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獣王の娘と片足の王子  作者: papiko
第一章
10/31

10

 ハルベリーは寝室へはいり、ベッドに倒れ込む。ルクソールから聞いた話は、とても一人で抱えきれそうになかった。それでも、聞いたのは自分だった。ユスタファムや獣王のことを。彼らにはどんなふうに歴史が伝わっているのか。彼らは伝承を書き残していない。ほとんどが口伝で、たまに人間がそれを書き記した書が残っているだけだった。


『私たちは歴史を愛しません。過去は過去。変わらない。そこから学ぶべきものはあっても、執着する必要はないのです。獣人が信じ、愛すのは今であり、未来です。死も、やがては過去になり、忘れられるのです』

『墓がなければ、思い出すことも難しいのではないのか?』

ハルベリーにとっては素朴な疑問だった。

『墓がないからこそ、鮮明に覚えていようとするのですよ。過去を文字にしなかったのも、口伝で十分だと私たちの先祖は考えたのでしょう。私たちは詳細を知るより、そこに込められる想いを継承しているのかもしれません。人間も同じでしょうが、方法が違うのです。書き記せば、どんな嘘も真実になる。口伝は伝わるごとに変質していきます。最初がどんなに正しくとも、結局、今に伝えられた過去はどこかで必ず歪んでいるのです』


『歴史とは疑うべきものなのだろうか?』

『そのまま、受け止めるにはあまりにも遠いでしょう。昨日や一昨日なら、伝える内容が不誠実でなければ正しいかもしれなません。ただ、私が伝え聞いたことは、獣王は【帝】の敵ではなく、友であったということです。そして、彼ら二人は人間としても獣人としても並外れてしまったがゆえに何かをきっかけに戦わざる得なくなったのだと言います。それがどこまで真実か誰もしりません。人間の歴史では【帝】の一族はほろんだと言われていますが、私たちが口伝えに聞くのは、【帝】は堕ちたと……』

 ルクソールの瞳はどこか憐みをたたえていた。ハルベリーは急に不安が胸にせりあがり、先をせかせた。


『堕ちた?何に堕ちたと言うのだ?』

『魔道です。永遠に生きるための力を得るために、一族の血肉をむさぼったと……』

『そんなバカな……それは、獣人たちの人間に対する不満から出た話ではないのか。現に、革命を起こすほど、獣人は隷属を嫌ったのだろう?』

 人間にとって英雄である【帝】というイメージはハルベリーの心にも強く根付いていたのだろう。反論せずにはいられなかった。ルクソールはそんなハルベリーをいさめるでもなく、ただ静かに言葉を続ける。


『革命は一つの恋から、起きました。獣人の男に人間の娘が恋をしたのです。獣人の男は娘の心を拒みました。彼には妻となる番がすでにいたからです。それでも娘はあきらめませんでした。娘は男の番に毒を盛って殺したのです。彼は嘆き悲しみ、心をやみました。復讐を恐れた娘の親は、彼と彼の一族ををふくめた奴隷たちを、ことごとくガリエラの谷底へ落としたのでございます』

 ルクソールは、とつとつと語った。その谷に落ちて生き残るものはないと信じていた人間は、ただ一人たすかった子供がいたことにきがつかなかったのだ。その子がやがて革命を起こすジリアン・グレーだった。


『ちょうど、時期も悪かったのだと聞いています。不作が続いて人間も獣人も食べることに窮していた。人間の中には獣人の働きが悪いのだといい、それは本当のことのように流布していったと伝え聞きました。やがて、すべての殺人や窃盗、事件事故の際には無実の獣人がとらえられ、罪人としてたくさん殺さたそうです。ジリアン・グレーは、人間のすることが無知で愚かで身勝手であることを獣人にときました。誰もが彼の話に耳をかたむけ、革命は起こったのです。けれど、人間は真っ向から向ってはきませんでした。獣人の尻尾に魔法のリングを嵌めて、革命を起こした者たちを殺させたのです』

『リングとは……まさかバースティアのリングのことか?』

『あのリングは性質が違うように思います。ただ、革命のときリングを嵌められた者は人間の操り人形となり、獣人を殺すためだけにひたすら棍棒や剣をふるったのです。それも寝食を絶ってひたすら……それがどういうことかわかりますか?』

 ハルベリーは恐ろしい光景を頭の中に描いていた。同族同士の殺し合い。それもリングを嵌められた者は命尽きるまで殺し続けるしかないのだ。自分の意志などどこにもなく、それはまさに傀儡だった。そして力尽きて死んでいく。ハルベリーは自分が今まさにその屍に囲まれているような、生々しい感覚を覚えた。


『……だから、リングは忌み嫌われているのだな』

 ようやく口をついて出てきたのは、その言葉だった。

『そうです。革命後もリングを嵌めたままの者がいたそうです。リングにもいくつか種類があったと聞いています。体力も体格もよい獣人は殺人兵器(バーサーカー)として傀儡に。知恵のあるものは、反逆の意志を持つだけで身動きがとれなくなる封殺者(シールド)に。そして、自らの命と引き換えに主人を守る守護者(ガーディアン)がいたそうです』

