れるだけ探ってやろうじゃない!

「セバス?」

 動揺なんて知りませ~んとばかりに呼びかけると、セバスが我に返ってくれた。

「……旦那様のお名は、カルロス・ランドールとおっしゃいます、お嬢様」

「そうだったのね。ねえ、セバス。娘がお父様の名前を知らないっておかしなことよね?」

 真剣な目で訴えれば、セバスはこくりと嚥下した。

「子どもだからと誤魔化さないで、正直に答えて。そうなのでしょう?」

 セバスは言い淀み、悲し気に視線を落としたのだ。大人ならその態度で分かってしまう。だが、今はまだ5歳の子どもだ。言葉にしてもらわなければ話が進まない。

「セバス?」

 意を決したように、セバスは視線を上げてくれた。

「一般的には、そうでございましょう……」

 よしっ!正直に答えてくれるようだ!

「じゃあ、お父様とお母様がちっとも会話しないのも変でしょう?」

 直球で聞いてやるとも。子どもが遠回しに聞くかという話である。ぎゅっと上着を握り締めてみれば、セバスは答えてくれた。

「そうでございますね、お嬢様……」

 やっぱりな!この邸の人間が変なのだ。地球の常識が通じるのだ。

「どうして、お母様はオスカーに近づくなって言うの?」

「それは……」

 この質問にはセバスも答えにくいのか、眉間に皺を寄せて口を噤んでしまう。


 やはり、何か深い理由が、『闇』があるのかもしれない。それはきっと、母が原因だと思わざるを得ない。

 だって。

「お母様がオスカーを見向きもしないのはどうして?ねえ、セバス。セバスを困らせたいわけじゃないよ?でも、ずっと変だと思ってたの。意味も分からず会っちゃダメって言われても、訳が分からないよ……」

「お嬢様……」

「お母様はいつも私に、貴女は『王妃』になるのよって言うけど、王妃ってそんなに簡単になれるの?変でしょう?講義で習ったけど、王族って偉いんでしょう?」

「お嬢様、お許しください……私めの口からは何とも……」

「じゃあ、これだけ教えて。お父様たちは、好きあって結婚したの?オスカーは、お父様たちの子どもだよね?」

 セバスは、弾かれたように視線を上げた。

「若様は、紛れもなく旦那様と奥様のお子でございます、お嬢様」

 ほっ。

 不義の子どもではなかったようだ。だったら何故、あんなにまで自分の息子に無関心かという疑問は残るが。

「お嬢様……『政略結婚』という意味はお分かりになりますか?」

「え?うん。えっと、家の為とか政治の為に結婚するんでしょう?」

 まさか。

「はい。そうでございますね。これだけ申し上げましょう。旦那様方は、その政略結婚をなさいました」

 まじかぁ……。

 夫婦仲に関しては漸くこれで合点がいった。そういうことだったのか。

 心内ではそう考えながらも、子どもが大人の事情を理解するのはおかしいので、きょとんとしてみせた。


 しかし、だからと言って、オスカーに関しては納得がいかない。今生の母は、娘に関しては溺愛しているからだ。この雲泥の差は何だというのか。

 ならば父は?

「お父様は、私をお嫌いなの?」

「いいえ!そのようなことはございませんっ。旦那様は、お嬢様を大事に思っておいでです」

 まあ、それは本当だろうと思う。あの動揺の仕方は、こちらが父を嫌っていると思っていたように見受けられたからだ。自分の身を心配した娘の言葉に驚いていたように見えたのだ。目の前の執事も然り。

「そうなんだ。ずっとお父様とお話したことなかったから、嫌ってるのかと思った」

 あの動揺っぷりを思い出して笑いながらそう答えると、セバスは何とも言い難い表情になってしまった……。

「そういえば、もう一つ不思議なんだけど、どうしてメイドたちはあんなにころころ変わるの?」

「申し訳ございません……使用人に関しましては奥様のお役目ですので、私めには分からないのでございます」

「そうなのね。うん、わかった。いろいろ教えてくれてありがとう、セバス」

「お役に立てて光栄でございます、お嬢様」

 セバスは優しい笑顔を浮かべてくれたのだ。いつも大げさに褒めそやす母の笑顔は見ているが、どこか怯えた様子の使用人たちや能面メイドしか見たことが無かったので、セバスの笑顔は新鮮だった。




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