序章(6/12)アウグストゥスとの出会い(1/3)
英雄アウグストゥスの紹介
「あぁ……ジャンヌさん……ごめんなさい」
馬車の中、ジャンヌさんの事を思って嗚咽を吐いているとアウグストゥスさんが背中を撫でる。
「辛かったか。すまない。気付けなかった」
彼の笑みを一目見て、教師や大人たちの顔と同じと分かった。
彼らは僕を見ていない。ただ僕の問題を解決することで何かを得ようとしている!
僕は彼らにとって何らかの得点に過ぎない。
「だが無理をする必要は無い。泣けばいい。私ならば必ず力になれる。私は君のためにここに居るのだから」
ああ、やはりアウグストゥスさんは天才だ。たった数秒で、僕の心を掴んでしまった。
「アウグストゥスさん! 僕は慰めてもらう価値なんて無いんです!」
「価値は私が決める。さぁ、涙が枯れるまで存分に泣きなさい」
ナプキンを手渡されると僕は必死に涙を止めるために鼻と涙を拭う。
「自宅まで三十分だ。それまで泣き止みなさい」
そう言って書類に目を通し始めるアウグストゥスさんに、また涙が溢れる。
やっぱり僕は、その程度の存在なのか。
ならどうして、僕を放っておいてくれないんだ?
アウグストゥスさんは僕よりもずっと背が高く、女形のようにシャープな顔で、それでいて声色は低く、落ち着いたもので、まるで父親と母親、兄と姉が同時に居るような不思議な感覚に陥る。指は長く、書類を捲る手つきは色っぽく、背筋を伸ばす姿はまるで赤子をあやしているようにも厳格に見守っているようにも見えた。
ただ服装が気になった。ジャンヌさんは少なくとも中世ヨーロッパ風味の服を着ていた。派手だし目立つけど、浮いた印象は無かった。沖田さんは新選組の衣装を着ていたけど仕方ない。それが彼のすべてだから。だけど、アウグストゥスが来ているのは、まるでカジュアルスーツ?
「その服、どうしたんですか? 古代ローマって感じでもないし、この世界の服とも違う。その、まるで僕が居た時代の服だ?」
「ほう!」
アウグストゥスさんは書類をしまうと僕の体面に座り直し、足を組み、窓に肩肘を突いて頬杖で微笑む。
「似合うだろ」
そりゃ凄い似合ってる。女っぽいような色気と男性のような力強さという相反するものを両立させた存在だ。僕が生きていた世界に居れば一躍大スターだろう。
ただ全然質問に答えてもらってない。
「似合います。ただこの世界では周りから浮いちゃうんじゃ?」
「浮く? それは違う。私は美しく、カッコいい! すぐに私のファッションが主流となり、皆私を羨望の目で見つめる! どうやれば私の服を着られるのか、どうやれば作れるのか! そうすることで経済も成長する」
「はぁ? まあそうですね」
「全然分かってないな?」
アウグストゥスさんに詰め寄られると、男といえどその美しさで緊張してしまう。
「そもそも私が着ていた時代の服は君の世代では着られていないのだろ? ローマの子孫であるイタリアも? 誰も私が着ていた服を着ていない。それはおかしいと思わないか? 私はローマ初代皇帝、アウグストゥス。誰もが私の真似をする。なのに真似をしていない。それはどういうことか?」
「いやその!」
「いや私は分かる!」
僕の話聞いてくれないんだ。いや楽しそうだから良いけど。
「つまり科学の発展、そしてそれによる生地の発展、それを織る技術の発展、暖房や冷房といった機械の発展、風を通さぬ建物の発展! 何より、イギリスという国が世界を一度手にしたこと! 付け加えれば! 私の息子たちが死んだこと! ……ローマが衰退したこと……それが結局、すべてだ」
語り終えたアウグストゥスさんは、疲れ切った老人の様だった。
「あの、僕はローマが間違っていたとは思いません」
「ほう? 独裁政治が間違っていないと? 暗殺が横行した私の国が?」
「いえ! その……ごめんなさい」
僕はいつもそうだ。考えなしに、空っぽな言葉を発する。バカみたいだ。いやバカだから死んだんだ。早く死にたい。
「まぁ、そう気落ちするな」
アウグストゥスさんは気持ちよさげに、馬車に備え付けられた引き出しからワインを引きずり出す。
「飲むか? まあ答えは聞かなくても分かるが答えろ。それが礼儀だ」
「えっとその、遠慮します」
「まあ良い。さあ、私に注げ」
アウグストゥスさんはワインボトルを開けるとボトルを僕に手渡し、ワイングラスを持つ。僕はそれにそっと注ぐ。注ぎ終わるとアウグストゥスさんは笑う。