『バースティアは誰かの……』

『おそらく違うでしょう。私の知る限り、殺人兵器(バーサーカー)は赤い文字、守護者(ガーディアン)は青い文字、そして封殺者(シールド)は緑の文字でそれぞれ呪文が刻まれた金のリングを嵌めていたそうです。殺人兵器(バーサーカー)守護者(ガーディアン)も革命が失敗したとき、ほとんどが死に絶え、封殺者(シールド)だけが生き残ったのです。そのせいで、主人を亡くしても奴隷商に売り買いされてもリングを外せないまま、仲間に蔑まれ続けたと……私の育ての親が話してくれました。彼は殺人兵器(バーサーカー)だったけれど、死にかけたときに主人がリングを外して放置したおかげで命拾いをしたそうです。その話はちょうど、いまの私のように死を前にして、ようやく語ってくれたことでした。……バースティアさんのあの銀のリングは私が聞き知っている物とは違います』


 ルクソールはそこで少し咳き込む。ハルベリーはあわててナイトテーブルに置いてあったコップに水をそそぎ、彼にのませた。

『……すみません』

『いや、いい。もう、疲れたのなら無理はしなくていい』

 ハルベリーは、ルクソールが酷く弱っていることをようやく実感したような気がした。それでもルクソールは語ることをやめなかった。

『私にはここに来る前に、(つがい)がおりました。まだ、成人していない娘でしたが、いつも笑顔で前向きな娘でした』

『その人とは別れたのか?』

『はい、死に別れです』

 ハルベリーはぐさりと胸を突き刺されたような痛みを感じた。病かとつぶやくような小さな声で問うとルクソールは首を横に振った。

『私たちを養っていた家の息子とその友人たちに乱暴され、殺されました。私は悲しみのあまり獣化し、彼らを襲おうとしましたが、仲間に取り押さえられ復讐はなされませんでした』

『そんな……お前は……だったら……』


 憎いはずだとハルベリーは言いたかった。人間が憎いはずだと。けれど、その言葉はのどの奥につっかえた魚の骨のように外へは出てこない。ハルベリーは知っている。自分がシーガルに封じられ、ここへやってきたとき、穏やかな顔で出迎えた彼を。そして、その隣には自分より少し年上のニノがいたことを。

『憎みました。憎しみで我を忘れるほどに。それを解きほぐしてくださったのは、フリードマンさんのお父上ザクセン様と同じ獣人のブルーセルさんでした。たまたま、私の主人が領内の豪商だったのです。ザクセン様は代理管理人として、領内でおきるさまざまないざこざを解きほぐすお仕事をなさっておいででしたから、私の(つがい)の事件もきちんと知っておられました。ザクセン様はおっしゃいました。憎しみを癒せるのは憎しみを乗り越えたものにしかできぬだろうと。ブルーセルさんなら、私を癒せるとお考えになったのでしょう』

 ルクソールは、遠くを見るように目を細めて記憶をたどった。


『本当にお二人にあわなければ、私は今頃人殺しとして処分されていたでしょう。今、こうして穏やかな気持ちでいられるのは、お二人のおかげです。そして陰に日向に私を対等に扱ってくれたフリードマンさんのおかげなのです』

 ルクソールはすっと瞳をハルベリーに向けた。

『ハルベリー様、泣かないでください』

 そういわれて、ハルベリーは自分が泣いていることに気がついた。どうしてこんなにも涙がでるのかハルベリーには理解できなかった。ただただ、胸がきしんで痛かった。

『私は幸せです。彼女がいっていた。彼女の両親が他所へ売られたときに。何かを失ったら、きっとそれに見合うだけの何かを手に入れられるから、本当は何も嘆き悲しむことはないのかもしれないと。私に笑いかけてくれました。私はあの笑顔を一時、忘れていましたが今はどんなことがあっても、思い出せます』

 ハルベリーは涙を必死で拭いながら、ニノはとたずねた。


『私の子供ではありません。私は彼女以外の人と番う気にならなかったので……。ニノは旅芸人の一座から引き取られてここへ来ました。ここへ来たのは五つでしたが、言葉は片言、名前も名づけてもらえず、ただ【亜種(あしゅ)】と呼ばれていたのです。今では、きちんとした少年に育ちました。それを見届けられただけでも幸いなのです。私のようにあの苦しい憎しみを味わうことなく、育ってくれた。どうか、ハルベリー様も憎しみに囚われないでください。何があっても。それが私からのお願いでございます』

 ハルベリーはそこでようやく自分の気持ちを知ったのだ。彼は父も母も自分さえも憎んでいたのだ。それでも、ここまで変わることができたのは……。

『わかった。俺も憎しみを捨てよう。すぐには無理かもしれないが……約束する』

 ルクソールは穏やかに微笑みありがとうございますと言った。

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