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外伝9

R15 苦手な方はご注意ください。


 リオとリナリアが旅立ってから一ヶ月が過ぎていた。二人は、ローゼンベルク国内のとある町に流れ着いていた。

 ここまでの間、野宿生活は当たり前だったのだが、リナリアは何も文句など言わず、いつも笑顔を絶やさず寄り添ってきた。

 成り行きで始めたこの旅。焼けつくような胸の痛みは、時が少しずつ少しずつ癒してくれていたのかと思ったが、隣に寄り添う穏やかな存在に救われていたのかもしれないとリオは感じていた。

 友の言葉を思い出す。

 ≪他者を信じることも悪くはない≫。

 同胞たちが言う愛というものが自分には理解できずにいた。孤独は辛くないかと問われたこともある。だが、今までそれで一向に構わなかった。

 ――命を奪ってしまった少女には、愛する者がいた。一途に想い続けていたあの姿。他者を信じて疑いもしなかった少女。

 ならばと。

 竜は、真名を名乗って初めてその者と番になれるのだ。

「リナリア。我の本当の名を呼んでくれるか?」

「え?」

「お前に我の名をを呼んで欲しいのだ」

「ええ。喜んで」

 リナリアの笑顔に、リオの頬が緩む。

「我の名は――≪ヴェルメリオ≫」

「――≪ヴェルメリオ≫――」

「ああ、そうだ――この名は、お前だけが知るもの」

 もう一度リナリアが口にしようとしたら、不思議なことにその名が言葉として出てこないのだ。

「真名は秘密故に、簡単に口にはできない。だから、今まで通りリオと呼べばいい」

「ええ。わかったわ」

 リオは、これが真名の力かと、満たされる不思議な感覚に揺蕩っていた。知らず知らずその表情は優しげに綻んでいる。その笑顔に見惚れるリナリアは、頬を染めてはにかんだ。

 初めてリオの笑顔を見たのだ。

 目を引く美丈夫のリオは、あの日からずっと表情がなかった。どこを見ているのかさえも分からない生気のない瞳。その美貌も相まって、閉ざされた心の冷たさばかりが際立っていた。

 リナリアは、リオに何か贈り物したくなった。今日という記念日を、いつでも覚えておきたくて何か形にしたくなったのだ。

 旅の途中、狩りなどで得た貯えで、今日は宿を取ることができていた。ちょっと栄えた街のようなので、何か気に入ってもらえる物があるかもしれないと思ったのだ。

「リオ。ちょっと買い物をしてきてもいいかしら?」

「ああ。リナが望むなら」

 愛称の様に初めて呼ばれた名に、リナリアは微笑んだ。

「有り難う」

 リオから渡された銀貨の入った小袋を受け取ると、リナリアは客室を後にした。


 町を散策していると、思った通り商店が並ぶ通りがあった。リオに何か似合う飾りはないかと探してみる。


「――アリゼ、様。アリゼ王女様ではございませんか?」


 突如、目の前にいた壮年の女性から声をかけられた。

「ああっ。やはりアリゼ王女様でございますねっ。生きておられたのですねっ」

 壮年の女性は、両の手を握りしめて訴えかけてきた。

「私は王宮でメイドをしておりました。覚えておられませんか?アリゼ王女様付きでございました」

「……あの、私は……」

 人違いだと言いたかったのに、目の前の女性は猶も言葉を続ける。

「あの時、マリー王女様が助けていただきました。何と申し上げればよいか……こうして生きていられるのも、マリー王女様のお陰でございます。アリゼ王女様とまたこうしてお会いできるなど……今までどうやってお過ごしに」

 リナリアは、何も言うことができずにその場を走り去ってしまっていた。背後から困惑の声で呼び止められようとも、リナリアはそれを振り切って逃げていた。


(……私は……その名を捨てた身ですもの……)


 あの時――あの日アリゼは、かろうじて残った東側の建物に一人取り残されていた。王宮が消滅する前、アリゼは一人になりたくて、花々に囲まれた温室にいたのだ。そこで読書をしていた時、あの出来事を目撃していた。

 ガラス張りのその場所からは、あの惨劇が見えていた。自分がいる建物に近づいてくる赤竜に怯えて体が動かず、その場にへたり込んでいた。そして、近くの建物が破壊されたのを見届け、これが最後なのかと思った瞬間――赤竜が忽然と消え去ったのだ。

