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Parfum  作者: 響かほり
第十六章 揺れる心で
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81 ~吉良side~


   第十六章   揺れる心で




「…ら…吉良!」

「ぅわぁっ!あ、はい!」


 鋭く呼ばれ、思わず体が飛び跳ねる。

 職場の休憩室で食事を食べているはずだった私の横の席で、院長が不機嫌そうに私を睨み据えている。


「あれ…院長、外へ食べに行ったんじゃ…」

「お前、今何時だ」

「…あ~、えっと…もう二時過ぎてますね」


 時計を確認すれば、昼休憩で院長が食事に出掛けてから、既に一時間半は経過している。

 帰ってきても何ら不思議のない時間。

 私の目の前には、手をつけていないお弁当がそのままの状態。

 まるで気の毒なものを見るような院長の視線がものすごく痛い…。


「すみません、コーヒー入れます」


 視線から逃れるように立ち上がろうとすれば、院長に止められてしまう。


「お前の目と鼻は節穴か」


 院長の手には、既に湯気を立てるコーヒーカップがある。

 浮かせた腰を椅子に戻せば、院長は横を向いて無言でコーヒーを啜る。

 何となく食欲もなくて、お弁当箱の蓋をしめて片付ければ、横目でそれを見ていた院長と視線が合う。


「…何か?」

「突込みどころが多すぎて、何処から突っ込むべきか思案中だ」

「…私、そんなにボロボロですか?」

「そうだな。昨日、紫苑の奴と何かあったと、詮索したくなる程度にはな」


 思案中といいながら直球で来た院長に、私は小さな溜め息が洩れた。


「あるような、ないような…そんな感じです」


 うまく説明できれば、誰かに相談も出来たけど、自分自身が良く分かっていないから説明のしようもなくて。


「…なんだ、その中途半端な返事は」

「だから、そんな感じなんですって」

「大方、八つ当たりでもされたんだろ?」

「…院長、やっぱり榊さんと何かあったんですね?」

「俺が何か悪いことをしたみたいな口ぶりだな?」

「だって昨日の夜、榊さんと険悪だったじゃないですか」

「原因は俺だと決めつけるな」


 いえ、職場におけるトラブルの原因は、十中八九、院長のせいですから。とは、事実でも今の不機嫌な院長には言えず、言葉を飲み込む。


「すみませんでした…で、原因は榊さん側なんですか?」

「それは男の事情だから察しろ」

「男の事情が分かりませんから…」


 院長が明確な答えを避ける時は、話したくない時か話せない時だからあえて突っ込まないでスルーするのが賢明。


「榊さんはかなり不機嫌で、確かに八つ当たりはされましたよ?メンタルが不安定なのは元々あったので、想定の範囲だったんですけど」

「ですけど、なんだ?酷い事でも言われたのか?」

「…いえ。気にするほど、酷いことは言われませんでしたよ。ストレス発散のために弄られた感は否めませんけど」

「だったらどうして、そんな憔悴しきった面をしている。化粧で肌の具合は誤魔化せんぞ」


 女性の機微に鋭いというか、部下の体調管理に対して抜け目がないというか…細かい所までチェックしすぎで、苦笑いしか出ない。


「私の家で、榊さんの体調が悪くなって院長を呼ぼうとしたら、酷く抵抗されたんです」

「お前…男を部屋にほいほい上げるなって教えただろうが」

「突っ込んでほしいところは、そこじゃありませんから!」


 真面目に話をしたのに、はぐらかされた感じでどっと疲れてしまった。私が知りたいのは、榊さんが注射でもないのにパニック症候群の症状に陥りかけた理由なのに。


「…昨日、榊さんをそのまま家に泊めてしまいまして」

「はぁ?」


 怪訝そうに院長が声を上げる。鋭い睨みが私を射抜く。


「し、仕方なくです…パニック発作を起こしかけた人に、そのまま車の運転なんて怖くてさせられなくて、話の流れで何故だかそんな感じに…」

「パニック発作?点滴をしたわけでもないのにか?」


 院長もやや驚いた顔をして見せた。


「ええ。例の愛人話になって、院長に教えられたように意味深であいまいな返事をしたあたりから、過呼吸症状が出始めて…薬を飲まずに落ち着く程度でした。注射以外で榊さんがパニック症をおこす引き金がこれまでにあったのか知りたくて…」

「そのあたりで話した言葉は覚えているか?」

「えっと…たしか、女は信用できないとか…そんな会話になった直後に症状が出ました」


 院長は私の言葉を聞くと、深く考え込むように視線を伏せて、腕を組む。

 その思案をジャマしないように、私は黙って院長の言葉を待つ。

 しばらくして、院長がおもむろに視線を上げた。

 真摯な眼差しで、珍しく真剣な表情をして私を見るので、私は思わず緊張して息を飲んで院長の答えを待った。


「…で、食われたのか?」

「食べられてません!」


 意表を突く一言に、私はめいっぱいの力を込めて、即答した。真面目に病気のことを考えていたのかと思えば、何ということを聞いてくるのだろう、この上司は。


「そんな心配より、榊さんの心配をしてくださいよ!」


 声を荒げてしまった私を、院長が心外だと言わんばかりの表情で見る。


「お前の心配のほうが先だ。榊の男を部屋に上げて一泊させたくせに、食われなかったのは奇跡的なことだぞ」

「どれだけけだものですか、榊一族は…そんな風に言われると、院長とは別の意味でショックです」

「今夜は帰さないと言いながら、あいつが手を出していないほうが、俺には衝撃だ」

「…何の心配ですか、それ」

「お前に、そこまで色気がなかったのかと」


 一体何の心配をしているのか良く分からない院長は、額を押えて首を横に振る。本当に、今日は失礼すぎるんですけど、院長。


「私に色気がないのは、今に始まったことじゃないと思うんですけど…」

「まあ、それもそうだな」


 しれっとそう言って顔を上げた院長は、何事もなかったかのように再びコーヒーに手をつける。

 ちょっと殴りたいと思って、机の下で握り拳を作ったのは内緒にしておこう。




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