第二話:『人』だからさ
二話目にして急展開
トカゲにも似たその姿は、まさしくドラゴンだ。大きくそびえる一本の角が威圧するトゲだらけの頭、鋭い鱗を纏った見るからに強靭な四肢、四肢の先には歩く度に大地を抉る荒々しい爪、剣のように大きな鱗が連なりランスのようなトゲが生えた尻尾、
殺意の宿った赤い瞳。
「――――ッ!」
声すら出なかった。脚は地面に縫い付けられたように動かなくなり、赤い瞳に視線が釘付けになる。
本能は逃げろと警報を鳴らしている。理性は諦めろと訴えている。体の力が抜けていき、固くなり、冷たくなっていく。
死ぬ。
そう思った瞬間、
「逃げて!」
聞き覚えのある大きな声が聞こえた。それと同時に青白い光の矢がドラゴンの瞳へと突き刺さる。
ドラゴンは痛みに悶えながら頭を振る。鮮血が僕の顔に掛かり、そこで我に返る。
死人のようだった体に生きる感覚が戻る。
「ほらこっち!」
そんな僕の手をさっきの女の子が握ってきた。そのまま女の子は僕の手を引っ張って走り出す。当然僕も走る。
「なん、だ! あれは!?」
「あれは地竜ていう異世界にいる魔獣よ!」
さっきとは違う口調で、違う雰囲気で答えが返ってきた。
「なら何でここに!?」
「それより走って!!」
ドラゴンから離れるために全力で走る。女の子は僕よりも小さいのに僕よりも脚が速い。
「ここなら少しの間は安心かな」
彼女はそう言い、とある服屋で止まり僕たちは服に紛れて身を隠す。
「どうなってるんだよ……」
眼に映るのは自分の命を刈り取ろうとしたドラゴンの姿。思い出すのは顔に掛かった血の熱さと鉄の匂い。思考が追いつかない。疑問が次々と現れては、答えを得ることなく消えていく。
荒い息が漏れる。
「……説明してくれるんだよな」
深々と帽子を被りブカブカのコートを羽織った女の子を睨む。彼女はやれやれといった風に帽子をとる。
現れたのは冷たい銀色をした長い髪の毛。艶があり滑らかに伸びている。そして落ち着いた蒼色の瞳は真っ直ぐ僕の眼を見つめている。
「まずは自己紹介ね。私はセレナ。あなたは?」
そんな暇はないだろ。でもまぁ自己紹介は大事だよな。
「僕は久遠静馬だ。……で、さっきのは?」
「さっきのは……見ての通り?」
首を傾げ半笑いで僕にそう聞いてきた。聞きたいのは僕の方だ、という叫びは飲み込む。わからないならそれでいい。というより、デパートにいきなりドラゴンが出現する現象を、わかる奴がいたら会ってみたいさ。そしてわかりやすく説明してくれ。
でも何が起こったかはわかる。これから僕たちのするべきこともだ。
セレナの眼を見て念を伝える。伝わったのか自身に満ちた笑みが返ってきた。
よし、
「逃げよう」
「戦おう」
「は?」
戦う? 何だそれは。いや意味はわかるが、あのドラゴンと戦うだと?
「バカかお前は。逃げるに決まってるだろ」
「何で? 市民を守るのが魔法使いよ?」
理屈はわかる。魔法使いは警察や軍、警備員といった職業につくのが一般的だ。銃などの凶器を持たずに人を守るのが利点だからだ。僕に言わせりゃ魔法も十分凶器だとは思うが。
とにかく、話に聞けば魔法使いっていうのは正義感を持っているらしい。正義感自体は人間の美徳だが、それを一般人である僕にまで押し付けないでほしい。
「僕は一般人だ。魔力がないから魔法は使えない。戦うなら一人で戦ってくれ」
「私は魔法使い。魔力があるから魔法が使える。でも、一人では戦えない」
何だそれは? 魔法使いっていうのはみんな身勝手なのか?
