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男は襟と手首にファーのついた黒いコートをまとって、大きな鏡の前に立つ。死者のように白い指が鏡の表面をなぞると、鏡には広大な平原の真ん中に広々とした城塞都市が浮かび上がった。それはペルージャ王国の王都クレヴィータ。
ゆっくりと城塞都市が拡大されていく。街を行きかうのは、ほとんどが人間だが大きな荷物を担いで歩く獣人の姿もちらほらと見える。
「かなり減ったようだな」
男は白い顔を歪めて皮肉めいた微笑みを浮かべた。
「人が手を下すまでもなかったのか」
男は何かを期待するように、その中に誰かの姿を探した。だが、そこに求める者の姿はなかった。男は急に興味を失ったかのように、手のひらで鏡を拭った。鏡は一瞬にして黒く染まり、何も映さなくなった。そして、男はベッドへと歩み寄る。ベッドに敷かれた大きな獣の、まるで生きているかのような毛並みのよい剥製。その頭を触りながら語りかけるように言う。
「お前の娘はどこに行ったのだろうな?お前がシルヴェールを隠したようにウェルセドール連山のどこかにあるという隠れ里にでも隠れているのか?」
男はぽつりぽつりと語りかける。返事がないことなどわかっている。相手はもう、当の昔に死んでいる。殺して皮をはいで、自らの褥の敷物にした宿敵。男はふっと口元を歪める。
「何を間違ったのか、私にはもうわからない」
男はそういって、ごろりとベッドに横たわる。
「こうして、お前の皮を褥にすれば、何か変わるのかと思ったんだがな。……いや、お前を倒してから私は退屈で死にそうだよ。退屈で退屈で……虚しい。お前の娘は、私と同じなのか?同じように虚しさに苛まれて生きているのか?」
男は違うのだろうなとつぶやいて目を閉じた。
魔法師団第二基地カーディの隊舎で待機状態のアリス・マクラインは、本を読みながら時間をつぶしていた。
「最近変だと思わないか、アリス」
ふいに話しかけられて、アリスは本から目を離さずにまあねと答える。
「変だと言えば、変かしらね。出動が少ない」
だよなと、アリスに話しかけた男、クリス・クラウドは深いため息をついた。
「なんか、拍子抜けするっつうか、なんつうか……」
アリスは、黒髪の長くなってしまった前髪を軽く掻きあげながら、バカだなとつぶやき、クリスを見た。
「出動が少ないことは、いいことじゃない。魔物の出現が少ないってことなんだからさ。もしかしたら、このまま、消滅でもしてくれればそれこそ万々歳でしょ」
クリスは銀の短い髪をかきながら、それだと魔法師は失業だとさらにため息をつく。
「魔物が存在するから、魔法師団が存続しているってのも、皮肉な話だけどさ。事実だろ?」
「まあ、確かにね。でも、それは一面でしかないでしょ。魔法そのものは、攻撃・防御・癒しの三種類あるんだから、応用すれば食いぶちには困らないでしょ。現に在野で活動している魔法師だっているわけだし。治癒魔法を取得してれば魔法医だってなれるじゃない」
クリスは難しい顔をして言った。
「俺、無理だわ。治癒魔法初級だからな。攻撃とか防御なら上級なんだけどなぁ。応用つっても思い浮かばねぇぞ……なあ、失業したら、養ってよアリスちゃん」
「嫌よ。あんたみたいな大飯ぐらい。お断り」
「ちぇ、つめてぇのぉ」
クリスは拗ねたようにそう言ったあと、くすくすと笑う。
「何?どうしたの?」
「いや、もし本当に魔物が減少して消滅しかかってるなら、俺たちはお払い箱だろうけど、逆だったら怖いよなとおもったのさ」
「逆?」
アリスはクリスの言わんとすることがよく分からない。
「つまりさ。一時的な減少だとしたらってことな。よくあるだろう?農産物の不作の翌年は豊作だったりとかさ」
「あんたねぇ、魔物と農産物いっしょに考えないでよ」
そういいつつも、アリスもその可能性はあるかと考えた。
(検知される総数は、ここ数年右肩上がりでふえていたっていうけど。今年に入ってからは、それが、急激に出現しなくなっているっていうのは、何かあるわよね。クリスの勘は当たっているとは思いたくないけど)
アリスはぱたりと本を閉じて、立ち上がる。どこ行くんだとクリスに問われ、散歩と答えてさっさと待機していた部屋をでる。彼女は人目のつかない場所を選んで、【秘密通信】を使った。相手は獣人部隊にいるブルース・ミンク。先に魔法師団に潜伏している仲間だ。
