序章(5/12)ジャンヌとの出会い(3/3)
英雄ジャンヌは終わり。次はアウグストゥス。
無理やりお茶を飲み終えるとジャンヌさんが微笑む。
「お茶請けもありますから、たくさん飲んでください」
ジャンヌさんが再びお茶を注ぐ。
「い、良いですよ! 僕なんかにお茶なんか出さないで!」
「あらあら。大切なお客様を無碍にすればそれこそ私の立つ瀬がありません。ご遠慮せず」
すごく遠慮したいのです! 喉は確かにカラカラですがそれ以上に胃が食べ物も飲み物も受け付けません! というか気絶しそうで眩暈がする! でも断ったら怒られそうだから無理やり食べる。
「ブハッ!」
無理やり食べたからむせた! 恥ずかしいがそれ以上に僕の汚らしい唾がジャンヌさんの服にかかった!
「ご、ごぇんあはぁい」
「急いで食べるからですよ。もっと落ち着いて」
ジャンヌさんが手袋で直接口を押えてきた!
「ちょ、ちょっと! 手袋が汚れます!」
「汚れても洗えばいい、着替えればいいだけです。それよりナプキンをお持ちしますからそれまでそれで押さえてください。そっちのほうがずっと大切ですから」
ジャンヌさんは咳き込む僕を無視してナプキンを持ってくる。
「ず、すみません」
「慌てて食べるからです。もっとありますから、落ち着いて食べてください」
にっこりと微笑まれると恥ずかしさで死にたくなる。意地汚いと思われた。ああもう死のう。
「あ、あの、ドレスも汚してしまって申し訳ございません!」
ジャンヌさんは体を見渡し、ドレスについた染みの一点を見つけると微笑する。
「あら? 別にいいのですよ。お気になさらず。着替えますから、息を整えてください」
僕なんかにお辞儀をして奥の部屋に姿を消すジャンヌさん! 今窓から飛び降りれば許してくれるだろうか? 情けなくて胸が締め付けられるほど痛み、動けなくなる。このまま窒息すれば楽になれると願った。でも心優しいジャンヌさんは戻ってくるなり、急いで僕の背中を撫でてくれた。
「落ち着きましたか?」
「ぇえ、申し訳ございません」
「落ち着いてください。さぁさ、お水も飲んでください。消毒していますのでこれならあなたも安心です」
「い、いえ。もう結構です、落ち着きましたから」
これ以上触られたくなかったから急いで体を起こし、深呼吸する。
「じっとしなさい」
めっ! と睨まれると蛇に睨まれた蛙の様に動けなくなる。涙が出た。
「あ、あの! それでどんなお仕事をすればいいんですか!」
これ以上優しくされると変な期待をしてしまう。僕が好きなんじゃないかと思ってしまう。
「本当に大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です! それより早く仕事の話を!」
「どうしてそんなに急いでいるのですか?」
「だ、だって僕は仕事のために来たんですよ!」
ジャンヌさんはにっこり笑う。
「真面目なお方ですね」
また目頭が熱くなる。本当に綺麗な人だ。
「お仕事のお話ですが、その前に、お名前を伺っても?」
「な、名前ですか?」
「お名前を存じなければ仕事などできません」
「え、えと、大神ナツメです」
「大神ナツメ。素敵なお名前ですね。私はジャンヌダルクと申します。1431年のフランスからやってきました。職業は軍人で、指揮官をやらせていただきました」
「し、知ってます! フランスの英雄だ!」
「ありがとうございます。最後は辛く、哀しく、痛く、熱い炎で焼かれましたが、そう言っていただけると大変うれしいです。私は間違っていなかった。そう思えますから」
「絶対に間違っていないです! ジャンヌさんは素晴らしい英雄だ!」
「ええ、フランスもキリストも、素晴らしい。それを守り死んだ私を後世の人々は英雄と言ってくれる。本当に嬉しい」
「凄いです! 僕みたいな屑が話していいのか分からないくらいに!」
僕が息を切らしながら言い切ると、ジャンヌさんは両手を組んで恭しく目を瞑る。落ち着かない緊張感で眩暈がした。
「ナツメはとても素晴らしいお方ですね」
耳が腐ったのかと思った。
「僕が素晴らしい?」
「人は生まれながらに罪を犯しています。生きるために羊を殺し、生きるために土を掘り起こし、戦争とはいえ生きるために人を殺す。私たち人の一生は、罪の歴史と認識しなければなりません。しかし人々はそれに気づかず、さらなる罪を犯す。淫行、権力、お金、本来ならば断じなければならぬ罪を重ねてしまう。それはひとえに己の罪を認識しないため。そのために起こる悲劇。ですがあなたは違う」
ジャンヌさんは今まで感じた事も無いほどに温かみのある手のひらで僕の両手を包み込む。
「あなたは自身の罪に気付き、悔いています。あなたは立派なクリスチャンです」
盛大に勘違いされている。僕が口走ったのはクリスチャンになりたいからじゃない。
「僕はクリスチャンじゃないですよ。無宗教です」
「でしたら、今からあなたはクリスチャンです。簡単ですが、洗礼を行います」
ジャンヌさんは大慌てで奥へ引っ込むと桶にたくさんの水を入れて持ってきた。
「本来ならば、清い水に全身を浸かってほしいのですが、この世界では邪教徒と見なされてしまうので仕方ありません。さあ、そこに跪いてください」
僕は流されるままに膝を着くと、ジャンヌさんが濡れた手で僕の頭を押さえる。
「聖なる神、子なるイエス様、聖霊なる神。私、聖なる神の僕であり、子なるイエス様の教義を伝え、聖なる神を慈しむジャンヌダルクが、このさ迷う子羊を我が神の僕と認めます。アーメン」
ジャンヌさんはすっと笑顔で僕の頭を撫でる。
「簡潔ですが、これであなたはクリスチャンです。私と共に、この世界へ寄こした神のために戦いましょう。それこそが、真なる偉大で聖なる神の意思なのです」
何だろう? 僕は何のために居るんだろ? 何だかイメージと違う。 こんなにキリスト教大好きで人の話聞かない人だったの?
