おまけ・ダリウスとリリーローズ、狩り場にて(1)
わたしはダリウス。この国の王子だ。
わたしは六つ年下であるリリーローズに恋をしている。
リリーローズとは魔法学校に頼まれた用事で出会った。
珍しい、光魔法を扱える少女が現れたが、どうやら魔法自体の扱いには困っているようなので、魔法学校主席卒業のわたしが様子を見てほしい、そして庶民である彼女の後ろ楯になってもらえないだろうか……そんな話だった。
向かった魔法の練習場で、彼女は同時に複数の魔法を操っているところで、それを魔力の暴走だと勘違いしたわたしは力ずくで魔力の行使を止めさせた。
その時のリリーローズは戦の女神のようで、そのあと『美容魔法』だとかなんとかいうふざけた魔法を使ったリリーローズはまさに天使だった。
光魔法だけでなく、複数の魔法を扱える美しい女性。
わたしの妻にこれほど相応しい女性はいないだろうと、その場で婚約を申し込んだ。
わたしは昔からモテた。学校に通っている間、常にモテた。卒業して夜会デビューした今もモテている。だからこの年頃の少女なら簡単に頷くだろうと思っていた。
たが、彼女はわたしを見下す様な目をして断った。
それからリリーローズの関心を引こうと、毎日手紙を書いた。なるべく会いにも行った。迷惑がられたので逆に引いてみた。
少しは寂しがってくれるかと思えば、面倒が減ったと喜ばれてしまった。
魔法学校の中でリリーローズはわたしよりもモテているらしい。
しかし、彼女の言葉を鵜呑みにするのなら、特定の誰かに向けての関心を抱いていないようだった。
一年に一度、この国では貴族を中心とした戦闘に長けた者が集められ、魔物狩りが行われる。
貴族や王族は護衛を伴い、魔物が現れる森周辺で狩りをするのだ。この時には貴族だけでなく一般の勇者だとか冒険者も狩りを行う事が多い。
わたしはリリーローズと供に狩りを行うつもりだ。
リリーローズの周りには、彼女の護衛の他に、学校でよく彼女にまとわりついている男どもがいた。彼らもリリーローズと一緒に森に入るつもりでいるらしかった。
「あの、皆様に怪我があってはいけませんし、森の深い場所に行ける能力があるものはそちらに向かうべきだと思うんです。ですからわたしはひとりで森に入りたいんですけど」
なるほど、このところ聖女と呼ばれはじめているリリーローズには、普通の学生程度では足手まといだろう。
「リリーローズ、わたしは構わないね?」
何しろわたしは主席卒業。腕には自信がある。それに、魔物狩りではいつも森の奥まで行っていた。護衛はテントに残し、二人きりで行こうと提案してみる。無論、わたしは役割のある身。無理をするつもりはないし、リリーローズはこの国の至宝。無理をさせるつもりはない。
リリーローズは少し困ったように微笑んで頷いてくれた。
「最近、魔族がちらほら姿を見せていますよね?絶対魔物も強くなってると思うんですけど」
リリーローズとわたしは森の奥に向かって進む。もう、何匹もの魔物を倒している。後方では兵士が倒した魔物の解体をしていた。
聞けば、リリーローズにはまだまだ余裕があるらしい。これは頼もしいものだと感心する。
ピンクの髪をふわりと風になびかせて、リリーローズが足を止めた。
「どうしたの?」
「嫌な感じがします。逃げましょう」
リリーローズの小さな手が、わたしの手を握る。あたたかい。もしかして、リリーローズからわたしに触れたのはこれが初めてではないだろうか?