「恭しく、初々しい手つき。まるで初めて私に出会った僕だ。皆最初は私にそうした。この世界の人種はそのようなことをしなかったから、久々に私がアウグストゥスだと思い出せた」
グッと飲み込むと、アウグストゥスさんはため息を吐く。
「これはあのジャンヌという小娘が持ってきた。多くの信徒に、良質なワインを届けるためと。私の時代のワインはもう少し風味が薄かった。コルク栓やこの瓶の形状かな? 皮袋に詰まっていたからかな? それとも材料の違いか? とにかくあの小娘はパンやワインの製造に注力している。この世界の神に、それを願った。だからあの小娘は良質な小麦やブドウが取れる立地をこの世界の神から授かった。私から見れば未来の、君から見れば過去の、この世界から見れば異世界のキリストのために。仲良くできれば、良い友達になれると思うのだが。もちろん、彼女の嫌う政略的な意味だがね」
アウグストゥスさんは夕焼けに染まる空を眺めながら呟く。
「お前は私が奇異と思っているだろうが、政治に身を委ねた私からすれば甘い。この服を見て政敵は何を思うか? 奇妙と蔑むだろう。だがすぐに周囲の意識は変わる。なぜならば、君たちの世代が生み出したこのスーツというものは、この世界の気候に適合する。なぜならコートもある。それを着ても、なお威風堂々たる姿は変わりない。そう、普遍的にカッコよく、美しい。もしも私がローマの服で来たらどうなるか? 奇異な目で見られるならともかく、冬はだぼだぼの、彼らの服を着る必要がある。それは舐められる。どんなに強がっても、お前はその程度の奇人と。ならばローマの冬着を持つべきか? それもダメだ。冬着に着替えるとそれはそれで奴らに舐められる。私たちと同じ服装だな? ズボンもあれば靴も同じ、上着を羽織ると君が自慢するローマとは思えない。まさに馬子にも衣裳、私は服に着られたままただただ政敵の嘲りに耐えるだけ、暗殺される恐怖に耐えるだけ! ああそうだよナツメ。結局恰好も政治の道具なのだ。ローマの服は偉大だ。冬服も偉大だ。どれも素晴らしい。だが文化の違う彼らには理解できない! ならば誰もが皆カッコいいと理解できる服装でなければならない! それは機能性も付随したものでなければならない! だから私はこの服を着る! ひとえに! この国のためだ!」
はぁはぁと息切れするアウグストゥスさんにワインを注ぐ。
「僕には良く分からない。僕はあなたの時代を生きていない。でも、だからこそ、頑張ってください」
アウグストゥスさんはグッと再び一気に飲むとほんのりと頬を桜色にする。
「お前、私のイエスマンにならないか?」
「い、イエスマン?」
「カッコ悪いと思うなよ。皇帝は孤独だ。そんなとき、どんな言葉にも頷く臣下は非常に心強い」
「でもイエスマンなんて? ダメですよ。あなたはそんな人居なくても十分だ」
「私の世代ではむしろイエスマンが欲しかった。イエスマンなら誰も暗殺しようと思わないからね。どうも君は、私に英雄という理想像を押し付けたがっているようだね?」
鋭い視線で睨まれると心臓が止まりそうだった。
「あの、ごめんなさい!」
「謝ると許される。一時しのぎになると知っている。君は政治家に向いているな」
アウグストゥスさんはそれ以上何も言わずにワイングラスを差し出す。僕はそれに注ぐ。それを数度繰り返す。彼は何も言わなかった。僕は何も言えなかった。ただ怖くて、死んだ方がマシだとずっと思っていた。
「あの建物が私の家だ。地震も、洪水も、火山にも、雷にも平気な建物だ!」
高層マンションが平原のど真ん中に立っていた!
「あの、突っ込みどころが沢山あるんですが、まず一つ、何で高層マンション?」
「君たちの世界では私のような権力者の住まいだろ!」
「いやでも、地震も洪水も火山にも雷にも心配な建物だと思います!」
「案ずるな。ここは洪水も地震も火山も心配ない。あるとすれば雷だが、それも私よりもずっと先のお前たちが考えた理論で避雷針がある。もはや心配すべきは部屋だ!」
最後の言葉に違和感を感じる。
「部屋? お手伝いさんが足りないの?」
「それはどうでもいい!」
オートロック(この時代に?)のドアを開けるとアウグストゥスさんは自虐的に言う。
「数百人は住めるところだ。ところが、住んでいるのは私だけ。全く、政治とは、難しいものだ」
僕は何も言えず、何も感じない様に心を殺して入った。
僕にどうしろってんだ? あんなに綺麗なアウグストゥスさんの、悲痛な面持ちに?




