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Parfum  作者: 響かほり
第一八章 当たり前が出来ないのは…
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「度重なるそんな態度に、医者も看護師も信用できなくなって、しーちゃんは僅かな治療行為にも恐怖を感じるようになってしまったの。この間のように」

「…苦手だとは思ってましたけど、普段はちょっと緊張している程度でしたから、あそこまで恐怖心を感じているなんて知りませんでした」


 ただの点滴嫌いにしては、パニックの起こし方が尋常じゃなかった。

トラウマになった心は、今も癒えることなく彼を苦しめているなんて…。

 榊紫苑の性格が、遺伝子の塩基配列みたいな幾重ものスパイラル状になっても、何ら不思議はないのかもしれない。

 よく、人の道を踏み外さなかったと思う…いえ、きっと院長や美菜先生がそれを許さなかったのだと思う。


「あたくしは、処置中に暴れないしーちゃんを始めてみましたわ」

「でも、あの時は美菜先生が処置を…」

「貴女が傍にいたから、大人しくしていただけですわ。いつもは、体にすら触れさせませんもの。よほど、しーちゃんは貴女が気に入ったのね」


 美菜先生は穏やかに笑ったけれど、私は笑顔を返すことが出来なかった。

 両親の事があってから、恋愛を無しにしても、人から好意を持たれることが怖くてたまらない。

 幸い、今の職場のスタッフは以前から付き合いのあった人ばかりだから、さほどの支障はないのだけれど、新たに親しくなっていきそうな人には、かなり身構えてしまう。

 私は人を死に追いやってしまう様な人間だから、誰にも愛されてはいけないし、愛される訳もない。まして、自分が他の人を愛してもいけない。

 人を救う仕事をしながら、身内を見捨てて、結果見殺しにしてしまった。

 当時、美菜先生や院長は私の所為じゃないと言ってくれたけど、私は私自身が許せない。


「私は…」

「ねえ、あげは。生真面目で真っ直ぐに物事に向き合えて、誰にでも優しさを持てる貴女が、あたくしは好きですわ。でも、貴女は肉親であることに縛られて彼らを甘やかしすぎてしまった。それは過ちだと思っていますわ」


 気付かないうちに俯いていた自分の顔を上げれば、美菜先生は私を真っ直ぐに見据えていた。


「勤勉に生きる事を忘れた堕落の虫には、無条件の優しさなんて甘い蜜と同じ。本人が自分の力で這い上がろうとしない限り、破滅の毒なのよ」


「…破滅の毒?」

「努力なしに甘い蜜を手に入れて生きられるのなら、探す努力を忘れて湧き出る蜜に群がり依存しますでしょう?貴女の優しさに縋りついて、借金を繰り返した御両親がそれよ」


 美菜先生の柳眉が、まるで不快なものを見た時に様に歪む。

 彼女や院長が私の両親を快く思っていないのは、二年半前のあの時からよく解っている。

 借金を子供に全て押し付けて働きもせずに遊び暮らしていた両親。どうしようもない駄目な人間になってしまった二人の血が、私の中にも流れている。

 だから私は、両親が昔の様に決して裕福な生活じゃなくても、真面目に働いてくれる事を望んだ。

 人としてどんどん駄目になっていく両親を見ていたくなかったから、立ち直ってほしかったから、二人で頑張って生きて欲しかった。

 でないと、両親も私も本当に救いようがない所まで堕ちてしまう気がして。

 私の中に流れる血が、どんどん薄汚れた醜いものになっていく気がして…こんなわたしでも、手を差し伸べてくれた美菜先生や院長に見限られてしまうのが怖くて。

 もっともらしい理由で突き放して…両親は結局、同じことを繰り返して死んでしまった。

 私のしたことは、結局、両親を死に追いやった。


「ただ相手の望みに添うことばかりが、優しさではありませんもの。時に厳しく突き放すのも優しさ。だからこそ、貴女があの時に御両親を突き放したことは正しかったのよ」


 慰めを言う美菜先生の言葉に、胸が痛む。

 ずっと、美菜先生も院長もこの話を私には振って来なかった。

 触れずに、そっと無かった事の様に蓋をしてこれまできたから。

 だから、今更ながらにそう言われると泣きたい気持ちになる。


「ご両親の為に、貴女は私や健に頭を下げて彼らの債務処理を可能な限り行って、新たな仕事場まで用意したのよ?その上で、貴女が自立を促したのに、立ち直るという努力を見せなかったのは、彼らの心持ちの問題。立ち直るまで親子の縁を切ると言った貴女に、何の咎もありませんわ」