「あの、ジャンヌさんはここの大司教でしょ? 確か、エーテル教の。こんなことしていいの?」
ジャンヌさんは悲しく首を縦に振る。
「私とて、最初は胸が切り裂かれる思いでエーテル教に改宗しました。それこそが正しいと思った。ところがエーテル教は腐っています。内部では淫行、賄賂が横行しております。また信徒への教義もダメダメです。お祈りもしない、犬や馬を食べる、洗礼は一定金額を積まなければならない、ただ名前だけの宗教。宗教こそこの世界を救うと思ったのに、この世界は裏切った。だから私はエーテル教に期待などしない。真なる聖徒だけで良い。そのものが世界を救う! あなたはその最初の一人、私が初めて出会ったクリスチャンです!」
何だろう。何かジャンヌさんが嫌われている理由が分かった気がする。
ジャンヌさんは僕の思いも知らぬ様子で椅子に座る。
「さて、洗礼も済みましたし、お仕事のお話をしましょう。と言っても、実のところもうお手伝いは必要ないのですが」
「えっ! 僕必要ないんですか!」
「感謝祭まで明後日しかありません。ここでバタバタしていても仕方ありませんから。ひと月前なら色々お仕事があったのですが」
なんてこった。いやある意味都合がいい。もうジャンヌさんの傍には一秒も痛くない。
もちろんジャンヌさんが嫌なやつとかいう意味では無い。だって、ジャンヌさんは一生懸命この世界を救おうと頑張ってる。ただ単に、弱虫で爬虫類も価値の無い僕に期待をしてくれるなんて、心臓を握りつぶしてくれた方がマシだ。
「じゃあ、このお金返します! いや、まずあの店長からお金を取り返さないと!」
「いいのです。無用な争いを生みますし、あなたは私と同じくクリスチャン。お互い頑張りましょう。ああそうだ! ここで生活する上で、どうしてもお金は必要でしょう。金貨一枚程度ですが、これで当面は過ごせるでしょう」
金貨一枚って7.5億! そんなの受け取れない!
「い、良いんです! 僕は沖田さんから貰った銀貨100枚がありますから!」
「沖田? 沖田総司ですか?」
突然ジャンヌさんの目が曇る。
「ど、どうしたんですか?」
ジャンヌさんは大きくため息を吐く。
「すみません。あの日本人の名前を聞いて昔あったことを思い出してしまって。思い出し怒りですね。お祈りが足りません。アーメン」
「あ、あの! いったい何が何があったんですか!」
ジャンヌさんが目を血走らせる。
「あの男はキリスト教を知らないと言った! あまつさえ興味など無いと! 自身が使えるのは徳川家という得体の知れない宗教だと!」
「そ、それは仕方がない話だと! だって沖田さんは、徳川家のために死んだのだから!」
「辺境の名も知れぬ宗教を認めろと!」
ジャンヌさんはまるで狂信者だ! 戦慄が走る! 僕とは決して相いれない! 英雄だから? 意識の違いだ! 僕はミジンコと人生と割り切っていた! でもジャンヌさんは違う! キリスト教とフランス、そして何より己に自信があるから
「そ、その、ごめんなさい」
僕には謝ることしか出来ない。それが僕の人生だから。
「あらあら? どうして謝るのですか? もしかすると、あなたも沖田総司と同じく日本人ですか?」
「ご、ごめんなさい!」
「謝らなくて良いのです。それより、あなたがどの時代から、どこから来たのか知りませんでした」
「僕は平成28年の日本から来ました! あなたが死んだ約600年ほど前です!」
「そうでしたか。あなたが未来から来たのは知っていましたが、実際に聞くと、実感できました」
沖田さんと同じ反応だ!
「あの若き神にフランスの未来を聞きました。私が後世でどうなるな知っていましたけど、あなたの言葉を聞いて安心しました」
「あの、もしも僕が嘘を言っていたら?」
「もちろん殺します。嘘は大罪ですから」
神様、僕もう死んでいいですか? いやすぐに殺されそうだけど死に場所位見つけたい!