リリーローズには少々潔癖症なところがあるようで、身体的接触を非常に嫌うのだ。それを知って以来わたしは注意するようにしているので、最近はリリーローズもわたしを警戒する素振りを見せていない。わたしに言わせれば、リリーローズの『信望者』たちと話しているときのリリーローズは常に緊張し、警戒しているではないか。信望するのは構わないが、リリーローズを怯えさせてどうするのだ。
皆がいる方へ、と少し戻った辺りで、わたしたちは歩けなくなってしまった。
闇を塗り固めたような何かが、後ろから迫ってくるのがわかる。
わたしは情けなくも、その場にへたりこんでしまった。
「わたしはリリーローズです。貴方はどなたかしら」
リリーローズの凛とした声がした。地面に座り込んでしまったわたしを庇うように立ったリリーローズの視線を辿ると、男であるわたしでも美しいと思うような、それでいて壮絶な迫力を持った男がいた。
「人間か」
それが不快そうに片手を動かしただけで、わたしなどはものすごい重圧を感じる。死を意識した。
しかしリリーローズは満足そうに頷くと、服の胸元からペンダントのチェーンを取り出した。
「わたしには、貴方と対等に話す権利があると思うんです。あなたは魔王?」
ペンダントにはいくつかの鋭く尖って固そうな、黒い塊がついていた。先程のリリーローズの言葉を思い出して、それがリリーローズが倒した魔族の身体の一部だと気がついた。恐らくは、指先。尖っているのは爪だろう。なんてものを身に付けているのかと、リリーローズの事を恐ろしく思ったが、彼女には確かにそういうことをしそうな雰囲気があった。
あの夜会では、微笑みながら魔族を倒した彼女だから。
わたしが立ち上がる事も困難な最中、リリーローズはそよ風の中にいるような具合で、天使のような微笑みを浮かべていた。
「……そうだ。余は魔族を統べる王である」
魔王も、リリーローズの美しさと愛らしさに魅了されたようだった。食い入るようにリリーローズを見つめている。ややあって、魔王はリリーローズに手を差し出した。
「リリーローズとやら。人の世ではさぞかし、そなたは生きにくいだろう。余と、魔界で心安らかに過ごさぬか?」
「ええ、確かにとても生きにくいですね」
リリーローズはその時、少しの間だったがはっきりと振り返ってわたしを見た。何を考えているのかよく分からない、あの完璧な微笑みを浮かべた彼女の、磨きあげられたエメラルドの瞳は澄んで、美しかった。
「わたしを惚れさせることができる人がいたなら、魔界なり何処へなり喜んでお嫁に行くってことになってます」
隣で見ていてもうっとりさせるような表情を、リリーローズは魔王に向けて見せた。なんと美しい。わたしにもその笑顔を向けて欲しい。リリーローズの魅力に限りは無いらしい。わたしは心臓を鷲掴みされたように思った。
「よかろう」
逞しくも美しい魔王は、差し出した手を一度下ろす。ゆっくりとリリーローズに近づいて、優雅に膝をついた。色っぽい眼差しで、彼女の白魚の様な手を取り、口づける。
「そなたの望む物を全て与えよう」
これだけ美しい魔王にひざまずかれて、心を揺らさない女がいるだろうか?わたしはリリーローズがこの魔王の元に行ってしまうのだと、あまりにも絵になるその光景をただ眺めていた。
「欲しいものをくれるんなら、今ください」
魔王は軽く眉をひそめた。一瞬にしてリリーローズの足元に山のような財宝が積まれる。
リリーローズは首を振った。
「財宝なんて欲しくない」
今度は大量の書籍、資料が積まれる。魔術を研究するものであれば垂涎の品だとわたしにはわかった。
しかし、リリーローズはこれにも首を振る。
「百の宝石も、千のドレスも、万の宮殿も、ただの品物なんてわたしは欲しくありません。魔王、期待してるわ。わたしの心を溶かせるものな試してみてね。……帰ります」
甘い微笑みを魔王に向けたリリーローズはあっという間にわたしの手を引っ張ってその場から走って離れた。
振り返ると、あっけに取られた顔で魔王が立ち尽くしていた。
森の中を駆けながら、確かにリリーローズは愉快そうに笑っていた。