『ブルース、今大丈夫?』
『ああ、大丈夫だ。どうした』
『気にかかることがあるんだけど。ここのところの出撃。こっちは減ってるわ。そっちは』
『変わりないな。ほぼ、毎日だ』
『そう……』
『ああ、だが、奇妙なことがいくつかある。出没の規模が小さいし、弱い。泥人形とか双頭犬なんかの群れだ。多少の知恵さえ回らない。火影で吹っ飛ばせる。竜も大蛇にもお目にかかってないよ。まあ、それについては、報告しておいた。姫さんがどう判断するかわからんがな』
『消失の傾向ととるか、爆発的増殖の前兆とみるかってこと?』
『ああ、もう少し情報が集まれば、出張ってくるかもしれないが。できれば里でおとなしくしていてほしいね』
『どういう意味?』
『あの人はいろいろ無茶苦茶なのさ』
『あのおおらかすぎる姫が?……想像つかないけど』
『戦闘時の姫さんは怖ぇよ……とりあえず、様子見だな……悪い、出動だ』
『……そう、気を付けて』
アリスはそういって【秘密通信】を解除したものの、すっきりはしなかった。ぼつぼつと隊舎のまわりを歩きながら、考える。
クリスが言ったように、魔物がいなければ魔法師団など無意味な存在なのだ。むしろ、魔法そのものが不要とさえ言えるかもしれない。ブルースとの会話で、どうやら最近の出動が少ないのは、獣人部隊を酷使しているせいかとアリスは思った。各軍隊に三班の計十五名しかいない獣人部隊。それが毎日出動している。少なくともこの第二基地カーディでは、それが現状のようだった。他の地域についての情報は幹部連中しかしらない。情報をつかむには、第二班に所属するか、出世して幹部になるかだが、アリスはどちらも向いていないと自分で思っている。
(獣人部隊の出動は平常どうりか……出没の規模が小さくて、知恵のない小物だからかしら?)
だが、それなら新兵のいる班の出動回数が増えるはずだ。たとえ、全員が上級魔法師だろうと、戦場では経験がものを言う。相手が小物なら、それを養わせるチャンスのはず。こんな機会を生かそうとしない戦略の意図はなんだとアリスは考えるが、心当たりは何もなかった。
「おおい、アリス。集合だぞ!どこいった!」
アリスはクリスの馬鹿でかい声に、はっと我に返る。
「あ、いたいた」
クリスはアリスを見つけて駆け寄ってくるといきなり新人がきたってさと言った。アリスは一瞬、バースティアかと思った。
「新人って?時期外れね」
「ああ、在野の弟子だったらしい。名前はハルベリー・ライトだそうだ。他の班にも一人……たしか、バースティア・クリフトとか言ってたな。ああ、獣人の方にも一人入ったってよ」
アリスはその名を聞いて驚く。
(姫が入隊したの?)
ブルースは様子見だと言っていた。情報も送ったばかりのはずなのになぜだとアリスは不審に思った。
「何だよ?どうした?……まあ、とにかくいくぞ」
アリスはそう言われて、隊舎にもどった。戻るとすでに班長のデュラン・ギースが新人をともなって待っていた。
「遅いぞ、出撃がすくないからってぼけるなよ。……まあ、いい。新人のハルベリー・ライトだ。こっちはアリス・マクラインだ。で、お前の教育係な。あっちはクリス・クラウド」
よろしくお願いしますとハルベリーは頭を下げたが、アリスはまだ少年の面影の残る彼よりも班長を睨みつける。
「教育係なら、クリスのほうがあってると思いますけど」
「クリスは適当すぎるからな。真面目なお前の方が適任だ」
アリスは小さくため息をはき、よろしくとハルベリーに手を差し伸べた。ハルベリーはもう一度よろしくお願いしますと言ってその手を握り返した。
「君の手……たこがあるのね。剣でもつかっていたの?」
「いえ、今は義足ですが。片足なんです、俺」
ハルベリーは何とも言いようのない表情を浮かべる。
「義足って……班長、大丈夫なんですか?」
「試験はクリアしたんだ。問題はない。俺も試験に立ちあったが、特別な加工がしてあるらしくてな。動きに他の者との遜色はないよ」
「異例ですね」
「まあな、とりあえず、隊舎案内してやれ。クリスもいっしょにいけ。お前は隊舎内での生活指導だ」
「え、俺ですか。よし、どんと任せてください。班長!」
「がんばらなくていい。適当に教えておけってことだ」
「うわぁ。やるきうせる」
いいからいけっとデュランに追い出されて、仕方なくクリスとアリスはハルベリーをつれて隊舎をまわった。




