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ハルベリーが勉学に励もうと決意し、準備をはじめたころ、突如、王からの手紙が届いた。丁度、手紙が届く前日に、ハルベリーが少しずつ法や経済の勉強をするための教師を雇うことを決め、フリードマンに手配を命じたばかりだった。
手紙の内容は、地図にない街の調査だった。それも隠密に自ら行うようにと書かれている。つまり、この手紙はダレンシス・ペルージャ王からシーガル大公への密命だった。
(山に登って死ねということか……)
ハルベリーは口の端をあげて皮肉な笑いをもらした。不審に思ったフリードマンがいかがなさいましたかと尋ねる。ハルベリーは密書であることをわかっていながら、彼に手紙を読ませた。密書を読んだフリードマンの顔色は、かすかに怒りをあらわにしていた。
「ご命令を遂行なさいますか?代理をたてることは、可能だと存じますが」
「いいさ、父上の望みだ。必要なものの準備を頼む。それと母上には言うな。理由は出発までに考えておく」
「かしこまりました。共には誰をおつけしましょう」
「そうだな。バースティアをつれて行こう。他はいらん」
「あの娘だけで、ご不自由ではございませんか?」
「たぶん、他の誰をつれて行くよりも適任だ。バースティアは、ただの獣人ではないのだろう。お前は何か気が付かないか?」
そう言われて、フリードマンは少し考え込む。そして、迷いながらも答えた。
「おそらく、かなり高度な魔法をつかえるものと思います。以前、ルクソールが高熱をだしましたとき、医者の必要はないといい、癒しの魔法を使っていました」
「そうか、癒しの魔法を使えるのか。俺はいい買い物をしたのかもしれん。とりあえず、バースティアをここへ」
フリードマンはかしこまりましたと一礼して出て行った。
しばらくしてから、バースティアがやってきた。
「なんだい?また、わからない病か」
バースティアはからかうようにくすくす笑うが、ハルベリーはいつもは決してすすめないソファーに座るよう命令する。バースティアは、いぶかしげにソファーに座ると、ハルベリーも向かいにすわって、密書を彼女に渡した。
「それを読め」
「へいへい。読めばいいわけね」
バースティアはけだるそうに密書を読んだ。そして、珍しく眉をひそめる。
「旦那様は、この街を探すつもりか?」
「王命だからな。お前もつれて行く。お前は癒しの魔法が使えるとフリードマンがいっていたからな。ほかにも使える魔法があるんだろう?」
バースティアは、何かを思い出してちっと舌打ちした。
「行ってもいいが、条件がある」
「なんだ?」
「ニノもつれていく。本当ならルクソールもつれて行きたいが、体調が悪いからな。それから、あたしとニノ以外の従者はなしだ。その条件がのめるなら、ついて行ってやるよ」
ハルベリーはいいだろうとあっさり条件をのんだ。バースティはけげんな顔をする。
「なんだ?本気でいっているのか?」
「お前がその条件でないと、来ないというのならそうするしかないだろう」
「別にあたしが行かなくても、家令どもを連れていけばいいだろう?」
「そうはいかない。それは王からの密命だからな」
「密命を奴隷にみせる意味がわからないな」
「お前が魔法を使えるからだ。癒しの魔法は上級魔法。なぜ使えるかは聞かないでいてやるから、おとなしく共をしろ。ニノには、俺がわがままで山登りをすると言ったとでも言えばいい」
「ニノには話すなということか」
「そうだ」
ハルベリーは真剣な目でバースティアを見ていた。
「わかった。ニノにはあたしが里帰りをしたいといったら、旦那様がついてくることになったから世話係としてついてきてくれと言っておこう」
「ニノはそれで納得するのか?」
「するよ。ニノは旦那様を嫌っちゃいないし、あたしがそろそろ屋敷を抜ける計画をしていたのもしっているからな」
今度はハルベリーがけげんな顔をした。
「屋敷を出るとはどういうことだ?」
バースティアは知り合いから知らせがきたのさと言う。
「そろそろ寿命がくるから、会いに来てくれとね。丁度、その山の中腹なんだよ。だから、堂々とたずねられるってわけだ」
バースティアはにやりと意味ありげに笑った。ハルベリーは、小さくため息を吐く。
「ほっておいても、お前は屋敷を抜けていたのだな」
「まあ、そういうことだね」
バースティアはあっさりと認めた。ハルベリーは一度出て行けば戻る気はないのだろうかと思った。だが、それを尋ねられるほど彼のプライドは低くはなかった。プライド以前の問題かもしれないのだが。
「とにかく、お前とニノが共だ。必要な物があれば、フリードマンに頼んでおけ。出発は……」
いつにしようかとハルベリーが迷っているとバースティアは、自分が決めたいと言う。
「なぜ、お前が決める」
「旦那様の身の安全がちょっとと、残りのほとんどはあたしの都合だ。あとはルクソールの体調によるな。あまり状態が良くないからな。今この話をしても、ニノは行かないというだろうし……はやくても二週間後、遅くても今月中には出発しなけりゃならないが……今はまだはっきりとは言えない」
ハルベリーはお前の事情というやつかとため息を吐く。
「まあ、いいさ。そう急ぐ話でもないが、返書にいつ旅立つか書かねばならん。といっても、書いたからといってそのとおりの日付で向かう必要もない。何せ密書だからな」
「ほう、旦那様も悪知恵が回るようになったもんだな。まあ、とりあえず、二週間後に出発するとでも返事しとけ。あと密書は肌身離さず持っておけばいい。後々、役立つこともあるかもしれないよ」
バースティアはそれだけ、言い残してさっさと部屋を出て行った。
ハルベリーはもう一度、手紙を読みなおす。彼に探せと命じられた場所はシーガル領の北東に連なるウェルセドール連山でももっとも険しいと言われるシャドーヘイス山だった。標高七千メートル弱。その中腹にあると伝えられている獣王の城塞都市ユスタファムの調査だった。
(どうやってたどり着けと言うのだ)
あるかないかも定かではなく、伝説でしかない城塞都市。それを十六の片足の王子に探せと言うのだから、当然、死ぬ覚悟をしろという意味だろう。
(ならば、何が何でも生き残って見つけ出すまでだ)
もし山の中で死ぬようなことがあれば、それは自分一人でいいとハルベリーは思った。バースティアなら、どんな環境でも生き残しそうだし、ニノがついて来るのならなおのこと二人の生存確率は高くなる。獣化すれば、人が進めない道でも何とか進めるだろう。毛皮を纏っていれば、早々凍死することもないはずだ。ハルベリーは何よりもあのバースティアの意味ありげな笑みと里帰りという言葉が気になっていた。だが、それよりも先にすることがある。ハルベリーは登山について学ばねばならない。登山のルートも検討する必要がある。そして、獣王の伝承も拾えるだけ拾わなければ、街は見つからないだろう。ハルベリーは机に向い、必要な物を紙に書きつけていった。