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Parfum  作者: 響かほり
第十九章 それはまだ始まってもいないから
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98




     §




 二週間が過ぎた。

 あの一件から、吉良にも健斗にも会っていない。

 いや…自分から会えない状況を作ったと言った方が、正しいのかもしれない。

 俺はマネージャの熊井に、この二週間のスケジュールに可能なだけ仕事を詰め込むように調整を頼んだ。

 体調を崩した直後だからというのもあって、熊井は渋い顔をしたが結局は応じてくれた。

 幸い、一番大きな縛りだった映画の撮影も二日前にクランクアップした。

 無理して出来たのは三日間の休暇…それが明日から。


「休みを作れって言った理由、そろそろ教えてくれても良いんじゃないのか?」

「…傷心旅行がしたいから」

「!マジで失恋したのか!?何時っ!?」


 俺の家のリビングで、熊井が大きな体で大袈裟にも見える動きをして驚いた。

 まあ、そうなるのも仕方ない。

 二日前、映画のクランクアップに絡んで報道陣が取材に来ていた時の一件の所為だ。

 そのインタビューで、共演者であるヒロイン役の女性との交際の確認ともとれる質問が、当然の様に持ち上がった。ある種、それが恒例行事でもあった。

 もっとも、今回は、彼女側が色々と無い事を流言流布してくれていたようだけど。

 俺の事務所サイドとしても彼女に取り巻く黒い話を聞いているので、絶対に認めるなと言われているし、個人的にも、今回ばかりは交際を肯定する訳にはいかなかった。


『あぁ…その噂…聞いたことはありますけど、彼女とは良い仕事仲間です。付き合っていれば、隠したりせずにこれまでの様に宣言していますよ』


 俺が少し困ったように答えれば、記者サイドは当然の様に記事にされた内容の真偽確認をして来た。

 これまで、俺が交際の噂を否定することなど無かったから、相手も喰いつきが凄い。

 彼女の悪い噂を引き合いに出して来る所がまた、性質が悪い。


『いえ、その噂は知らないです…実はつい最近、片想いをしていた女性に振られたので、他の女性に目も向かなくて…』


 しおらしく告げてみれば、記者は面白いほどそちらの話題に喰いついてきた。


『俺でもって…俺も失恋くらいしますよ』

『相手の女性ですか?それは一般人の方ですから、詳しいことは勘弁してください』

『振られた理由?まあ…俺もこんな風ですから、女性関係が奔放だと思われたみたいで…仕方ないですよね』

『結城さんも女性として大変魅力的ですけど、俺は同時に二人の女性を好きになれるほど器用でもないんです』

『片想いの期間?そんなことまで聞くんですか?…二年位前からずっと気になる人でしたけど、好きだなと思ったのは最近です』

『え?体調を崩した理由が失恋?いえ。それはただの過労ですよ。そんなセンチメンタルな性格でもありませんから』


 時々、嫌味混じりなことも聞かれたけれど、無難にやり過ごした。

 案の定、翌日のワイドショーとスポーツ新聞には、『上坂伊織失恋!』なんて記事が載って、俺と結城嬢の交際疑惑など吹き飛んだ。


「…冗談に決まっているだろ」

「その割には、クランクアップの会見の時に喋ってた設定が、微妙に細かくなかったか?俺は吉良さんの事を言っているのかと思ったし、また食事も食べなくなって、夜も遊び歩いてるだろ」

「…振られる以前の問題だ」


 拒絶されたのは事実。俺云々以前に、恋愛をすること自体を吉良に拒まれた。

 俺を振ったと言う気持ちなど、彼女にはないのかもしれない。


“俺、吉良のこと全然知らなかったよな…好きなものも、家族の事も、どうやって生きて来たのかも…”


