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仕事に関して妥協を絶対に許さない院長に、地に足がついていない状態の私は、職場から追い出されてしまった。
明日から三日間は絶対に出てくるなと、釘を刺されてしまった。
だからといって、すぐ家に帰る気分にもなれず、ずっと街をぶらぶらしていた。
叱られるより、突き放されたほうが心にこたえて、とても一人で家に居る気分ではなかったから。
気付けば夕方も過ぎ、日もほとんど沈みかけていた。
「あれ、あげ姉?」
外資系のCDショップで、気分転換にとヒーリング音楽を探していたら、そう声をかけられた。
顔を上げれば、CDの陳列棚をはさんだ向かい側に、ブレザー姿の中学生の姿がある。
「あ、まちゃ」
私と同じくらいの背丈に、オレンジがかった髪をした少しやんちゃ系の少年は、視線が合った瞬間、破顔する。
クリニックの受付嬢、藤堂絢子さんの息子である彼、雅樹は今年で十四歳。彼が小学校の低学年の頃から付き合いがある。
少し大人びた雰囲気と母親似の美形な容姿は、会うたびに少年から男性の雰囲気になっていいく。
絢子さんは、雅樹をジャ●ーズとかいう、美少年の集まる事務所に入れてアイドルにしたいと言っていたけど、当の本人は「母さん一人にしたらダメンズに引っかかるし、金を湯水のように使うから無理」と言って絢子さんと時々、喧嘩している。
「…デート?」
雅樹の隣には、どう見ても雅樹より年上の高校生と思しき女の子が、私の姿を見てから彼の腕に腕を絡めて寄り添う。
その女の子も、これまた雑誌に載りそうなくらい顔も可愛い。ただ、化粧が制服にしては派手かな。ナチュラルメイクの方が、似合うのに勿体ない。
「そうなんですぅ❤」
女子高生がそう答えるけれど、雅樹は心底嫌そうにして、相手の腕を振り払う。
「いい加減うぜぇ。さっさと帰れ」
「え~」
「二度とそのブズ面見せんじゃねぇ」
雅樹は聞いているこちらがはらはらする程、冷徹にそう言い放って歩き出す。
女子高生は泣きそうな顔で雅樹の後姿を見ていたけど、不意に私に鋭い視線を向けて一瞥する。明らかに敵視している眼が、私を睨んでくる。
「クソアマ、何、あげ姉にガンくれてんだ」
「ま、まちゃ、女の子は優しく扱わないと駄目よ」
「知ってる。けど、この女に優しくするつもりないし。…さっさと帰れ」
母譲りと思われる雅樹のお口の悪さに、女子高生は唇をかみ締めて踵を返すと、店を出て行った。
私が彼女の後姿を見ている間に、雅樹が私のそばに来て腕を掴む。
「あげ姉。女よけに、ちょっと付き合って」
さっきとはうって変った愛想の良い笑みで、中学生は私を引っ張って歩き出す。
連れて来られたのは、J‐POPのCDコーナー。
「か、彼女はいいの?」
「あんなの彼女じゃないし。ってか、初対面。なのに彼女面とか、あの女、頭イカレてんじゃねえの?最近そんなのばっか」
新作の並べられた棚を見ながら、気にした様子もなく雅樹はそう呟く。
中学生なのに、何でそんなハードな人生送っているのかしらと、雅樹の事が少し心配になる。
「す、ストーカとか?大丈夫なの?」
「ちょっと前に、街で見かけたイケメンとか言って雑誌に俺の写真が出てから、あんなアホ女がボウフラみたいに湧いて近付いてくるんだよ」
そういえば先週、そんなことを絢子さんが言って雑誌を見せてくれたっけ。でも、他の子は笑ってたけど、雅樹はかなり不機嫌な表情で映っていた。
「あぁ、あの写真…まちゃも大変ねぇ」
「元々、あげ姉みたいに、フツーに接してくれる女のほうが少ないし」
「そう?で、何を探しているの?」
「ベラドンナのニューアルバム」
「ベラドンナ?毒草?」
手をのばし、棚からCDケースを抜き出した雅樹は、呆れた顔をしてジャケットを私に向けて差し出す。
「あげ姉、もうちょっと芸能関係は頭にいれたほうが良いぞ。これ今、超アゲなロックバンドだから」
「…アゲ?」
雅樹の言葉は時々、解らない。
CDジャケットに載っている、バンドのメンバーと思しき人たちの中に、何となく気になる人がいて、CDを手にとってまじまじとそれを見る。
「どうしたの?」
「…ん~、なんだかこの真ん中の人、最近見たような…」
雅樹に教えるように、メイクをした亮さんに似た人の写真を指差した。
「あぁ、RYO?」
「りょう??」
ますますもって、当人と類似している。
「最近、TVCMにも出てるから」
「CM?」
「ほら、有名宝石店のCM。上坂伊織と一緒に出てるだろ?」
「上坂…伊織?」
「あれ」
雅樹が壁に貼り付けられたポスターを指し示す。
映画をDVD化した宣伝用のポスターには、若い男性が女性を後ろから抱きしめている姿が見える。
タイトルからして、恋愛物と分かる内容。
その男性の姿は、髪の色も瞳の色も全然違うけど、顔立ちは榊紫苑に似ている気がする。というか、かなり似ている。
これなら、絢子さんが榊紫苑を間違えたのも頷ける。
“あれ…そういえば亮さん、榊さんのこと伊織…って呼んでいた気が…”
「あげ姉?もしかして、上坂伊織に見惚れてる?」
「え?あ、ううん。身近であの人によく似ている人がいて…」
「あぁ、母さんが言ってた奴?あげ姉の新しい男なんだって?」
手に持っていたCDから手が離れ、落下し始めたそれを雅樹が受け止める。
「危ないよ、あげ姉!」
「ご、ごめんね!で、でも、彼氏じゃないから!」
「あ、セフレってやつ?ちゃんと避妊してよ?あ、俺のゴム分けてあげよっか?」
「ま、まちゃ!?」
「冗談。今度、またうちに遊びに来てよ。じゃあね」
一体誰がこんなことを教えたのか、中学生の冗談にしては過激な言葉を吐いて、雅樹は飄々として去って行った。
私が抱いた疑問など、一瞬にして全て吹き飛ばして。