96 ~紫苑side~
お久しぶりのParfumです。
実はこの19章が最終章だったりします…。
あと数話、宜しければお付き合い下さいませ。
第十九章 それはまだ始まってもいないから
「あぁー、マジで頭割れるかと思った」
ガンガンと痛みを主張する後頭部を撫でながら、ベッドの端でうなだれていたら、目の前に人影が立ち、鼻で笑う声がする。
そいつが誰かなんて、顔を見なくてもすぐわかる。
「なんだ、健斗もいた訳?」
「派手にやられたな」
俺の頭にド派手な一打を食らわせた女の夫は、しれっとそう言って俺のタンコブが出来た頭に氷の入った袋を乗せる。
一応の手当てはするが、この口調は絶対に悪いとは思っていない。
「あぁ、ホントに。寝ている人間の頭を張り倒すって、あの人悪魔だよ、マジで」
「寝ぼけて女を襲うお前は鬼畜だが」
「…いっそ、犯っておけばよかったよ」
俺は、ほとんど眠れず眠れても浅い眠りしか取れないけれど、極稀に深く眠ることがある。その時に眠りを邪魔されると、寝たまま邪魔した相手へ暴力的に絡むらしい。
だから、『寝てるお前にだけは絶対に関わりたくないし、二度と起こさない』…と、海外留学中に良くつるんだ、穏やかな性格のルームメイトが青痣を作った顔で俺に懇懇と説教してくれた。
それ以降、俺の不眠症には拍車がかかった。別に殴った奴への罪悪感からではない。
まさか、襲うとは予想がつかなかったけれど。
殴られた痛みで目が覚めたら、目の前に泣きそうな顔をした吉良が居て、彼女の衣服は肌蹴ているし、自分が馬乗り状態だって気付いた。
状況が解らないから釈明のしようもなかったけど、美菜様は俺に弁明の余地すら与えずに散々、お説教して吉良を連れ去った。
“俺は昨日散々、我慢したって言うのに、なんでこんな痛い思いをするんだ?”
これを理不尽と言わず、何と言うのか。割に合わない。
というか、渡した覚えもないのに、俺の家の合鍵をどうして美菜様が持っているのか…意味が解らない。
「犯ってたら、今頃お前はブロックと共に海の中だ」
さらりと物騒な事を言った従兄弟を見上げれば、ふだんの愛想笑いにも似た皮肉な笑みもない。
眼光にあるのは、敵でも見るような冷やかな鋭さで、背筋に嫌な汗をかく。
冗談抜きで、健斗がキレている。その滑稽さに、失笑が出た。
「はっ、そんな怖い面で睨むくらいなら、吉良を泣かせるなよな」
つい剣呑な口調でそう言い放てば、健斗は無言で俺を睨む。
まるで“自分の女を寝取られた旦那”だ。
吉良が大事なら、最初から俺の前になんて出さなければ良かったんだ。俺の診療介助につけなければ…吉良に会わなければ、俺はこんなに心を掻き乱される事もなかった。
相手の女の心に他の男が居ようが意のままにすることが出来ると、傲慢に自分自身を過信したまま、俺は刹那的な身体だけの男女関係を続けていられたんだ。
生まれ持った容姿と、榊の遺伝子のおかげで、これまでは俺に靡かない女なんていなかった。だから、吉良もいずれは堕ちると思っていた。
けど、自制も駆け引きも忘れるほど堕ちたのは俺の方だった。
もう、他の女を抱きたいとも思わない。心ごと欲しいのは吉良だけ。
『好きだなんて言わないで…嘘でも聞きたくない…好きになりたくない』
なのに昨日、ようやく堕ちたようにみえた吉良は、突然、泣きながら俺を拒んだ。
結局、彼女は俺の誘惑に堕ちる事もなく、言葉で好意を示すことすら許さなかった。
まるでそうされることに怯えるように。
拒絶された…初めての事に、どうしていいのか解らない。
「あいつを泣かせたのはお前だろうが」
「はっ、どの面で言う訳?…お前に嫌われて捨てられたくないなんて言う女、抱けるかよ。萎える」
八つ当たりの様に口から出た言葉は、自分で思う以上に投げやりで力がなかった。
萎えるなんて嘘だ。嫉妬に狂って抱き潰してやろうかと思った。けど、辛そうに泣かれて、それも出来なかった。
泣かせたくないのに、俺は何度も吉良を泣かせてしまう。傷付けたくないのに、吉良に痛みに耐える様な表情をさせてしまう。そんな自分に苛立ちが止まらない。
必死でなけなしの理性を振り絞って抱きたい気持ちを押さえつけて、おさまりのつかないものを自分で始末したのなんて、生れてはじめてた。
快楽すらない、ただ欲を吐きだすだけのあんな虚しい行為、二度と御免だ。
「吉良を抱いてもいないし、吉良に振られた…満足したなら、とっとと帰れよ」
どうせそれを確認したい為に、健斗は此処に残ったのだろう。
「あいつが俺に惚れているとでも口にしたのか」
剣呑な声に、俺は思わず鼻で笑う。俺に言わせてトドメでも刺したいのか?
その言葉を吉良に言われたとしても、こいつにだけは絶対言ってやらない。
「言う訳ないだろ…好きになりたくないなんて女から言われたの、初めてだよ」
それを言ったのが吉良だという事実が尚更、俺の心の傷を広げる。
自分から何かを手に入れようと思ったのは、役者として生きていこうと決めた時以来だ。
人の情を欲しいと思ったのは、これが初めてのこと。
両親の情ですら欲しいと思わなかった俺が、嫌悪した“女”という生き物に執着して、吉良の言動に一喜一憂するなんて。
どうかしてしまったとしか言いようがない。
正直、一晩明けたのに、未だ以て拒絶されたダメージから立ち直れない。
「説教は聞きたくないから、帰ってくれよ」
美菜様の説教は、女性目線で古風な貞操観念を主体としたものだったから、正直、相容れない上にすいませんとしか言いようがなかった。
けど、健斗は違う。
同じ男で女遊びにも長じている上、サディストな性格だから、容赦なく鋭利な言葉で俺の心を刻んで抉る。
何より、吉良が咄嗟に助けを呼ぶくらい心を寄せる男に上からモノを言われるなんて、男のプライドがズタズタになる。
「…だから言っただろう。俺と吉良の過ごした歳月の重みなど、お前には解らないと」
呆れた様に小さく息を零して健斗は俺の頭を軽くはたく。
その行動に、酷く腹が立つ。
俺は後頭部に当てていた氷の袋を離し、そのまま健斗のワイシャツの胸倉をつかんで立ち上がった。
「解る訳ないだろ。俺はお前じゃない!解っているのは、本心も冗談や嘘だと思われるくらい、吉良に信用されてないって事だけだ!悪いかっ!」
間近で睨み据えれば、健斗の視線も鋭さを増した。