「言葉遊びがしたいんじゃない。死ぬかもしれないんだぞ」
「そう、死ぬかもしれない。このデパートに残った大勢の人たちが」
言われて気づく。あんな風にパニックになっていたら避難はスムーズには行えないだろう。それにドラゴンが居たのは一階出入り口前。このデパートの出入り口といったらあそこしかない。
だが非常口があるだろ。
そんな僕の心を読むようにセレナは指を立てる。
「問題点が一つ。魔法によってこのデパートの全ての非常口が閉鎖されている。そのため、外に出るには一階の出入り口を使うしかない」
「…………何だって?」
「つまり、ドラゴンを倒さないと外には出れない」
「……その言い方だとドラゴンは動かないのか?」
それなら救助を待つという手がある。警察の救助だって遅くても数時間だろう。誰かが携帯で連絡していればもっと早い。
そうだ、携帯だ。
ポケットから携帯を取り出してすぐに一一〇番を押す。が、掛からない。画面をよく見るとなぜか圏外だ。
「なんでだ? ここは森でもなんでもないぞ」
「ちゃんと私の話を聞く!」
セレナがいきなり少し怒った風に大きな声を出す。何というか落ち着いているな。
「ここはもう街中のデパートではなくなったの」
どういう意味だ。
「ここは、地竜をボスとした迷宮になったの」
*
迷宮とはそのままの意味で迷路に魔獣を放った場所だ。RPGに出てくるダンジョンを思い浮かべれば間違いない。迷宮には入り口が一つで、出口も一つ。迷宮を出るにはボスの魔獣を倒さなければならない。それに一度入れば外との関わりが切断される。迷宮を破壊するには中に入り攻略しなければならない。外からは壊せない。
そんな迷宮が出現するのにはいくつかの条件がある。
一つ、ボスになれるほど強い魔獣がいること。
二つ、ボスが住み着く場所があること。いわゆる巣。
三つ、巣に魔力が満ちていること。
これら三つが主な条件だ。そしてこのデパートは三つの条件に当てはまっている。
一つ目がさっきの地竜で二つ目がこの建物、三つ目がなぜか満ちている魔力。それらの要素が噛み合った結果、このデパートは迷宮になった。
非常口が閉鎖されたのも携帯が繋がらないのも迷宮になったせいだ。
とは、セレナ先生のお言葉だ。
「そしてなにより時間がない。数時間後には雑魚魔獣がうようよ出てくるわ」
「生き残るにはあのドラゴンを倒すしかないのか……」
「そう、だからあなたに頼みたいことがあるの」
「なんだよ……」
僕は所詮何も出来ない一般人だ。魔力がないし魔法も使えない。勿論超能力も使えない。
なのになんで、
「私と一緒に戦って」
そんな信頼したような眼で僕を見るんだ。
「僕はただの一般人だ。魔法なんて使えない」
「使えなくてもいい。あなたしかいない」
「……さっきだって怖くて動けなかった」
「私がいる。もう怖くない」
「…………僕は正義の味方なんかじゃない」
「私もそうよ。正義の味方でも英雄でもない。ただの魔法使い。それでも『人』だから戦う。他人を見捨てるほど『人』をやめてない」
彼女は手を握ってきた。暖かく柔らかい。彼女を突き動かす力が流れてきた気がする。
ゆっくりと立ち上がる。もう戦う他なかった。僕は『人』だからさ。
「そんなことを言われたら、行くしかないな。一緒に戦ってくれセレナ」
「ええ、一緒に戦おうシズマ」
*
セレナから渡されたのは一つの赤い石だった。この石は魔力が宿った魔法石と呼ばれるものらしく、炎を思い浮かべながらキーワードを唱えると魔力がなくても魔法が使える代物だそうだ。ちなみに使い捨て。一つでそこそこ良い性能のパソコンが買えるらしい。
キーワードは確か『焼き払え。フレイムバース』だったはず。威力としては低い部類に入る。無論これであの地竜は倒せない。だから作戦を立てた。
まず僕が地竜を引き寄せて時間を稼ぐ。この時に魔法石を使う。
その間にセレナが長ったらしい呪文を詠唱する。
そして詠唱が完成すれば僕は離脱。セレナの魔法を地竜目掛けて撃つ。この時の目標は左目。右目はさっき僕を助けるために放った魔法が突き刺さって潰れたとのこと。
