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Parfum  作者: 響かほり
第十五章 情緒不安定は誰の所為?
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   §




「良いですか、榊さん。貴方も二十五歳で立派な成人なんですから、しっかり自己管理してくださいね?このままだと本当に、『体調を崩す』を飛びえ超えて、死にますよ?」

「…すいませんでした」


 俺は今、引き攣った笑顔のまま額に青筋を立てている吉良に懇々と説教をされて、頭を下げた。

 本当は自宅に戻るつもりだったのに、吉良のアパートから出ようとした瞬間、めまいを起こして、盛大な腹の音が鳴ったせいだ。

 吉良の作り置きの食事は、数日で食べきった。それから俺は、ほとんど食事を食べなかった。吉良の料理は難なく食べられたのに、それが無くなってしまえば元通りで、提供されたロケ弁も外食先の料理も喉を満足に通らない。

 熱を出して動けなくなった間の撮影の遅れを取り戻すために、映画の撮影が過密になったこともあり、他の仕事の合間に食事を取ることも面倒くさくなり、食べなかったせいで『低血糖状態』という体をエネルギーの欠乏状態になって気分が悪くなったらしい。

 さっき亮を迎えに行った店の懐石料理は、一口だけ口をつけただけで箸を置いた。

 決してまずくはなかったが、苛立ちで食欲が失せたからだ。

 食べたいとも思わなかったから、仕事中でも腹が鳴るなんてことはなかったのに、そばにいた吉良に腹の虫が盛大に鳴るって、どれだけ恥ずかしいんだ俺。

 笑われるかと思ったが、吉良は俺の食事状況を聞きだすと、また部屋の中に入るよう指示した。引き攣った笑顔で。

 最初、笑いをこらえているからそういう顔をしているのかと思ったが、違った。

 吉良はまず、蜂蜜入りの甘いホットミルクを作ってくれた。それを俺が飲む間に、吉良は卵雑炊を作り、体に優しそうな副菜を数種類一緒に持って来て、食べるように促した

 ホットミルクのおかげで胃が刺激されたのか、強烈な空腹感を感じ、俺は出された料理を余すことなくすべて食べた。

 で、すっかり満足したところで、吉良は「お話があります」と、説教を始めたのだ。そこで初めて、彼女が先ほど笑いをこらえていたのではなく、単に怒りをこらえていたのだと気付かされた。

 今は、怒りのオーラが激しく俺に突き刺さっている。


「たくさん食べろとは言いません。せめて食べられないなりに、体の為には最低限のカロリーと栄養は摂れるように心がけてください」

「…食べたくないし、今はそんな悠長に食事する時間がない」


 美菜様や健斗の様なキツイ言い回しではないけれど、この年になって説教をされるのは、自分が悪いと分かっていても反発をしたくなる。

 それも、好きだと言った相手に、即座に何事もなかったかのようにされれば余計に。

 吉良は、諦めたかのように深いため息を漏らした。


「では、榊さんは『独居の若い男性、自室で餓死しているのを発見』なんて、新聞の紙面を飾りたいんですね?」

「…いや、そんな情けない露出はしたくない…かな」

「食事を取らないと、怒りっぽくなったり、イライラしたり、集中力が無くなったり、病気をしたり、悪いことだらけなんですよ?空いた時間に、少しずつ、食べれられるもの食べてください。お酒をご飯代わりにしたら肝臓が壊れちゃうから、ダメですからね」


 酒を飲んで料理をごまかしていたことは言っていないはずなのに、見透かされたように釘を刺されて思わずびくりと体が揺れてしまった。

 更に説教が来るかと思って吉良を見れば、彼女と目が合って苦微笑された。


“あれ、怒っていない?”


「今日からやめましょうね」

「…はい」


 お願いされるように言われて、つい反射的に出来そうも無い事を承諾する返事をしてしまった。身構えて気が緩んだすきに、既成事実を取られた気がしないでもないけど…高圧的に言われるよりましだ。

 まあ、注意されただけだし、別に見られているわけでもないから守らなくてもいいか。


「約束を人の見えない所でも守るのがいい男ですよ?」


 また俺はびくっとなった。心でも見透かしているのか、吉良は。


「…俺が吉良との約束を反故にすると?」

「いいえ。ただ、院長が私と約束したことを、私のいない所で守ってくれないんですよね。よく、スタッフからどうにかしてほしいって言われるんで、つい癖で…ごめんなさい」


 こんなところで健斗の話題を持ち出して笑って話をする吉良に、また心の中に黒いものが広がる。吉良に健斗と俺を比較されて健斗に劣るなんて、絶対嫌だ。


「食べるように努力はする。だから、たまに俺の為に食事、作ってくれる?」

「えっと…それは…」

「努力しろって言うなら、協力して然るべきだよね?それとも吉良は、言うだけ言って知らん顔する薄情な人間な訳?」

「…そ、それは…」

「あ…ごめん…吉良の料理はすごく美味しくてたくさん食べられるから、食べるなら吉良の料理が良いなって思ったんだけど…迷惑だったよね。吉良にしたら、嫌いな俺の為になんか料理を作りたくないよね…ごめん、今の忘れて」