「私はフランスの未来をあの若き神から聞きました。ですからあの沖田が言う徳川家も無碍にするわけには行きません! ですがあの日本人はこの非常事態に改宗する訳でもなく我儘に過ごす! 私が改宗したのに! なぜ改宗しないのですか! それこそが世界を救う唯一の方法なのに!」
「あの、僕もう行かないと! お金は置いて行きますから!」
「置いて行く必要などありません! あなたはクリスチャンです! ともに戦うのです!」
誰か助けて!
「お困りの用だね、大神ナツメ君!」
大声が部屋に響くと、目もくらむような美男子が、優雅で豪華なスーツを着た青年!
「アウグストゥス!」
ジャンヌさんが吠える。
このお方はガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィヌス! 別名アウグストゥス! ローマ初代皇帝であり、世界最高峰の政治家にして、世界最初の独裁者! ああでもこの美しさはアウグストゥスとは違うのでは? 彼は浮気を沢山したらしいけど禿と聞いたし。
「私は禿でないよ、ナツメ。あとでその話、数時間話てあげよう!」
ジャンヌさんとアウグストゥスさんが相対する!
「アウグストゥス! なぜあなたがここに居るのですか!」
ジャンヌさんはアウグストゥスさんと認めるなり見っともなく唾を吐き散らかす。
「失礼な乙女だ。私はこの時間にここに来ると連絡しただろ?」
無礼な口調に慇懃に大げさに頭をゆっくり下げるアウグストゥスさん。慇懃無礼なアウグストゥスさん。失礼だ。
「あなたと話すことなど無いと言ったでしょ?」
「それは君の早合点だ! それで、そこのナツメ! 君はどんな能力を持っている?」
「アウグストゥス! 私の客人に何を無礼な!」
「君は感じないのか? 無理は無い。君があの若僧から授かった能力は、すべてのものを治す『聖少女の奇跡』! 同じく信仰、キリストを信仰する信徒のみを強化する『神の十字軍』! どれもこの世界では役に立たない存在だ!」
「黙りなさいこの権力の亡者! あなたが歴史に残る偉人となるなど神の恥!」
「無礼な! 私はローマ初代皇帝、アウグストゥス! 頭を垂れろ、小娘!」
「あなたのような下劣な存在で信仰が乱れる! 権力で宗教は滅茶苦茶になる!」
「私は宗教など興味ない。無茶苦茶にしたのはお前たちの勝手だろ?」
「ローリックに賄賂を贈っておいて何を言う!」
「あの男は堕落していたが最高の男だった! 私の手ごまとして! 貴様が見殺しにしたおかげで大誤算だ! 失礼ながら損害賠償を請求したいね!」
「アウグストゥス! ローマの英雄であり、フランスの英雄ナポレオンが尊敬したから尊敬していたが、実物を知ると吐き気がする!」
「聖少女がこのような分からず屋と知るとますますこの世界の政治は私、アウグストゥスが取らねばと確信できる! このような小娘を未来の私の子孫が英雄と崇めているのならば!」
「口を慎めアウグストゥス!」
「もうどうでもいい! お前と私は水と油! 私が嫋やかなる水でお前は油! 勝手に煮えたぎっていろ! それより、大神ナツメ。君は神に何の奇跡も授かっていないようだがどうしてだ?」
「えっ? どうしてそれを?」
驚くがアウグストゥスさんの畳みかけに謝罪もできない。
「私は人の心が読める。政治ではそれが大切だからな。あの若僧が授けた、『心眼』だ! さらに世論を掴む『神の定めた政治家』! 私こそこの世界の王! 帝王だ!」
「な、なるほど」
「理解していないのに頷くのは感心しないが、まぁ良い。それより、ジャンヌダルク、この子はお前の望む力など持っていない。信仰も、何も。黒い者どもを倒す力も!」
ジャンヌさんが目を見開く。
「そんなバカな! この世界に来た以上! 何か力を持っているはず! 信徒を救う力を! あなたと同じ信徒を救う神の加護を!」
僕は、これがチャンスだと、すんなりと、残酷な言葉を伝える事が出来た。
「ごめんなさい。僕は何の力も持ってません。ジャンヌさんのような力も、アウグストゥスさんのような力も、沖田さんのような力も! だから、せめてこのお金はお返しします。本当にごめんなさい」
僕は銀貨三十三枚を机に置く。これがせめてもの誠意だ。
「行くぞ小僧。俺はお前と話がある」
アウグストゥスさんに首根っこを引っ掴まれる。
「な、ナツメ?」
その間に、ジャンヌさんと目が合う。
「嘘でしょ? あなたは私と同じく、神を、キリストを愛するクリスチャンでしょう?」
僕はその姿を見ていられなかった。
「私の自宅までついてこい」
アウグストゥスさんに連れられてどこかへ流される。
ああ死にたい。でも、僕が死んでジャンヌさんは喜んでくれるのか? ミジンコよりも価値の無い僕が死んで?
もう死のう。でも、あの英雄アウグストゥスさんと会えた。死ぬならせめてもうひと時。




