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§
「本当に、榊の殿方は下半身に節度の文字がありませんこと」
榊紫苑の家から美菜先生に連れ出された私は、有名なホテルの一室に連れてこられた。
真っ先にバスルームに連れて行かれ、それまで無言だった美菜先生に、容赦なく洋服を剥ぎ取られた。
例え女同士だからって、問答無用で服を脱がされたら恥ずかしい。その上、私の体には榊紫苑が昨日つけた赤い痕が幾つもある。
自分でも、真っ青になるくらい体の至る所に。
だから、慌ててその場にしゃがみ込んで腕で隠してみたけれど、痕は隠しきれない。
“ど、どれだけ付けたの!?あの人っ!”
彼氏だった人にだってキスマークなんて付けられたことがなかったのに、きわどい場所にまで鬱血した痕が刻まれていて、血の気と共に意識が無くなりそうだった。
これじゃあ無理矢理襲われたみたい…いえ、ほぼ襲われたようなものだけど、普通、こんなに痕なんてつけるものなの?
恥ずかしすぎて、美菜先生の顔を見られなくてうつむいていたら、美菜先生が私の前に屈み込む。険しい面持ちのまま、美菜先生はバッグの中からシートに入った薬を取り出して私の前に差し出す。
「モーニングアフターピルですわ。避妊の為に、お飲みなさい」
緊急避妊薬を差し出され、私は慌てて首を横に振る。
「子供が出来たらどうなさるおつもり?」
「だ、大丈夫です!そ、その…最後まではされませんでしたから…」
そんな報告をするのもどうかと思いながら、最後は恥ずかしさで尻すぼみしてしまったその言葉に、美菜先生の表情が更に険しくなった。
「避妊具を使ったのではなく?」
「…はい。その…未遂で…」
ピクリと美菜先生の柳眉が片方吊り上る。美人なだけに、怒った顔は迫力満点で、思わず私は息を飲む。
「未遂?キスマークを体中に残すほど、貴女に執着していますのに?」
「こ、こんなになってますけど、ほ、本当に一線は越えていませんから…榊さん…やめてくれました」
なんと説明して良いのかわからず、別に榊紫苑を擁護するわけでもなかったけど、やめてくれたの事実なので、しどろもどろで答えれば、美菜先生は深いため息を漏らす。
「…あ、あの、美菜…先生?」
「ともかく、お風呂で身を清めてこちらに着替えていらっしゃい。それから朝ごはんを頂きながら、詳しいお話を伺います」
美菜先生は、着替えの入った紙袋を私に差し出してバスルームから出て行った。
私は美菜先生に従って、既に湯の張られた贅沢なジャグジー風呂で体を綺麗にする。
いつもはのんびり入浴するけど、今は一人で体に残った痕を見ていると、榊紫苑の事を思い出しそうで怖かったから、早々に切り上げた。
美菜先生が持ってきてくれた着替えは、美菜先生のチョイスにしては露出がほとんどなく、体のラインが出にくい服に、パンツスタイルだったのでほっとした。
少しでも胸元が開いてしまうと、榊紫苑がつけた痕が見えてしまうし、無防備な格好は流石に躊躇われる。
バスルームからでると、セミスイートのその部屋にあるダイニングテーブルには、既に朝食が用意されていて、美菜先生が座っている。
「お座りになって」
優雅な笑顔なのに、拒絶を許さない重圧を含んだ誘いに促され、私は料理の用意されている美菜先生の対面の席に腰をかけた。
そして朝食が始まり、これまでの話を可能な限り美菜先生に説明した。
一昨日、榊さんが私の家に泊まったことも、昨日のことも…流石に襲われている所はオブラートに包んで簡単に説明した。
美菜先生はそれを黙って聞いて、私の話が終わってからはお互いにしばらく無言に。
食事も喉を通らない私は、美味しそうな朝食をただ見ているだけ。美菜先生が食事をしている音だけが部屋に響く。
「あげは」
「は、はいっ」
沈黙に耐えきれなくなってきた頃、美菜先生に呼ばれてビクリとなってしまった。返事をした声も、少し裏返ってしまった。
「しーちゃんをどうなさいます?」
「ど、どう…とは?」
「二度と悪さが出来ない様に去勢なさいます?それとも、社会的地位を失墜させて再起不能になさいます?貴女の望むようにして差し上げてよ?」
口元をナフキンで拭いた美菜先生は、淡々とそう恐ろしい案を告げる。
しかも、それが決して冗談などではなく本気である事は、長い付き合いなのですぐにわかる。それに、実践しようと思えば可能な力も美菜先生にはある。
「い、いえ…そ、其処までは…良いです…ただ、普通になってもらえれば…」
「榊の普通は、女を見たら口説く、迫る、落とす、捨てる。の、四段活用でしてよ?」
「…そ、それが全部ない方向で…」
「全部?それは難しいですわね。しーちゃんは、貴女に恋していますから」
なんだか口が渇いてきたので紅茶を飲もうとティーカップに口をつけた途端、美菜先生の言葉で吹きそうになる。
言われたことが頭の中でぐるぐる回るのに、現実味が全然ないせいか理解が出来なくて、何度も目が瞬いてしまう。
誰が、誰に?
「こ、コイ??」
「あらいやだ、あげはったら。あれほど露骨でしたのに、お気付きにならなかったの?」
嘆息して、美菜先生は優雅にティーカップを掴み紅茶を口にする。
「あたくしが知る限りでは、少なくともしーちゃんが熱をお出しになった頃には、あの子が貴女を見る眼はそれでしたけれど?」
“…そう…だったかな?”
さっぱりわからなくて、一生懸命に過去を回想して思い出してみる。
榊紫苑が熱を出すよりも以前にも、確かに変なことはされていたけど、そんな眼差しで見られていた覚えはない。
さっぱり思い当たることもなくて、うーんと、思わずうなってしまった。
『…好きだよ、吉良』
なのに不意に昨日言われたことを思い出して、一気に鼓動が跳ね上がり頬が熱くなる。
告白に揺れたんじゃない、彼から放たれる男の色香に負けそうだっただけ。
そう自分に言い聞かせて、跳ね上がった鼓動を一生懸命宥める。