外伝1
男は手にしていた花の束を、目の前の海に手向けた。ゆらゆらと揺られていくリナリアの花は、波へと攫われてその姿を消していった。
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ゾンネ歴415年――。
世界地図が目まぐるしく変わる時代。四大陸のうち、最も広大な大陸の西に位置するその国の名は『ストレームベリ国』という。
王政が敷かれたこの国では、国王を頂点とし、六人の豪族たちがそれぞれの領地を支配し国王に仕えている。豪族には、それぞれ信頼のおける臣下たちがいる。
ストレームベリ国は最初から大国だったわけではない。周辺諸国と戦を繰り返し国土を広げてきた。今従う豪族のうちでも、戦に敗れストレームベリ国王の支配下に置かれた者の領地がある。よって、この国もまた、一枚岩とはいかなかった――。
「おかあさま。いただきます」
決して綺麗とはいえない装いの幼子が、墓の前で大口を開けてパンに齧り付こうとしていた。
「こら!そんなところで何をやっている」
幼子は大口を開けたまま、バンを両手で口元に運んだままの状態で背後を振り返る。幼子の背後に立っていたのは、豪奢な金髪に蒼色の瞳をした少年だった。
「そのパンは、この墓の者に供えられたものだろう。それを食べるところなど見られたら殺されるぞ」
「どうして?おかあさまがくれたパンだよ?」
少女がこてんと首を傾げると、柔らかそうな肩より少し長めの青髪がさらりと零れた。
「――お母様?」
「うん。おなかがすいたとき、いつもおかあさまがパンをくれるの。おかあさまはここにねむってるけど、ここにくればおかあさまがパンをおいてくれてるの」
く~~ぅきるるぅぅ~~~……。
「おなかすいたぁ……」
幼子はそう言い放ち、パンに齧り付いた。もぎゅもぎゅと美味しそうに頬張っていく。
「――昼ご飯を食べていないのか?」
「うん。きのうからたべてないよ?」
「え、昨日からだって……?」
「うん。あたしみたいにみにくいこは、つみなんだって。だからごはんぬきだっていわれたの」
「誰にだ?」
「おうひさま」
絶句する少年を余所に、幼子はかぷりかぷりとパンを平らげていった。
そんな時、少年は目の端に人影を捉えた。そちらに視線を向ければ、それと同時にメイドが一人頭を垂たのだ。少年はピンときた。あのメイドがここにパンを置いているのだと。
――王宮の一角の小高い丘の上にある墓所。この墓に眠るのは、生前絶世の美女と謳われた美妃が弔われている。現国王陛下の側妃であった者だ。
墓石に刻まれた名はフローラ。かつて敵国だった領主の臣下の娘を、陛下が欲して側妃にしたのだ。だが、娘を一人授かった後、フローラは愛娘が2歳の折に儚くなった。その死因については、今でも疑惑がある。
暗殺疑惑だ。
実しやかに囁かれている噂。それは、王の寵愛を受ける側妃に嫉妬した王妃が殺害したのではないかというもの。
「おにいちゃんは、ここになにしにきたの?」
「ここに眠る人に挨拶に来た」
「おかあさまをしってるの?」
「ああ」
「そうなんだ」
「僕は、エドという。君、名前は?」
「マリー」
エドと名乗った少年の目の前にいるマリーは、決して醜いものではない。寧ろ、母親の血を受け継ぎ、その容貌は可愛らしいものだ。以前見た姿絵のとおりに、マリーが成長すればきっと母親のように美しくなるだろうとエドは思う。
「マリー」
「なあに?」
「これをあげる」
エドがポケットから取り出したのは、不思議な色をした石ころの様な塊だった。マリーの小さな手のひらにころんと転がる。
「きれいだね」
「気に入ったか?」
「うん!」
「僕が大きくなったら迎えに来てやる。だから、それまで大事にしていろよ?」
「むかえ?」
「君がもっと大きくなったら、その意味が分かる。だから、ずっと覚えていろよ」
「うん!」
「このことは、二人の秘密だ」
「ひみつ?」
「ああ。僕と君だけが知っていることだ。他の人には言うなよ?」
「うん!ひみつ!」
「坊ちゃま」