 ガラス越しに見えたのは、赤竜が人に変化した出来事。目を引く男性が、傷だらけで悲嘆に暮れている姿。アリゼの視線はその男性に釘付けになっていた。

 男性が立ちあがると、アリゼは引かれるようにその後を追いかけていたのだ。

 そしてあの場所で立ち止まった男性に声をかけていた。

 アリゼが唯一使えた光魔法。親から見放された存在でも教育は受けていた。魔法の素質があれば両親も振り向いてくれるのではと学んでみたのだが、その才能は芳しくなかった。

 だが、唯一使える光魔法が役に立ったことで歓喜していた。必要としてもらえる存在を見つけたことが心震えるほど嬉しかった。

 ――腹違いの妹よりましだと自分に言い聞かせていた醜い自分が、生まれ変われると思ったのだ。

 己の母が行う非道な行いを見て見ぬフリをしてきた醜い自分が嫌いで仕方なかった。振り向いて欲しい両親にさらに嫌われるのではないかと恐れて、現実から逃げていたのだ。

 一度も声をかけることがなかった妹。

 あの時、赤竜から人に変わった男性もまた妹の名を呼んでいた。遠くからは別の男性が妹の名を叫んでいた。見て見ぬフリをしてきた妹は、誰からも愛されているのだと知って嫉妬した――。

 妹がいなくなった今、今度は自分を必要としてくれないだろかと熱望したのだ。醜い自分の姿に蓋をして――この一ヶ月、忘れていた。忘れたかった。

 だが、夢のような生活から引き戻されていた。ほんの先程リオが笑ってくれたのに、それが幻のように感じている。


「アリゼ王女様」

 男の声で呼ばれて、思わずリナリア、亡国の王女アリゼは振り返っていた。そこに立っていたのは見知らぬ男。

「王女様……お探ししましたよ……」

 元ストレームベリ国の騎士であろうか?

「先程のメイドから話を聞きました。不自由な暮らしをされていないかと心配しておりました」

「問題ないわ。私は、今の暮らしで満足しておりますの。できるなら、そっとしておいてほしいの」

「……そうですか。では、今のお住いまでお送りいたしますよ」

「結構だわ」

「もう日が暮れております。危のうございます」

「――わかったわ」

「お住まいはどちらで?」

「旅の途中だから、宿に泊まっているの。メルボン亭よ」

「ならば、こちらが近道ですよ。どうぞ」

 男の誘導に従って歩き出すアリゼ。土地勘がないアリゼは、闇雲に走ってきてしまったので道が分からなくなっていたのだ。渡りに船だった。



 着いて行けども、なんだか町から遠ざかっているのは気のせいだろうか、本当にこちらが近道なのだろうかと思い始めたとき――それが罠だと気付くには遅すぎた。

 人通りのない川べりの道を暫く歩いたところで。

 先を歩く男が突如振り返り――何事かと思う間もなく、アリゼの首がぎりぎりと締め上げられ、呼吸がままならなくなっていた。

 ぞっとするような昏い目をした男――。



 リオは、町中を探していた。ちょっと買い物に行ってくると言ってからもうどれくらいが経っただろう。既に日が暮れ始めている。もしかしたら買い物に夢中になって迷ってしまったのかもしれない。

 そんなことを考えながら探していたのだが、どこにも姿が見えないのだ。どんどん焦りが募ってきている。

「すまない。紫の髪に金の目をした女性を見かけなかっただろうか?」

 町人に尋ねながら探していると、見たという情報を得られた。何でも、男の後をついて行ったというではないか。

 教えられた方角へ走り出した。

 嫌な予感しかしない。≪索敵≫を展開して人の気配を探る。二人の気配を掴んだ。その場に留まって動かない気配。まさかと思いながら急行する。


「リナ!!」


 視界の先に飛び込んできた光景に、リオは怒りに震えた。首を掴まれ、つま先立ちになって苦悶の表情を浮かべるリナリアの姿。

 声に気付いたリナリアの助けを求める視線がリオを貫く。

 走り出したリオ――だが――その足が鈍る。


「お前が――お前のくそ親父が!俺の婚約者を奪いやがったんだ!!一週間後の結婚式を楽しみにしていたんだぞ!!それなのに!それなのにお前の親父はサラを踏みにじったんだ!!国王に逆らえばお前を殺すだと?は!騎士の野郎たちが半殺しにしておきながらふざけんじゃねぇぇ!!」


