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夕食ができたとサリエリに案内されて、食堂に向った二人はバースティアの姿がないことに気が付く。でかけてから、まだ戻ってないらしい。食堂には最初に出迎えてくれた少女たちと老人や数人の子どもがすでに食事をしていた。夕食は鶏肉のソテーや潰したジャガイモ、大人の手のひら大の丸パンが三つにコーンを煮込んだスープがついていた。サリエリは二人の給仕をすると、他の人の給仕を手伝っていた。給仕は当番制で、サリエリはすでに夕食を終えていると言っていた。
ニノはすぐに食事に手をつけたが、ハルベリーはしばらくじっとしていた。
「あの……ハル?具合でも悪いんですか……」
「いや……食事と言うのは黙ってするものだと思っていたが、違ったんだな」
ニノが答えに窮していると、ハルベリーはなんでもないと笑って、食事に手をつけた。
(品がないか……)
母の言葉が脳裏をよぎる。そんなものどうでもいいとハルベリーは思った。笑いながら楽しそうに食事している人々。獣人だとか人間だとか、そんなもの何もない。それぞれが、何かを語らいながら、食事をしている風景は暖かかった。
「……うまいな」
ハルベリーがぽつりとつぶやいたので、ニノは、ええ、おいしいですねと笑う。
「ハルには、ものたりないかと思いました」
「いや、十分、うまいよ。なんでだろうな。今まで食べてたものが、ひどく味気なかった気がする。そういえば、今までニノやルクソールたちの食事がどんなだったか、俺は知らないな。あまり、うまいものでもなかったんじゃないか?」
ニノはいいえと首を横に振った。
「毎日、美味しかったですよ。量は今日の食事より多めでしたけど。僕は食べ盛りだったから、その辺はフリードマンさんが都合してくれていたようです」
「よく考えれば、一日二食がどのくらいの量だとか、どんな内容のものかなんて、俺は一度も考えたことがなかったな。自分に出された食事にも興味がなかった。ただ、マナーを守って食べるだけで……うまいとかまずいとか考えなかった」
変だよなとハルベリーは苦笑いを浮かべる。ニノは、今はとたずねた。
「今は、どうですか?こういう雰囲気で食べる食事。マナーも何もありませんけど……」
あっちこっちで、楽しそうな声が聞こえる。出された食事を食べきれない者を足りない者が目ざとくみつけて、平然と皿を取り替えたりする風景は、行儀が悪いのだろうが、ハルベリーにはむしろ好ましく見える。
「気が楽でいい」
ハルベリーはそういって笑った。ニノは少しその笑顔に戸惑ってたずねた。
「ハルはどんな食事をしていたんですか?僕には想像がつかないんですが……」
「どんなか……一皿ずつ、綺麗に飾り付けられて次々と出てくるんだ。それを黙々と食べる。母上と同席していても、しゃべることはなかったな。食事がすんで珈琲を飲むころに、その日の必要な報告をしていた。だから、こうやってしゃべりながら食べるということはなかったよ。そのせいだろうな。この状況はおもしろい」
ハルベリーは心底楽しそうに言った。ニノはよかったと笑った。
二人が食事を終えて部屋へ戻る。その頃になっても、バースティアは戻ってこなかった。しばらく二人でたわいのないことを話していると、ようやく姿を現す。
「遅かったな」
「ああ、待たせてわるかったよ」
バースティアは少し疲れたようななげやりな言葉で、ハルベリーもニノも見ないでついてこいと言った。昼間話していた長メイデェンに会いにいくのだろうとハルベリーもニノも思っていたが、どことなくおしゃべりをする雰囲気ではなかった。珍しくバースティアがピリピリしているような気がしたのだ。
三人は無言でいくつかの廊下をまがり、地下へとおりていく。暗い廊下や階段には、一定の間隔で水晶のような石が飾ってある。飾りというより、その石は光っていたので明かりなのだということは分かった。それが何か聞きたい衝動さえ、バースティアの纏う雰囲気は圧殺する。ハルベリーもニノも重苦しい気分でただバースティアの後をついて行った。
しばらくすると、二人の少女が扉の前にたっていた。三人を見ると、軽く会釈して扉を開ける。三人が中に入ると、扉はかたく閉められた。
「連れてきたぞ、メイデェン」
バースティアは部屋の片隅にある天蓋付のベッドにつかつかと歩み寄る。薄い垂れ下がった布の向こうに人が動く気配があった。
「ご機嫌が悪いようですね。姫様」
「別に……お前の調子はどうなんだ?食事はできたのか?」
「昼間と変わりありません。食事も少しばかりいただきました」
バースティアは深いため息をつき、何かをあきらめたようにハルベリーとニノを手招きした。バースティアが両手の指を合わせて何かの印を結ぶと、部屋の片隅にあった三つの椅子が三人の側に行儀よく並んだ。
(魔法……だよな……)
バースティアは椅子の一つをひっつかみ、ベッドに平行において座る。そして、ベッドに垂直に並んだ椅子にすわれと二人に指示した。二人は静かに椅子に腰かけると、メイデェンが布ごしで申し訳ないと謝罪する。
「あまり、人に見られたくない状態なので……お許しください」
ハルベリーは戸惑いながら、かまわないと答える。ニノもそれにならうように問題ありませんと答えた。