一人の男性が、エドの背後から声をかけてきた。
「そろそろ帰り支度ですよ」
「ああ」
「おにいちゃん、かえるの?」
「ああ。もうすぐな」
「そうなんだ。あたしもおへやにかえる」
”金と銀”という珍しい色味をしたつぶらな瞳で見上げてくるマリーの表情は、どこか寂しげに翳っている。身なりからしても、ほとんど世話を焼かれていないのだろうと想像に難くない。関わる人間が限られ、言葉や作法にしても、全く教育など受けていないのだろうと容易に想像がつくというものだ。
「気をつけて帰れよ」
「うん!さよなら、おにいちゃん」
「さよなら――マリー」
ひらひらと手を振るエドに、マリーは伸びあがるように手を掲げて、ぶんぶんと振って別れを告げながら墓地を後にした。
「坊ちゃま――先程の子はもしや……」
「ああ。マリー王女だ」
「なんと惨い仕打ちか……」
エドに付き従う男は、険しい表情で前を見据えている。その視線の先には、マリーの小さな小さな後姿が見える。洗濯されているかも怪しい服を身に纏う幼子の後姿だ。
「忌々しい王妃が、食事を与えていないようだ」
「なんとっ……」
「それを見かねたメイドが、ここにパンを置いているようだ。おそらく、虐待は幾度となく続いているんだろう。でなければ、あれほど痩せ細るはずがない」
「そのメイドから与えられる食事で食い繋いでいるのでしょうね……」
「だろうな――父上は、こんなことになると分かっていたなら、何が何でも守りたかっただろうな」
「坊ちゃま……それは……」
マリーの後姿から墓へと視線を移すエド。
「分かっている。先代がフローラ様を差し出したのは、一族と領民を守るためだと。フローラ様も納得されたのだと聞いている」
――十年前、今は『ローゼンベルク領』となったその領土は、一人の力ある領主が治めていた土地であった。外海に繋がる港を持つこの領地は肥沃で栄えていた。それに目を付けたストレームベリ国王は、その領地を自国の領土すべく大軍を率いて攻め入ったのだ。この大陸の中でも大国となっていたストレーベム国の国力には、一領主の力では手の打ちようがなかった。
それに加えて、絶世の美女フローラの噂は近隣諸国にまで轟いており、国王は彼女をも欲したのだ。当時、フローラは既に領主の嫡男に輿入れが決まっていたのだが、それを無視するかの如く要求を突き付けてきた。それは非道といっても過言ではない。
フローラを差し出せば、領主の命だけで済ませてやる。しかし、それを拒めば、領主に連なる者全てを処刑するというものだった。
時の領主はその要求をのみ、自ら首を差し出したのだ。我が一族と領民の安寧を願いながら――。
当時18歳だったフローラと、十五も歳の離れた現国王。二人の間には、長い月日の間子に恵まれなかった。それにも疑惑がある。疑惑とは、寵愛を受ける側妃に王子ができるのを懸念した王妃が、食べ物に受胎を妨げる薬を混ぜているのではないのかというもの。そんな中、フローラが国王に嫁いでから四年目にして漸く子を授かったのだ。そして生まれたのがマリー王女である。
その後、フローラは25歳の若さでこの世を去ったのであった。
マリー王女には腹違いの兄と姉がいる。王妃の子だ。12歳上の兄王子の名はブライアン。9歳上の姉王女をアリゼという。
「国王も、自分の娘だというのに見向きもしないようだな」
「そうですね……あのお姿を見れば一目瞭然……フローラ様がお亡くなりになってからというもの、国王は女遊びに興じていると聞き及んでいますからね。兄王子もあの通りボンクラですし。姉王女はいかような方かは存じませんが」
「この王宮に住む輩たちは腐りきっているな」
「はい」
エドは、眼前に聳え立つ王宮を睨みつける。
「行こう」
「はい、坊ちゃま」
※ ※ ※
「リオ、行くのか?」
「ああ。久々にな」
「そうか。それも手かもしれないな」
「ふ。我に番は必要ない」
「他者を信じるというのも悪くはないぞ」
「またお前の自論か?聞き飽きたよ」
リオと呼ばれた男は、海岸で独り夕陽を眺めていた。




