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Parfum  作者: 響かほり
第一八章 当たり前が出来ないのは…
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91 ~吉良side~

   第一八章  当たり前が出来ないのは…



 彼は何時だって私を翻弄する。

 出逢ってすぐに倒れるし、俺様ぶりを発揮で初対面の印象は最悪だった。

 傍目で観察していても、彼は榊の男性そのもので、無駄に女性慣れしていて大して親しくもない私に対する、挨拶代りの口説き文句も忘れない。

 単なる患者と看護師の関係だったから、それ以上のことも無く、淡々とした会話しかしたことがなかったのに、ここ最近の榊紫苑の行動で、これまで二人の間にあった心の距離感も対人における距離感も狂い始めていた。

 突然、口説き文句を言う榊紫苑に、甘くゾクリと脊髄を疼かせるような色気が含まれ、何かにつけて絡まれるようになった。

 そんな榊紫苑が嫌いだったのに、彼はどんどん私の心に入り込んでくる。

 空気なんて読まない強引さで、会えば自己中心的な行動に振り回されて嫌だったのに、どこか人を寄せ付けない気配を纏って牽制する彼から、いつからか目が離せなかった。

 彼を知る度に垣間見える、彼が抱えている心の闇の一部が、私のそれと似ていたからかもしれない。

 何かの呪縛から逃げられない…。

 なぜかそんな気がして、放ってはおけなかった。

 食事も睡眠も満足に出来ず、誰の手も借りずに生きようと足掻くほど八方塞になって。気力で誤魔化してきたものが、体力の低下と共に失われて少しずつ蝕まれた心が崩壊していく。

 助けてほしいと心が悲鳴を上げても、それを誤魔化してまだ大丈夫だと足掻いて。

 親の借金を相談なんて、相手を困らせるだけだって分かりきっていたから。…だから私は相談をしないまま、身も心も潰れた。

 そんな昔の私の精神状態に、榊紫苑のそれはとてもよく似ているように見えたから、余計に彼が気になって、どうしても突き放せなかった。

 仕事中なのに、看護師としての立場ではなく吉良あげはとしての私個人の感情が働いてしまうようになったのは、いつからだったんだろう。

 榊の人間なら誰しも口にするような口説き文句と分かっているのに、榊紫苑の言葉だけはいつも心に小さな棘みたいに刺さって気持ちが落ち着かなくて。

 セクハラ領域のキスをされたり、貞操の危機のような状況に陥っても、繰り返される度に感じるのは生理的嫌悪ではなく、その甘い快楽に少しずつ堕とされていく危機感。

 榊紫苑に触れられると、今まで感じた事のない甘い疼きに翻弄されて、嫌でも彼を男性として意識させられてしまう。

 どうすれば、以前の様な患者と看護師としての距離感を取り戻せるのか分からなくなって、気持ちを制御できずに院長に指摘されて落ち込んで…

 不安な感情を榊紫苑にぶつけて、あまつさえ彼の前で泣いてしまった。

 きっと迷惑していたはずなのに、榊紫苑は何も尋ねずに涙が止まるまで傍にいてくれた。

 何時も自分勝手なことをして私を困らせるのに、どうしてこんな時に優しいの?

 なのに優しいのかと思えば、突然、不機嫌になって、怒りをぶつけてくる。

 感情の起伏が激しくて、冷静さを取り戻そうとする私を掻き乱す。

 強引にキスをして、穏やかだった私の心に波風を立てて、蓋をしたはずの気持ちを揺さぶって、私をまた不安にさせる。


『…吉良、もう一度、紫苑って呼んで?』


 最初は酷く怒ったように、まるで脅迫の様に私に名前を呼ばせた癖に、今度は怯えた子どもの様に恐る恐るそう榊紫苑は懇願する。

 時々、彼の中にもう一人別の彼がいるような、そんな錯覚を見る。

 今もそう。

 身勝手で、人の気持ちをまるで考えない傍若無人な言動をしていたのに、傷つくことをひどく恐れている別の彼が顔を見せる。

 拒むことを躊躇わせるような妙な罪悪感に苛まれて、名前を呼べばまた彼は変わる。

いつもは優雅ささえ感じる端麗な榊紫苑の表情が、胸を締め付けるほどに雄々しい男の人のものに。

 たくさんの顔をもつ彼は、一体どの彼が本当の『榊紫苑』なの?

 知れば知るほど、榊紫苑が分からなくなる。


『…好きだよ、吉良』


 ありふれたはずの榊一族の常套句は、一夜限りの愛に誘う口説き文句なのに。

 なのに、榊紫苑が口にするその言葉は、本当にそこに恋心があって、焦がれてやまない愛しい人へ語るようで。

 思わず心が震えてしまう。

 錯覚なんてしたくないのに。

 榊紫苑の行動は、私の中から消し去ったはずの心を引きずり出そうとする。

 平穏だった心が、ざわついて震える。

 誰も好きになりたくない。

 誰にも好きだなんて言われたくない。

 もう、両親に裏切られた時の様な、苦しい思いをするのは嫌だから。

 大事な人はもうこれ以上要らない。

 なにより、自分が人から好かれる資格はない。

両親を見殺しにした私が、人を愛する資格すらないのに。

 なのに……。


『…好きだよ、吉良』


 揺さぶられて崩れる砂の山の様に弱った私の心に、榊紫苑は幾度も囁く。

 心を縛りつける榊紫苑の低く甘い声が、繰り返される彼からの淫らなキスが、嫌だと思えなくなっていた。

 榊紫苑にそうされることがまるで当たり前の様に、受け入れ始めていた。

 そんな自分を心の奥底で、「両親を見捨てて殺したくせに、自分だけ幸せになろうとするの?図々しい!」と罵倒する自分が居て、境界線で揺れる。

 彼がくれる甘い快楽に、ずるずると体が本能に飲み込まれていこうとする。

 目まぐるしく変化して私を翻弄する榊紫苑に、どうしていいか分からない。

 罪の意識とそれから抗おうとする心が拮抗して、心が悲鳴を上げる。

 張り裂けそうなほど苦しい。


“嘘でも好きだなんて言わないで…お願い…優しくしないで”


 彼の傍に居ることが心地良いなんて、思いたくない。

 勘違いでも「好き」だなんて、思ってはいけない。

 好きになんて、なってはいけない。

 たとえ彼が本気であろうと、一時の気まぐれであろうと。

 両親が死んだあの日から、もう、新しく大事な人は作らないと決めた。

 家族も恋人も作らないと…恋愛をしないと決めたのは自分への戒めだから。

 両親を結果的に見殺しにした償いだから。

 だから早く「冗談だよ」って、いつもの様に笑って…止めて…お願い。



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