「…でも」


 何度も首を横に振って、私は美菜先生の言葉を否定する。


“私のしたことを、肯定なんてしないで…両親が死んで、安堵した私を許さないで”


「あげは。人は万能ではないのよ?救えるものもあれば、救えないものもある。貴女はあの時に出来ることを尽くしたわ。そろそろ、ご自分を責めることをやめて、許してあげてはいかが?」


 そんな優しいことを言われたら、ゆるくなった涙腺から涙があふれてくる。

 こらえようとしても、閉じた瞳からどんどん涙が出てくる。

 椅子が動く音がして、美菜先生のヒールが床を打つ音が近づいてくる。

 間近で止まったその足と共に、横から私を包み込むようにアナスイの香水の香りと、温もりを感じる。

 美菜先生は優しいから、駄目だってわかっていても甘えてしまう。


「私を…甘やかしちゃ…ダメです」

「貴女を甘やかしたことなんてありませんわ。それに、貴女は人に甘くて、自分に厳しすぎるの…ねえ、あげは。辛い事を一人の胸に仕舞い込まないで」


 何度も髪を梳き、美菜先生は子供をあやすように優しく囁いてくれる。


「子供が産めなくなったショックからあたくしが立ち直る事が出来たのも、一度は手を離してしまった健斗の手を取って結婚できたのも…それは貴女があたくしにくれた幸せ。貴女も苦しい時期だったのに、あたくしからの理不尽な八つ当たりを受け止めて、苦しさを受け止めて一緒に泣いて、励まして叱ってくれましたのに…なのに貴女が一番苦しい時に、あたくしは貴女に何もして差し上げられなかった」


 私は何度も首を横に振る。看護師としていられるのは、美菜先生と院長が助けてくれたからなのに。


「そんなこと…ありません」

「あげは。あたくしは貴女に笑っていて欲しいの…しーちゃんがお嫌いなら、しっかり引導渡してくださってかまわないわ。でも、貴女の気持ちが少しでも揺らいでいるのなら、その気持ちを大切にして向き合ってほしいの。貴女自身の為に」

「…っ、美菜、せんせ…」

「貴女に元気がないと、あたくしや健も辛いわ。昨日なんて、健ったら貴女と連絡がつかないってずっと落ち着かなくて、貴女に八つ当たりしたことを柄にもなく後悔して反省していましたのよ?」


 私が人生のどん底に居ても、見捨てないで手を差し伸べてくれた人がいる。

 今も彼らは見守って傍に居てくれる。

 そう思ったら、何度手で頬を拭っても涙があふれてくる。


「貴女にも見せて差し上げたかったわ。煙草を逆にして火を点けて火がつかないって怒るし、雑誌も上下逆さまで見ていますし、意味もなく部屋の中はうろうろしては、数分おきに携帯電話を見つめるし…。あれほど落ち着きのない健は、あたくしにプロポーズした時以来ですわ」


 普段が何にも動じないふてぶてしい程に泰然としている院長のそれを、つい想像してしまい思わず噴き出して笑ってしまった。


「貴女には笑顔が似合いますわ。あげは…貴女は貴女の思うように、しーちゃんと向き合いなさい。もし、しーちゃんが悪さをするなら、ちゃんとあたくしたちがお仕置きして差し上げますから、ちゃんと報告するのよ?」


 つい近くにある美菜先生の顔を見れば、凛としながらも不敵な微笑みを浮かべていた。

 普段だと嫌な予感がたくさんするのに、どこかほっとしてゆっくり自分の心と向き合って見ようと思ったのは、支えてくれる人が此処にはちゃんといるって再認識したから。



 Parfum、お久しぶりの更新でございます。

 遅くなって申し訳ございません<(_ _)>

 

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