「私はこの街の長をしております。メイデェンと申します。もう、お聞きおよびかとおもいますが」
声はやわらくやさしい。そしてよく通る。ハルベリーはルクソールと話したときのことをふと思い出していた。あのときも、語る声に死を意識させるような弱々しさはなかった。
「ハルベリーにもニノにも、ここのことはサリエリに話してもらったし、あたしも話すといったんだがな。どうしても、語りたいと言ってきかないんだよ」
「年寄のわがままです。それにサリエリが話したのは大まかな話でしょ」
「まあな。いっぺんに話しても理解するのは難しいだろう?」
「ええ、そうでしょう。それでも、話しておかなければならないと老婆心がうずくのです」
バースティアはわかっとよといって黙ってしまった。
「いざとなると、何から話していいか迷いますが、お二人はご自分がなぜ強い魔力を持っているかご理解されましたか?」
「俺は先祖がえりだといわれた」
「僕は【第二種世代】だと……まだ、自分でもよくわからないんですが」
「そうですか。姫様はどうみたのでございますか?」
「どうって……ハルベリーは見てのとおり、片足だ。魔力も強い。壊死病で子どものころに切断したときいたよ。それなら、先祖がえりだ。ニノも魔力が強い。本人はわかっていないし、魔法を使った経験もないようだ。状況から考えれば、たぶん人間と獣人の間に生まれた【第二種世代】だろう。それに魔力の暴走の危険がある」
ハルベリーは壊死病とはなんだとたずねる。それにはメイデェンが答えた。
「先祖がえりというのは、いくつかのパターンがございます。一つは壊死病。人間の子どもが稀に発症する原因不明の病です。高熱を発し、一日のうちに手足のいずれかから壊死が始まります。普通は、三日と経たないうちに全身に回り、死んでしまいますが、強力な魔力の持ち主は、壊死の進行が遅れ、死んだ部分を切断することで生き残る場合があります。ハルベリーさんはそのタイプでしょう」
ハルベリーは、ようやく自分の体の意味がわかり始めたような感覚を覚えた。一方、ニノは不安げな表情でじっと話を聞いている。
「ニノさんは、ご両親がはっきりしないようですが、ご自分の記憶意外の記憶はお持ちではないでしょう?」
「はい、僕は僕の記憶しかありません」
「ならば、【第二種世代】でしょう。といっても、人間と獣人の間に生まれたかどうかは判断がつきません。人間同士でも獣人同士でも、稀に魔力の強い子を産むことがあります。その姿は人の姿であるときもあれば、獣人の姿の場合もあります。人間同士の間に獣人が生まれれば、死産として殺してしまうことがよくありました」
「獣人同士の間に人間の子が生まれるということもあるのか?」
ハルベリーは、その場合もやはり殺されるのだろうかと思った。
「ええ、そういう場合もあります。その場合は、多くが孤児として教会にあずけられます」
「じゃあ、僕は人間同士の間に生まれたかもしれない、もしくは人間と獣人の間に生まれたかもしれない。どちらかはわからないということですか?」
「ええ、こればかりは残念ながら……」
ニノは少し戸惑ったような顔だったが、小さく息を吐いてそれでも生きているからましなんでしょうねとつぶやいた。
「お前の親はルクソールだ。それじゃあ、ダメなのか」
ハルベリーにそう言われて、ニノははっとする。そして、少し悲しそうに微笑んでそうですねと言った。
「つまり、俺もニノも、その先祖がえりなんだな」
「はい、そうです。先祖がえりには、もう一つパターンがあるのです。次の長となるセシル。彼女は十歳のときに両親が突然亡くなり、自分の中に知らない記憶がたくさんあることに気が付いて、この街へやってきました」
「つまり、【第三種世代】ということか?」
「そうです。他にも何人か先祖がえりの【第三種世代】がいます。本来の【第三種世代】よりも、多くの記憶を抱えてしまうため混乱を来たし、心を病んで死んでいく者も多いのですが、魔力が強ければ、その混乱もすぐにやみ、自然とここへ引き寄せられるように自力でやって来ることができるのです」
ハルベリーもニノもなんとかメイデェンの言葉を租借しようと、懸命に聞き耳を立てる。そしてニノが口を開いた。
「つまり、昔のように直接的に血がまじりあわなくても、【第二種世代】や【第三種世代】が生まれるということなんですね」
メイデェンは静かに、はいと答えた。もういいだろうとバースティアは言った。
「どうやら、ある程度、二人とも理解できたようだ。メイデェン。二人には三日ほどここにいてもらう。だから、今日はこれくらいにしろ」
「そうですか……できれば、ハルベリーさんの血についても……」
よせっとバースティアが声を荒げた。ハルベリーもニノも突然のことに驚きを隠せない。ほんのしばらく部屋の中が冷たく静まり返った。
「……その話はあたしがする。それに今日はお前も二人も休むべきだ。違うか」
メイデェンは、小さくため息をつき、わかりましたと答えた。そして、バースティアはハルベリーとニノに部屋へ戻るように言う。それは、否と答えることができないほど強い何かを秘めた言葉だった。ハルベリーは自分に関わることを聞きたいと思いながらも、ニノとふたりで部屋へもどった。