 男の叫びが胸を抉り、アリゼの目に絶望の色に染まる。

 両親が犯した醜い大罪。

 何一つできなかった非力な自分。

 妹を犠牲にして、逃げることしかできなかった己の弱さ。

 知られたくなかった。知ってほしくなかった。愛する人に、醜い自分の過去を知られたくなかった――。

 ひゅっ。

 突然気道が開いたことで激しく咳き込む。乱暴に首を離されたことでふらりとよろけた。

 視界の外で、何かの金属音が聞こえる。

 リナリアが視線を上げれば――――鋭い剣の切っ先が向けられていた。

 後悔。恐怖。羞恥。悔恨。懺悔。様々な思いが駆け巡り、リナリアは動けずにいた。

 リナリアの瞳もまた昏く――。


 リナリアをめがけて、男の長剣が襲う――――。




 鮮血が剣先から滴り落ちていく――。

 体を貫く剣が引き抜かれた反動で、身体が地に崩れ落ちていった。


 男は、ふらりふらりとその場を離れていく。




「……リナ……何故だ……?」

「……これで、いいの……」

 リナリアは弱弱しく手を持ち上げて、リオの頬を包み込む。

「……知ってる?……リナリア、は……私の想い、に、気付いて……なのよ……私を、愛して……欲しかったっ……」

 途切れ途切れのか細い声で紡ぐ懇願の言葉――リオの心が引き裂かれ、再び焼けつくような痛みが襲う。

 腐りきっていた家族とはいえ、身内の命を奪ったのは紛れもなく自分なのに――。

 だが、同時にリオの胸が熱くなる。

 これが愛なのだと、ようやく理解した。もっと違う出逢い方をしていたら――彼女を幸せにしてやれただろうか――もっと彼女の笑顔を見ることが出来ただろうか――。

 もっと……――――。

 優しい微笑みを浮かべるリナリア。

 リオの頬に添えられていた手が――だらりと地に落ちていった。

 その身体を掻き抱く。


 リオの体が、赤竜の形を成していく。

 傷を負った体を起こして、リナリアの亡骸を持ち上げる。

 闇夜の空に舞い上がる赤竜。

 人通りのない町外れで起こったこの出来事は、誰も目撃者はいなかった。


 ――自害した男の亡骸が川べりに横たわるのみ。


 夜空に紛れて、ローゼンベルク国の上空に竜が飛翔していく。

 竜の伝説。

 ――竜が上空を飛翔した国に安寧が訪れる。


 ローゼンベルク国民の誰一人として目撃者はいないが、確かに竜が飛翔していた。

 奇しくもまた一人、亡国の王女がこの土地に住む民たちに奇跡を導いたことは、誰も知る由もなかった――。



 リオは、山中にいた。リナリアと初めて顔を合わせたあの場所だ。

 その腕にはリナリアの亡骸が抱かれている。夜が明けようとしていた。薄明るくなってくると――眼下に広がる光景に目を瞠った。

 新しい国が着々と建設されていた。

 一度は破壊したかつてのこの土地に、新しい王が誕生していたのだ。

 リオは、人間の逞しさを見つめている。そして、己が引き起こした災厄の場所も見える。

 リナリアの亡骸を地に下ろし立ち上がった。

 この国を一望できるこの崖の上で、リオは土魔法で地面を掘り起こし、その中にリナリアを埋葬した。石で墓標を作り、近くにあった花を摘み墓前に手向けた。


 リオは暫くリナリアの墓の前で過ごし、この場を後にした――。





 ――あれから。

 リオは再び墓を訪れていた。眼下には、様変わりした光景が広がっていた。

 切り立った断崖を背に広大な敷地を持つ建造物が立ち並び、東側にもまた広大な敷地に建物が並んでいる。西側には神殿と思わしき建物。

 その王宮をぐるりと囲むように区画整理がなされ、それぞれ立派な邸群が建ち並んでいる。大通りを挟んだその先には、さまざまさ建物が建ち並んでいるのだ。

 そして、かつての己が咎の場所は――緑が広がった場所へと変貌していた。幾筋もの道があり、綺麗に整備されているそこは公園のようだ。沢山の人々が訪れている光景が見て取れる。


 風の便りで聞いた国王の名は、エドワード・フォン・ローゼンベルク。かつて慈しんだ少女を愛した男。

 この国のどこを訪れても、民たちは平穏な生活に笑顔で暮らしているのだ。


 ヴェルメリオの頬に、一筋の涙が零れた――。






「ジル」

 久しい友の声に、ジルは振り返った。

「リオ、久しいな」

「番を得た」

「そうか」


 海岸で海を眺めていたジルの隣に腰かけ、昔語りをするように今までの出来事を紡ぎ出す。ジルは、黙って耳を傾けていた。


「番を得てたった数時間であったが、我の生涯は光を得た――ジル。我の身はそう長くはない」

「――深手が原因か?」

「ああ。完全に癒すことができなかった。我は、治癒は得意ではないからな」

「お前もまた――逝くのだな……」

「……すまない。お前との約束は守れそうにない」

「古代種は、我のみとなるか」

「何故、我ら古代種だけがこれほどまでに寿命が長いのであろうな」

「分からぬな――――」


 それから二人は、静かに海を眺めていた。






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