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Parfum  作者: 響かほり
第十七章 加速する想いに惑う夜
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88



     §




 本当に簡単に、短時間で吉良は俺の目の前に料理を出してきた。

 米が食べたいと言った俺の要望で出て来たのは、親子丼とみそ汁。

 吉良が言うには、米を炊くには時間がかかるので、保存食用で買った米をレンジでチンして使っているのと、みそ汁は即席の物をベースに使ったらしいから、味は保証の限りではなかったらしい。

 俺は健斗ほど食にこだわりも無ければ、味覚がさほど鋭い訳ではないから、食べても一切気にならなかった。

 ロケ弁当の様な冷めた食事とは違い、湯気が立って温かい。外食のような濃い味ではなくて、食材の風味がわかるけれど薄味すぎずで、何というか優しい味がする。

 ほっとする味だった。


「…そんなにお腹空いていました?」


 自分に出された親子丼だけでは物足りなくて、吉良の分を半分もらってそれも平らげた俺に、吉良は驚いたような顔をしていた。


「いや、そこまで減ってはいないよ」

「…じゃあ、大食なんですか?」

「むしろ小食。普段から一人前は食べないし、仕事柄、食事する時間がないから、一日、一食か多くて二食だから」

「体壊しますよ?」

「俺、食事に楽しみが見いだせないんだ。でも、吉良のご飯は良く食べられる。美味いしなんかこう、ほっとするんだよね」

「貴方は褒め上手ですね」


 俺は事実を言っただけにすぎないのに、吉良はお世辞とても思ったのだろうか。

 緑茶を淹れた湯飲みを俺の前に差し出した吉良は、困ったように笑う。


「今度からは、料理の作れる彼女さんに頼んで下さいね」


 この状況下で別の女の話を振れる吉良に、モヤモヤする。


「特定の恋人なんていないし、例え恋人でも女をこの家に上げるなんて、冗談じゃない。俺の領域にずかずか入り込まれたくない」

「…私、思いっきり上がり込んでいる気が…」

「吉良はかまわない。俺が好きだから」

「…料理が?」


 何も解っていない吉良は、眼を瞬かせて俺を見ていた。

 絶妙にかわされ、俺は頭が痛くなる。

 どうして彼女はこれほど鈍いんだろう。それとも、意図的なのだろうか。

 俺が簡単に誰にでも『好き』だなどと口にしているとでも、思っているのだろうか。

生まれてこのかた、そんな台詞をマトモに吐いたのは撮影中だけ。

 付き合った女にも、自発的に言ったことはないのに。


「料理が好き程度なら、その女の家に行くよ」

「はぁ…」

「俺、貴方が好きだと言ったよね?」

「…それって、社交辞令ですよね?榊特有の。良くいずみ病院で榊の先生方から、そういう挨拶を受けていましたし」


 人生で、自分の出自をうんざり思うことは多々あったが、今回は後頭部を鈍器で強打された様な痛恨の衝撃だ。

 俺は頭を抱えて机に突っ伏す。


“吉良は本院(いずみ病院)にいたから、榊慣れし過ぎているのか…だから、口説いても響かなかったのか…”


 恐らく感覚がマヒするほど口説かれ慣れて、吉良は口説き文句に反応出来ないのだ。

 今更そんな事に気付かされる俺の鈍さも、大概どうかと思うが。

 恒常的に毎日、女を口説いている榊の人間達の女好きの性癖を、遺伝子レベルでどうにかしてほしいと本気で思った。


「榊さん?食べ過ぎてお腹痛いんですか?」


 何気なく俺を子ども扱いしているような発言をした吉良を、俺は突っ伏した姿勢のまま、顔だけ動かして見る。


「そんな訳ないだろ。自分の中に榊の血が流れていることにムカついているだけ」

「はぁ…そうなんですか」


 まったくわかっていない様子で、吉良は首を傾げる。

「つまり俺の言葉は、榊の心ない口説き文句と一緒にされていた訳だ」


 吉良の中で、俺はその辺の榊と同等程度にしか見られていない。そう思うと上げた顔に失笑が零れる。

 そう、榊の血が流れる俺も、女には不誠実だから。

 好きでもない女とキスをして、セックスだってできる。

 女と真剣に向き合わず、その場限りの愛の言葉を相手が望むままに囁いて。

 相手が本気にならないように常に気を配って、面倒事を回避してきた。

 そんな男の言葉は空虚に決まっている。何も打たれるものなどない。

 だから、吉良にも届かない。

 人の心の機微を悟る吉良の反応は、必然なのかもしれない。

 なのに、この胸のあたりが焦げ付く気持ちは何だろう。


「食器洗いますね。これが終わったら帰ります」


 沈黙に耐えかねたわけでもなさそうだが、吉良はそう言って食器を重ねてシンクへ向かっていく。

 帰る…。

 そんなごくありふれた言葉が、不快だった。


“何故、あっさり帰ると言える?俺は帰れなんて言っていない”


 しかも、帰すとも俺は言っていない。


「…ねえ吉良、このまま此処に俺と住まない?」


 食器を洗いはじめた彼女の後ろ姿にそう問いかければ、ゴンとシンクに何かが落ちる音がする。


「わ、割れてないっ!?」


 慌てて何かを拾った吉良が、そんな事を言いながら手に持っていた丼茶碗を、天井の電灯にかざして確認し、安堵の表情を浮かべる。


「吉良、聞いているの?」

「き、聞こえたから落としたんです。突然、変な事を言わないで下さい!」


 泡だらけの手でしっかりと丼を持ってシンクに向き直った吉良は、そう答えてまた洗い物に取り掛かる。


「変な事って、何が?」

「どうして私が貴方と住まないといけないんですか」

「仕事、クビになったんだろ?」

「まだなってませんから!」


 再び俺に視線を向けた吉良は、力いっぱいそう返事をして俯きながら姿勢を戻す。



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