この作戦は僕に地竜と真正面と戦え、ということだ。目的が時間稼ぎだから幾分かマシなんだろうが、思い出すのは僕の命を刈り取ろうとした牙。体が震える。それでもやらなきゃならない。
僕は『人』なんだから。
物陰から隠れて地竜の様子をうかがう。首を大きく動かし低い声を出しながら周囲を警戒していた。
「はぁ……ムリじゃね?」
思わず弱音を吐いてしまう。
「何をいまさら」
後ろからセレナの答えが返ってくる。もう決めたことは覆せない。生き残るためにあいつを倒す。
それにしてもセレナは小さな女の子だ。顔立ちや体型から見て十歳程度だろう。僕よりも勇敢じゃないか。
「さて、はじめるよ」
そう言ったセレナから銀色の魔力が溢れ出す。体を包み込むように透明な湯気のようなものが流れる。これが魔力か、初めて見た。
セレナは眼を閉じて集中する。この方法が格段に魔法の威力が上がるらしい。
キレイなセレナの姿から視線を外す。次は僕の方だ。
魔法石と木にクッションをつけて作った盾を握りしめ、地竜へと駆け出す。
「来いよ、デカトカゲ」
言葉を理解していないはずなのに地竜は、血走った眼で僕を見る。脚が竦むが動ける。そのまま奴の巨体の側面に回りこむように走る。だが地竜は向かえ討つように尻尾を薙ぐ。
ここでセレン先生のアドバイスその一。地竜は力がかなり強いが、攻撃の初動はかなり遅く読みやすい。だから焦らずに観察すること。
顔目掛けて迫りくる尻尾の下の空間にスライディングして避ける。そのとき大きな風きり音が耳をつんざく。当たったらミンチだなと思う。顔を顰めながらも奴の左脚の後ろにつく。
チャンスは今だ。
「焼き払え! フレイムバース!」
魔法石を握り閉めた右手を奴に対して大きく振る。確かコツを教えてもらってた。
炎を鮮明にイメージする。魔法石にある魔力を一つ残らず凝縮させてから、一気に爆裂するように解放する。
魔法石が赤く光ると同時、火花が地竜の体に燃え移る。そして一瞬にして赤い炎が地竜の巨体を包み込む。
ガアアアアアアァァァァッッ!!!
地竜の痛みからの絶叫が、迷宮全体に響く。
話に聞いていたよりも威力が高い。手の中の魔法石を見ると、赤色がなくなって燃え尽きたかのように灰色になっていた。もったいないと思いつつも放り投げる。地面に触れた瞬間に砕け散ってただの粉になる。
その様を見届けた後、すぐさまセレナを見る。すると力強い青色の瞳を会った。僕は頷いた。
セレナの頭上に青白い光の柱が現れる。柱の先は荒々しくも尖っており、無骨な槍を連想させる。尖った先は真っ直ぐと燃え盛る地竜の顔、いや、左目に標準があっていた。
一つ大きく光る。大きな光なのに眼を閉じることなく見れた。優しく暖かい光だった。それを合図に柱は地竜の左目に吸い込まれるように突き刺さる。
鮮血が噴出すと同時に、断末魔ともとれる絶叫が響く。
「やった!」
嬉しさのあまり子供のように叫んでしまう。案外呆気なかったな。
「シズマ! これを!」
セレナの声に振り返った瞬間何かが飛んできた。慌てながらもそれをキャッチするとセレナが歩いてきた。
「それは電の魔法石。キーワードは『鳴り響け。ショットブリッツ』相手へと放電するイメージで発動して。トドメよ」
その言葉で魔法石を見ると、確かに黄色で電気を連想させる。これもパソコン並みか。
「わかった」
そう言って未だ悶えながら頭を振っている地竜を見やる。生物を殺す。そう思うと罪悪感が湧き出る。でも、躊躇いはない。僕たちが普段食べている肉だって元は生物。生きるための糧だ。殺されないためには相手を殺す。これからも変わることのない真理なんだろうな。
頭を振って魔法石を地竜に向ける。
「さよならだ、地竜。お前のお陰で僕は強くなれる。鳴り響け、ショットブリッツ」
手の中の魔法石から電気が溢れ出る。大きく放電するとシャワーのように地竜に降り注ぐ。後ろでセレナがえ、と声を漏らす。
魔法の電気は凄い威力で地竜の命を奪い、床にまで傷痕を残した。空っぽになった魔法石を握り潰す。手の中からさらさらと粉が零れる。
こうして僕とセレナの迷宮攻略は終わった。