 俺はわざと淋しげにため息をつき、申し訳なさそうな感じでそうに告げて笑って見せた。

 すると吉良は、あわてたように、身振り手振りで大きく否定をして見せる。


「あ、あの、そうじゃなくて!そ、そうですね、言い逃げは駄目ですよね……分かりました!たまになら作ります…でも、たまにですからね?ちゃんと、食事の管理をしてくれる人を、親しい人で見つけてくださいね!?」


 お人よしな吉良は俺の策謀に見事にはまって、俺の望む答えを返してくれた。けれど、しどろもどろになりながらも、吉良は「たまに」を強調することは忘れない。

 承諾をしたものの、明らかに出来ればしたくない感が出ていて、それはそれで癪に障る。


「本当に?」

「約束は守ります」

「そう?じゃあ、明日の朝ごはん作ってくれる?」

「…え?」

「やっぱり駄目なんだ…」

「わ、分かりました!朝ごはん用意します!しますからっ!」


 残念そうに呟けば、吉良がもうやけくそのようにそう断言を返した。


「ありがとう。じゃあ、今日はこのまま泊めてね?今から、俺の家に吉良が一緒に来てくれてもいいけど、今運転するのはちょっと怖いな…吉良はどっちがいい?」


 そう、吉良と俺の家は車で三十分の距離がある。車のない吉良が移動するには、困難。当然、どちらかの家に泊まることは大前提になる。

 面白いように俺の手管に引っ掛かってくれる吉良へ笑顔を返せば、彼女はムンクの叫びの様なポージングになって固まった。

 まあ、この場で朝食のおかずを作って渡すと言う回避策もあるけれど、無論そんな案を吉良が考える前に畳み掛ける。


「…と、泊まってください…」


 正常な思考が働いていない吉良は、半ば放心状態でそう答えた。

 俺の策略にはまったとも知らずに。




 が、俺の策略にはまったかに見えても、吉良は上手に回避する。


“…ってか、男を自分の部屋に泊めて速攻熟睡って、どれだけ神経太いんだ?”


 吉良は、自分のベッドに客人用の布団を敷いて、自分はキッチンダイニングの床に布団を敷いて横になった。


 俺は夜、誰かの体温がないと落ち着かない上に、まったく寝付けないのに、一時間もしないうちに吉良からは規則的な寝息が聞こえた。

 そっと吉良の顔を覗き込めば、気持ち良さそうに寝ている。試しに眠っている吉良の頬を突いてみるが、表情一つ変えずに眠っている。


“俺を男として見ていないんだな、吉良は”


 普通、警戒心を持って相手が寝るまでは様子を窺って眠るだろうに、吉良は俺の存在を無視して深い夢の中。

 吉良の寝顔を見ながら、男としてすら意識されていないと突きつけられて、俺はかなり精神的にダメージを受けた。吉良一人にすら男扱いされないのに、世間からイケメンとか抱かれたい男とか言われて調子に乗っていた自分が酷く滑稽だ。

 そして、自分が彼女をかなり意識して様子を窺っていたことに気付いて、無意識に溜息が零れ、左手で自分の目を覆った。


“こっちは、なんか変な動悸でソワソワしているって言うのに…”


 眠れない上に、男としての矜持にヒビは入るし、吉良を意識すると胸の動悸が酷くなって、なんだかもう落ち着かない。


“俺だけこんな状態なんて、理不尽だ。吉良も少し困ればいい”


 俺はそっと吉良の上に掛かっている薄い布団を外し、吉良を抱き上げる。

 それでも吉良は目覚める気配がない。羨ましいほどの睡眠の深さだ。

 そのままシングルサイズの吉良のベッドへ連れて行き、彼女を横にする。

 彼女を壁側に置き、俺はその隣に体を横にする。

 俺一人でも寝るのは辛い広さだが、女性を床に寝かせるつもりもないし、俺が床で寝る気もない。

 どうせ俺は眠れない。

 それなら夜が明けるまで、不安を感じないように人の温もりを傍で感じたい。

 そっと、吉良を引き寄せれば、吉良がわずかに身を捩り俺に擦り寄って体温が衣服を通して伝わり、心地良い。ミルクティーブラウンの髪が俺の鼻梁をくすぐり、仄かな桃のシャンプーの匂いが香り、これまでの動悸が嘘のように落ち着いてくる。

 ずっとこうしていたい様な、純粋で穏やかな気持ちが俺に満ちてくる。女が傍にいてこれほど安らぎに満ちたことはない。

 少しずつ瞼が落ちて、そのまま眠りに入るまで、さほど時間はかからなかった。




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