 健斗から吉良の過去の話を聞かされるまで、俺は看護師としての彼女の側面しか知らなかった。

 出逢って二年だけど、俺が知っているのは仕事をしている、ほんの彼女の一部分だけ。


『ろくでもない親をもったのは、お前だけじゃねぇ。自由奔放に、金の苦労もせずに生きて来られたお前は、まだ幸せな部類だ』


 そう切り出した健斗は、俺が見たこともない随分と神妙な面持ちで、吉良の事を教えてくれた。


『吉良は、てめぇの親に闇金から借りた莫大な借金を擦り付けられて地獄を見た。自分の借金でもない金を返し続けて、一度は看護師である事さえ捨てた』


 時々、お金の浪費に対して過敏に反応し、老後の蓄え云々と吉良が言っていたことをふと思い出す。


『で、健斗の言う所のろくでもない吉良の親は何してたわけ?』

『借りた金で豪遊三昧、挙句に、吉良の名前で借金までしやがった』

『なにそれ。他人の俺でも不愉快だけど』

『一番の身内に裏切られた事を知った吉良は、軽い人間不信になって親とも絶縁した』

『…吉良も意外にドライな判断をするんだ』

『半ば俺と美奈が‘両親を立ち直らせるため’という名目で渋る吉良を言い含めて、縁を切らせたからな…だが、見誤った』

『見誤った?』


 自分の間違いを間違いとも認めないような俺様従兄弟の一言に、俺はどんな耳の幻聴かと思った。


『…クソでもない奴らでも、あいつにしてみれば唯一の家族だったってことだ』


 苦虫をつぶしたような顔の健斗に、後悔の色がありありと浮かぶ。

 吉良の親は、借金の返済どころか、また借金を繰り返して最後には自殺したらしい。

 自分が借金を肩代わりしたままで居れば…絶縁などしなければ両親は死ななかった。

 そう自責の念に囚われた吉良は、人と深く関わることを止めたと健斗は続けた。

 いちばん身近な肉親を‘見放して殺した’という現実は、看護師として誠実であろうとした吉良にとって大きなダメージだったのだと。

 健斗曰く、吉良は一度、心を開いて受け入れたものに対しては、無条件で情が垂れ流しになるらしい。

 だから、どんなに嘘をつかれても、騙されても簡単に見捨てることもできないと。

 確かに、健斗や美菜様の理不尽さについていくには、余程の忍耐力か懐の広さが必要で、吉良の二人に対する懐きぶりを見れば情が垂れ流しと言うのも解る。

 まして吉良は、大して親しくなかった俺の体調を判断して料理をするくらい、気を遣うような細やかな感覚配慮の人間だ。

 適当に済ませてしまえば良い所にも、ちゃんと吉良の心は入っている。

 俺を嫌いと宣言しながら、それでもあれこれと世話を焼いてくれるし、しっかりしているようでもすぐに無防備かつ隙だらけになるし。

 警戒している割には情にほだされやすい彼女は、性質の悪い奴からすれば格好のカモだ。

 吉良の両親がそうだったように、都合がいい様に彼女を利用する。

 俺だって、最初は自分の不眠症を治すために彼女の存在を利用しようと思っていた。

 彼女にしてみれば、吉良の両親と俺はさして代わらないのかもしれない。


『好きだなんて言わないで…嘘でも聞きたくない…好きになりたくない』


 泣かせたい訳じゃないのに、泣かせてしまう。

 吉良の心は俺には向かない。

 諦めて、彼女から離れることが、彼女にとって一番良いのかもしれない。

 そう思って彼女を諦めようとしたけれど無理だった。いつもどこかで彼女のことを考えてしまう。

 会わないと決めただけで、数日のうちに不眠症も悪化するし、食事だってまた満足に食べられなくなった…何て様だ。


「…俺は意外に諦めが悪いらしい」

「そうか?普通だと思うけどな。伊織は女に対する執着の無さの方が問題だったし」


 熊井はそう言って鷹揚に笑う。


「良い傾向じゃないのか?仕事にさえ支障なければ。上手くいったら、ちゃんと報告はくれよ?社長にも巧く執り成してやるから」


 反対はしなかったが釘を刺す事を忘れない熊井に、俺は苦笑いだけを返した。







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