外伝2
月日は流れ、五年の歳月が流れていた。
あれからというもの、マリーへの虐待は日に日に悪化していた。
家族に無関心な国王陛下の女遊びに耐えかねた王妃が、その捌け口をマリーへと向かわせたのだ。食事を抜かれる回数が増えただけでなく、寒空の下で一晩過ごさせるなどの惨たらしい行いまでにエスカレートしていた。
それらの行為を見かねたマリー付きのメイドが、逃げ場を教えていた。与えられた部屋にいては何をされるか分からないということで、王妃が行きそうにない場所へと常に避難するようになっていた。食事は使用人たちの食堂の隅でこっそり摂り、食糧倉庫の片隅に設えた簡易ベッドで眠るのだ。
この五年間、マリーが行く場所といえば、母の墓か食糧倉庫だ。雨の日は、メイドが与えてくれた絵本を倉庫で読んで過ごしている。文字は、メイドから教えてもらっていた。教育など高等なものを受けられるはずもなく、これが一国の王女かと誰しもが耳を疑うような生活を送っていた。
そんな生活を送っていたので、本来家族というべき者たちは、いつしかマリーの存在を気にする者がいなくなっていたのである。あの王妃さえもだ。
そして今日も、マリーは母の墓にいた。
墓に背を預けて、メイドから貸してもらった新しい絵本を読み耽っていた。
「――お前は、独りか?」
マリーの頭上から、突如声が降ってきた。歳の割には発育が悪く、平均よりも小さいといえる体を起こして声の主へと視線を上げた。マリーを覗き込んでいたのは、紅い髪のすらりと背が高い男性だった。
「うん。そうだよ?」
「――お前の歳はいくつだ?」
「えっと――9さい、かな?」
年齢は、毎年マリーの誕生日に、メイドが貴女は何歳ですよと教えている。次に教えてもらうまで、その”数”を覚えているのだ。
年齢を聞いた男性は、マリーが手にしている絵本に視線を移した。その絵本は、仮にも9歳の子が読むような本ではない。些か幼稚すぎる。
「――お前の親は?」
「おかあさまは、ここにねむってるよ?」
「父親は?」
「ちちおやってなに?」
「――――」
男性は、閉口するしかなかった。
「どこに住んでいるのだ?」
男性は、墓石の名を見て訝しんでいる。当たり前だ。この墓を母というなら、目の前の少女の素性は容易に想像がつく。しかし、常識とはいえないほどの出で立ちなのだ。誰かのお古なのであろう服は、手足の長さも合わずにぶかぶかだ。
「えっと、あのおくのおへやだよ?」
少女が指さした場所は、王族が住む場所とはかけ離れた倉庫のような建物だ。
「――お前の名は?」
「マリー。おにいちゃんは?」
「リオという」
「リオおにいちゃん」
「ああ」
腰を曲げて見下ろしていたリオは、膝を折ってマリーの目線に合わせる。
「ほら。食べるか?」
懐から出してきた、初めて見るものを差し出されたのだが、マリーは何の抵抗も見せず素直に受け取った。ころころとしていびつに丸い物。指にぽろぽろと小さな粒がくっついてくる。
「これ、なあに?」
「食べてみればわかる」
促され口に入れてみた。ほろりと甘い味が広がっていく。
「おいしい!」
「そうか。よかったな」
「うん!」
マリーが食べ終わると、口元についた食べかすをリオの指が優しく払い除ける。
ふと、リオの視線が上がった。かと思えば、忽然とリオの姿が消えていた。マリーが瞬きをした間の出来事だったので、何が起こったのか分からない状況に吃驚眼だ。
リオと入れ替わりに訪れてきたのは、一人のメイドだった。
「マリー様。もうすぐお夕飯の時間でございますよ」
「うん」
メイドはマリーと手を繋ぎ、食堂へと誘って行った。
――マリーとメイドの姿が建物の陰に消えていくと、ぽうっと墓の前に浮かび上がった魔法陣の上に、リオの姿が現れた。
リオは、二人が消えていった方を見つめている。静けさに包まれている墓所から、マリーたちが消えていった方とは別の場所を一瞥する。この国の王族たちが住まうのであろう王宮が聳え立つ。同じ王族にして不遇のマリーを思いながら瞑目するリオ。
(人間には、これほどまでに愚かな者がいるのか……)
そして、リオの姿は墓所から消えていた。
翌日も快晴。春から夏に変わろうとしている季節。肌寒かった外気も温かさが感じられてきた。今日も変わらず、マリーは母の墓を訪れていた。
絵本に書かれている絵を真似て、地面に小枝を使って描いてみる。
「マリー」
聞き覚えのある声に、マリーは視線を上げた。
「おにいちゃん」
「ああ」
昨日、忽然とお別れしたリオだった。
「お前は、字が読めるのか?」
「よめるのとよめないのがあるよ?」
マリーは貸してもらった絵本を読んでいても、わからない単語のほうが多いのだ。結果的には読んだつもりになっていただけである。だからといって誰かに聞くのは躊躇われた。メイドたちは、この時間は忙しなく動いているので、幼心にも邪魔してはだめだと分かるからだ。
「覚えたいか?」
「うん」
「なら、我が教えよう」
「ほんと?」
「ああ。こういうときは、ありがとうと言えばいい」
「ありがとう!」
「ああ」
リオはマリーをひょいっと抱え上げると、墓の裏手に腰かけ、膝の間にマリーを座らせた。マリーは、幼い頃に記憶した母親のぬくもりを思い出していた。母の事を覚えているのは、ぬくもりと綺麗な笑顔だけ。今では、母が眠っているのだと教えられた固く冷たい石しか分からない。
リオに包み込まれるように座るこの体勢に、マリーはふんわりと心が温かくなるような心地よさを感じていた。
この日から、マリーはリオから様々なことを学び始めた。
日中、マリーがここにいることはメイドたちも把握済みなので、食事時以外には誰も寄り付くものがいない。そんな時間を利用するかの様にリオは現れて、教鞭をとっている。雨の日に限っては倉庫で過ごすも、冬の寒い日も、リオの講義は続けられる。何故かリオといると寒くないのだ。だからマリーは、安心していられるのである。
本やらがどこからともなく出てくるリオの摩訶不思議な力。リオが用意する本で、マリーはこの世の常識から始まり、いろいろな知識を吸収していった。
「この前読んだ本に魔法というものがあったであろう?」
「うん。覚えているよ?」
「お前には、その素質があるだろうな」
「私も使えるようになるの?」
「努力次第でな。覚えてみたいか?」
「うん!教えてほしい!」
「ああ。なら教えよう」
「ありがとう!」
マリーは、新たな知識を覚えていくことが楽しくて仕方なかった。リオが教える魔法関連にしても、元来の素質であるセレステを発揮したのか、次々に習得していく。そんなマリーに、リオも熱が入る。
楽しい日々は流れ、マリーは15歳になっていた。
不思議な関係ではあるが、楽しい日々を過ごしていく。
ここにきて、運命の歯車が動き出したことに気付くはずもなかった――――。




